第六話 【祝】あの面倒くさいバカップル、数年後も相変わらずだった件
あれから数年の月日が流れた。
俺、響谷奏と、隣で微笑む月詠詩織は、大学生になった。俺は工学部に、詩織は文学部に進み、通うキャンパスは別々になったけれど、俺たちの関係は何も変わらない。相変わらず詩織は俺の隣で笑っていて、俺は詩織の隣で笑っている。それが、俺にとっての世界であり、日常だ。
高校時代に繰り広げた、あの盛大な勘違い騒動。今となっては笑い話だが、あの時の胸が張り裂けそうな痛みと、真実が分かった時の途方もない安堵感は、今でも鮮明に思い出せる。
「ねえ、奏くん」
俺が借りているワンルームマンションのソファで、レポート課題に取り組む俺の肩に、詩織がこてんと頭を乗せてきた。シャンプーの甘い香りがふわりと鼻をかすめる。
「ん? どうした?」
俺はキーボードを打つ手を止め、彼女の方を向いた。詩織は少し拗ねたように唇を尖らせている。この顔は、何か言いたいことがある時のサインだ。
「この前のゼミの飲み会、穂香先輩とすごく楽しそうだったね?」
穂香先輩。同じ研究室の、一つ年上の面倒見のいい綺麗な先輩だ。この前の飲み会で、研究テーマのことで少し話し込んだのを覚えていたらしい。
「ああ、まあな。色々教えてもらっただけだよ」
「ふーん……」
詩織は納得いかないという顔で、俺の頬をむにっとつまむ。その仕草に、俺の心にチクリと小さな棘が刺さるのを感じた。
「……詩織だって、サークルの夏樹ってヤツと親しすぎじゃないか?」
夏樹。詩織が所属する文芸サークルの同期で、爽やかなイケメンだと評判の男だ。この前、大学の図書館で二人きりで課題に取り組んでいるのを見かけて、柄にもなくモヤモヤしたのを思い出す。
「え? 夏樹くんはただの友達だよ。課題で分からないところを教えてもらってただけだもん」
「俺だって穂香先輩とはただの先輩と後輩だ」
一瞬、空気がピリつく。
高校時代の、あの悪夢が脳裏をよぎる。お互いが相手を疑い、心にもない言葉をぶつけ、傷つけ合ったあの日々。ほんの些細なきっかけで、俺たちはまた、あの暗闇に引き戻されてしまうのかもしれない。
そんな不安が胸をよぎった、その時だった。
「……ぷっ」
先に吹き出したのは、詩織だった。つられて、俺も思わず笑ってしまった。
「あははっ、ごめんごめん」
「いや、俺も。……またやるところだったな」
俺たちは顔を見合わせ、どちらからともなく笑い合う。そうだ、俺たちはもう、あの頃のままじゃない。
あの経験を通して、俺たちは学んだのだ。
お互いを信じることの大切さを。そして、不安になった時は、一人で抱え込まずに、ちゃんと相手に伝えることの重要さを。
「奏くんが、他の女の子と楽しそうにしてると、やっぱりちょっとヤキモチ妬いちゃう」
詩織は、少し照れくさそうに頬を染めながら、素直な気持ちを口にする。
「俺もだよ。詩織が他の男と笑ってると、胸がざわざわする」
俺は詩織の体をぐっと引き寄せ、腕の中に閉じ込める。彼女の温もりが、俺の不安を溶かしていく。
「少しの嫉妬は、愛情のスパイス、だろ?」
「もう、奏くんったら」
そう言って笑う詩織の顔は、世界中のどんな宝石よりも輝いて見える。
俺は彼女の柔らかな唇に、優しくキスを落とした。一度、二度、三度と、確かめるように。疑いや不安じゃなく、ただ、純粋な愛情だけを込めて。
「愛してるよ、詩織。宇宙がひっくり返っても、それだけは変わらない」
「ふふ、大げさだなあ。私も、愛してるよ、奏くん。この先も、ずっと」
窓から差し込む柔らかな午後の光が、ソファの上で寄り添う俺たち二人を、優しく包み込んでいた。
これからも、俺たちはきっと、こうして些細なことでヤキモチを妬いて、少しだけ不安になって、喧嘩もするんだろう。周りからは「相変わらず面倒くさいバカップルだな」なんて、呆れられるのかもしれない。
それでも、いい。
だって、その度に俺たちは、こうして笑い合って、抱きしめ合って、お互いの愛を確かめていくのだから。
雨降って地固まる。
俺と詩織の道は、これからもたくさんの雨に降られるかもしれないけれど、その分だけ、誰よりも固く、強く、結ばれていくはずだ。
腕の中で幸せそうに目を細める彼女の額にもう一度キスを落としながら、俺はそんな未来を確信していた。
世界で一番、面倒くさくて、世界で一番、愛おしい。
そんな俺たちの物語は、これからも続いていく。




