表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

40/61

Chapter40【救世主】

――数時間前。


天は曇天に覆われ、黒煙のような霧が地平を這っていた。

空は静まり返り、風すらも息をひそめるその時――

聖ルルイエ帝国軍、三十万の大軍勢が突如、レオグランス王国へと進軍を開始した。


その波は怒涛の如く、大地を震わせながら北方辺境都市イリジャへと襲いかかる。

鉄の鎧が陽光を弾き、槍の列が地平線の先まで連なっていた。


抵抗むなしく、イリジャは瞬く間に陥落。

防衛線はあっけなく突破され、そのまま王都へと包囲網が敷かれた。


だが、レオグランスの誇り――王都は簡単には屈しなかった。

王城の周囲には、古代より伝わる聖なる防護結界が張られ、魔法も矢も全てをはじいていた。

天上へと伸びる、青白く淡い光のドームが都を包み、しばしの安寧(あんねい)を与えていた。


しかし――


それは、永遠ではなかった。


重厚な白銀の玉座の間。

床には王家の紋章が刻まれ、ステンドグラスから差し込む光が、絶望の中にわずかな神聖さを残していた。


玉座に座すは、若き女王――アルル16世ヒラリウス。

金のティアラを戴き、長く輝く金髪を纏うその姿は凛としながらも、どこか陰を落としていた。


玉座の下、守護騎士ガブリエルがひざまずき、低く進言する。


挿絵(By みてみん)


「アルル女王陛下……他国への援軍要請を、今からでも……」


その声には、焦燥と希望が滲んでいた。

だが――女王はそっと目を閉じ、かすかに首を横に振った。


「……もう、手遅れですわ……」


その言葉は、まるで鐘の音のように重く響いた。


その瞬間だった。


――パリ……ッ。

静寂の中、結界の空に亀裂が走る音がした。


「……!」


誰もが息をのむ。

空を覆う結界に、蜘蛛の巣のようにヒビが広がっていく。

青白い光が軋みをあげ、まるで都全体が呻いているかのようだった。


外から聞こえるのは、敵軍の鬨の声。


「……我が王国は、終焉を迎えるのか……」


アルルの手は、小さく震えていた。

それでもその瞳は、決して涙を流さなかった。


「……レオグランスは、滅びぬ。たとえこの身が朽ちようとも……」


その瞳には、最後の炎が灯っていた。


城壁の上――。


冷たい風が吹きすさぶなか、七人の戦乙女たちが、矢継ぎ早に命令を飛ばしていた。

彼女たちは王国親衛隊の精鋭、ファランドール七姉妹。

その瞳には恐怖ではなく、燃え上がる決意の光が宿っている。


「結界が破られるぞ!全隊、配備を急げ!弓兵は後列へ、魔導兵は詠唱開始!」

一番姉、イリア・ファランドールの声が夜空に響いた。

姉妹はそれぞれ異なる色のマントを翻し、まるで虹のように城壁を駆け抜けていく。


兵たちは慌てながらも、訓練された動きで次々と持ち場に就いていった。

だが、誰もが内心で感じていた。――これはもう「戦い」ではなく「最後の時」なのだと。


玉座の間では、女王アルルが床に崩れそうな足を必死に支えながら、外の光景を見つめていた。

その目は濡れてはいなかった。だが、絶望が肌からにじみ出ていた。


「ガブリエル……」

その名を呼ぶ声はかすれていた。


「……なんとか……ならないのですか……?」


アルルは、肩を震わせながらガブリエルの傍に跪いた。

その髪は戦場の塵にまみれ、瞳には深い悲しみが宿っていた。


「あなたの……あの恋人……魔王ルシファー殿は……」

アルルは振り返り、うつろな声で続けた。

「……彼はもう、頼りにならないのですか……?」


しばし沈黙が流れる。

ガブリエルはうつむき、重く唇を開いた。


「……はい。魔王殿は、もう……」

「ここ数十年、かつての部下たちの死に心を閉ざされ、自室の間から一歩も出ていないと言われています……」


その言葉の裏に、どれほどの無念が込められていたのか。

「この数十年……私は何百通も手紙を送りました。けれど……一通の返信すらありませんでした」


声が震える。


「……おそらく、もう……頼れる存在ではないのでしょう……」


その時だった。


――パキィィィンッ!!!


