表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

59/61

Chapter58【勇者ミカエル】

北の戦線――冬の寒風(かんぷう)が唸りを上げ、灰色に曇った空から粉雪が舞い始めた。その大地を揺らすのは、四十万の大軍が踏みしめる足音。轟音のようなその響きが、戦の火蓋(ひぶた)を切った。


進軍するは、インペラトル皇国の精鋭軍団。その先頭に立つのは、「大将軍」と呼ばれる魔王軍四天王ベルゼブル。黒鉄(くろがね)の甲冑に包まれたその姿は、人間離れした威容を放ち、見る者すべてに死を予感させた。


彼の率いる軍勢は、鍛え抜かれた戦士たちで構成されていた。身にまとうのは、光を反射して鈍く輝くオリハルコンの甲冑。その神話の金属で鍛えられた鎧は、矢をも剣をも弾き返し、まるで神々の加護を受けたかのように敵の攻撃を無力化した。


敵軍の陣形を見通し、まるで囲碁の盤上(ばんじょう)を支配するように戦局を操る男――惟任日向守。漆黒の軍装を身にまとい、瞳には戦局の未来が映っていた。指先一つで、兵を動かし、流れを制す。彼の声が飛ぶたびに、味方の陣形は変化し、死地は回避され、敵の穴を抉る。


そしてもう一人。血煙の中から駆けるのは明石掃部。彼は戦場の(ことわり)ではなく、自らの剣で風穴を穿(うが)つ。軍略の布石として、あえて最前線に身を投じる無双の猛将。その動きは雷光(らいこう)のごとく鋭く、突き立てる槍は嵐のように敵陣を貫いた。


さらに、両翼から加勢する二将――

南方より現れたのは、カイナシェル将軍率いる一万の遊撃隊。精鋭揃いの騎馬軍団は、敵の防衛線の隙間を突き、くさびのごとく戦列に風穴を開けた。


東の丘陵から降りてきたのは、クイナバルシュの特殊弓兵部隊。軽装で機敏な彼らは、密林を縫うように進み、密集した敵軍の側面を射抜く。


――そして、戦局は揺れる。


帝国兵の集う陣内深く、地中から凄まじい音が鳴り響いた。まるで地獄の門が開かれたかのように、大地が震え、空気が裂け、次の瞬間――


ドゴォ――――ンッ!


爆風と共に、白銀(しろがね)の火柱が空を貫いた。陣の中央部が吹き飛び、数百の兵が宙を舞い、砕け、散った。炎と煙が立ち込め、空には黒い灰が雪のように舞い降りる。


その中心――煙の(とばり)の中から、何かが姿を現す。


白い……そう、圧倒的に白い存在だった。


長く滑らかな白銀の髪が、風に舞う。だがその体は、もはや人のそれではなかった。肉体には無数のチューブが張り巡らされ、内部から淡く、時に強烈に色彩が漏れ出す。(あか)(あお)(みどり)、そして……紫。内側で何かが脈打つたび、皮膚の下を生き物のような光が走った。


そして背中には――片翼。

純白に輝くその翼は、一枚だけで空を裂くほどの威圧感を放ち、もう片方には、千切れた血の痕跡が残っていた。


顔を上げるその男の目は、異様だった。

瞳孔(どうこう)が開ききり、焦点の合わない視線は、何も見ていないようで、すべてを見通しているかのようだった。口元からは粘性のある緑色の液体が垂れ、(あご)を伝って胸元を濡らす。


まさに“異形(いぎょう)”――

見る者すべての心に「これは人ではない」という確信を叩き込む、禍々(まがまが)しき存在。


それが――勇者ミカエルだった。


封印された白い棺から目覚めしその姿は、もはや神でも悪魔でもなく、ただ“純粋な殺戮(さつりく)の意志”の具現だった。


ミカエルの唇が、ゆっくりと動く。


「……殺す……魔王…殺す……」


空気が凍りついた。

帝国兵の誰もが、その場から動けなかった。戦意などという言葉は、この場には存在しない。ただ、圧倒的な“死”が、そこに立っていた。


まもなく、ミカエルの足元に赤い魔法陣が浮かび上がる。次の瞬間、彼の周囲に立っていた兵士たちが、一人、また一人と、悲鳴をあげる暇もなく消し飛んだ。肉体が崩れ、骨が砕け、血が霧のように辺りを染めた。


これはもう戦いではなかった。

――神罰だった。


インペラトル皇国の兵士たちも帝国兵も、次々と斬り伏せられていく。斬撃は無音。だが結果は残酷に響いた。頭部が宙を舞い、胴が裂け、命が断たれるたび、戦場に静かな恐怖の波が広がっていく。


