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Chapter34【獣王国奪還作戦】

旧獣王国の象徴だったカルカソンヌ城は、いまや帝国の威光を象徴する城塞へと姿を変えていた。白亜の石材で築かれた新たな城壁は、昼の陽光を受けてまばゆいほどに輝いている。だがその華麗さとは裏腹に、城を取り囲む城下町はまるで迷宮のように入り組んでいた。狭く曲がりくねった路地が幾重にも連なり、侵入者の進路を封じる巧妙な罠となっていた。


カンカンカン――!


突如、(はがね)を打ち鳴らすような鐘の音が空を裂いた。音は城内だけでなく城下町全体に響き渡り、平穏だったはずの午後を戦時の緊迫感で染め上げていく。


「襲撃だ!レジスタンスの連中が来たぞ!」


兵士の叫び声が響き渡ると同時に、街の各所で黒煙と白煙が立ち上る。爆破された物資庫か、煙幕(えんまく)か。混乱の只中で悲鳴と怒号が交錯し、人々が路地へと逃げ惑う。


市場の屋台がひっくり返り、果物が地面に散乱する。屋根の上では、覆面姿のレジスタンスの一団が飛び交い、投擲(とうてき)した火炎瓶が次々と炎を生み出していく。


「隊長!兵舎の建物が焼かれました!」


帝国兵の一人が血相を変えて報告に駆け込む。その背後で、空を滑空する黒翼の影が一つ、また一つと増えていく。


旧獣王国の旗――金色の獅子を象った旗印が、白煙の中に翻っていた。


「また、襲撃です。東西南北すべての方角から煙が上がっております。今回は……かなりの大規模戦力と思われます」


報告に現れた兵士の声はわずかに震えていた。彼の背後では、城内の警報が鳴り響き、

武装した兵が忙しなく駆け回っている。


「ふむ……」


低く(うな)るような声が応じた。


重厚な黒い玉座に腰掛けていたのは、聖ルルイエ帝国の四聖賢の一人、サマエル。


その男は天使族でありながら、白銀の髪を風のようにたなびかせ、血の気のない白い肌を持っていた。その顔には、人の感情をどこか遠くで見物するような冷たい微笑が浮かんでいる。だが最も異様だったのは、その身を包む漆黒の重鎧(じゅうがい)であった。光を吸い込むかのような黒と、髪と肌の白が不気味な対比を成し、まるで堕天使のような威圧感を放っている。


「近衛騎士団4千を出せ。……それで収まるだろう」


まるで暇つぶしでもするかのような、ぞっとするほど軽やかな声でサマエルは告げた。


「ははっ!」


近衛騎士団長サンはかしこまり、一礼の後、足音も荒くその場を去った。


挿絵(By みてみん)


数分後、カルカソンヌ城の城門が重々しく開き、帝国の精鋭4千の兵が黒い軍旗を掲げて進軍を開始した。


金属の擦れ合う音、整然とした足音、甲冑の輝き。戦場へと向かう彼らの背には威厳が漂っていた。


そのすべてを、サマエルは玉座の上から、まるで観劇(かんげき)でもしているかのように見下ろしていた――その紅い瞳を細めながら。


しかし、城下町はまるで迷宮のように入り組んでいた。狭く入り組んだ石畳の路地が四方八方に延び、兵士たちの隊列は思うように機能しない。


敵を見つけても追いつけず、逆に視界を遮られ背後を取られる――人海戦術の限界が、ここに来て露呈(ろてい)していた。


「いたぞ!あっちだ!あの路地の先!」


兵士たちの怒声が飛ぶ。その先、(すす)けた壁の隙間から、ふいに“目”が現れた。


――ギラリ。


真っ赤な眼光が路地の影から浮かび上がると、闇そのものがぬるりと姿を現した。声を上げる間もなく、帝国兵たちは影に呑まれる。


それは、影偵軍が誇る精鋭暗殺部隊――シャドウレギオン。


人の姿を模した黒い幻影のような者たちは、音もなく路地を滑るように移動し、帝国兵をひとり、またひとりと拘束していく。その手口は鮮やかで、殺すでもなく、ただ無力化し、そして――


