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Chapter30【レオグランス王国】

 レオグランス王国の都──「水とガラスの都」と呼ばれるその場所は、見る者すべてを魅了する美しさをたたえていた。透き通る水面には、空の蒼が映し出され、白く優雅な建造物の数々が反射してまるで幻想のように輝く。ドーム状の屋根にはガラスが多用され、光を受けてキラキラと七色に(きら)めいていた。


 この王国は、数千年の長きにわたり北方エルツ山地から産出される鉱石と宝石を交易の基盤とし、その莫大な富をもって都市を「美」の象徴として作り上げてきたのである。



挿絵(By みてみん)



 黒髪の青年──ハル(魔王ハル子)と、獣人の少女ケル、そしてトスカーナ大公国の道士ジャン・ズーヤーの三人だった。彼らは、女王からの招待によりレオグランス宮殿へと向かっていた。


 「ふえええ……なんか、キラキラしててまぶしいよ……」

 ケルが目を細めて呟く。


 「ははは、私もだよ。まるで宝石箱の中を歩いているみたいだね」

 ジャンも苦笑しながら、豪奢(ごうしゃ)な街並みを見渡す。


 「細部まで高価な石材が使用されているな……この装飾、並の技術ではない」

 ハル子は真剣な眼差しで建築を観察し、感嘆の声を漏らした。


 三人は輝く石造りの階段をゆっくりと登り、宮殿の入り口へとたどり着いた。そこでは、ファランドール七姉妹が整然(せいぜん)と並び、来訪者を迎えていた。


 「さあ、こちらです」

 と、優雅(ゆうが)な所作で次女・セラ・ファランドールが先導する。


 巨大な扉の前には衛兵たちが整列し、その一声で扉が音を立てて開かれた。中に広がっていたのは、まるで神殿のような神々しい空間だった。


 高くそびえる天井はガラス張りとなっており、日差しが優しく差し込む。床には深紅の絨毯が敷かれ、壁面には繊細な彫刻と豪華なタペストリーが施されている。西洋中世の宮殿を思わせる荘厳(そうごん)な雰囲気が、あたりを静かに包んでいた。


 両側には重装の兵士と華やかな衣装に身を包んだ貴族たちが並び、じっとこちらを見つめている。その中心、王座には女王が静かに座っていた。


 ──アルル女王。


 次の瞬間、彼女はすっと立ち上がると、まるで抑えていた感情が一気に溢れたように駆け寄ってきた。


 「は……ハル様……!」


 そのままハル子に勢いよく抱きつく。


 「うわっ……!」

 あたりがざわつき、衛兵や貴族たちがどよめく。


 「えへへへ……」

 ケルが面白そうににやける。


 「う……ううんっ!」

 ハル子が咳払いをして、何とか態勢を整える。


 我に返ったアルル女王は、頬を赤らめ、周囲の視線に気づくとあわてて離れた。


 「はっ……わ、私としたことが……」


 顔を赤らめたまま、女王は背筋を伸ばし、誇り高く王座へと戻っていった。


 王座の横には、威厳を(たた)えた二人の人物が立っていた。


 一人は白い(あご)ひげに茶色の短髪を持つ、初老の男性。年齢は六十前後と見られ、整った身なりと鋭い目つきからも、その立場がただ者でないことは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。いかにも国を支える宰相──という印象を与える人物である。


 もう一方には、まばゆい光を放つかのような神々しい女性が静かに立っていた。流れるような白銀の髪、清らかさを象徴するような白衣、その上に施された金糸の刺繍は、まるで天上の存在を思わせた。