「ひ……ひぃっ……!」


悲鳴すら、追いつかない。ミカエルの動きはもはや“意思”ではなく、“本能”が振るう災厄(さいやく)そのものだった。


やがて、兵士たちの亡骸が積み重なり、地の果てまで続くかのような“死体の山”が築かれていく。その様は、まるで彼が架けた“巨大な血の橋(ビックブリッジ)”。異様な荘厳さを放っていた。


「やめろッ!!!!!」


ついに、帝国の将・ベルゼブルが怒声をあげた。地響きのような咆哮(ほうこう)が戦場を揺らす。


ミカエルはその声に、微かに首を傾けただけだった。

そして、冷え切った声が返る。


「……魔王……殺す……」


その一言で、彼の“敵”が誰であるかが明確に示された。


ミカエルは、死体の山を駆け上がった。まるで生者と死者の隔てを踏み越えていくように、無数の(しかばね)を踏みしめながら天を目指す。

その姿は、神をも斬ると(ささや)かれた伝説の勇者ではなく、もはや神々に封印されねばならなかった“災厄(さいやく)”でもあった。


インペラトル皇国兵が叫ぶ


「ベルゼブル様!あれは危険です!!お下がりください!!」

と言った瞬間…


「……お前は……魔王では……ない…のか……?」


ミカエルはぴたりと動きを止めた。そして、振り向く。


その瞳は空っぽだった。だが、底知れぬ“意志”のようなものが宿っているようにも見えた。


「待て!!!」


ベルゼブルが怒号とともに山を登りかけた、その時――


空間が裂けた。


時空にひびが入り、黒い裂け目が生まれる。

次の瞬間、その“(やみ)の裂け目”から、音もなく一体の男が降り立った。


全身を漆黒のローブに包まれ、ふわりと死体の山の頂に着地するその姿は、まるで死そのもの。

顔は骸骨に似た、肉の削げ落ちた異形。眼窩(がんか)には燃え盛る紫炎(しえん)が揺らめき、口元には人を(あざけ)るような(いびつ)微笑(びしょう)が刻まれていた。


挿絵(By みてみん)


ローブの裾が、風もないのに揺れ、そこから瘴気(しょうき)が立ち昇る。


「お前の…相手は……こいつ‥‥だ……」


ミカエルは背を向け、歩きながら静かに囁いた。

まるでこの光景すらも計算していたかのように、余裕をもって。


ベルゼブルの目が大きく見開かれた。

背筋に、氷の刃のような悪寒が走る。


「ぐ……ッ! こいつは……冥界神ハーデース……か……!」


その名が口にされた瞬間、戦場の空が暗転した。太陽が雲に飲まれ、風が止み、死が支配する沈黙が訪れる。


ベルゼブルは一歩、死体の山から退いた。

そして、静かにうつむいたその顔が、次の瞬間――


「……ふはははははははッ!!」


戦場に響き渡る哄笑(こうしょう)と共に、顔を上げたベルゼブルの瞳は、まるで狂気と歓喜のあわいを宿す(ほのお)のように燃えていた。


「面白い……! 面白いぞ、ミカエル…そして冥界神ハーデースよ……!」

低く、震えるような声で呟く。


「ならば、我が召喚魔法にて応えよう……!」


ベルゼブルは右手を高らかに掲げ、指先に禍々しい紅蓮の魔力を凝縮させる。そして天を指し、裂け目に呼びかけるように高らかに叫んだ。


「いでよ――召喚!!闘神ギルガメッシュ大王よッ!!!」


空間が割れた。

次元の狭間が雷鳴のような音と共に開き、燃えるような金と赤の光が渦巻きながらひとつの姿を形作る。


まず現れたのは、巨大な王冠のように輝く金属の兜。

その下から現れる顔は、まさに獅子王の如き風格をたたえていた。眼はぎょろりと鋭く、見る者すべての魂を射抜くような覇王の眼力。顎には鋭く整えられた髭が生えそろい、壮年の王の威厳と歴戦の武人の猛々しさを併せ持っていた。


その体を覆う甲冑は、古代オリエントの意匠を彷彿とさせる金銀の鎧。背には深紅のマントが風に(ひるがえ)り、そのたびに隆々(りゅうりゅう)と鍛え上げられた筋肉が鋼のように浮き上がる。

彼の姿は、まさに“戦いの神にして王”そのものであった。


挿絵(By みてみん)