しばらくして、同じ場所に姿を現した兵士たちは、一見何事もなかったかのように見えた。


だが、その内の何人かはすでに“違う”存在になっていた。


――帝国兵が、シャドウレギオンにすり替わっていたのだ。


こうして数時間、帝国の討伐隊は城下町を右往左往し、煙と火と混乱の中で翻弄され続けた。だが、誰一人として、自軍の中に敵が紛れているとは気づいていなかった。


カンカンカンカンカン――


夕闇(ゆうやみ)が街を包みはじめたころ、城下町に再び鐘の音が響き渡った。


疲弊し、(すす)にまみれた討伐隊がカルカソンヌ城の城門へと戻ってくる。白亜の城壁は赤く染まる夕日に照らされ、まるで返り血のように見えた。


「開門せよ。討伐隊、帰還す!」


城門が(きし)む音を立てて開かれ、帝国兵たちは重い足取りで中へと入っていく。4千の兵が次々に通過し、城の中庭に整列していく。


だが、その中に――


本物ではない“者たち”が混じっていた。


黒い影を()した兵士たち――シャドウレギオンの者たち数百名が、鎧の中に潜み帝国兵に成りすまして城門を通過していた。


誰も気づかない。仲間と思って声をかける者も、疑いの目を向ける者もいない。なぜなら、そのすべてが「見た目通りの帝国兵」だったからだ。


彼らは黙々と割り当てられた持ち場へと散っていく。


兵舎へ、武器庫へ、食堂へ、見張り塔へ――


その影は、すでに城のあらゆる場所に入り込んでいた。


そして、誰も知らぬままに、カルカソンヌ城の内部に“静かな侵略”が完了したのである。






一方王都より西の都市セルチュクの前方には、どこまでも続くような広大な草原が広がっていた。


風が草をなびかせ、波のように揺れるその光景は、一見すれば穏やかにすら見えた。だが――その大地を、いま五万の軍勢が覆い尽くしていた。


南の空を見上げれば、そこには圧倒的な存在感を放つ一本の巨木が、遥か彼方まで天を突き刺していた。


――ユグドラシル世界樹。


神代の遺産と称されるその神木は、天と地、そして異界をも繋ぐ聖域の象徴。だがその神秘的な姿も、今は目前の戦の予兆に包まれていた。


魔王軍の黒紫の旗が草原に幾重にも掲げられ、燃え盛るかがり火の(あか)りが、夜の(とばり)を押し返すかのようにゆらめいている。


陣形は横一線の大規模な布陣。


中央に構えるのは、魔王軍百獣軍――ヴァルフォレ率いる2万の獣人軍。鋼鉄の甲冑に身を包み、規律正しく整列したその姿は、見る者に畏怖(いふ)すら抱かせた。


その最前線には、魔眼のベリアル率いる2万の混成軍(こんせいぐん)が展開。ゴーレムを主力とした軍団が、低くうなるように草原を踏みしめていた。


そして盟友となったトスカーナ大公国のナージャ将軍が、1万の槍騎兵を率いて布陣していた。彼らの軍旗は白と金に輝き、魔王軍の中にあって一際整然(ひときわせいぜん)とした印象を与えていた。


これら三つの軍勢が、今まさにセルチュク攻略のために集結していた。


夜風に吹かれながら、5万の軍勢は息を潜め、やがて始まるであろう戦の号令を待ち続けていた――






旧獣王国の王城――カルカソンヌ城では、沈黙の広間に冷たい空気が張り詰めていた。


四聖賢サマエルの玉座の前で、帝国近衛騎士団長サンが震える声で口を開いた。


「は、はい……その、昼に起きたレジスタンスの破壊活動でございますが……申し訳ありません、一人たりとも捕縛することが出来ませんでした……」


その報告が終わるや否や、玉座の男が静かに口を開いた。


「お前……家族はいるか?」


突き刺すような冷たい声だった。


「はっ……はい、妻と娘が……」


「うむ、その家族を(ただち)ちに処刑せよ!」


すぐ(かたわら)らに立つ衛兵に、何気ない調子で命じるサマエル。その顔には、まるで春の日の散歩でも楽しんでいるかのような、淡い笑みが浮かんでいた。


「なっ……! あの……私は……!」


言葉にならぬ声を漏らすサン。しかし、返ってきたのは、残酷な宣告だった。


「生きて、その汚名を背負え。貴様は死ぬには値しない。恥を背負い、地を這い、我が帝国に仕え続けるのだ!近衛騎士団長よ!」


その瞬間、サンの膝が崩れた。鎧の金属音が広間に虚しく響く。


彼はその場で泣き崩れた――己の無力と、家族を守れぬ無念に。


サマエルの白い顔が、ぞっとするほどの笑みを浮かべていた。


静まり返る王城の謁見の間。その重い空気を切り裂くように、兵士が駆け足で駆け込んできた。


「報告――ッ! 西のセルチュク草原にて、魔王軍と思しき大軍が進軍を開始しました!その数およそ5万!旗印は黒と紫……間違いありません。おそらく、次なる狙いはこの王都かと――!」


