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Chapter56【決戦】

空に雷雲(らいうん)が渦巻く中、静かに幕を開けたのは、ただの戦ではない——

世界の命運を左右する、かつてない“決戦”だった。


魔王軍四天王の筆頭角、黒衣の謀将(ぼうしょう)ベルゼブルは、長き沈黙を破って動いた。彼が放ったのは剣ではなく、言葉——情報という名の(やいば)だった。

「レオグランス王国の秘宝…クリスタルが、想定よりも早く完成しつつある…」

この一文が、まるで嵐の種のように、聖ルルイエ帝国に混乱と焦燥(しょうえん)を巻き起こした。


帝国の重鎮たちの脳裏には、忌まわしき『千年前の惨劇(さんげき)』がよぎった。あの時、皇帝エルシャダイ自身がが、レオグランスのクリスタルを奪わんと軍を率いて侵攻した。

迎え撃ったのは、大魔法使いヘルメス・トリスメギストス。彼女が放った光の大魔法——《ミティアライト》は、帝国軍を一瞬にして灰に変え、さらに皇帝エルシャダイ(クトゥルフ)すらも膝を折らせ、復活をするまで900年もの月日を要したのだ。


だが——真実は違っていた。


それは、帝国の反逆者『ガブリエル』による、禁忌のアルティメット魔法だった。

この隠された事実は、聖ルルイエ帝国軍のサリエルが放った密偵〈ピジョン〉によって、帝国中枢へと知らされることとなる。

それが、まるで導火線に火を点けたかのようだった。


「クリスタルを使えない今、唯一私を殺せる力を持っておるガブリエルを滅ぼさねばならぬ——」


エルシャダイ皇帝の怒りと恐怖が結晶化し、軍は一気に動いた。

聖ルルイエ帝国は、エルシャダイ皇帝を先頭に、主力の幹部たちを引き連れ、かつてない大軍勢で進軍を開始した。その数、実に——『百万』

1000年前の屈辱を晴らさんと、全兵力を以て「レオグランス王国」へ

黒い旗が翻り、空が暗く染まる。空気は張り詰め、鳥すらも飛ばぬ。

世界は、いま破滅の鼓動を聴いていた。


だが、それを迎え撃つ者たちもまた、決して油断してはいなかった。


魔王軍。

ハル子率いる魔王の軍勢は、すでにその動きを察知していた。

戦場となるシャロン平原には、精密に設計された布陣が敷かれている。魔法陣が地下に埋め込まれ、砦の影に狙撃手が潜み、天空には飛竜部隊が旋回する。

風が魔王軍の旗をはためかせていた。


魔王軍と帝国軍、ついに二つの巨星が激突する時が来た。

世界の命運を賭けた戦いが、今、始まろうとしていた——



北上し進軍する聖ルルイエ帝国軍百万…

魔王軍が地平線の彼方から姿を現した瞬間、聖ルルイエ帝国の全軍に緊張が走った。

暗黒の旗が幾重(いくえ)にも翻り、大地を揺るがす足音と共に迫るその威容に、兵士たちは思わず喉を鳴らし、武器を握り直した。


対する帝国軍は、即座に円陣を敷いた。中心には、銀の玉座と黒きオーラをまとう、聖ルルイエ皇帝——エルシャダイが座していた。

彼を守るように、鉄の防壁のごとき陣形が構築されていく。


北の防衛線には、勇者ミカエルが率いる四十万の主力部隊が展開された。

彼の軍旗は風を裂き、高く(ひるがえ)っている。天を突くほどの巨大な十字の意匠が、空にその威光を示していた。