 その女性が一歩前に出て、静かに口を開いた。


 「私はこの王国の守護騎士ガブリエルと申します。この度は、度重なる困難の中で、我が国のアルル女王陛下をお救いくださり、心より感謝申し上げます」


 その声は澄み渡る水のように透き通っており、ただ聞くだけで胸の奥が温かくなるような、癒しと威厳を兼ね備えた声音だった。


 続いて、初老の宰相も言葉を継ぐ。


 「こたびのご功績に対し、アルル女王陛下より、最大限の感謝をお伝え申し上げます。つきましては、こちらを拝受くださいませ」


 そう言うと、従者が一つの品を運んできた。それは上質な布に包まれ、大切に抱えられていた。


 「まずは──帝国に幽閉されていたイオ・ファランドール様の救出に際し、影にて尽力されたケル様へ」


 宰相の言葉に、ケルが目を丸くする。彼女に手渡された包みの布をゆっくりと解くと──


 中から現れたのは、銀色に光る、繊細な作りのネックレスだった。中央には小さな四葉のクローバーの飾りがついており、淡く光を帯びている。


 「これは“守護のネックレス”と呼ばれるものです。危機が迫った時、持ち主を護る魔力が発動します。必ずや、あなたの助けとなりましょう」


 と、ガブリエルが柔らかな微笑みで告げる。


 「ハル……つけて」

 ケルは恥ずかしそうに顔を赤らめながら、ハル子に差し出した。


 「ふふ……わかった」

 ハル子は優しく微笑み、ケルの首にネックレスをつけてあげる。その指先がふれた瞬間、ケルの耳がぴくりと動いた。


 「へへ……かわいい?」

 と、はにかみながら言うケルに、ハル子は思わず笑った。


 「うん、かわいいよ」


 四葉のクローバーの装飾がきらりと光を放ち、まるで二人を祝福するかのように輝いていた。ケルはとても喜び、はしゃいでいた。


 すると、ガブリエルは一歩進み出て、再び透き通った声で告げた。


 「それでは、帝国軍三千の兵を見事に蹴散らし、その軍略の妙を示された、トスカーナ大公国の道士──ジャン・ズーヤー殿に」


 従者が恭しく差し出したのは、布袋に入れられた一本の剣。その布を解くと、中からはどこか異形の風格を放つ剣が姿を現した。刃には奇妙な紋様が刻まれ、つばの形状は東方の龍を思わせる意匠で彩られていた。


 「これは『打神鞭(だしんべん)』という聖剣です。正しき心で振るうならば、軍を統べる者にとって何よりの助けとなるでしょう」


 その言葉に、ジャンは目を見開き、そして深く頭を下げた。


 「はっ……ありがたきお言葉……謹んで拝領(はいりょう)いたします」


 剣を胸に抱えたジャンの表情には、誇りと責任が宿っていた。


 ガブリエルは続ける。


 「そして──最後に。何度もアルル女王陛下をお救いくださった、最大の功労者たるお方……」


 会場の視線が一斉に、黒髪の青年──ハルへと集まる。


 「本来であれば、我が国の“クリスタル”を授けるべきところですが……事情により、それは(かな)いません。その代わりに、我が国が誇る秘宝を授けさせていただきます」


 白い布に包まれた長方形の小箱が運ばれ、ハル子の前で静かに差し出された。ハル子が布を取ると、そこには神々しい光を帯びた、金色の腕輪が現れた。


 「これは……?」


 思わずつぶやくハル子に、ガブリエルが微笑む。


 「この腕輪は、『ケリュケイオンの腕輪』と言い、死するほどの攻撃や魔法を受けた時、一度だけこの腕輪が身代わりとなってくれる腕輪。一度だけあなたの命を救う、この世界でたった一つしかない魔道具です。その力、きっとあなたの助けとなりましょう」


 「ほう……それは‥‥すごいな」


 ハル子は興味深げに腕輪を手に取り、そのまま右腕にはめた。金の装飾がぴたりと肌に馴染み、微かに光を放つ。


 驚きと共に言葉を漏らすハル子。その口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。衛兵たちも、貴族たちも、その姿に息を呑み──


 そして──拍手が、爆発するように広がった。


 「おおおおっ……!」


 貴族たちの賛嘆(さんたん)、兵たちの興奮が混ざり合い、王宮の大広間は拍手と歓喜の渦に包まれた。


式典はついに終演を迎えた。


 しかし宮殿の広間に鳴り止まぬ拍手。


 左右に控えていた衛兵たちが槍を地面に打ち鳴らし、後列の貴族たちは感極まったように立ち上がり、大きな拍手を贈る。石造りの天井にまで反響するその音は、祝福と称賛、そして長い歴史の終着と始まりを告げる鐘のようだった。


