表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/61

Chapter38【世界樹とクリスタル】

戦の終焉(しゅうえん)を告げる鐘が遠くで鳴り響いていた。


カルカソンヌ城の広間には、勝利の余韻とともに静かな癒しの気が流れている。魔王連合軍のもとには、アレッサンドリアから緊急輸送されたヒーリングジュースが大量に届き、それが戦場で負傷した兵士たちの手に次々と渡っていった。傷口はみるみるうちにふさがり、沈痛な(うめ)き声は安堵の吐息へと変わっていく。


トスカーナ大公国の軍師――あの太公望ですら、戦場で負った重傷をすっかり癒され、元のように軽やかな口調で部下に指示を飛ばしていた。


「まったく……このジュース、奇跡の飲み物だよ!」


苦笑しながらも、彼の瞳には生き延びた者の深い感謝が宿っていた。


やがて、王都奪還という一大偉業を成し遂げた魔王軍幹部とその同盟国の者たちは、カルカソンヌ城へと集結した。城下町では、昼夜の区別もないほどの熱気が渦巻き、人々が歓喜のパレードを繰り広げていた。道の両脇には鮮やかな旗がはためき、笑顔と涙が入り混じった群衆の中には、長きに渡って抑圧されていた民の姿もあった。


「獣王国バンザイ!」

「魔王様、ありがとう!」

「これからは平和な時代だ!」


そんな声が、万雷(ばんらい)の拍手とともに次々と沸き起こる。


パンッ――パンッ――


夜空に咲く花火が、祝祭(しゅくさい)の熱を一層高めた。鮮やかな光が音とともに天空を彩り、街の屋根の上で跳ねる子どもたちの歓声がこだまする。


その様子を、城の高台にある白亜のテラスから見下ろしていたのは、魔王ハル子とその側近たちだった。冷えた葡萄酒(ワイン)が注がれたグラスを手にしながら、ハル子は感慨深げにその光景を眺めていた。


「……これが、平和ってやつか」


思わずこぼれた独り言。誰に聞かせるでもなく、誰かに誇るわけでもない。だがその声には、確かに彼女の歩んできた長い旅路と、無数の苦難を超えてきた重みが宿っていた。


背後では、ケル、その隣で、ツァラトゥストラは落ち着きなく足をバタつかせながら、花火に合わせて「うわぁ」と歓声を上げていた。どこか無邪気なその様子に、重苦しい空気は溶け、平和という言葉がようやく現実味を帯びはじめていた。


