1-3 本当の自分
あれから何度か配信を重ねるうちに、私は少しずつ調子を取り戻していった。
最初はぎこちなかったけれど、今では画面の向こうのコメントに自然に返せて、みんなも笑ってくれている。
でも…なんか…
――コメントが穏やかすぎる。
優しい空間すぎて、その丸さがかえって居心地が悪い。
軽口の冗談も、昔なら勢いで返せたのに、今では声の調子が落ち着いてきて、
「まあ、そういうのもありだよね」なんて、中途半端な答え方をして、ほんわかした感じになってしまう。
そんな配信にも人が来て、楽しんでくれる人がいるのは嬉しい。
でも、それでもやっぱり威勢よく言葉を放って、同じ熱量で返ってくる。
あの感覚が忘れられない。
やっぱりVじゃなきゃダメなんだ。
あの姿の私じゃなきゃ、あの熱は生まれない。
気づけば私は、あのビードロの前に立っていた。
工場地帯の一画、独特な匂いがゆらりと風に乗って鼻を刺す。
あの男がいたはずの木箱の上には、誰もいない。
「留守、なのかな?」
建物の奥の方をガラス越しに探してみるけど、人影は見当たらなかった。
というか、この古い建物がそもそもあいつの持ち物なのかどうかも、私は知らない。
「どこに行ったんだろ?聞きたいことがあるのに…」
しばし考え込んで、試しにスマホで他の手がかりを探す。
手がかりはすぐに見つかった。
マップと照らし合わせて、意気揚々と移動しようとすると、
私の横を微かな機械音とともに、監視ロボが走り抜けて行った。
――思わず足が止まる。
慌ててマップを再確認すると、もう少し進んだ先は区域外。
あと少しで、完全にロボの巡回ルートから外れてしまうところだった。
あの地域を女一人では、正直、心許なさすぎる…。
結局、私はそこで断念することにした。
顔が変わらない理由も、答えを知る機会も、また遠のいてしまった。
それから私は、時間を持てあますようになり、気づけばいろんな配信を眺めることが増えていた。
『最近はこういうのが流行ってるんだ』
『この子は、もっとこうすれば伸びるのに』
画面を見ながら、思いついたことをメモ帳に書きつけていく。
自分の経験と重ねて考えるうちに、ふと思う。
――私の高飛車キャラって、実はかなり綱渡りだったんじゃないか?
あのとき、あんなふうに突っ張らなければ…。
あのコラボ相手、もしかすると本当は嫌だったのかな?
笑いに変えたつもりの言葉で、誰かを傷つけていたんじゃないか?
そんな後悔や疑念が、時々ひょっこり顔を出す。
もちろん当時も分析はしていた。戦略的に動いていたつもりだった。
でも、結局は『一人の人間』でしかなくて、全員に愛されることなんてやっぱり難しい。
改めてその現実を思い知らされる。
そんな後悔を反芻しながら、日々をなんとなく消費していた。
それでも、不思議と退屈ではなかった。
分析して、書き出して、反省して……そういう時間も、案外悪くないと思えたのだ。
――そんな折、事務所から一本の電話が入った。
「……ちょっと、あんた。勝手に配信してたでしょ?」
社長からだった。
どうやら私の切り抜きがどこかで拡散され、声がそっくりと噂になっていたらしい。
証拠のページを通話画面の右上に流されて、ほぼ公開処刑だった。
「勝手にこういうことされると困るのよね…。」
「あ、あはは...。」
「まぁ幸い顔出しだったから、まだ疑惑で済んでるけど...。」と続けると社長に、
私はただ「すみません」と繰り返すしかなかった。
「でもね、逆にいいタイミングかもしれない。復帰してみない?」
思いもよらない言葉。
社長のことだから、怒られて終わりだと思っていたのに…。
「確かに、インプレッション的にベストなタイミングかもですね。ありがとうございます!」
「そう!あんたならやれると思う!がんばりなさい!」
今を逃したら、次のチャンスはないかもしれない。
――久しぶりの自分の配信、少し緊張する。
まず、配信する前に、自分の身体にアバターを同期させる作業がある。
事務所の専用ルームに入り、一定の姿勢を保ったまま待機する。
「これも久しぶりだなぁ…。」
精密だから少し時間がかかるんだよね、確か0.1秒くらいだっけ?