だが——そこにあるのは旗だけだった。ミカエル本人の姿は、いくら目を凝らしても確認できない。

まるで彼自身が風になったかのように、姿を消していた。


東の翼には、静謐(せいひつ)なる守護者ウリエルが二十万の部隊を率いて布陣。

陽の光を帯びたその陣容は、黄金に輝く壁のようであり、進軍する者に一瞬の迷いを抱かせる神聖さを備えていた。


南には、冷徹なる処刑者ラファエルが立つ。

その瞳は戦場の喧騒に動じず、ただ敵を討つことのみを目的としているようだった。二十万の軍が彼の命一つで動く様は、まるで一体の巨大な怪物のようにも見えた。


そして西。

そこには、赤鎧の猛将カマエルが十万を束ねていた。雷鳴の如き鬨の声が地響きを起こし、戦意を天にまで轟かせる。

さらにその背後、金色の鎧に身を包んだ冷血なる女将クシエルが、同じく十万の軍を率いて控えている。

二人の指揮官が並び立つことで、西方はまるで鉄壁の砦と化していた。


総勢…百万の軍勢。

その一糸乱れぬ円陣は、まるで一つの巨大な機械であり、あるいは神に仕える軍団そのもののようだった。

そしてその中心——全軍の心臓部に、皇帝エルシャダイが静かに立っていた。


神か、あるいは魔か。

その存在感は、近づく者すべての膝を折らせるほどに重く、凍えるような威圧感を放っていた。



一方——


帝国軍の前方、北の地平に黒き嵐が湧き起こったかのように、魔王軍が姿を現した。

風に踊る無数の軍旗。その中心に、対い蝶紋(むかいちょうもん)の旗印が重くはためいている。

それこそが、魔王軍四天王の筆頭角、ベルゼブルの本陣であった。

甲冑姿で仁王立ちする魔王軍四天王筆頭、ベルゼブル…そして(かたわ)らに副官アンドラスが戦況を分析している。


漆黒の甲冑を身に纏い、無言の威圧感を放つ八万の兵たちが整然と並び、まるで沈黙する獣のようにその時を待っていた。

その左右には、将軍カイナシェルとクイナバルシュが一万ずつの精鋭を率いて控えていた。どちらも戦場において名を轟かせる猛将。彼らの軍勢は、まるで獲物を狙う蛇のように身を屈め、いまにも牙を剥かんとしていた。


さらに左翼には、桔梗紋の旗が高らかに舞っていた。

それを掲げるのは、歴戦の智将・惟任日向守これとう ひゅうがのかみ。十万の歩兵を指揮し、あたかも鋼の壁を築いたかのように、前線を固めている。


右翼には、竹丸に桐紋の旗印。

その旗の下に並ぶのは、明石掃部あかし かもんが率いる十万の軍。彼の軍勢は、秩序と訓練によって鍛え上げられた剛兵たちであり、まるで揺るがぬ山脈のごとき安定感を戦場にもたらしていた。


そして——東の空が、ざわめいた。


そこには飛竜のリヴァイアがその巨大な翼を広げて舞い降りていた。

彼女が率いる飛竜軍、五万。空と陸を自在に駆ける姿は、恐怖と混沌の具現(ぐげん)だった。

空には無数のワイバーンが飛び交い、咆哮(ほうこう)が風を裂く。

地上には歩兵としてリザードマンたちが槍を構え、副軍団長ヒルドルがヴェロキラプトル騎兵と共に前線を進む。その進軍は、まるで疾風そのものであった。さらには竜の血を引くドラゴンナイトたちがその後方に待機し、戦場の支配を狙っている。