凍てつく音が空に響いた。

王都を包んでいた光の結界に、ついに決定的なヒビが走ったのだ。


ステンドグラスのように煌めいていた光のドームが、砕ける鏡のように音を立てて亀裂を広げていく。


「結界が……!」

城壁上の兵たちの悲鳴が響き渡る。


砕け散る光の破片が、空に舞い上がる。

その向こうには、漆黒の大地に無数の火が灯っていた。

――三十万の聖ルルイエ帝国軍のたいまつが、今や炎の海と化していた。


「……女王陛下、ご命令を」


ガブリエルが立ち上がり、剣の柄を握りしめる。


アルルは静かに、しかし誇り高く立ち上がった。

ティアラの宝石が、砕け落ちる結界の光を映しながら、輝いていた。


「最後の戦いです……レオグランスの名に誓って、一歩も引かぬ覚悟を見せましょう」


その声は、全軍の心に火を灯した。


漆黒の空を切り裂くように、火矢と魔法の光が雨のように降り注いでいた。

聖ルルイエ帝国軍――その数三十万の軍勢が、まるで怒れる神々の化身のように、王都を飲み込もうとしていた。


「火矢だ!防げッ!!」


ファランドール七姉妹の号令が、戦場の喧騒(けんそう)を裂いて響き渡った。


城壁の上――。

矢を構えた兵たちが震える手で弓を引き、魔導兵たちは声をからして詠唱を繰り返す。

だが、空からの猛攻は留まることを知らず、怒涛のように押し寄せてくる。


空に(とどろ)く火球、火矢の雨――

一撃ごとに石壁が崩れ、兵士が吹き飛び、城内の建物に炎が広がっていく。


「今だ!応射せよ!放て!!!」


ファランドール長女・イリアが叫ぶ。

白金の髪が風に(ひるが)り、蒼いマントが血塗られた石畳を駆ける。

その瞳に映るのは――圧倒的な絶望。


「姉さん!右の塔が崩れたわ!」「援軍は!?」

次女セラからの叫びも、すでに混乱の波に呑まれていた。


――そして。


イリアが玉座の間に状況を伝えるべく走り込んだ、その時だった。


「女王陛下、状況報告を――」


その瞬間、空を裂く轟音とともに、巨大な火球魔法が城の外郭から放たれた。


「イリア様、危ないっ!!!!」


ガブリエルが咄嗟(とっさ)に叫び、女王とイリアの前に飛び出した。


瞬間、燃え盛る火の玉が、まるで死神の鎌のように降りかかる。


――ドゴォォォォォン!!!