「久しいな……ベルよ……」


ギルガメッシュ王は、静かに微笑みながらベルゼブルに歩み寄る。その声には深みがあり、同時に雷鳴のような威圧を(はら)んでいた。


「ええ……相手は、かつて貴方が欲していた、”神剣ミストルティン”の保持者です……」


ベルゼブルの言葉に、ギルガメッシュ王の目がわずかに細まった。


「ほう……そうであったな。ミストルティン――神々の命をも断ち切る神秘の樹の刃……」


低く笑いながら、ギルガメッシュは天を仰ぐ。


「わははは……! 良い、良いぞ……しかしそれ以上に、あやつ……ハーデースこそ、我が求めし好敵手よ」


その名が語られた時、ハーデースの黒きローブが微かに揺れた。骸骨のような顔に表情はなかったが、確かにその炎の瞳が、ギルガメッシュをじっと見つめ返していた。


風が止まる。


空が裂け、神と神が対峙する瞬間。

死と戦の象徴たる存在が、ただ一つの場所――この戦場の頂で相まみえた。


これは、もはや“戦争”ではない。

神々の試練。

世界の(ことわり)を揺るがす、天上の激突。


そして、そのはるか下方で、血と死の匂いに染まる戦場の兵士たちは、ただ立ち尽くしていた。

まるで、己がこの世の“駒”でしかないことを悟るように。


――神の闘いが、今始まる。


突如、冥界神ハーデースが動いた。


無音――。

だが次の瞬間、その骸骨のような腕が音もなく宙を裂き、漆黒の大剣が現れる。

漆黒の刃は、まるで闇を液体にして鋳造(ちゅうぞう)したかのようにゆらめき、その中心には禍々(まがまが)しい赤い紋様が脈動していた。


――ミストルティン。

神殺しの伝説を持つ神剣。


その刃が一閃、空間を裂きながら闘神ギルガメッシュ王を狙う。


「……来たかッ!」


ギルガメッシュ王は咄嗟(とっさ)に両方に握られた剣を重ね、受け止めた。


ガキィィン――ッ!!


衝撃音が空を裂き、雷鳴のように戦場へと轟いた。剣と剣がぶつかり合った瞬間、巨大な火花が散り、周囲の空気が歪む。まるでそこだけ別次元の法則が働いているかのような異様な緊張感。


「ほう……これはこれは……さっそく“ミストルティン”で斬りかかってくるとはな」


ギルガメッシュは笑った。

だがその笑みに込められたのは、ただの愉悦(ゆえつ)ではない――闘神としての覚悟、そして“相手が神である”ということに対する敬意だった。


「……よかろう。ならば、わしも……本気を出さねばなるまい!」


ギルガメッシュは剣を跳ね除け、鋭く踏み込み――斬りかかる!


ガキン! ガキン! ガキン!!


剣戟が連続し、金属同士のぶつかり合いから生じる高音が、まるで天上から降る鐘の音のように鳴り響く。

一撃ごとに地面が震え、風が逆巻き、死体の山が崩れ落ちる。


大地がその戦いを支え切れず、ひび割れ、溶けるように崩れていく。


「さすがは冥界神ハーデースよ……」

ギルガメッシュ王は笑みを浮かべながらも、一歩も引かぬ姿勢で剣を構える。

その瞳は、かつて幾千の戦場を駆け抜けた獅子の如き光を宿していた。


一方のハーデースは――何も言わない。


沈黙。

ただ、無言で剣を振るい続ける。


だがその“静寂”こそが、彼の本質を語っていた。

死とは叫ばず、語らず、ただ訪れるもの。

その振るう剣は、感情も意志も超えた、概念としての死。


彼が斬れば、命は絶たれる。それだけの真理が、その一太刀一太刀(ひとたちひとたち)に宿っていた。


――戦場は今、神と神による“(ことわり)”の衝突の渦中にある。


まるで世界そのものが、二柱の存在に“緊張”しているかのように。


風が止み、空が曇り、兵士たちは思わずその場に膝をついた。

彼らは戦ってなどいなかった。ただ、祈っていた。


このふたりの戦いが、自分たちに災厄をもたらさないようにと――。


「これを受けるがよい――!!」


ギルガメッシュ王が天に向かって剣を振り上げると、その刃が青白い神光をまとい始めた。風が逆巻き、大気が震える。

地を駆ける魔力の奔流が、雷のような軌跡を描いて彼の剣へと収束していく。


「秘儀――ディビージオ・シェイリテッラァ!!」


その名を高らかに叫んだ瞬間、剣が蒼白の閃光を発し、次元そのものを断ち切るかのような一閃が放たれた!


