Chapter24【武術大会準決勝】
あれから五日が経過した。
聖ルルイエ帝国は、エルシャダイ皇帝の生誕祭を祝う一大祭典の真っ只中にあった。街には万国旗がはためき、人々の顔には笑顔が溢れている。広場では舞踏や劇、露店が並び、甘い菓子や香ばしい肉の香りが鼻をくすぐった。
その中でも、最大の注目を集めるのは――
**「天下武術大会」**である。
会場となる巨大な円形闘技場は、収容人数十万人を誇る圧巻のコロシアム。周囲は貴族と平民、兵士と旅人、さらには他国の使者らでごった返し、興奮と熱気に包まれていた。
観客席の一角には、修道士の姿をしたハル(魔王ハル子)が、獣人の子ケルを連れてひっそりと座っていた。その表情は冷静で、しかしどこか張り詰めた気配を漂わせている。
やがて司会者が現れ、朗々たる声で叫んだ。
「さあ、この度のエルシャダイ皇帝陛下のご生誕を祝し、盛大に開催される天下武術大会! 正面の貴賓席をご覧ください! そこには――同盟国、レオグランス王国よりアルル女王陛下がご臨席なさっております!」
貴賓席の注目が一斉に集まる中、ゆっくりと立ち上がったのは――
金髪に染めた長髪を優雅に靡かせ、小さな金の王冠を戴いた若き女王。碧色のドレスに純白のローブには金糸で豪奢な紋様が織り込まれ、背丈は低いが、その立ち姿には王者の威厳が漂っていた。
だがその美貌に浮かぶのは――わずかな陰り。不安と悲しみを内に秘めた、張りつめた笑みだった。
(ほほう……顔に出るタイプか、あの女王は)
ハル子は目を細め、観察するように呟いた。
司会者の紹介が続く。
「そして、中央におわしますは――我が国が誇る皇帝にして、ルルイエ教の教皇様でもあられる……エルシャダイ皇帝陛下!」
眩いスポットライトに照らされて立ち上がったのは、威容そのものの存在だった。
白銀に近い長髪を高く結い、金の留め具がそれを束ねている。衣には隙間なく金の刺繍が施され、背後には金色の光輪――まさしく神をも思わせる神聖な輝きが浮かんでいた。
観客席から一斉に湧き上がる歓声。
「エルシャダイ様ぁあああ!」
「皇帝万歳!皇帝万歳!」
にっこりと微笑むその姿には慈悲すら感じられる。だが――
ハル子の目は細められ、その瞳に不気味な影が映る。
(……不気味だ。あの微笑み……なにかが……)
背中に、ぞわりと悪寒が走った。
やがて司会者が円形の闘技場に上り、宣言する。
「さあ! 本日開催される武術大会は、数百人の精鋭たちが戦いを繰り広げ、ついに準決勝に進出した猛者四名が揃い踏みとなります!」
観客席からは、割れんばかりの拍手と歓声。
「まずは、準決勝第一試合――ご紹介いたしましょう! 我が国の誇る軍神、聖ルルイエ帝国軍・白翼の将――サリエル将軍!!」
その瞬間、観客たちの頭上から、まばゆい光が降り注ぐ。
――ゴウッ!
空より舞い降りたのは、白い翼を大きく羽ばたかせた異形の戦士だった。
白銀の髪に、蒼白い肌。牛のような二本の角が額に伸び、瞳は包帯で覆われている。翼は天使を思わせるが、どこか禍々しく、神聖と異形の狭間に立つような存在感を放っていた。
「盲目の将軍か……」
ハル子が低く呟く。
司会者は続ける。
「対するは、帝国軍第一師団、騎兵隊を統べる鉄壁の剣士――プラエファクトゥス隊長!!」
地鳴りのような足音と共に現れたのは、全身を黒鉄の鎧に包んだ重騎士。西洋の騎士を思わせる重厚な姿。右手に構えた巨大な剣を天に掲げる。
「うおおおおおお!!」
観客たちの歓声が一層大きく響く。
「それでは――試合、開始でございます!!」
――カァァン!!