遠くの街角では音楽隊が笛と太鼓を奏で、踊り子たちが炎の輪の中で華麗に舞っていた。祭りはまだ終わらない。いや――ようやく始まったのだ。


ユグドラシル獣王国、再びここに復活す。


そして、魔王ハル子とその仲間たちに訪れた、束の間の「祝福」の夜は、静かに、しかし確かに、その歴史に刻まれていった。


ハル子はゆっくりとケルの前に歩み寄ると、その小さな肩に手を置き、静かに語りかけた。


「ケルよ、そなたはここの王……この地を良く治めるのだぞ」


優しく、しかし確かな決意を込めた声だった。


ケルの耳がぴくりと揺れる。琥珀色の瞳を潤ませながら、彼女は不安げに顔を上げた。


「ハルと……お別れになるの?」


その一言に、辺りの空気がふと張り詰めたような気がした。


ハル子は静かに首を横に振った。


「お別れではない。そなたに会いに、私は毎月この地を訪れると誓おう」


その言葉に、ケルの耳がぴんと立ち、瞳が輝きを取り戻す。


「……うん!寂しいけど、毎月会えるなら……」


そう言って、彼女はハル子の袖をぎゅっと握った。まるで離れたくないという思いが指先に宿るようだった。


すぐそばでその様子を見守っていたツァラトゥストラが、片膝をついて頭を下げる。


「ケル様、今後私たちが補佐してまいりますので、ご安心を」


「そうだ、ヴァルフォレよ」


ハル子はくるりと振り返り、魔王軍百獣のヴァルフォレに声をかけた。


「そなたも姉と共に、このケルを補佐せよ!」


ヴァルフォレはにっこりと笑みを浮かべ、優雅に一礼する。


「はい! 微力ながら私も助けるわ……ケル」


その口調は体格にそぐわぬ、柔らかでオネエな言葉遣いだったが、どこまでも誠実だった。ケルも思わず笑って、こくんと頷いた。


ハル子は続けて、近衛騎士団の前に歩み出ると、声高らかに告げた。


「近衛騎士団長サン!」


「はっ!」


鋭く声を返したサン・ジョルジュが、直立不動で敬礼する。


「そなたをケル直属の近衛騎士団に任命する。今後は彼女の盾となり剣となり、その命を守り抜け」


サンは胸に拳を当てると、誓いのごとく高らかに叫んだ。


「はい! 魔王様! 私および近衛兵団四千名一同、ケル様を我が命を賭して守り抜きます!」


その声は城の壁に反響し、遠くの祝祭の音をも一瞬かき消した。ハル子はそれを聞きながら、少しだけ微笑んだ。


ケルは周囲を見渡した。ツァラトゥストラ、ヴァルフォレ、サン……自分を支える者たちがいる。胸の奥にまだ名残惜しさは残るが、不思議と心は温かく、確かに未来へと歩き出していた。


そして――その中心に、ハル子の残していく絆が、深く根を張っていた。


カルカソンヌ城の大広間。壁の外では未だ花火の音が鳴り響き、祝祭の熱狂が収まる気配はなかった。そんな中、魔王ハル子は一人一人に声をかけながら、戦の功をたたえていた。


「太公望よ……そなたの策は本当に見事であった。体のほうは大丈夫か?」


ハル子がその穏やかな瞳で問いかけると、やややつれた様子の太公望は深々と頭を垂れた。


「はっ……身に余る光栄。ですが、四聖賢サマエルの召喚獣――テューポーンには心底驚かされました……。まさか、あのような異形の獣を隠し持っていようとは……」


口元を引き締めながら語る太公望に、ハル子は静かに頷くと、視線をナージャへと移した。


「そして将軍ナージャ。まさかそちがあのサマエルを討ち倒すとは……見事であったぞ」


一瞬だけ誇らしげに眉を上げたナージャだったが、すぐにその顔を伏せて答えた。


「いえ……私よりも、この王都を無血で開城させた魔王様の御知略こそ、(まこと)に称えられるべきものでございます」


(いや…私は人助けしたら無血開城したというか…なりゆきで…)

とハル子は心で呟いた。


そんなハル子の気持ちとは裏腹に、その謙虚な言葉に、周囲の者たちは息を飲む。戦の英雄たちが互いを称え合う姿は、そこに立ち会う者すべての胸を打った。


そんな重厚な空気を破るように、ハル子はくすりと笑って次の名を呼んだ。


「ベリアルも、大活躍だったそうだな」


名を呼ばれたベリアルは、まるで子どもが褒められたように目を輝かせ、前に進み出た。


「はいっ!ありがとうございます!ご褒美は……その……できれば……抱擁を(たまわ)りたく存じます!」


ハル子は少し目を丸くし、すぐに小さく笑って頷いた。


「そうか……よいぞ」


次の瞬間、ベリアルはまっすぐに抱きついてきた。その豊かな胸がふわりと当たる――。


(……私、男に生まれていたら……こういうの、もっと得してたかもしれないな……)