南方には、死の香りが立ち込めていた。

そこに陣取るのは、大魔導士ラ・ムウの不死騎軍十万。

鎧に包まれた亡者たちが列を成し、沈黙の中に狂気を孕んでいた。副軍団長リリス・カスミは、妖しい微笑を浮かべながら、ラ・ムウの隣に立っていた。

彼女の一声で、死者は動き、そして喰らう。


西方では、漆黒に輝く巨大な魔導機・アルバス。

その背に立つのは、新四天王の一柱——修道女(シスター)ガーラ。

彼女の号令一下、妖艶なる魔女メデューサ・ベルアルが率いるゴーレム部隊、四万が整然と前進を開始する。

そしてその背後、闇より現れし影の軍団——シャドウレギオン。

ビゼ・スカーハが指揮するその一万は、姿すら曖昧な存在であり、闇に紛れ敵陣を蝕む亡霊のごとき恐怖をまとっていた。


総勢五十万。

各部隊はまるで魔王の手足のように、意思を持って動き出そうとしていた。


しかし——その頂点に君臨すべき存在、魔王ハル子の姿は、いまだ戦場に現れてはいなかった。

その不在が、逆に帝国軍に底知れぬ不安をもたらしていた。

「どこにいる……?」

「なぜ現れない……?」


沈黙の中に、嵐の予感が忍び寄っていた。

魔王軍と帝国軍。

いま、シャロン平原にて二つの圧倒的な軍勢が、互いの命運を賭けて対峙した。

決戦の刻は、いよいよ迫っていた——




帝国本陣、漆黒の大天幕の中。

金と紫の重厚な絹布(けんぷ)が天井を飾り、空気は冷たく澄んでいた。香の煙が静かに揺れ、魔導燈の光に照らされるその中心——神座。


その玉座に、神々しき光を纏い(まとい)し者が座していた。

白金の衣をまとい、全身から神性のオーラを放つ存在。聖ルルイエ帝国を統べる絶対者——

エルシャダイ皇帝である。

その瞳は虚空を見据え、まるで未来すら見通しているかのようだった。


やがて、兜を脱いだ四聖賢ウリエルが、静かにその御前に進み出た。

青白い顔に汗が浮かび、重厚な甲冑が小さく軋んだ。やがて、片膝をつき、頭を垂れて進言する。


「エルシャダイ皇帝陛下……ご命令に従い、我らは円陣を敷きました。しかしながら……四方を魔王軍にとり囲まれております」


一瞬の沈黙が走った。


だが、次の瞬間——

玉座の主が、ふっと口元を歪めて笑みを浮かべた。

その笑みは慈悲にも似ていたが、底知れぬ狂気が潜んでいた。


「ふふふ……これでよい」


低く、響く声が天幕の中を満たす。

「我が帝国兵は、もはや『魔王』と聞いただけで戦意を失う始末……であれば、逃げ場を断つほかあるまい」


光の神の化身とも称されるその男は、微動だにせず言葉を続けた。


「この円陣こそ、逃亡を許さぬ『(おり)』よ。我が兵は、もはや背を見せることすらできぬ……ならば、戦うしかあるまい!」


その声に、ウリエルは深く頭を下げた。

「さすがは皇帝陛下……思慮深きご戦略、恐れ入ります」


「包囲したと思っておるだろうがな……」

エルシャダイ皇帝は目を細め、ついに立ち上がった。

その動きに合わせて、周囲の将兵が息を呑む。


「追い詰められているのは……魔王軍の方だと、思い知らせてくれるわ!!」


高らかに、天に響く声で叫ぶ。

やがて皇帝は両手を広げ、神々しい光をその身から放った。

それはまるで天啓のごとき閃光であった。


「さあ!我が子らよ!!」

「人にあらざる(けが)れし者どもを、この神聖なる大地から狩り尽くすのだ!!存分に戦い、我が栄光を示せ!!」


その瞬間だった。


皇帝の目が、鮮血のように深い赤に染まった。

そしてその紅の光が、波のように本陣から広がっていく。

風が巻き、地が揺れ、空気が燃える。


兵士たちの瞳が次々と紅に染まり、息を荒げ始める。

その姿は理性を失い、獣へと変貌するかのような異様さを放っていた。


「こ……これは……!」


ウリエルが見上げた光景に、唇が震えた。

彼の声は、もはや(ささや)きにも等しかった。


「バーサーカー……陛下が……兵百万人すべてに……!」


かつて見たこともない、圧倒的な魔力の奔流が、帝国の軍を紅の狂戦士へと変貌させていく。

恐怖を打ち消すほどの激情が彼らを貫き、もはや兵士ではなく、血と殺戮を求める修羅たちが、戦場に立ち上がったのだった。


まさに、地獄の開幕だった。



紅蓮の狂気が、戦場を包み込んでいた。


突如として目を真っ赤に染めた帝国兵たちが、凶獣のように咆哮を上げながら前進を開始する。

その動きは、もはや軍隊ではない。ただの殺意の群れ――それは人間という理性の檻を破り捨てた肉の洪水であった。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!」


獣の咆哮とも人の断末魔ともつかぬ叫びが、幾重にも重なり、戦場全体を貫いた。

地が震える。空が嗚咽(おえつ)する。風すら血の匂いを運んでくる。


「来るぞ……!」


東の空を舞うワイバーンの背で、リヴァイアが歯を食いしばった。


「防御陣形、展開せよ!全軍、衝撃に備えよッ!」


四方に展開していた魔王軍の将たちは、即座に指揮を飛ばした。

ベルゼブルの陣では重装兵が盾を構え、不死騎軍は魔力障壁を展開。ゴーレム隊は地を震わせながら前線を固め、飛竜軍のリザードマンたちは槍を突き出し、一斉に構える。


そして——


ドゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!