 そんな中ハル子のもとに、ガブリエルが静かに歩み寄ってきた。


 「さあ、ハル様。こちらへ」


 その声は穏やかでありながら、どこか切なげでもあった。


 ハル子はひとつ頷くと、拍手の中をガブリエルの後ろについて歩き出した。




 20時間ほど前──


 暗闇の中。雨の(しずく)が舞い散る木々の下で、サリエルは膝をついていた。彼の身体は、黒い瘴気(しょうき)に覆われてゆっくりと崩れつつあった。


 漆黒のフードを纏い、仮面で顔を覆った謎の男。男の放った一撃は、サリエルの魔力障壁すら易々と貫き一撃で気を失ったが、しばらくして目を覚ました。


 「ぐ……ッ……」


 呻きながら、サリエルは地を這うように手を伸ばす。黒い瘴気が皮膚を焼き、骨まで浸食しようとしていた。意識は遠のく。しかし、まだ終われない。


 「……我が最後の……魔法……」


 かすれた声で、サリエルは言霊(ことだま)(つむ)いだ。


 「──《ピジョン》」


 次の瞬間、彼の掌から淡い光が生まれ、やがてそれは純白の”鳩”へと姿を変えた。無垢なる羽音が、静寂の中に響く。


 サリエルは、鳩の目をじっと見つめた。そして、最後の力を振り絞り、(ひたい)に手を当てるようにして鳩へ魔力を込める。


 「伝えてくれ……兄者に……」


 すると、白い鳩の瞳が一瞬、血のように真紅に染まった。


 それを見届けると、サリエルはゆっくりと微笑んだ。


 「……これが……最後の仕事だ……兄者……すまん……」


 その言葉を最後に、サリエルの指先から力が抜け、地面へと落ちた。


 ──カシャン。


 手から転がった小さなペンダントが、石畳に静かに音を立てる。


 空高く、鳩はまっすぐ飛んでいった。






ガブリエルに導かれるまま、ハル子は西の塔の奥深くへと足を踏み入れた。


 そこはまるで異世界のようだった。塔の中心には、天井に届くほどの巨大な大溶鉱炉が鎮座(ちんざ)しており、赤く煮えたぎる液体や緑の不気味な薬品が絡み合いながら滴り落ちていた。金属の焼ける音と、かすかな(うめ)き声のような気配が、耳の奥に残る。


挿絵(By みてみん)


 「……禍禍(まがまが)しいな……」とハル子は小声でつぶやく。


 そんな空気の中、ガブリエルは静かに口を開いた。


「ファランドールのイオ‥‥”呪いの傷”を負っていた所、あなたが治したという報告を受けたのですが…貴方にはそのような事が出来る能力をお持ちなのですか…」


「いや…あれは私の友人が1本につき3年かけて作った究極のハイポーションなのだ…残存している3本すべてを託されて、1本目はすでに使用し、2本目もイオ殿に使用したまで…もはや残り1本となってしまったが…」

とハル子は丁寧に説明した。


「そんなものが…長らく生きてきましたが…初めて知りました。」

とガブリエルは(かしこ)まった。そして何か心に詰まったものを吐き出すかのように


 「貴方には、とてつもない力を感じます……だからこそ、今伝えねばならないことがあります」


 ゆっくりと大溶鉱炉の周囲を歩きながら、彼女は語り始めた。


 「遥か昔、この世界がまだ混沌に包まれていた時代。ある一人の男が、“ルルイエ教団”なる組織を立ち上げました」


 「ルルイエ教団……?」


 「ええ。その男、名を“エルシャダイ”と言います。彼は、人族こそが世界の選ばれた最上種であり、他種族は劣った存在だと宣言し、信者たちにそう刷り込んでいったのです」


 赤い液体が轟音を立てて溶鉱炉の底に落ちていく音が、語りに不気味な効果を与える。


 「やがて、教団は膨れ上がり、 “帝国”となりました。エルシャダイを頂点とする国家は、まるで機械のように秩序立ち、しかし歪な正義の名の下に他種族を排除し始めたのです」


 ハル子は、拳を握りしめながら聞き入っていた。


 「……その帝国を支えたのが、初代三聖賢と言われた。 “魔王ルシファー”、“勇者ミカエル”、そして“守護者ガブリエル”──それが、かつての私です」


 ハル子の目が大きく見開かれた。


 「ま、魔王ルシファーと……ガブリエル様が帝国の幹部……?」


 「……はい」


 彼女の目が伏せられ、少しだけ声が震える。


 「ミカエルは情熱的で、間違いを許さない完璧主義者でした。ルシファーは……不器用で、おっちょこちょい。でも、心の奥底が誰よりも()んでいた。だから私は……彼と恋に落ちたのです」