そんな考えが脳裏をかすめた瞬間――。


「はい!終了です!離れなさい、ベリアル!」


リヴァイアの殺気を帯びた声が飛んだ。頬をぴくりと引きつらせたベリアルは、惜しげに離れる。


ハル子は苦笑しつつリヴァイアに目をやる。


「おお、リヴァイアも相変わらず無双だったとか……すごいぞ!」


褒められたリヴァイアは一瞬驚き、そのあと恥ずかしそうに視線を逸らしながらも、ぽつりと呟いた。


「私も……その……ギュッとしてほしいです」


言い終えた瞬間、顔が一気に赤くなる。耳まで真っ赤に染まっていた。


ハル子はくすぐったそうに笑い、そっとリヴァイアの手を取り、腕の中に引き寄せた。


「ふふ、よく頑張ったな」


その一言に、リヴァイアは恍惚とした表情で身を預けた――が、それも束の間。


「はい!終了ですっ!!!」


ベリアルがリヴァイアの手をぐいっと引っ張り、魔王ハル子から引きはがす。


二人の小競り合いを見ていたケルが、呆れたように、しかしどこか寂しげに呟いた。


「……女ったらし……」


その一言に、ハル子は片手でケルをひょいと抱き上げた。小さな体を腕に抱きながら、二人はテラスへと歩く。


夜空には二つの月が浮かび、その合間をぬって色とりどりの花火が打ち上がる。煌めく星々の海に、静かで温かな時間が流れていた。


「なあ、ケル。お前はちゃんと見ていたか?」


「うん……みんな頑張ってた。私も、頑張る」


「そうだ、それでいい」


魔王の腕の中で、ケルは満ち足りたように目を細めた。


この夜、ユグドラシルの空はどこよりも美しかった。



挿絵(By みてみん)




翌朝――


祝宴の余韻も冷めやらぬ朝。魔王ハル子一行は、王都カルカソンヌの城門前に姿を見せていた。柔らかな朝日が城壁を照らし、清らかな空気が新たな旅の始まりを告げていた。


「では、我々はトスカーナ大公国へ戻ります。またお寄り下さいね」


軍師・太公望が静かに頭を下げる。隣に立つ将軍ナージャも軽く礼をすると、二人は西へと歩みを進めていった。彼らの背に、風が吹き抜けた。



魔王ハル子は出立の命を下した。


「ヴァルフォレ、サン。王都の警備は任せた。帝国の動きが再び活発になる兆しがある……油断せぬように」


「御意!」

重厚な体格をしたヴァルフォレと、気品漂うサンが、膝をつき深く頭を垂れる。


続いて、影偵軍の軍長ビゼと、無言で整列していたゴーレム軍、その軍長である妖艶のメデューサ・ベリアルに視線を向けた。


「ビゼ、そしてベリアル。お前たちは魔王領へ戻り、拠点の防衛と再編を頼むぞ」


「……あ…わかりました‥‥魔王さま」

「お任せください、魔王様。その時は、またご褒美を下さい!」


それぞれの者たちは深々と一礼し、魔王領へと向かった。


こうして、ハル子のそばに残ったのは――


飛竜のリヴァイア、女王となったケル、総帥ツァラトゥストラ。

わずか四名となった一行は、遥かなる南の地――

世界樹ユグドラシルを目指し、静かに旅立った。


王都を遠く離れても、ユグドラシル世界樹は空を貫くように聳え、巨大なその姿は常に視界にあった。だが、その圧倒的な存在感は、逆に距離感を狂わせた。


「……近いようで、まるで届かないな」


リヴァイアがつぶやいたとおり、彼らはそこにたどり着くまで、さらに二週間の旅を要した。


そして、ついに――。


挿絵(By みてみん)


世界樹の根元、巨大な幹の根元に、それは存在していた。


大地と一体化したような、苔むした石造りの扉。紋様が刻まれたその扉には、どこか神聖な気配と重苦しい気圧が漂っていた。


「……この中に、クリスタルがあるのですね」


そう言いながら、リヴァイアがそっと手を扉にかざす。だが――。


バチンッ!


突如として彼女の体がはじき飛ばされ、空中で弧を描くように宙を舞った。


「リヴァイア!」


咄嗟に腕を伸ばし、ハル子が彼女を受け止める。


「大丈夫か?」


「は、はい……何かに、拒絶されたような……」


リヴァイアは驚きと戸惑いの混じった表情で扉を見つめた。


「これは……何かの封印か……」


ハル子が重く呟くと、ツァラトゥストラが少し前に出て言った。


「はい……この扉は、我ら獣人でも触れると吹き飛ばされます。私も、一度試しましたが……だめでした」


続けて、冷静な口調で付け加えた。


「帝国軍も、この扉を開こうと何度も試みました。強力な魔法、爆薬、魔道兵器……あらゆる手段が使われましたが、全てはじき返されました。まるで、世界樹そのものが拒絶しているかのように」