体に無数の細い光がパッと当たり、手、足、体、頭へと駆け抜けていく。
少しの間があって、それは私自身になった。
久しぶりに動く、自分の身体。
なんていうか、初めてスーツを着たときみたいな気持ちだ。
「RiNNeってどんな感じだったっけなぁ……」
懐かしさすら覚える。
昨日も考えてみたけれど、答えはまとまらなかった。
「まぁ、やれば分かるでしょ!」
その勢いのまま、私は配信ボタンを押した。
画面に『接続しました』の文字が浮かび、コメント欄が一気に流れ始める。
「久しぶり!」
「待ってたよ!」
「おかえり!」
見覚えのあるアイコンも多くて、胸が温かくなる。
画面の中にいる私もそれに答えて、大きく身振り手振りをする。
「みんな久しぶり!いつぶり? 元気してた? いや、私は元気だよ?」
「元気!」
「うおおおおおおおおおお」
「いや、一番しんどかったやろw」
リアクションをすると、それに皆が答えてくれる。
――これ、この感じ。そうそう。
少しやりとりをしてから、私は真面目な話を切り出した。
深呼吸をして、少し間をおいて空気を作る。
「色々話したいことはあるんだけど、まずはあの話から。
事務所の発表にもあった通り、ハッカーに攻撃されて晒された“私”とされている人物は、私ではありません。あれは映像が差し替えられたものであり……」
用意された文章を、私はつらつらと読み上げる。
これが今の私と、事務所が出した答えだった。
私は大丈夫だ。また当たり前に戻るだけ。
「さぁ、気を取り直して!ここからは休みの前と何も変わらない感じでやっていくよ!」
私の声に合わせるように、コメント欄もぱっと明るさを取り戻す。
休みの間のこと、最近のゲームやニュース、後輩配信者の話題。
いろんな話をした。
私が放った言葉から生まれる無数の言葉が飛び交い、それを浴びた私がまた新しい華を咲かせる。
そう、この胸が色づいていく感覚…!
これだ。――これが私の人生!
そんな気がしていた。
配信を始めて2時間ほど経ったころ。
「なんか落ち着いたね」
コメントにそう流れてきた。
意味が分からず、「そうかなぁ?」と笑って返していたら。
「分かる。前みたいなキレがない。」
「え?」と返したつもりが、声が少しだけ薄くなっていた。
一瞬、間が詰まる。
どういう意味?皆笑ってくれてたでしょ?
指先をむやみに動かしては止めて、また動かしてを繰り返す。
「そんなことないよー」
「この感じも好き!」
優しいフォローが投げられ、チャットはすぐに賑やかさを取り戻す。
「そうだよね!ありがとう!」
私は明るく返した、何事もなかったみたいに。
え???できてる…よね?
言われたことが、心に氷の膜を張って、胸の中に留まった。
声が震え、私にとっての現実が、揺るぎそうになる。
疑問符を処理できないまま、心のしこりが取れないまま私は雑談を続ける。
ちょっと動きを大袈裟にしてみたり、わざと肩をすくめてみせたり、
驚いたように声を張り上げて、大きくリアクションを取ったりして、場を必死に盛り上げようとした。
画面の向こうにいる誰かに「どうか笑って」と懇願しているみたいだった。
そんな私を笑うみたいに、潮目が変わる一言が流れた。
「なんかさっきからキレがない、噂のあの人みたい」
「分かる」
「別の人の話やめてー」
「そういえば、あの実写って結局ご本人なんですか?」
「あの配信だと落ち着いてたもんね」
最初はぽつりぽつりと書き込まれるだけだったのに、
みるみるうちにコメント欄がその話題一色に染まっていく。
画面の文字が火花のように弾ける度に、胸が苦しくなる。
「え?誰、それ?」
咄嗟に出た言葉は、ただ頼りなく宙を舞う。
確かにあれは私だ。
でも“RiNNe”じゃなかった。
RiNNeになろうと足掻く私で。
私だけど、私になりきれてなくて。
それでも、やっぱり私で。
そんなことを考えてる間もコメント欄は変わらなくて必死に言葉を繋ぐ。
「え?どういう意味?」
やめて…。
「私に声に似てる顔出し配信の人がいたってこと?え、知らないけど?」
冗談めかした笑い声が、小さく震えた。
心拍数があがり、視界がじんわりと閉じていく。
咄嗟に手元の端末で担当に助けを求める。――返事はない。
止まらないコメントの流れ。
自身を晒上げられた時の感覚が、また胸の底から這い上がってきた。
「別人じゃない?、ページ貼るから見ろって?」
違うの…。
「いや! いーよw 無理無理。ただの晒しじゃん!」
私は今、RiNNe だから…
自身の気持ちとは裏腹に、頭を巡るのは最近の実写配信ばかりだった。
穏やかな配信。
今までの自分とは違う丁寧な暮らし。
――なんで?
「……あ? え? 待って、担当から連絡きちゃった!今日はここまで!皆ありがとー!」
慌ててそう嘘をついて、逃げるように配信を閉じた。
..................。
「復帰直後にしては上場の仕上がりだよ」
逃げるようにしてブースから飛び出した私に、並走するようにしてマネージャーが声をかけてくる。
「でもそれってベストじゃなかったってことですか」と聞くと、マネは少し困った顔をした。
落ち着いてはいたんだ。
「まぁでも、年齢的にも落ち着いても…」と続ける声を遮るように、アーカイブを漁った。
過去の自分。今の自分。SNSで流れるファンの声。
どこをどう切り取っても、そこには昔のような勢いがなかった。
ちゃんと出来てると思ったのに、私ってこんなだったっけ…?
もっとなんか、臆せず…堂々としてて…。
あれ...?なんでそんなことできてたんだろ…?
そんな私の耳に、壁一枚向こうから後輩グループの配信の笑い声が響いてくる。
軽やかで、眩しい笑い声。
それが引き金になったのか、頬を冷たいものが伝っていく。
「大丈夫だって」というマネの声も、すれ違う大人たちの足音も、
空調の低いうなりも、すべてが一斉に押し寄せて、全部がうるさくて、
私は立ち尽くしたまま、動けなかった。




