03冤罪魔王、目覚める
頭痛が引き金となった。
イオルードは自分が眠っていることに気付いた。頭痛はいまも続いている。まるで大量の情報を超高圧縮して叩きつけられているような、頭の内と外を同時に叩き続けられているような、そんな痛みが続いていく。
殴打と膨張、そして破裂を高速で繰り返しているような痛みが続き、目を開けるどころか、声を出すこともままならない。
「ぐっ」
ようやく声が出たその瞬間、先ほどまでのことは気のせいだったとでもいうように全てが消えた。
「なんだ?」
次に疑問を投げかける。自身の声がすぐに反響したことで、ここが狭い空間であることがわかり、そして目を開けていないことに気が付いた。
目を開けることがひどく難しかった。まるで肉体が瞼の動かし方を忘れてしまったかのようだ。
それでもしばらく苦労した結果、ようやく目が開いた。
椅子のようなものに座っていた。
一般的な椅子ではなく、なにか柱のようなものと一体化しているかのような椅子だ。背もたれ部分は肋骨か蜘蛛の足のようにわかれており、体を動かすと負荷の変化に対応して個別に動くようで、居心地の悪さはない。
肘掛けの先に手を入れる部分があり、中を覗き込めば手のひらと各指を乗せる部分がある。まるで逆関節の手がそこにあるようだ。
「なんだ、ここは?」
周囲は暗いはずなのに視線は通っている。つまりこれは周囲が黒い素材で覆われているだけであり、光は通っているのだということを示している。
しかしそれより、自分の声がひどく弱々しいことに驚いた。
何度か発声練習をする。そうしていると自分の声がどんなものだったかを思い出すことができた。
そして、自分が何者であったかを。
目覚める前、自分がどうなっていたのかを。
「それで、お前は誰だ?」
しばらく体の感覚を思い出すためにあちこちを動かした後、イオルードは虚空に問いかけた。
イオルードがこうして自身の体をたしかめている間、どこからともなく視線のようなものが刺さっていたのを感じていたのだ。
微かな動揺のようなものが空気を揺らした後、返事は来た。
「それを聞きたいのは私の方よ」
若い少女の声だった。
「あなたは、オブシディアンドラゴンによって、いきなり私の中に送りつけられたのよ。誰だって聞きたいのは私の方だと思わない?」
意思のはっきりした気の強そうな声が責めるように問いかけてくる。
「オブシディアンドラゴンというのがなんだか知らないが、俺はいま目覚めたばかりで、なにもわからない。ここは、どう見たって俺がさっきまでいた場所ではなさそうだし」
「オブシディアンドラゴンは、あなたが最低でも一万年は眠っていたって言っていたわ」
「一万年?」
その言葉にイオルードは目を丸くした。
話し相手……ヴィルダはそんなイオルードの反応を見て雰囲気の変化を感じ取った。油断なく辺りを見回す、熟練の戦士のような雰囲気を纏った青年だったのが、まるで少年のように見えた。
「一万年も、俺はどうやって生きていたんだ?」
「あなたは赤い結晶体の中にいたわ。いまはなぜか、それがなくなっているのだけど」
「赤い結晶体?」
その言葉を聞いて、イオルードは異世界で叩き込まれた魔道の知識が動いた。
「アイテムボックスの時間停止技術の流用か? それならさっきの頭痛は……」
「時間停止ってなにそれ?」
「アイテムボックス。独自亜空間の時間干渉技術だ。最高位の魔法使いなら時間を止められる」
「あはは〜なにを言ってるの」
そんなことは常識だろうと言う前にヴィルダに笑われた。
「時間に干渉する技術なんて、いまでもないわよ」
「……そうか」
言い返そうとしたが、やめた。
ヴィルダとの会話から得られた情報は少ないけれど、イオルードにはかつて異世界に召喚された経験がある。
その時に感じた常識の違いによって生じる違和感と同じものがここにあった。
「そういえば名乗ってなかったな。イオルードだ。イオと呼んでくれてもいい」
「わかった。イオ。私はヴィルダ。戦闘機よ」
「なに?」
「そしてあなたがいまいるのが、私のコックピット」
ヴィルダの言葉とともに、周囲の黒が変化した。
沈黙していた全周囲モニターが起動し、外にある宇宙空間が映し出される。
イオルード……イオはコックピットの座席の上でわずかに体を痙攣させ、肘掛けに腕をぶつけた。
「あはは、驚いた?」
「それはそうだろう」
まさか自分が宇宙にいるとは思わなかった。
と思ったところで「いや……」と小さく呟く。
たしか、ラヴァナール彗星に封印追放すると言っていたと記憶が囁く。
ラヴァナール彗星は、百年に一度、あの世界に姿を見せるという天体だ。その彗星に乗って宇宙に放り出されたのか?