まるで天地がひっくり返るかのような衝撃音が、戦場四方に同時に轟いた。

それは東西南北、全方向から、怒涛のごとく魔王軍へと襲いかかる帝国兵の体当たり。


地面がえぐれ、木々が吹き飛び、岩が砕ける。

赤い瞳の兵たちは痛みも感じていないのか、盾を砕き、槍に貫かれながらも突進を止めない。


リリス・カスミは戦場の隅で、目を細めて呟いた。


「……これは、正気じゃない。いや、もはや"人"ではない……」


彼らは恐怖を忘れたのではない。

恐怖そのものを捨て去ったのだ。


この戦いは、もはや常識の範疇(はんちゅう)にない。


それでも——

魔王軍は、動じなかった。

ハル子の名のもとに集った兵たちは、何度も「狂気」をくぐり抜けてきたのだ。


そして、戦いの幕が完全に切って落とされた。


世界を揺るがす、血と炎の決戦が今——始まった。


狂乱(きょうらん)の赤い波が、西の戦線を飲み込んでいた。


バーサーカー状態となった帝国兵たちは、死を恐れぬ獣と化し、ただ前へ、前へと突き進む。

剣が折れても拳を突き出し、盾が砕けても体ごと突撃する――それは戦術ではなく、信仰にも似た破滅への渇望(かつぼう)だった。


「……まずい……!」


メデューサ・ベリアルが率いるゴーレム隊の防壁が、ついに突破される。


岩の如き巨体を持つゴーレムたちが次々と赤き群れに押し倒され、四肢を砕かれ、魔法核を破壊されていく。

その光景を見たベリアルの眼が、激しい怒りに燃え上がった。


「通さぬ……ここは、通さぬぞッ!」


金色の(たてがみ)をなびかせた黒き馬に跨がると、彼女は前線へと駆け出した。

艶やかな(へび)が風にたなびき、戦場の光景に妖艶なる異彩を放つ。


そして、指先を天に掲げ、力強く叫ぶ。


「皆!われを見よッ!!――ペテリフィケイション!!」


瞬間、彼女の瞳が深い紅紫に輝き、魔力が空気を震わせる。

視線を受けた敵の体を石に変える、メデューサの魔眼が解き放たれた。


一瞬、周囲の空気が静まり返る。


だが――


帝国兵たちは、止まらなかった。


目を真っ赤に染めた彼らは、表情一つ変えず、石化の魔法すら無視して剣を振り上げる。

片腕が石になろうとも、脚が固まりかけようとも、進むのをやめない。


「なに……効かない……!?」


ベリアルの声に、わずかに恐れが滲む。


「私の魔法が……効かないだと……!?」


次の瞬間――


「ギャアアアアアッ!!」


甲高い叫びと共に、帝国兵の刃がベリアルへと振り下ろされようとした。


だが――その瞬間。


ガキィィィィン!!


黒い閃光が飛び込み、帝国兵の剣を弾き飛ばした。

宙に火花が散り、鋼と鋼がぶつかり合う衝撃が耳を裂く。


「……遅くなりました‥‥、ベリアルどの‥‥」


闇の中から現れたのは、漆黒の甲冑を纏った剣士たち。


その中心には、冷たい眼差しを持つ影の軍団長――ビゼ・スカーハがいた。


「……シャドウレギオン……!」


ベリアルの瞳に、再び光が戻る。


ビゼが静かに剣を構え、闇を纏ったレギオンたちが一斉に並び立つ。


「この闇に触れれば、いかなる狂気も飲まれることを思い知らせてやろう……」


彼女の声が低く響いたとき、黒き影の軍団が、赤き狂乱の波に立ち向かうべく、前進を開始した。


西方戦線――いま、影と狂気が激突する。



「……ベリアル殿。あの……あなたの召喚魔法を……」


ビゼの可愛らしい声が、戦場の喧騒の中に届いた。

ベリアルはその言葉に一瞬だけ静かに目を閉じ、無言でうなずいた。


蒼き瞳が再び開かれた時――その奥には、狂乱に立ち向かう決意の炎が宿っていた。


「――さあ、父上様……おいでなさいませッ!」


ベリアルが右手を掲げ、天に向かって叫ぶ。


岩王顕現ラピス・デモニス――召喚!!」


次の瞬間、大地が鳴動した。


空間が裂けるような音と共に、宙に黒紫の魔法陣が描かれ、その中心がひび割れるように開く。

そこから這い出るように姿を現したのは、漆黒の岩で組み上げられたような巨人――ラピス・デモニス。


全高十メートルを優に超える、魔岩の巨躯がこの世に姿を現した。


背中には鋭く尖った結晶体、両肩からは赤い蒸気のような魔力が立ち昇る。

その存在だけで、空気が重く、冷たくなる。


「……父上様、お願い……この娘の命運、貴方に託します……」


ベリアルが囁くように、しかし強く願う。


巨人はわずかに首を傾けると、低く、だがはっきりとうなずいた。


「――うむ」


その一言は、まるで岩が砕けるような重低音だった。


そして、次の瞬間――


「グォオオオオオオオッ!!」


轟音(ごうおん)と共に、ラピス・デモニスが帝国兵の群れに向かって突進した。


岩でできた拳が振るわれるたび、数十人単位で兵士たちの体が宙に浮き、弧を描いて吹き飛ぶ。

地面が砕け、血煙が舞い、バーサーカーと化した兵たちでさえ、その巨力に抗う術はない。


――一撃、一歩、ただそれだけで戦況が塗り替わる。


挿絵(By みてみん)


彼らは感情を持たぬ戦闘機械と化しているが、それでも本能が恐怖に震えていた。


戦場に再び、魔王軍の咆哮が轟く。


西の戦線に、反撃の狼煙(のろし)が上がった――。


その光景を遠目に見ていた帝国西翼の将、カマエルとクシエルが静かに互いに向き合った。


「――時は満ちた。我らの秘儀(ひぎ)を……見せましょうぞ」


二人の声が同時に重なり、低く響く。

そして次の瞬間、空気が震えるような一言が放たれた。


「インテグラツィオーン!!」


術式が展開された刹那、二人の身体が眩い光に包まれる。

そして――融合が始まった。


光が収まった時、そこに立っていたのは一体の異形。


右半身は赤鎧に身を包んだカマエル、左半身は金色の鎧をまとったクシエル。

二人の存在が、完璧に一つに溶け合っていた。


「さあ……我が召喚獣よ――いでよ!!」


地面が割れ、天が裂けるような轟音と共に、空間に巨大な次元の亀裂が生じた。

そこから現れたのは、炎に包まれた獣――


灼熱(しゃくねつ)の精霊獣・サラマンダー。


全身を纏う(ほのう)は風にたなびき、巨大なトカゲのような胴体は筋肉に満ちている。

紅蓮の鱗が火花を散らし、二つの目が真紅に輝いていた。


「――あれは……!」


魔王軍の一角、ベリアルが声を失いながら呟いた。


「サラマンダー……っ!