神速の斬撃――


ギルガメッシュ王の剣がハーデースの肩口から斜めに深々と食い込み、切り裂いた。

黒のローブが裂け、冥王の身を覆っていた(むくろ)の鎧が崩れ落ちる。


「……ぐ、ぐぅぅ……」


ハーデースが呻き声を漏らし、静かに、だが確かに膝をついた。

かつて死そのものと称された存在が、地に伏す。

その場にいた者たちは思わず息を呑んだ。


だが――


そのときだった。


倒れ込んだハーデースの傍らで、ミストルティンが――

赤黒く、禍々しい光を放ちはじめた。


それは怒りとも悲しみともつかぬ、狂気に近い波動を伴い、地面を震わせる。


「……オルフェウス……」


ハーデースはかすれるような声で、ひとつの名を呟いた。


その刹那(せつな)、ミストルティンの光が()ぜた。

赤黒い衝撃波が冥界の咆哮(ほうこう)となって天を貫き、彼の全身に再び“力”を注ぐ。


「――ッ!!?」


ギルガメッシュ王が目を見開いた時には、すでに遅かった。


ハーデースがその魔剣を逆手に握り、地面を蹴って跳び上がる。

そして下から上へ――


振り上げた。


その一閃は、まるで深淵そのものが地表を裂くような、重く、禍々しく、運命を断ち切る刃だった。


ズバアァァァッ――!!


冥界の波動が、直撃する。

ギルガメッシュの鎧が悲鳴を上げ、肉体を裂き、霊魂(れいこん)までも震わせる衝撃が襲う。


「……ぐ、あぁぁ……ッ!」


ギルガメッシュ王が後方へと吹き飛ばされ、大地に叩きつけられた。

彼の巨体が地を抉り、周囲に衝撃波が走る。


そのまま静寂が訪れた。


天地が再び静まり返り、ただ、禍々しくも妖艶な赤黒い光を纏ったミストルティンが、ハーデースの手の中で(うごめ)いていた。


「――おい! ぼさっとしている暇はない。貴様も力を貸せ!」


咆哮に似たそのギルガメッシュ王の一言に、戦場の空気が震える。


傍らにいたベルゼブルはうなずき、深紅の双刃剣〈ヴァーミリオン・ツヴァイ〉を抜き放つ。(やいば)が夕焼けのように鈍く光り、周囲に立つ兵の背筋を粟立たせた。


その時だった。――銀の鈴を鳴らしたような声音が、咆哮と悲鳴の渦の中に割り込んだ。


「私たちも……その力、貸させていただくわ。」


女の声――否、複数だ。

剣戟の火花をすり抜けるようにして、一陣の香風(こうふう)が流れ込む。漆黒の戦塵(せんじん)を割って現れたのは、七振りの細身の刃。その刀線の先に立つのは、月光を宿した長剣を構える一人の女剣士。


「お……お前たちは――!」


ベルゼブルの額に、珍しく驚愕の汗が滲む。


そこにいたのは、雪のように白い外套を羽織った麗姉(れいし)――イリア・ファランドール。

その背後に、各々異なる武具を手にした六人の姉妹――ファランドール七姉妹が扇状に展開していた。瞳に宿る炎は七色、戦装束(せんしょうぞく)はそれぞれの紋章を(かたど)って輝き、荒れ狂う戦場をひととき輝かせる。


イリアはベルゼブルへ一礼し、澄んだ声で告げる。


「レオグランス王国軍、援軍として参陣いたしました。――遅れて申し訳ありません。」


彼女の言葉と同時に、背後の丘陵を覆っていた霧が吹き払われる。

そこには(みどり)と金の双頭鷲(そうとうのわし)を掲げた大旗が林立し、レオグランス王国の槍兵と魔導騎兵が、波濤のように帝国軍へ突撃を開始していた。旗の絹が裂ける音、角笛の(とどろ)き、地を打つ(ひづめ)――すべてが勇壮な交響曲となって戦場を震わせる。


ベルゼブルは深く頷き、剣を構え直した。

「……感謝する。ならばここで、冥王神を封じ込めるぞ!」


対するハーデースは、裂けたローブをはためかせながら、赤黒い光を帯びたミストルティンを持ち上げる。骸骨の顎が(きし)み、言葉なき威圧が吹き荒れた。神殺しの剣が唸りを上げるたびに、地の底から呻きにも似た低音が漏れ出す。


―― 冥界神、闘神、四天王、そして七つの剣姫(けんき)