その声は焦りに満ちていたが、玉座に腰かけるサマエルは、まるで退屈を持て余しているかのようにゆっくりと目を細めた。


「五万……か」


唇が歪む。


「――ふはははは! ちょうどよい。鬱憤(うっぷん)を晴らすにはうってつけの相手よ!」


サマエルは静かに立ち上がる。その動作一つで、広間にいた者たちの背筋に冷たいものが走る。


「明朝、西へ進軍する。我が本隊八万――それにカマエル、貴様の重装兵三万。クシエル、貴様の炎軍三万――計十四万をもって、魔王軍を迎撃する!」


「敵将も兵も、一人たりとも生かすでない……!」


号令が響いた瞬間、広間は異様な熱気に包まれる。


「ははっ!」


左右に控えていたふたりの将が、一糸乱れぬ動作で胸に手を当て、深く頭を垂れる。


右には、紅蓮の鎧をまとった将軍・カマエル。赤鉄で作られたその甲冑は、まるで血潮を浴びて染まったかのよう。


左には、炎の(むち)を携えた猛将・クシエル。その瞳は燃え盛る(ほのう)のように揺れ、足元の石畳すら熱を帯びていた。


そんな中、玉座を振り返ったサマエルは、泣き崩れていた近衛騎士団長を指さした。


「……我が城の守りは、貴様に託す。近衛騎士団、四千――必ずや死守せよ」


「……!」


騎士団長サンは声を失い、目を見開いた。


だがサマエルは、その絶望すら楽しむように、にやりと笑った。


「せいぜい汚名を(そそ)ぐがよい。家族を失った男よ――」


こうして、王都カルカソンヌにて、血と鉄に染まる激戦の幕が切って落とされようとしていた。





明け方、曇天を裂くようにして、帝国軍十四万が西へと進軍を開始した。

その先頭には、白き髪を風になびかせた男――四聖賢サマエルが騎乗している。


「サマエル様、報告いたします! 敵軍、いまだ動かず。鶴翼(かくよく)の陣を敷き、草原にて我が軍を迎え撃つ構えです!」

と、駆け戻った斥候が息を切らしながら告げた。


「ふふ……少数で鶴翼とはな。包囲するつもりか? 兵法(ひょうほう)の『ひ』の字も知らぬ愚か者めが……」

サマエルは鼻で笑い、冷ややかに空を見上げた。

その瞳には、勝利の確信しかない。


やがて、帝国軍の先陣が草原地帯に突入する。

その光景は、まるで赤と黒の洪水。無数の槍が天を突き、旗がうねるように波打ち、地鳴りのような足音が響き渡る。





そして、帝国軍の目前に現れるのは――魔王連合軍五万。


彼らは一歩も動かず、静かにそこにいた。

鶴翼の形に開かれた陣形、その中央には重厚なゴーレムの壁が構え、背後に整然と控える獣人部隊。

さらに、その後方にひときわ目立つ黒紫の旗。魔王軍の象徴だ。


「……これは、罠ではないのか?」

女将、炎鞭のクシエルが思わず呟く。


「何を言う。罠を仕掛けるには、まず力が必要だ」

将軍、赤鎧のカマエルは冷たく返し、戦馬の手綱を締めた。


――魔王軍、五万。

――帝国軍、十四万。


誰が見ても、勝敗は明白だった。

だが、勝ち誇る帝国軍の足元に、わずかな不安の影が漂いはじめていた。

なぜなら、魔王軍は――一歩たりとも動かず、黙して構えていたのだ。


その静けさは、不気味さすら感じさせた。

風が吹き、魔王軍の黒旗(コッキ)(ひるがえ)る。

その下で、何かが(うごめ)いている――そう思わせる、沈黙。


その時、サマエルが高らかに吼えた。


「聞け、我が兵たちよ! 我らは神の加護を受けし聖軍、あやつら魔王の眷属は、地より湧いた悪鬼(あっき)にすぎん!

 我ら十四万、奴ら五万! この数の差こそが正義だ! 潰せ、焼き払え! 一人残らず滅ぼすのだ!」


「――全軍、突撃!!」


その咆哮を合図に、大地が揺れた。

十四万の巨塊が、怒涛(どとう)のように草原を埋め尽くし、魔王軍めがけて突進してゆく。


しかし、魔王軍はなおも動かない。

その静けさが、やがて帝国兵の胸を締めつけはじめる。


何かがおかしい――

それに気づいた時には、もう遅かった。



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