あれは古の火精霊王(ひのせいれいおう)……! まずい、接近戦では勝機を失う……!!」


その瞬間――


「グォオオオオオオッ!!」


サラマンダーが咆哮し、口を大きく開いた。

次の瞬間、溶岩のような灼熱の液体を前方へと放射する!


挿絵(By みてみん)


――灼流(しゃくりゅう)が大地を灼き、すべてを溶かし尽くす。


魔王軍の西側陣営、ベリアルのゴーレム隊の一部がその熱線に巻き込まれ、石の体が軟化し崩れ落ちていく。

瞬時に数百の兵が焦熱(しょうねつ)に焼かれ、辺りは炎と蒸気に包まれた。


「ひとたまりもない……!」


戦場の空気が一気に変わった。

ラピス・デモニスの進撃が止められる可能性を示す存在――

灼熱の精霊王・サラマンダー。それはまさに、神の業を体現した獣であった。


「ぐ……ぉぉ……っ」


ラピス・デモニスが膝をつき、苦悶の呻きを漏らす。

サラマンダーの灼熱の一撃に、いかに岩の巨体とて抗しきれなかった。


全身の岩肌が赤熱し、ひび割れ、崩れ始める――


「父上様……!」


駆け寄ろうとするベルアルに、ラピス・デモニスはゆっくりと顔を向ける。

その瞳には、深い(いつく)しみと、どこか誇らしげな輝きがあった。


「す……すまぬ……我が娘よ……」


そう呟くと、巨体はふわりと霧のように溶け、

風に乗って、静かに戦場の空に消えていった。


「――――っ!!」


「あああああああああ!! 父上様ァァァァァ!!!!」


ベルアルの悲痛な叫びが、西の空に響き渡った。

戦場の喧騒の中で、その声だけがやけに鮮明に響く。


そこへ、黒煙のように立ち上る瘴気(しょうき)の中から、影偵軍の軍長――ビゼが姿を現した。

漆黒の外套(がいとう)を揺らしながら、彼女は静かに、しかし確かな足取りで戦場の中心へと歩み出る。その眼は氷のように冷たく、何かを見据えている。


「さあ……闇の化身ヒュプノス、召喚!」

ビゼの声が鋭く空を裂いた。次の瞬間、大地が鳴動(めいどう)し、空気が重く濁った。空間が裂けるようにして暗黒の裂け目が現れ、そこから異形の巨人が現れる。


牙を持つ細長い顔。

螺旋を描きながら頭部を囲む異様な角。

破れた蝙蝠(こうもり)のような翼が、風を切り裂いて広がった。


挿絵(By みてみん)


その全身から放たれる魔の気配に、周囲の空気は凍てつくようだった。存在するだけで命を刈り取るようなその姿――まさに、”悪魔の化身”そのものだった。


そして小さく呟く。


「ビゼ……あれは……サラマンダー……なのか」


問いかけのようなその声に、ビゼは淡く笑みを浮かべた。そして、まるで独り言のように呟いた。


「うん……倒せる……かな」


その声音に、ためらいはなかった。だが、その奥底には、自らの力を試すことへの渇望と、不気味な静けさが潜んでいた。


対する者は、目を細めると重く唸るように答えた。


「さあ……あれは我よりも上位種……だが、やるだけやってみよう……」


その口元から、黒い霧がゆらりと漏れ出した。

それは瘴気か、呪いか、それともこの世にあってはならぬ何かなのか。周囲の草木がそれに触れた瞬間、しゅう、と音を立てて枯れ落ちていく。


やがて、霧の中でふたつの影が向き合う。

夜の(とばり)が降りるよりも濃い闇が、いま――戦場を包もうとしていた。


そして、黒く渦巻く霧はゆっくりと、だが確実にサラマンダーへと向かっていった。

霧が地を這うたびに、空気は重く、冷たく変質していく。周囲にいた帝国兵たちは目を見開いたまま、その場に崩れ落ちていく。(うめ)き声すら上げる間もなく、意識を奪われ、次々と倒れていった。


やがて、サラマンダーの巨躯が黒い霧に包まれ、視界から消える。闇の中に飲み込まれたその姿は、まるで霧が獲物を喰らっているようだった。


「やった……かな?」

ビゼが静かに呟いた。声にはわずかに安堵が混じっていた。


だがその瞬間だった。


ごうっ、と爆風が巻き起こり、黒い霧が四方八方へと吹き飛ばされた。突風に煽られたビゼの外套が(ひるがえ)り、彼女の目が見開かれる。


「……あああ……」

言葉にならない声が漏れた。そこには、霧の中から姿を現したサラマンダーが、なおも屹立(きつりつ)していた。皮膚の下で赤熱するマグマのような脈動が、怒りを映し出すように脈打っていた。


サラマンダーは頭をわずかに傾けたかと思うと、次の瞬間、その口を大きく開いた。


――ゴォォォッ!!!