荘厳なる冥王を包囲し、これまでにない光と闇の舞台が整う。


ギルガメッシュ王の黄金の兜が光を弾き返し、イリアの蒼刃(そうは)が黒い火花を散らす。ベルゼブルの双刃は円を描き、七姉妹の剣舞が宙に星座を織り上げる。










戦場の喧騒から離れ、かつての神殿跡のような朽ちた大理石の階段を背に――

勇者ミカエルは、震えるような足取りで後ずさった。


そのとき――


ひゅう、と風が鳴いた。焼け焦げた瓦礫の上空に、突然、異様な存在感が現れる。


――黒い仮面。

その仮面には目のような紋様が三つ刻まれ、天を突くように双角がそそり立つ。

闇のごとき黒マントが音もなく風に舞い、まるで夜そのものが姿を象ったかのよう。


そこに、魔王ハル子はいた。


沈黙のまま見下ろしていた彼女は、ゆっくりと仮面の奥から声を発した。


「貴様が……ミカエルか。想像とは……少し、違う姿だな」


その声は、図太く威圧的な声音。

だがその内にある知性と冷徹さは、空気を凍らせるには十分だった。


ミカエルは、片方の白い翼を小刻みに震わせながら、怯えたように首を横に振る。

何かを見てはいけないものを見てしまったかのように、口元からは緑の液体が滴れ落ちる。


(……うわ、なにこの感じ……やば……これは……人間でも、改造人間と言うべきか…)


仮面の奥でハル子は、心の中で呟いた。

その存在は、あまりに「異質」すぎた。


一見、壊れかけの人間兵器。だがその内に渦巻く「何か」は、あまりに古く、深く、そして不完全だった。


そして――


「あ……う……魔王……ここに……いる‥‥」


ミカエルの目が、虚ろだった瞳孔が、突如として見開かれる。

何かを認識した瞬間、感情が暴発する。


その体内から放たれる魔力が、青黒い雷のように身体から噴き出した。

突如、叫ぶ。


「うああああああああああああああああああああ!!!!」


叫び声とともに、ミカエルが地を蹴った。

天使の翼が大きくひるがえり、剣を引き絞って一気に距離を詰める。


その一太刀は――もはや「剣技」ではない。

怒り、恐怖、破滅の衝動が混ざり合い、まるで「純粋な殺意」が形を成したかのよう。


刃が魔王ハル子へと振り下ろされた瞬間――


咄嗟に、魔王ハル子は剣で防いだ‥‥


しかし――遅かった。


「……っ!?」


激突の瞬間、膨大な衝撃が彼女の両腕を駆け抜ける。骨が(きし)み、剣の(つば)が悲鳴を上げた。

まともに受けたわけではない。けれど、それでも――重すぎる。


ドガアアァ――――ン!!


という凄まじい轟音とともに、魔王ハル子の巨体が宙を舞い、勢いそのままに後方の瓦礫群(がれきぐん)へ叩きつけられた。

激突したのは、かつてミカエルが封じられていた白い棺。砕けた破片が宙を舞い、空気に流れる魔力の線が激しく乱れた。


瓦礫の中から、砂煙(すなけむり)をまといながら、ハル子がゆっくりと立ち上がる。

黒いマントが破れ、仮面の端にひびが入っていた。


「……っ……」


肩で荒く息を吐きながら、彼女は内心で叫ぶ。


(な……なんちゅう力や……!)


手首が(しび)れていた。防御したはずの腕がまだ震えている。

ただの怪力ではない。魔力が暴走したような、純粋な破壊の塊だった。


そして――


「……オメガバースト……」


ミカエルが、ぼそりと呟いた。


その言葉に、ハル子の脳裏に電撃が走る。


(……今、何て言った?)


言葉の意味を思い出すより先に、彼女の本能が叫んだ。


――それは私の奥義と似た名だ。


だが、次の瞬間にはもう、ミカエルが動いていた。

白い翼が地を払うように広がり、狂気に満ちた瞳がまっすぐこちらを見据えている。

その両腕には、黒と銀の渦が渦巻き、まさに破滅の塊を編んでいた。


「ッ!!」


爆音が空間を引き裂く。


ドガアアアアアアアアアアアアーーーーーーン!!!