 「……え……」ハル子は息を呑み、思わず手で口元を覆った。


 「そして、私たちは“愛”を知った瞬間……エルシャダイによる“洗脳術”が解けたのです」


 淡く震える声でガブリエルは続ける。


 「目覚めた私たちは、エルシャダイの本当の姿を知りました。世界を塗り替えようとする、絶望的な計画。その全てが、理性ではなく、恐怖と支配で成り立っていた。だから私たちは、帝国を裏切り、北へと逃れたのです」


 そして、振り返る。


 「逃げ延びた先で築いたのが、ここ──レオグランス王国です。私たちは、過去を清算するために、真に“多種族共存”の理想を掲げた国を創りたかった」


 ハル子は静かに目を伏せた。どこかで聞いたことのあるような名前。けれど、それが、こんな悲劇の上に成り立っていたとは。


 「……あなたには、その意思を継ぐ資格がある」


 そう言って、ガブリエルはハル子の手をそっと握った。


「……貴方は、“アルティメット魔法”というものをお持ちでしょうか?」


 突然の問いかけに、ハル子は一瞬、言葉を失った。


「その魔法は、強大すぎるがゆえに、普通の魔力では決して発動できません。必要なのは――人ならざる魔力。すなわち、『クリスタル』です」


 ガブリエルはゆっくりと歩みを進め、大溶鉱炉の前で立ち止まる。そして、その巨大な(はがね)の器を手で示した。


「私たちは、共にアルティメット魔法の保持者でした。そして、その魔力の源となる“クリスタル”を探し続けました。長い長い旅路の果てに、たどり着いたのが……これなのです」


 ゴウゴウと音を立てる大溶鉱炉。その奥に、かすかに淡く輝く結晶体が、溶岩のような魔力の中で静かに脈動していた。


「……クリスタルは、自然に存在するものではありません。人工的に、“千年”の時をかけて一つだけ、作り出されるのです」


 「せ、千年……?」ハル子は息を呑んだ。


 「そんな時間を……一つの魔石に……」


 「はい。私たちはそれを、気の遠くなるほどの時をかけて、幾つも作ってきた。なぜなら、エルシャダイを倒すには、それほどの力が必要だからです」


 語りながら、ガブリエルの瞳が遠くを見つめる。


「ルシファーは、真の“アルティメット魔法使い”を求めて、世界中を旅しました。戦闘の天才ベルゼブル様、人族嫌いのオーガ族首領アスタロト、冥界から戻れなくなったアース神族ラ・ムウ……あらゆる力を集めるために」


 彼女はふっと息をつき、続けた。


「そして、私たちは悟りました。国が一つである限り、滅ぼされればすべて終わる。だから、国を分けたのです。ルルイエ帝国の迫害を受けた者たちの避難先、“レオグランス王国”。そして魔族によって築かれた、もう一つの砦“魔王国”。互いに手を取り、エルシャダイを打ち倒す――そのために、歴史は(つむ)がれてきたのです」


 ハル子は目の奥に焼きつくような光景を見ていた。過去の争い、苦悩、そして願い……そのすべてが、自分の前で語られていた。


 「……現在、この炉の中には、完成されたクリスタルが一つあります。そして、もう一つ……新たなクリスタルが間もなく完成を迎えようとしています」


 そして、ガブリエルは話題を変えた。


 「貴方は、“ヘルメス・トリスメギストス”という名をお聞きになったことが?」


 「はい。来る途中、フレダフォート遺跡を見て……あれは彼の放った魔法だと聞きました」


 「……ふふ、そう語り継がれているのですね。しかし――そのような“大魔導士”など、実在しません」


 「えっ……?」


 「“ヘルメス”とは抑止力、つまり幻想です。フレダフォート遺跡…あれは、エルシャダイが自ら軍を率いてこの地に攻め入ったとき、私が放ったアルティメット魔法ミティアライトの痕跡です」


 ハル子は、言葉を失ったまま立ち尽くした。


 「千年前の決戦……そして、私たちの最後の抵抗。あの一撃だけが、帝国の侵攻を食い止めたのです」


 重苦しい静寂の中、ガブリエルは微笑んだ。


 「今度こそ、“終わり”にしましょう。この世界を覆う、偽りの支配を」

とガブリエルはハル子を見つめた。


しばらく歩く二人


そしてガブリエルは聞いた。

 「……なぜ貴方は、クリスタルを望むのですか?」


 ガブリエルの瞳が、じっとハル子を見据えた。その問いかけは、魔力や使命ではなく――その“魂”の本質を問うているように思えた。


 (ここで本当のことを言えば、“魔王”だと露呈(ろてい)する……それに、私はルシファーではない。ここは…事実と嘘を重ねるしか……ない)