灼熱の奔流が放たれる。

それはまるで地の底から湧き上がる溶岩そのものだった。赤黒く煮え立つそのエネルギーは、一直線にヒュプノスへと叩きつけられた。


衝撃音とともに、ヒュプノスの巨体が激しくのけぞる。異形の巨人が悲鳴のような咆哮を上げ、身体が崩れていく。黒い鱗が剥がれ、翼が引き裂かれ、角が砕けた。


「ビゼ……申し訳……ない……」

ヒュプノスの声はかすかに響き、そして、音とともに(ちり)となって風に消えた。


沈黙。


風が止まり、時が止まったかのようだった。


ビゼはただ、その場に立ち尽くしていた。

動けなかった。言葉もなかった。目の前で自らが呼び出した存在が敗れ、砕け、消えていった。その喪失が、重く胸に沈んでいく。



それを後方から眺めていた、融合した存在――カマエルとクシエルが静かに立っていた。もはや彼らを個として分けることはできない。神のごとき気配を纏い、双眸には狂気と陶酔の輝きが宿っていた。


「ふわははははっ!」

二人が一つとなった口が、高らかに笑い声を上げる。


「我がサラマンダーよ!!! そのまま破壊し尽くすのだ!!!!」


その声は空を揺るがし、まるで命ある者すべてに死を命ずる呪詛(じゅそ)のようだった。


サラマンダーは咆哮し、地を割り、溶岩のような息を吐き出しながら前進する。焦土と化す大地。焼け(ただ)れる木々。逃げ遅れた兵たちの断末魔が、無残にも風に消えていく。


それを見たビゼとベリアルの顔に、色が失われていた。

敗北の記憶が、心を蝕んでいた。


「……くっ……」

ビゼは拳を握りしめるが、その手は震えていた。

その時だった。


――ゴオオオオオッ!!


背後から轟音が迫る。空を裂くようなジェットの音。

次の瞬間、金属の輝きが火花を散らしながら舞い降りる。


漆黒の装甲を持つ人型機動兵――アルバス。

そのコクピットから声を放つのは修道女ガーラだった。


「遅れてすみません!」


ビゼとベリアルは振り返る。まるで、沈みゆく船に差し込む一筋の光のような、その登場。


「あいつですね! 暴れているのは!」


鋭く敵影(てきえい)を捉え、ガーラの目がサラマンダーへと向けられる。その双眸(そうぼう)には恐れはなかった。ただ、目の前の巨悪に立ち向かう決意だけがあった。


ベリアルが重々しく口を開く。


「……気をつけて。私たちの召喚魔法……ラピス・デモニスも……ビゼのヒュプノスも……あのサラマンダーには敵わなかったの……」


その言葉は、警告であると同時に、絶望の証でもあった。

だが――ガーラは頷くだけだった。


「それでも……やってみなきゃ、わかりませんから」


彼女の瞳には、揺るぎない意志が宿っていた。

アルバスのエネルギーコアが唸りを上げ、光を帯びていく。


いま、新たな戦いが、希望と絶望の狭間で幕を開けようとしていた。


「任せて!」

ガーラが叫び、アルバスに力強く呼びかける。

「行くよ、アルバス!!」


瞬間、機体の中から応答が返る。無機質な中に微かな感情の響きを含んだ声だった。


「同期準備完了。魔力チャージ、お願いします」


「いくよ――全開で!」

ガーラが両腕を広げ、中央の魔導核に手をかざした。


空気が震えた。

地面を這うような魔力の波動がアルバスを包み込み、眩い光が機体全体を満たしていく。漆黒の装甲が砕けるように剥がれ、内側から眩く発光する純白の装甲が姿を現した。


純白の機神――それはまさに神話の具現だった。


「アルバス、形態・神格転移完了」

機械音が告げたと同時に、機体の背から巨大な光の翼が広がる。


「さあ――終わらせる!!!」

ガーラが右手を前にかざすと、空間が音を立てて裂けた。

その裂け目から、神の武具と呼ばれる光の弓が現れる。

そして万象を貫く聖なる一光の矢。


挿絵(By みてみん)