地面が――裂けた。まるで地獄の門が開いたかのように。


濁流のような衝撃波が地表を這い、遠くの戦場の兵すら吹き飛ばす勢いであった。

大地に深い亀裂が走り、空気が灼けた。


(これは――やばい、オメガアタック……いや、同じか‥‥)


魔王ハル子の頭の中に、瞬時にシミュレーションが走る。

威力は桁違い――まさに最終兵器に等しい。


喉の奥に熱がこみ上げる。それでも、彼女は動じなかった。


黒いマントを翻し、左手を静かに掲げた。


「……ナイツ・オブ・ラウンド」


囁くようなその言葉が、空気を震わせる。


瞬間――空に銀の環が出現する。

まるで星の導きのように、無数の騎士たちが次元の裂け目から姿を現す。


そこから現れたのは、深紅と蒼の王装をまとった一騎の王と、十二の甲冑に身を包んだ騎士たち。

王の蒼いマントが翻り、黄金の王冠が陽光を放つ。


「ははは! 呼び出してくれたな、魔王殿!」


高らかな声とともに、アーサー王がエクスカリバーを肩にかけ、愉快そうに笑った。

その隣で、黒緋(くろあけ)の双剣を背負う巨漢――ガウェインが穏やかな微笑を浮かべる。


「久しぶりですね、ハル子殿。」


円卓の誇る銀の騎士、ランスロットは鋭い目でミカエルを見据えながら言った。

「……あれが“勇者”ミカエル。――思っていたより、痛ましい姿だ。」


金髪の若武者、パーシヴァルは肩越しに呟く。

「魂と肉体を、どこかで切り離されたかのようだ……。」


漆黒のローブをまとい、星辰を刻む杖を携えた老賢者――大魔導士マーリンが静かに頷いた。

「あれは肉体改造──というよりは、神命を無理やり繋ぎ止められた兵器、か。危うい……いや、凶悪だ。」


彼らアーサー王と円卓の騎士が半円を描き、魔王ハル子と肩を並べる。

吹きすさぶ灰塵の向こうでは、ミカエルの体内を走る管が脈動し、赤黒い瘴気が立ちのぼっていた。


「……魔王……全部、殺す……!」


ミカエルの叫びとともに、白翼が夜空の裂け目のように広がる。

その全身から放たれる魔力は、もはや天変地異の前触れ。地面が鳴動し、亀裂が光を放った。


ハル子は仮面越しにわずかに眉をひそめ、低く囁く。

「皆、油断しないで。――彼は私の“オメガ”系統と同質の力を暴走させている。」


アーサー王は剣を掲げ、円卓の騎士たちに視線を配る。

「――フェイントを挟みつつ、ミカエルの動きを封じる。決して単独で深追いするな。」


ガウェインが豪腕を鳴らし、ランスロットは蒼い刃を抜き、パーシヴァルが盾を構える。

マーリンが静かに詠唱を始めると、足元に十二星座の陣が輝いた。


それを見たミカエルが、野獣のように咆哮する。


振り下ろされた拳が大地を割り、爆風が円卓を包み込む。

しかし直後、アーサーの剣が聖光を放ち、ガウェインがその爆圧を押し返す。

同時に魔王ハル子が声を放つ。


「――陣形を崩さず連携せよ!」


空裂く轟音。

蒼白の閃光と漆黒の雷撃が交錯した。


「――うがああああああああ!!」


耳をつんざく咆哮と共に、ミカエルは光の矢のように突撃。


ガキンガキンガキン――!


金属と魔力の火花が乱舞し、辺り一面が剣戟の咆哮で覆われた。

剣、槍、魔術が交錯し、戦場は一瞬たりとも静まることなく燃え上がる。


だが――


「うが……!」

「げふっ……!」


騎士たちの一人、また一人と、ミカエルの超人的な力に圧され、(たお)れてゆく。

燃え尽きた星のように、声もなく光の粒となって消える騎士たち。


――ランスロット、ガウェイン、トリスタン、ボールス……。


歴戦の名を誇った騎士たちが、次々とミカエルの暴威(ぼうい)に沈んでいく。


やがて、戦場には二人の存在だけが残された。

アーサー王と、魔王ハル子――。


再び響く剣戟の連打。

ガキンガキンガキン――!

その火花が空気を裂き、光すら霞ませる。


しかし、次の瞬間――


「ぐ……!」


ミカエルの一撃がアーサー王の胸を貫いた。

その剣は霊剣すら断つ異端の刃。

王の身体は薄く揺らぎ、やがて霧のように溶けていく。


「……すまん……」


その言葉を最後に、偉大なる王は静かに消滅した。


残された魔王ハル子は、なおも剣を構えたまま、敵を見据える。

彼女の眼差しは揺らがない。

だが――その内心で、確かな変化を感じていた。


ミカエルの体から放たれていた青白いオーラが、すっと消え失せたのだ。


静寂の中で、ハル子は低く、確かに呟いた。


「……一分三十秒。やっぱり、同じ。」


胸の奥に刻まれた――

自分の“オメガアタック”と同様の発動時間。

つまり、それはメギンギョルズをつけた私と同等…という事の証明だった。


(……また、あの技を放たれると厄介だな……)


