10.トーラの若き当主
トーラの当主アルティスは、フォンテとヴェンティルを追い出せと言い放った。
屋敷の使用人たちが、フォンテたちのことを不審な目で見ていることは知っていた。けれどまさか、突然こんなことを言い渡されるなんて。
呆然としていたら、入り口の扉がばんと勢いよく開いて、リリアが駆け込んできた。
「伯父様! なんてことをおっしゃるの! フォンテにとって先生は、大切な母親なんですのよ! 引き離すだなんて、とんでもない!」
「盗み聞きとは感心しないな、リリア。それにそのふたりは、実の親子ではないだろう」
「養い子を育てている親なんて、いくらでもいますわ!!」
淡々と切り返すアルティスに、リリアは一歩も引かずに食いついている。それから彼女は、わたしに向かって申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「ごめんなさい、先生。フォンテたちのことを伯父様に相談したら、こんなことに……」
泣きそうな彼女の目を見ているうちに、ようやく我に返った。いけない、わたしもきちんと反論しなくては。
「……アルティス様」
まっすぐにアルティスを見すえ、ゆっくりと問いかける。
「あなたはこの子たちをここに置いておけないと判断されたようですが、それはどうしてでしょうか」
フォンテとヴェンティルは、何か不思議な力を持っている。きっと彼は、その力を恐れているのだろう。
すると、すぐに答えが返ってきた。けれどその答えは、思っていたのとは違っていた。
「その子どもと鳥は、精霊だ」
彼の言葉に、思わずぽかんと口を開けてしまう。精霊……聞いたことだけはあるけれど……。
「精霊って、伯父様が研究しておられる、あれですの……? まさか、実在していたなんて」
「わたしも、おとぎ話の中の存在とばかり……」
フォンテはぎゅっとわたしのスカートにしがみつき、ヴェンティルはわたしの肩の上に止まっている。それを見たアルティスが、また深々と眉間にしわを刻んだ。
「精霊は、確かに存在している。こうして人里に出てくることは珍しいが」
話の流れについていけずにぽかんとしているわたしとリリアに、アルティスは淡々と語りかけてくる。
「その子どもと鳥は、一時的にとはいえ嵐を退けるほどの力を持っている。そのような存在が人のそばにいては、いずれ災いを呼び込む」
彼の声が、どんどん厳しくなっていく。お腹に力を入れて、負けじと言い返した。
「で、ですがそれは、使用人たちが堤防を補修できるよう、手を貸しただけで!」
「そうだな。その点については助かった。だが、精霊は、あくまでも人間とは異なる存在だ。互いに交わることはない。交わっては、ならないのだ」
「……ママ、このおじちゃん、なにいってるの……?」
わたしにしがみついたまま、心細そうな声でフォンテが尋ねてきた。アルティスの眉間のしわが、また深くなった気がする。
「フォンテ、『おじちゃん』ではなくて『おにいちゃん』よ」
「そうですわ。伯父様はもう二十八歳ですのにいまだに独り身ですから、おじちゃんと呼ぶのは少々似合いませんわ。あ、わたくしはずっと前から伯父様と呼んでいるので、そちらは気にしないでくださいな」
フォンテの失言をリリアとふたりして取りつくろおうとしていたら、アルティスがフォンテをまっすぐ見すえた。
「私の呼び名など、どうでもいい。精霊たちよ、早くあるべき場所に帰れ」
「やだ!」
ぶんぶんと首を勢いよく横に振って、フォンテがさらにしっかりとわたしに抱きついた。
「どうして抵抗する。君はカルミアに出会う前、ひとりで暮らしていたのだろう? その暮らしに戻るだけだ」
フォンテは答えない。アルティスはいらだちまじりに、さらに言い立てた。
「人の暮らしは、君には合わない。君がここにいれば、君も周囲の人間も傷つくだけだ。いい加減、理解しろ」
「ひとり、やだ! ママといっしょ、いるの!」
叫び声とともに、信じられないことが起こった。いきなり足元の床に、どこからともなく水がわいて出たのだ。しかもあっという間に、くるぶしほどの深さになってしまう。
「カルミア、フォンテをなだめてくれ! おそらく、力が暴走している!」
アルティスがうろたえたように、そう叫ぶ。その間にも水の塊がぶわりと持ち上がり、壁のようになってわたしたちとアルティスとの間に立ちはだかった。
「フォンテ、これはあなたがやっているの!? 落ち着いて、水を止めて!」
「やだっ! あのおじちゃん、こわい! きらい!」
よほどアルティスの言葉がこたえたのだろう、フォンテはすっかり動揺してしまって、わたしの言葉さえも聞き入れてくれない。
そうしている間にも、水の壁はじりじりとアルティスのほうに迫ってしまっていた。アルティスが回り込もうとすると、壁も移動して彼の動きをはばむ。それどころか、壁の厚みがどんどん増していた。
このままだと、アルティスが危ない。ようやっと、彼が言っていたことが腑に落ちた。この子の力は、危険なものなのだ。
それはともかく、今はフォンテを止めなくては。かがみこんで、彼の小さな体を抱きしめようと試みる。リリアも困惑しながら、彼に呼びかけてくれた。
けれどわたしたちがあがくほどに、彼の泣き声も大きくなっていくばかりだった。
あせりが頂点に達しそうになった、そのとき。
コケコッコー!!