弓に現れた光の矢は、まるで星の欠片のように輝いていた。


「弾けろ!!!ブラフマーストラ!!!」

ガーラが叫び、弦を引くと、アルバスの全魔力が一点に収束した。次の瞬間、閃光が走った。


矢は雷のように空を裂き、サラマンダー目がけて一直線に飛んでいった。

避ける間もない。まるで時が止まったかのように、サラマンダーの身体が動きを止めたその瞬間――


直撃。


(まばゆ)い閃光が()ぜ、大地が震え、熱と衝撃が一帯を飲み込んだ。

音も、色も、世界さえも白に染まる。


そして、光が収まった時――


そこにサラマンダーの姿はなかった。

ただ、宙に微かに漂う黒煙と、霧のように崩れた魔力の残骸(ざんがい)が風に溶けていくだけだった。


沈黙。


誰もが息を呑んで、その光景を見つめていた。


ガーラはアルバスの中で、ゆっくりと息を吐いた。

その瞳には、一片の迷いもなく、ただ静かな決意だけが宿っていた。


「おおおおおおおおおおおッ!!!」

その瞬間――戦場全体が揺れた。


サラマンダーの消滅を目の当たりにした魔王軍の兵たちは、怒号(どごう)とも歓声ともつかぬ咆哮を上げた。

どよめきが雷鳴のように響き渡り、長く沈んでいた士気が、一気に爆発したのだ。


「あれが……ガーラ様の力……!」

「サラマンダーを、一撃で……!」


絶望の淵にあった彼らの眼に、再び光が宿る。燃え上がる闘志が、戦意を呼び起こしていく。


「さあ!突撃よ!!!」


妖艶のメデューサ・ベリアルが言い放った。


その言葉が放たれるや否や、魔王軍は一斉に前進を開始した。


西の空には、まだ赤い月が浮かんでいた。

だが今、その光はもはや恐怖ではない。勝利の狼煙(のろし)を照らす、血の誓いのように燃えていた。


「押せ!帝国の戦線を崩せ!一気に決着をつける!!」


魔王軍は波のように押し寄せ、帝国軍の防衛線を呑み込んでいく。


そしてその中心で、ガーラ搭乗のアルバスはなおも空に浮かび、全軍を導く白き旗のように輝いていた。



一方その頃、南の戦線――。


焦土と化した荒野の中、屍の如き騎士たちが静かに帝国軍の進軍を阻んでいた。不死騎軍。その名の通り、死を知らぬ兵スケルトルナイトの軍団、剣を振るい続けていた。


挿絵(By みてみん)


彼らを率いるのは、蒼白の外套を翻す大魔導士ラ・ムウ。


「進ませぬ……この南の前線は死守せよ……」


老練の声は風に消えるほどに静かだったが、その言葉に従うように不死騎軍は一糸乱れず帝国軍の猛攻を防いでいた。

だが――それも、限界に近づいていた。


帝国軍の魔導砲が火を噴き、炎が不死者の列を薙ぎ払う。

剣戟(けんげき)の中にあっても、不死騎たちは再び立ち上がるが、その動きは徐々に鈍く、崩れ始めていた。


そして――それは、唐突に現れた。


空が震えた。

地の底から響くような咆哮が、大地を割るほどの重圧となって戦場を襲う。


「……来たか……」

ラ・ムウが顔を上げた瞬間、空の向こうにそれは現れた。


雲を突き破って降臨する、漆黒と蒼の巨影。


ラファエルの召喚獣、《ヒュドラ―》。


九つの首を持ち、(うごめ)く蛇のように互いに絡み合いながら天を仰ぐ。

それぞれの口からは、溶鉱炉のような熱が漏れ出し、蒸気と硫黄の匂いが風に乗って広がっていく。

その一歩ごとに大地が揺れ、戦場に裂け目が走った。


挿絵(By みてみん)


「な、なに……あの異形…!」

副官のリリスが思わず声を上げた。


ヒュドラ―の咆哮が轟いた。

その音は音波ではなく、圧力そのものであるかのように、周囲の木々を薙ぎ、空気をねじ曲げ、兵の鼓膜を破る。


「下がれッ!」

ラ・ムウが叫ぶが、遅かった。


ヒュドラ―の一つの首が地上へと突き出し、口から光を伴う熱流を放つ。蒸気混じりの灼熱が一直線に不死騎軍を襲い、数百のスケルトルナイトが瞬時に溶けるように崩れ落ちた。骨すら残らぬ。