ハル子は思考を巡らせつつ、わずかに息を整えた。


視線の先で、ミカエルは苦悶するように膝をつき、

胸の中で何かが再び脈打ち始めていた。


戦いは終わっていない。

だが、戦い方を変える時が来た――

魔王ハル子の目が、深く静かに、蒼く燃え上がった。


白いオーラが消え、沈黙に包まれたミカエルは、ふらつくようにその場に膝をついていた。

だがその口元は、意味不明な言葉をぶつぶつと呟いている。


「……人以外は……存在……するべきではない……魔王…消去……すべき……」

その声はまるで機械のノイズのように断片的で、狂気を孕んでいた。


魔王ハル子が眉をひそめ、一歩踏み出しかけたその時――


日差しが轟音と共に影を落とした――。


空を見上げると、雲を切り裂くように現れたのは、巨大な飛空艇――

『空中戦艦ゲヘナ』である。


その漆黒の巨体は、空を覆い隠すほどに巨大で、見る者すべてに畏怖(いふ)を与えた。

艦底の砲門が帝国軍陣地を狙いすまして開く。


ドゴォォォン!!! ドゴォーーーーーン!!!


耳をつんざく咆哮とともに大地が揺れ、炎の柱が次々と帝国兵を呑み込んでいく。

悲鳴と怒号が混ざり合い、戦場は一瞬で修羅と化した。


そんな中、飛空艇の甲板から手を振る人影が見えた。


ニタヴェリル共和国元首のシド・レヴリー。

飛空艇艦長及び機械技師のグラン・パド・ドゥ。

そして評議会議員であるエルフのスラン王子と妹のリリ――。


彼らは誇らしげに、そして穏やかに微笑んでいた。

ニタヴェリル共和国の援軍が、到着したのだ。


ハル子はその姿を見つめながら、そっと膝を折り、深く一礼をした。


「……ありがとう、シド……」


その言葉は風に消えていったが、彼女の胸の内には確かに届いていた。


すると背後から懐かしい声で呼びかけられた。


「――待たせたな。」


突如として横合いに声が響き、彼女の隣に一人の男が現れた。

その姿は、さっき確かに霧と化して消えたはずの――アーサー王だった。


「……あれ? ど、どういうこと……だ!?」


驚きに声を上ずらせるハル子の目の前で、アーサー王は涼やかに微笑む。


「久しいですな。魔王殿!」


その言葉と共に、次々と現れる十二人の円卓の騎士たち。

その足音が、かつての戦場を蘇らせるように地を揺らし、風を巻き起こす。


そして彼らの背後には、数千の槍と剣が光を反射していた――

ログエル王国軍。その旗は烈風(れっぷう)を受け、誇らしげに空を裂く。


「――突撃!」


軍勢の指揮官が声を張り上げると共に、雷鳴のごとき咆哮と蹄の音が戦場に轟く。

万を超える兵が一斉に帝国軍へと雪崩れ込んだ。


「ははは!来る直前で召喚魔法を使うとは……驚きましたよ」

とガウェインが肩を竦めて笑い、ハル子に語りかけた。


「そうですね。なんだか、召喚魔法ってフワフワしていて不思議でした……」

とランスロットも続けるように言った。


「まあ、実物の方が強いからのう……」

と笑みを浮かべるマーリンの杖先には、未だ微かな魔力の残滓が揺らめいていた。


「え……“実物”? まって、それって――」


思わず言葉を詰まらせる魔王ハル子に、アーサー王が正面から向き直る。

そして、静かに一礼しながら、毅然(きぜん)と告げた。


「――我がログエル王国軍、総勢十万。援軍として、ここに馳せ参じた!」


兵たちの鬨の声(ときのこえ)が戦場にこだまし、旗がなびき、陽光のように希望が差し込んでいた。

それは、数多の絶望を打ち砕く王国の意志だった。


「あ……そんな……」


感極まった魔王ハル子の声が、わずかに震える。

言葉を(つむ)ごうとするも、胸が熱くて呼吸さえままならない。


「ありがとう……みんな……!」


その言葉に、アーサー王も、ガウェインも、ランスロットも、

かつての仲間たちが力強く頷いた。


そして、彼らの視線の先に――

再び立ち上がるミカエルの姿があった。


その瞳には、まだ戦意の火が灯っている。

だが、戦場の風は確かに変わった。


希望の風が、いま、吹き始めていた。


ミカエルの絶叫が空を裂き、

「オメガバースト」という呪言のような囁きとともに、

青白い光がその身を包む――まるで神の怒りが顕現(けんげん)したかのような異様なオーラだった。


その剣が、地を割らんばかりの勢いで魔王たちに向けて振り下ろされる。

それはもはや、人という枠組みを超えた、ただ“破壊”そのものだった。


「ふふふ……第二ラウンド、開始だ……」

と、静かにアーサー王が言い放ち、剣を構える。


「先ほどで剣筋は覚えた!」

とランスロットが前へ躍り出る。


「サンダーブレイク!!」

ガウェインの全身が雷の如く煌き、電撃が大地を貫いた。


「さあ!我がロンギヌスの槍を受けてみろ!」

とパーシヴァルが聖槍を高らかに掲げて突進する。


――ガキンガキンガキンガキンガキン!!


