第五話 だから言ったろ?世界一面倒くさいバカップルだって
俺、風早颯太。高校二年生。最近の悩みは、二人の幼馴染のせいで慢性的な胃痛に悩まされていることだ。
その元凶は、言わずと知れた響谷奏と月詠詩織。物心ついた頃からの付き合いで、今や学校公認のバカップルと化した二人組である。
普段のあいつらは、周りが引くほど落ち着き払っていて、「熟年夫婦」なんて呼ばれている。だが、俺は知っている。その平静な仮面の下に、互いへのクソ重い愛情と独占欲を隠し持っていることを。そして、それが時々、暴走してとんでもない茶番劇を引き起こすことも。
今回の騒動も、まさにそれだった。
事の発端は、数日前の昼休み。まず、奏が死人のような顔で俺の元へやってきた。
「颯太……詩織が、浮気してるかもしれないんだ」
開口一番、何を言い出すかと思えば。俺は思わず、口に含んだメロンパンを吹き出しそうになった。
「はあ? お前、寝ぼけてんのか? あの詩織が?」
あの、奏のことしか見えていない詩織が? 天地がひっくり返ってもあり得ない。俺がそう言うと、奏は「本当なんだ!」と鬼気迫る表情で食い下がってきた。なんでも、カフェで見知らぬイケメンと密会していただの、その男宛ての誤爆LINEが送られてきただの、涙ながらに訴えてくる。
話を聞けば聞くほど「それ100パー勘違いだろ」としか思えなかったが、当の本人は真剣そのもの。俺の「考えすぎだ」という言葉も全く耳に入らない様子で、一方的に苦悩を吐き出すと、「俺はもうダメだ…」とか言いながら去っていった。やれやれだぜ。
奏が去って、五分も経っただろうか。
「颯太くん……!」
今度は、詩織がこの世の終わりのような顔で、俺の前に現れた。デジャブかよ。
「奏くんが、浮気してるの……!」
……だろうな。
俺は心の中で盛大にため息をついた。詩織もまた、週末に奏が見知らぬ美女とデートしていたこと、その女性から親密なメッセージが届いていたことを、しゃくり上げながら訴えてくる。
その瞬間、俺の頭の中では全てのピースが完璧に組み合わさった。
奏の言っていた『怜くん』。それは、詩織の病弱だったいとこの橘怜くんだ。小さい頃、奏と詩織と三人でよく遊んだ仲で、俺も顔見知りだ。
そして、詩織の言っていた『珠季さん』。それは、奏の年上のいとこの星乃珠季さんだ。美人でオシャレで、奏のことをめちゃくちゃ可愛がっている、あの人だ。
つまり、だ。
奏は、詩織へのプレゼント相談を珠季さんにしていて、詩織は、奏へのプレゼント相談を怜くんにしていた。
……ただ、それだけのことじゃねえか。
あまりの茶番に、俺は頭を抱えたくなった。こいつら、お互いがお互いのことを考えすぎた結果、とんでもないすれ違いコントを繰り広げているだけなのだ。
俺が真実を告げようとすると、二人は示し合わせたかのように、同じことを言った。
「絶対に本人には言わないで! 颯太だけが頼りなんだ!」
……知るかよ。
俺は、二人の面倒を見る義理なんてないはずだ。なのに、泣きそうな顔で懇願されると、どうにも突き放せないのが俺のお人好しなところであり、最大の欠点でもあった。
結局、俺は「分かった、言わない」と約束させられてしまった。胃が、キリリと痛む。
それからの数日間、教室の空気は最悪だった。
教室の右隅では、奏が世界の終わりみたいなオーラを放ちながら窓の外を眺めている。左隅では、詩織が幽霊みたいに青白い顔で俯いている。クラスメイトたちも「あの二人、どうしたんだ?」とヒソヒソ噂しているが、真相を知る俺だけは、生暖かい目で見守る(という名の放置をする)しかなかった。
(早く自分たちで気づけよ、この超絶面倒くさいバカップルが…)
俺は心の中で悪態をつきながら、ただひたすらに、この茶番劇の終幕を願っていた。
そして、運命の放課後。
俺は日誌を提出するために職員室へ向かい、その帰りに教室の前を通りかかった。すると、中から何やら怒鳴り声が聞こえてくる。
「詩織こそ、あの『怜くん』って誰なんだよ!」
「奏くんこそ、『珠季さん』って誰よ!」
(お、始まったな)
俺はニヤリと口角を上げ、そっとドアの隙間から中の様子を窺った。予想通り、二人がお互いの勘違いを盛大にぶつけ合っている真っ最中だった。いいぞ、もっとやれ。
やがて、お互いの「浮気相手」がいとこだったという真実に行き着き、二人同時にへなへなと崩れ落ちる。うんうん、知ってた。
そして、どちらからともなく手を伸ばし、抱き合って、おいおいと泣き始める。
「良かった……」
「本当に、良かった……」
夕日に照らされ、教室のど真ん中で繰り広げられる感動の(?)和解シーン。
「……やれやれだぜ」
俺は小さく呟くと、盛大に呆れながらも、なぜか少しだけ安堵している自分に気づいた。まあ、なんだかんだ言っても、こいつらは俺の大事な幼馴染だ。二人が笑っていないと、調子が狂う。
仲直りできたなら、それでいい。
「おーい、お前ら、仲直り…って、うわっ! 人目も憚らず何やってんだ!」
一応、心配して声をかけてやろうとドアを開けた俺の目に飛び込んできたのは、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、お互いの存在を確かめるようにキスをしている二人の姿だった。
……あーあ。
だから言っただろ?
こいつらは、世界で一番面倒くさいバカップルなんだって。
俺は静かにドアを閉め、夕日に染まる廊下を一人歩き始めた。手の中にある胃薬のシートを、無意識に指でなぞりながら。
まあ、いつものことか。
俺は小さく笑い、空になった教室のことは、もう振り返らなかった。