聞き覚えのある声に、目を見開く。いつの間にかわたしの頭の上に止まっていたヴェンティルが、高らかに鳴いたのだ。
部屋の中を、強烈な風が吹き荒れる。風は水の壁を叩き壊して、そのままわたしたち全員を転ばせた。
「アルティス様、大丈夫ですか!?」
どうにかこうにか身を起こし、呼びかける。床に片ひざをついた姿勢で、アルティスが髪をかき上げている。水の壁に飲み込まれこそしなかったものの、たっぷりと水を浴びてしまったらしい。
しかし、なぜか立ち上がれない。見えない手に、押さえ込まれているかのような感じだ。
見回すと、アルティスにリリア、それにフォンテまでもが、全員床に座り込んでしまっている。
「……もしかして、これはあなたが?」
ホー。
「喧嘩をするな、ってこと?」
ホッホー。
頭の上のヴェンティルに呼びかけると、のんびりとした声が返ってきた。
「……そちらの鳥のほうが、多少は理性があるようだな」
心底忌々しそうに、アルティスがため息をついた。
「分かった、鳥のほうはひとまず不問とする。だが子どもは出ていくように」
「ですから伯父様、フォンテは先生と離れたくないんですわ!」
すかさず口をはさんだリリアに、アルティスがこたえる。わずかに陰を帯びた、どことなく悲しげな声音に感じられたのは、気のせいだろうか。
「だが、さっきの水の壁を見ただろう。やすやすとあんなことをやってのけ、しかも説得に応じない存在など、恐ろしくてたまらない。少なくともほとんどの人間は、そう判断する」
何も言い返せなかった。あの嵐の夜からこちら、使用人たちの態度がぎこちなくなっているのを感じていたから。
「……親しくしていた使用人たちに陰口を叩かれ、居づらくなってから逃げるように出ていくくらいなら、今すぐに出ていったほうが傷は浅くて済むぞ」
そして続く言葉に、思わず目を見張った。もしかしてこれは……わたしたちのことを気遣ってくれているの?
「金が必要なら、用意してやろう。それをもって、親子ふたりで人里離れた森ででも暮らせばいい。それなら親子が離れ離れになることもないし、問題ないな」
「……伯父様……」
リリアも目を丸くして、アルティスを見つめている。さっきまでのとげのある態度は、もう消えていた。
「アルティス様」
そっと呼びかけて、そろそろと立ち上がる。みんなもつられるようにして、めいめい立ち上がった。
「お気遣い、ありがとうございます。ですが……少しだけ、猶予をいただけませんか」
彼は黙ったまま、片方の眉をかすかにつり上げた。
「フォンテが人ではないこと、そして今のままのこの子を人の世界に置いておくことの危険性については、うっすらではありますが理解できたとは思います」
冷たい無表情だった彼が、かすかに驚いたような顔になる。その目をまっすぐ見つめて、落ち着いて言葉を続けた。
「けれど、きちんと対策を練れば……この子がこのまま、人の世界で暮らすこともできるのではないかと、そうも思うのです」
「それは……一理ある、かもしれないが」
「伯父様、研究対象が目の前にいますのよ! この機を逃すなんてありえませんわ!」
アルティスの心が少し揺らいだのを見計らったかのように、リリアが声を上げる。それを聞いて、ふと違和感を覚えた。
彼は精霊について研究しているらしい。そういう人は、実際に精霊に出会えたら大喜びしそうな気がするのだけれど。そもそも精霊は、めったに人里に姿を現さないらしいし。
何か、事情があるのだろうか。気になったけれど、今は黙っておく。とにかく、フォンテをここに置いてもいいかもしれないと、彼にそう思わせるのが先だから。余計なことは言わないに限る。
「……分かった。猶予をやる。ただし、ひと月だけだ」