「ちなみに、ここはラヴァナール異常重力帯って言って、宇宙怪獣の棲家になっている危険地帯なのよ?」
「宇宙怪獣?」
なんだその特撮映画にしか存在しないような単語は?
イオは異世界召喚される前のイメージでそう感じた。
ラヴァナールという単語が出てきたことへの驚きもあったが、それよりも宇宙怪獣の方が大きい。
「宇宙空間に怪獣でもいるのか?」
「そうよ。決まっているでしょ」
字面通りの意味であるらしい。
どういうことかと思ったが、周囲のモニターが動き、あちこちにいる宇宙怪獣の姿を拡大して映し出されれば納得するしかない。
宇宙空間で活動できる生命がいるというのが、イオの中にある地球人としての常識では信じられなかった。
召喚された異世界は剣と魔法の世界で、宇宙に進出するような技術はなかったのでわからない。
だが、現在の状況はあの魔法の世界の延長としてこの宇宙は存在するのだと気付いた。
ならば、真空に耐える生物が存在してもおかしくないのかもしれないと納得した。
「ヴィルダは戦闘機なんだよな?」
「そうよ。正確には戦闘機に搭載された機械知性。まぁ、この機体専用に開発されているんだから、この機体と私はまさしく一個の存在であるんだけど」
「なるほどな」
「それは驚かないんだ」
「喋る剣や喋る本を相手にしたことがあるからな。あいにく、俺の率いていたゴーレムを喋らせることはできなかったが」
「喋る剣? 剣や本に機械知性を? あなたの国は変なことをするのね」
「そうだな」
お互いの常識を擦り合わせる行為に懐かしさを覚えながら、イオはコックピットの許すままに体のあちこちを動かしてみる。
どこかに大きな問題があるかと思ったが、そういうことはなさそうだ。
「ええと、それでね、イオ」
「ああ」
そうしていると、言いにくそうにヴィルダが話し出した。
「変な質問かもしれないけど、イオの体ってタンパク質とかでできているのよね?」
「? そうだな」
異世界召喚された際に体はこちらで用意されていた。
『召喚された人間=英雄』に相応しい肉体として最高峰の魔導技術によって作られた肉体に、イオの魂は搭載されている。
サイバーパンクなどの考え方からすると、それは魔導的義体とも呼べる存在なのだが、体は傷付けば血が出るし、食事や休憩を必要とすることは変わりない。
自分の肉体が正確な意味でタンパク質が使われているのかは、正直なところ自信がないが、それに似た物が使われていることは間違いないはずだ。
「だよねぇ」
「どうした?」
と聞きながら、イオはなんとなくだがヴィルダの言いたいことがわかっていた。
全周囲モニター越しに不穏な気配が近づいてくる。
「宇宙怪獣ってね、生存するのに必要がないはずなんだけど、重力下生物の構成物が好きなのよね」
「つまりは人間を食べると?」
「そういうこと」
だからか。
クローズアップされていた宇宙怪獣たちが、動き出し、こちらに向かっているように見えるのは。
「宇宙空間で生物の臭いを感じ取るのか? なんでわざわざそこまでして人間を食いたがるのか」
「ねぇ、不思議だよね」
ヴィルダはそう答え、ジェネレーターを全開にした。