 一瞬の逡巡(しゅんじゅん)ののち、ハル子は静かに口を開いた。


 「……魔王様の命を受け、世界中を旅してクリスタルを探しております。……ラ・ムウ様が、帝国による封印術――クリスタルを用いた術により、カンチェンジュンガ山の氷石の中に封じられているのです」


 ハル子の語る声には、微かに震えがあったが、偽りを乗せない“真の思い”が込められていた。


 「西のログエル王国に仕える大魔導士・マーリン殿によれば、その封印を解くには“三つのクリスタル”が必要とのこと。すでに一つは帝国の地下大監獄より入手済み。もう一つは、ユグドラシル世界樹の根元に眠ると聞き及んでおります」


 ガブリエルは静かに頷いた。その表情には悲しみとも希望ともつかぬ、何か重い感情が宿っていた。


 「……そう。ラ・ムウ様が、今も……封じられたままなのですね……」


 ほんの一瞬、目を伏せたあと、彼女は大溶鉱炉の奥に目をやった。


 「ならば、貴方がユグドラシルの下に眠る”クリスタル”を手に入れた(あかつき)には……ここにある、このクリスタルを貴方にお譲りしましょう」


 ハル子ははっと顔を上げた。


 「それは……本当ですか?」


ガブリエルは、風の吹き抜ける塔の回廊に立ち、静かに空を見上げていた。

夕暮れの光が彼女の横顔を淡く照らし、黄金の髪をかすかに揺らしている。

沈黙の中、ふと口を開いた。


 「……あと三年。あと三年で、“八つ目”のクリスタルが完成する。

 このクリスタルは我が()()から頼まれていたクリスタル‥‥そのお方の救いとなるのです。」


 その声音には、歓喜でも誇りでもない、ただ静かな達成感が滲んでいた。長き年月の中で戦火を生き抜いた者だけが持つ、重く沈んだ眼差しが、空の果てを見つめている。


 ハル子は、少し迷いながらも言葉を紡いだ。


 「……あの」


 ガブリエルがゆっくりとこちらを振り向く。瞳はどこか遠くを見ているようだった。


 「なんでしょうか」


 「“八つ目”ということは……。私は世界には七つのクリスタルがあると聞きました。以前、西方の大魔導士マーリン殿から……七つ目のクリスタルを使えば、冥界から“創造神”が現れ、あらゆる願いが叶う、と――そんな話を、聞いたことがあるのですが」


 ハル子の声には、ただの好奇心ではない、何か確信に近いものが潜んでいた。


 ガブリエルは小さく息をつき、目を伏せる。


 「……その話は、作り話でしょう。

 誰かが夢想(むそう)し、それが物語として語り継がれたのでしょうね。

 人は、希望と恐れを物語に託すものですから」


 その口調は、まるで遠い昔の記憶を懐かしむようだった。真実を知っているのか、あるいは隠しているのか――それは表情の奥に隠されていて、読み取ることはできなかった。


 「作り話……ですか」


 ハル子は繰り返すように呟いた。風が塔の石壁にぶつかり、低く鳴る音が耳に届く。


 心の内では、何とも言えぬ感情が静かに渦巻いていた。


 (この世界の成り立ち。クリスタルの真の意味。そして、“人間こそ至高”を唱えるエルシャダイ皇帝の思想……

 どれもが傲慢(ごうまん)に見える。地球でも、そうだった。文明の頂点を自負した者たちは、いつも破滅を招いた。

 滅びの予感は、いつもその足音とともに訪れる――)


 そのときだった。


 ふと見上げた塔の天窓から、一羽の白い鳩が舞い上がるのが見えた。

 純白の翼を広げたその鳥は、まるでこの空間を祝福するかのように旋回し、やがて赤く光る双眸を(きら)めかせながら、空の彼方へと飛び去っていった。


 風の中に残された羽音と、胸の奥に残された違和感だけが、その場に静かに残っていた。


挿絵(By みてみん)


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