玉座の間が、まるで爆風に揺れた。

赤い光が視界を染め、破片が空を飛び交う。

耳が裂けそうな爆音のあと、熱風が部屋を一瞬にして焼いた。


「……ガ……ブリエル……?」


アルル女王が、崩れた石の瓦礫(がれき)をかき分けながら、よろよろと近づいた。


そこには――

頭から血を流し、床に崩れ落ちたガブリエルがいた。

その胸には、深い火傷(やけど)と傷が走っていた。


「嘘……でしょ……?」


女王の声は、まるで夢の中で響くように、どこか遠くから聞こえていた。

震える手が、その顔に触れる。


「……なんで……なんで、どうして……」


アルルの目から、大粒の涙が一筋、二筋とこぼれた。


「ガブリエルッ!!」


叫びとともに、その場に崩れ落ちるアルル。

血に染まった床に跪き、幼き日の記憶をなぞるように、その手を強く握りしめた。


――かつて、城の庭で花冠(かかん)を贈ってくれたあの日。

――剣術の稽古に付き添って、額に汗を光らせていたあの横顔。

――「必ず、貴女を守ります」と、笑って言った声。


全てが今、音もなく崩れ去った。


「……やめて……誰か、もう……これ以上、連れて行かないで……!」


アルル女王は、空に向かって泣き叫んだ。

その声は、崩れた玉座の間に虚しく響くだけだった。


「ハル殿に……ハル殿に救援を……!」


イリアの声は、荒れ狂う炎と絶え間ない魔力の爆音の中でも、はっきりと女王アルルの耳に届いた。


その瞬間だった。

アルルは、ふと――別れ際に渡された小さな()()()のことを思い出した。

あのとき、微笑んだ――ハルの顔が、脳裏に浮かぶ。


「これを……もしもの時に使って」と言われた、あの言葉。


アルルは震える手で懐から巾着を取り出し、勢いよく紐をほどいた。


中からふわりと金の光が立ち上り、やがてそれは一羽の鳥の形を取った。

まばゆい光の翼を広げたそれは、まるで“命の風”そのもののようだった。


「お願い……ハル様……どうか……!」


女王の祈りの声が届いたかのように、光の鳥は天を仰ぎ、

次の瞬間、風を裂いて西の空へと一直線に飛び立った。


王城の上空に、火と煙が渦を巻く。


しかし、希望はまだ残っていた。

城壁の上――その希望を守るべく、ファランドール七姉妹が、必死の奮闘を続けていた。


「弓兵、後退!魔導部隊、左翼に集中して!」


長女・イリアの声は、血に濡れた唇から絞り出されていた。

その額からは流血し、左肩はすでに鎧ごと裂かれている。


次女・セラは矢で右腕を負傷しながらも、味方に防御魔法を張り続け、

三女・イオは膝を引きずりながら、仲間の回復魔法を繰り返していた。


しかし――四女・ロイと五女・ロミは、すでに意識を失い、衛兵に抱えられて後方で手当てを受けていた。


「くそっ……このままじゃ全滅する……!」


イリアが歯を食いしばる。

空からはなおも炎の雨が降り、敵兵が次々と城壁をよじ登ってくる。


そんな中――


アルル女王自身が城壁へと駆け上がってきた。


豪奢(ごうしゃ)なドレスの裾は焦げ、白い肌には煤がついていた。

それでも彼女は、血まみれの兵士に膝をつき、懸命に包帯を巻きながら声をかけ続けていた。


「しっかり……あなたはまだ、生きてる……!」


その目に浮かぶ涙は、悲しみと怒り、そして希望を込めて揺れていた。


「どうか……どうか、来て……ハル様……あなたが最後の希望なのです……!」






「あ……あれは……」


傷ついた体を支えながら、セラ・ファランドールが呆然とつぶやいた。


西の空――

血に染まる戦場の空を裂くように、突如として現れた無数の影。


最初はただの点にしか見えなかったそれは、やがて10万を超える軍勢であることが誰の目にも明らかとなった。


「……鳥……いや飛竜、魔王の飛竜軍だわ……!」


誰かがそう叫ぶ。

その言葉通り、数百、いや数千のワイバーンが空を覆い尽くし、その中心――


漆黒に染まる一際巨大な影が、風を断つように羽ばたいた。


「魔王……!?」


セラが空を指差し、嗚咽まじりに名を呼ぶ。


その瞬間――

漆黒の飛竜が一気に急降下し、城の外縁部に陣取る帝国軍の魔導師部隊に向かって、轟音と共に灼熱の業火を吐き出した。


「ぐあああああああああ!!」


「火だッ!飛竜が火を吐いてくる――っ!!」


地上でうごめく聖ルルイエ帝国兵たちは、突如降りかかった天の怒りに似たその一撃に、次々と焼かれ、混乱の声を上げた。


挿絵(By みてみん)




「援軍だ!!! 魔王軍の援軍だぞ!!」


誰かが叫ぶ。


その声に、城壁にいた兵士たちはまるで夢から醒めたかのように顔を上げた。


「見ろ! 空の中央に立つ、あの黒き装束の者……!」


兵士たちが指差すその先――

黒い双角の兜を戴き、真紅のマントを翻し、風を切って飛ぶ一人の人物。

その圧倒的な存在感と、魔力の奔流は、誰の目にも“ただ者ではない”と理解させた。


「……まさか……」


アルル女王もまた、思わず呟く。


「……あれは……魔王……いやハル様?」


セラが、言葉に詰まりながらも確かめるように答えた。


「……魔王様、なのですね……ハル様が……」


その瞬間、兵士たちの間から歓喜の声が湧き上がった。


「魔王様が来られたぞーーーッ!!」


「我らを見捨てなかった!!」


「魔王軍、万歳!!魔王様、万歳!!」


喜びと感涙、そしてどこか信じがたいような“神話の再現”を見るような眼差し。


**


魔王軍は次々と降下を始め、

大地を揺るがすような一斉攻撃が始まった。


不死騎軍が大地を踏み鳴らしながら帝国兵を蹴散らし、

上空からは飛竜軍が炎を撒き散らす。


そして――


「我が名は、魔王ルシファー――なり!!」


ハル子の声が空を裂き、全戦場に轟いた。

その声は、雷鳴の如く力強く、兵士たちの心に刻み込まれた。


「貴様ら、我が同盟国を襲ったその罪――魂に刻んで後悔せよ!!」


その一喝に、帝国兵の士気は音を立てて崩れ、

たちまち前線が瓦解(がかい)し始めた。


――戦場に希望が、降り立ったのだ。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