「くっ……これほどとは……!」

ラ・ムウの目に怯えはなかった。しかし、その瞳の奥には明確な“理解”が宿っていた。


――この敵は、規格外だ。


彼らの周囲に集う残された不死騎軍も、ついに後退を始める。

南の戦線は、崩れ始めていた。



「……さあ、我々も召喚魔法を使うか……」

ラ・ムウは静かに、だが決意を秘めた声で隣に立つリリスに語りかけた。


リリスはわずかに頷く――その時だった。


突如として、戦場の後方、地平の彼方から大地を割るような轟音が響いた。

雷鳴のように連続し、やがてそれは、足音であることが誰の耳にも明白となった。


「……この音は……!」

リリスが振り返ると、荒野の地平が揺れていた。


砂嵐を巻き上げ、地鳴りとともに現れたのは、山のように巨大な戦象、鉄甲をまとった獣人騎兵。


ユグドラシル獣王国軍である。


獣たちの咆哮が一斉に天へと向けて響き渡り、戦場全体がまるで鼓動するかのように震えた。


その先頭、高台に立つ一人の女が、堂々と声を上げた。


「我ら、ユグドラシル獣王国軍総勢二十万――ここに参上!」

漆黒のマントを翻し、槍を掲げたその女は、獣王国の総帥・ツァラトゥストラであった。


その声はまるで戦神の咆哮のように響き渡り、帝国軍の前線を一瞬で沈黙させた。


「さあ!この力で帝国軍を押し返しましょう!!!」


号令と共に、獣王国軍が突撃を開始した。大地がうねり、空が裂ける。

戦象が帝国の重装部隊を蹴散らし、猛禽(もうきん)が魔導砲陣地を上空から破壊し、獣人騎兵が疾風の如く敵陣に切り込む。


「はい!助かります!!!」

リリスは満面の笑みで応じると、手にした魔法の杖を構えた。


「お師匠様、今が反攻の時です!」


「……うむ。死者たちよ、再び立ち上がれ。今こそ、我らが正義を示す時……!」


不死騎軍の兵たちがラ・ムウの号令に応じて再び立ち上がる。

それまで劣勢だった南の戦線が、一気に形勢を変えていく。


地上には未だヒュドラ―が君臨していたが、その巨体をも恐れぬ勢いが、今や南を覆っていた。


「首が……九つもある竜?」

静かながら、どこか冷笑を帯びた声が戦場に響く。


灰のように黒いマントをなびかせ、漆黒の戦斧(せんぷ)を肩に担ぎ、巨大な獣人がひとり、

戦場の断崖に立っていた。

その名は――《ヴァルフォレ》。かつて魔王軍に所属した女・・・・いや男だ。


「気持ち悪いわ……あれが“噂の”ヒュドラ―ね」

その眼は、獣の如き九首の怪物を見つめながらも、怯えとは無縁の鋭さを湛えていた。


そこへ――天と地を震わせるような足音が轟く。


「ふふふ…ひさびさに見たわ…ヒュドラ―…」

蒼い稲妻のように空を裂いて、巨大な影がヒュドラ―の正面へと躍り出た。


神獣『フェンリル』。

その背に乗るは、ユグドラシル獣王国女王――《ケル》。

紫紺の鎧に身を包み、黒い瞳がヒュドラ―を真正面から射抜いていた。


「あれは……私が仕留めよう!」

フェンリルがそう告げた瞬間、口が大きく開かれる。


その奥に、異界の力が収束していた。

眩いまでに青白く光る粒子が、咆哮の源へと一点に集まっていく。


「アスガルドの息吹を……もう一度思い知らせてやるわ!」


――それは、かつて神殺し《テューポーン》を一撃で葬った伝説の咆哮。


「吼えろ、フェンリル様――《グリームニル・ブレス》!!」


瞬間、爆雷の如き轟音とともに、青白い光線が戦場を切り裂いた。


フェンリルの咆哮は大気を焼き、空を裂き、ヒュドラ―へと一直線に突き進む。

その一撃は、まさに“神”すら貫く破壊の奔流――


ヒュドラ―の九つの首が同時に悲鳴を上げ、光が直撃する。

その巨体は後方へと吹き飛ばされ、周囲にいた帝国兵たちも爆風に巻き込まれ、音もなく吹き飛んだ。


砂塵と黒煙があたり一面に立ちこめ、戦場が一瞬、沈黙する。


「……やった、の……か?」

誰かが、そう呟いた。


「さあ!敵は崩れた!皆の者――総攻撃だ!!!」

ツァラトゥストラ総帥の声が、大地の底から響く雷のように戦場全体に響き渡った。


次の瞬間、獣王国軍の兵士たちは一斉に咆哮を上げた。


「おおおおおおおおおおおお!!!」


それは歓喜の雄叫び。勝利を確信した、生命の咆哮だった。

巨大な戦象(せんぞう)が牙を突き立て突進し、獣人の騎兵たちは嵐のごとく敵陣を切り裂いていく。


帝国兵たちが次々に崩れだした。

南の戦線は――完全に、魔王連合軍が制圧しつつあった。


その光景を見ていた、ラ・ムウはゆっくりと息を吐いた。

風に舞うマントの裾が静かに揺れる。


「……よかった、ここは一つの峠を越えたな……」


しかしその安堵も束の間――


大魔導士の目は、東の空へと向けられた。


そこでは、なお激戦が続いていた。

帝国の主力部隊が集うその戦線では、《リヴァイア》が必死に食い止めているものの、明らかに押されつつあるのが遠目にもわかった。


「リリスよ」

ラ・ムウは静かに振り返り、傍らに立つ弟子へと声をかけた。


「この戦線はお主に託す。わしは東へ向かい、リヴァイアを助けねばなるまい。任せたぞ」


言葉と共に、ラ・ムウは優しくリリスの肩に手を置いた。

その手は冷静で、しかし確かな信頼が込められていた。


リリスは驚きに目を見開いたが、すぐにきりっと表情を引き締め、深く頷いた。


「はい、お師匠様!お任せください!」

その瞳には、炎のような決意が宿っていた。


ラ・ムウは微かに笑い、再び風にその身を任せるように振り返ると、長杖を掲げ、魔法陣を一閃。


淡く青い光が彼の身体を包み込むと、次の瞬間、光の奔流と共に大魔導士の姿は空へと舞い上がっていった。


――その行き先は、東。

混迷の只中にある、戦火の(うず)だった。

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