激しい剣戟と魔力の衝突が空間を裂く。火花が舞い、風が唸り、

次元がたわむほどの衝突に、戦場そのものがたじろぐ。


だがそれでも、円卓の騎士たちは諦めなかった。

一度弾かれても、なおも再び剣を構え、斬りかかる。


そして――そこに、紅い閃光が加わる。


赤いオーラを纏い、マントを揺らしながら魔王ハル子が突撃する。

「オメガアタック」が発動したのだ。


ガキンガキンガキン――!!


ミカエルと真っ向から剣を交える魔王ハル子。

その力は、今や円卓の騎士に並び立つ者――いや、彼らすら凌駕する。


天使と魔王の一騎打ち。

そのたびに、大地がえぐれ、風が狂い、空が震える。


そして――


ついに、ミカエルの青白いオーラがふっと消えた。


その一瞬を、ハル子は見逃さなかった。


「――今だッ!!」


魔王ハル子の剣が閃き、

ズジャッという音を立てて、ミカエルの肩口から斜めに切り裂いた!


緑色が混じる異様な血が噴き出し、

そのしぶきが大地に染み込み、腐食の煙を立ち昇らせる。


ミカエルの体がぐらつく。

かすかに呻き声を上げながら、その目からは光が失われつつあった。


だが、完全に倒れるにはまだ至らない。


――戦いは、まだ終わってはいなかった。


魔王ハル子と円卓の騎士たちは、息を揃えて構える。


 闇に覆われた戦場に、乾いた笑い声が響き渡った。


「ふははは……!」


 ミカエルが、血に濡れた身体でなおも不敵に笑った。その胸には幾重もの斬撃が刻まれていたが、驚くべきことに、それらの傷が見る間に閉じてゆく。

肉が(うごめ)き、血が止まり、肌が元の白銀の輝きを取り戻していくさまは、まさしく神の奇跡のようであった。


「我は‥‥・不死身……!」


 魔王ハル子。燃えるような赤の双眸を宿す彼女は、剣を握る手をわずかに震わせていた。隣に立つアーサー王は、唇をかすかに震わせたまま、言葉を失っている。


「な……っ」


 二人の思いを代弁するかのように、短く絞り出された驚愕の声。


 しかし次の瞬間、ミカエルの様子が急変した。


「ぐ……あ……ああああああああっ……!」


 天を仰ぎ、苦悶の叫びをあげるミカエル。その両手は頭を抱え、まるで何かに(さいな)まれるように地に崩れ落ちた。かつて神々の代行者と呼ばれた者が、まるで人間のように、否、人間以上の苦しみに身を捩らせている。


 その混乱の只中に、一人の影が静かに歩み寄ってきた。


 四天王ベルゼブルである。彼の瞳には、恐れも焦りもなく、ただ冷徹な光だけが宿っていた。


「それは……お主の剣、莫邪(ばくや)の威力だ」


 静かに、だが重々しく、ベルゼブルは魔王ハル子に言った。


莫邪(ばくや)……。これが、魔力を封じる呪いの剣……」


 ハル子はゆっくりと自らの剣に目を落とす。古より伝わる妖剣、莫邪。刃はかすかに青白い光を放ち、空気さえ震わせるような異様な存在感を放っていた。剣に込められた封印の魔が、天の祝福すら打ち砕いたのだ。


 ミカエルはそのまま、もはや抵抗する力もなく地に伏し――動かなくなった。


 そして、静寂が戦場を包もうとした、その刹那――


「ふわははははははははははっ!強かったそ…魔王軍らよ!」


 空を裂くような高らかな笑い声が鳴り響いた。音の主を探して、一同が振り返る。


 見上げた先の黒雲を背景に、黄金の甲冑に身を包み、白馬にまたがった一人の男がそびえ立っていた。長くたなびく銀髪、その瞳に宿るのは神にも似た威光。


 ――聖ルルイエ帝国、皇帝エルシャダイ。


 彼の登場は、まるで運命そのものが動き出したかのような重みを持っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