四人は、目の前の封印された扉を見上げる。


その奥には、確かに『七つのクリスタル』の一つが眠っている。だが、そこに至るためには――さらに深い謎と試練を乗り越えねばならない。


ハル子はゆっくりと息を吐いた。


沈黙の中、ケルが一歩、扉へと歩み寄った。


「……っ!」


彼女がそっと扉に触れると――ギィィ……という音を立てて、頑なだった石の扉がゆっくりと開き始めた。


「おおおおお……」


その場にいた全員が、目を見開いて声を漏らす。


「なんか……“触れて”って、誰かの声が聞こえたような……」


ケルが不思議そうに呟いた。


「ふふ、ならば遠慮は無用だな。さあ、入ろう!」


ハル子がにっこりと笑い、先頭に立って扉の奥へと足を踏み入れる。その背を追って、仲間たちも静かに中へと入った。


扉の内側には、神殿のような静謐(せいひつ)な空間が広がっていた。大地から伸びる巨大な根が天井を貫き、自然と魔力が混じり合った神秘的な雰囲気が漂っている。


そして――


その中央に、幾重にも絡みついた根に守られるようにして、一つのクリスタルが浮かび上がっていた。虹色の光を放ち、ゆらゆらと空中に揺れている。


「……これです!レペリオの水晶で見たものと同じです!」


リヴァイアが目を輝かせながら声を上げた。


「ふむ……確かに」


ハル子は慎重に根の隙間へと手を伸ばし、そっとクリスタルを手に取った。触れた瞬間、心地よい魔力の波が指先を通じて全身に伝わる。


「これで、二つ目……。残る一つは、レオグランス王国にあるクリスタルか」


ハル子がゆっくりと呟いた。


「では……いよいよ、ラ・ムウ様の復活が!」


リヴァイアが感極まったように言うと、ハル子は深く頷いた。


「うむ……長き眠りを終わらせる時が近い」


魔王ハル子は静かに頷いた。薄明かりが差し込む世界樹の根元、その荘厳な空気の中に、時代を動かす胎動(たいどう)が響いていた。


「さあ、リヴァイアよ。そなたは直ちに都市ジェリャバへ向かい、アンドラスに会うのだ。そして、レオグランス王国を守護するガブリエル殿に、我らが目的を伝え、クリスタルの拝借を願い出る使者を送るよう指示してくれ」


言葉の一つ一つが、使命の重さを帯びていた。


「さらにその後――ログエル王国にいる大魔道士、マーリン殿を、カンチェンジュンガ山へお連れ願いたい。封印を解く儀式には、彼の叡智が必要となるだろう」


「ははっ! その役目、しかと承りました!」


リヴァイアは目を輝かせ、魔王に深々と一礼した。そして、天を仰ぎ、大きく口笛を吹いた。


風を切る音と共に、灰銀(かいぎん)の鱗をまとったワイバーンが雲間から降り立つ。眷属の忠竜(ちゅうりゅう)である。リヴァイアはその背に軽やかに飛び乗ると、翼をはためかせ、北の空へと飛び立っていった。


その姿が空に溶けるまで、ハル子は無言で見送った。


やがて静寂が戻った時、彼女は自らの胸元に手を当てた。


「……それにしても。この封印、やはり……このペンダントの力なのかのう?」


首から()げたペンダントは、ほのかに青白い光を放っていた。


「おそらく……」


ツァラトゥストラが静かに答える。


「フェンリル様は、かつて代々の王の守護獣であり――そして、ユグドラシル世界樹の精霊獣でもあったと、古き書に記されています。その魂が、ケル様を導いておられるのでしょう」


「……ふふ。なるほどね」


ハル子は小さく微笑み、空高くそびえる世界樹を見上げた。その枝はまるで天へと続く階段のように伸び、風にそよぐ葉がささやく声を運んでくる。


ハル子は静かに歩を進めた。やがて、風が魔王の黒衣をなびかせ、世界樹の大地にさらなる足跡を刻んでいった。


(……そうだ、魔王城に控えているリリスも呼んでおかないと)


そんなことを思いながら、ハル子は小さく微笑んだ。


――その笑みには、次なる運命の扉を開く覚悟が宿っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