巨大な銅鑼が鳴り響いた瞬間。
次の瞬間、空気が切り裂かれる音が響き、誰もが目を見張る間もなく――
ドォン!!
騎士の身体が吹き飛び、地に崩れ落ちていた。
会場に、信じられない静寂が訪れる。
「……勝者――サリエル様……」
司会者のかすれた声が、血の香りすら残る静寂の中に沈み込むように響き渡った。
次の瞬間、それは破裂するかのように炸裂した。
「うおおおおおおおおおお!!」
「やったああああああ!!」
熱狂の咆哮がコロシアムを包み込む。観客席は総立ちになり、空気が震えるほどの歓声が渦を巻いた。興奮に顔を紅潮させた民衆の叫びが、石造りのアリーナの壁を打ち、空へと放たれていく。
円形闘技場の中央には、ひとりの戦士が静かに立っていた。
白銀の鎧に血と土をまといながら、サリエルは剣を地に突き立て、わずかに息を吐いた。その顔には疲労の影ひとつなく、冷ややかな勝者の気品が漂っている。
貴賓席――その最上段に座するエルシャダイ皇帝が、ゆるやかに立ち上がる。その目は満足げに細められ、威厳ある微笑とともに、ゆっくりと拍手を送った。
サリエルはその視線をまっすぐ受け止めると、無言のまま胸に手を当て、深々と頭を垂れた。まるで神に捧げる祈りのように、静かで荘厳な所作であった…
――だが、観客席の一角。喧騒の中でただ一人、異なる空気を纏う者がいた。
ハル子は身をかがめるように座りながら、サリエルの姿を睨みつけていた。唇をかすかに噛み、膝の上で握りしめた拳がわずかに震える。
(……ほう。あれがサリエル……。噂以上の、化け物……)
その目には、不敵な闘志が宿っていた。
そして、司会者が再び興奮に満ちた声で叫ぶ。
「準決勝第2試合――登場するは謎の修道女、その名は……レン!」
その瞬間、会場がざわついた。観客席のあちこちから驚きの声が漏れ、次第に騒然となる。
「修道女?」
「女か?」
「あれが戦うのか……?」
フードを深く被ったレンの姿が、静かに闘技場へと歩み出ていた。
観客席の一角、ハル子は静かに目を細めた。
(そうであろうな……この舞台に、修道女の姿……それも女性。目立つのは当然だ)
司会者の声が続く。
「対するは、レオグランス王国が誇る王室直属の剣士―ファランドール七姉妹の長女でありアルル女王陛下の親衛隊の隊長…その名は…イリア・ファランドール殿!」
次の瞬間、観客席が爆発したかのように沸き立った。
「イリア様だ!」
「おおおお!」
「ついに見られるのか!」
白銀の甲冑に身を包み、蒼いマントをたなびかせた剣士が闘技場の反対側から現れる。白金の髪をなびかせ、その瞳には自信と闘志が宿っていた。腰に下げた剣は、王国騎士団の象徴たる名剣だ。
「それでは……試合、開始!」
――カァァン!!
再び大きな銅鑼が鳴り響いた瞬間、イリアが閃光のように駆け出した。
「はあっ!」
凄まじい速度で繰り出される一閃。だが、それをリヴァイア――修道女レンは、ふわりとした動きで紙一重に避ける。
観客が息を呑む中、イリアは次々と鋭い剣戟を繰り出す。息もつかせぬ攻撃の嵐。しかし、レンの動きは水面のように柔らかく、それでいて隙がない。
やがて隙を突いたレンが、まるで風のように体を旋回させ――
「はっ!」
平手打ちの一撃が炸裂。イリアの身体が宙を舞い、地に叩きつけられた。
「う……ぐっ……!」
膝をついたイリアが顔を上げたとき、レンは挑発的に手招きしていた。
「さあ……本気でいらっしゃい」
イリアは奥歯を噛みしめた。
「ならば……これでどうだ!」
彼女の手の中の剣がふわりと揺れたと思うと――残像が分かれた。二本の剣。二刀の光が交差する。
「ファランドール秘儀・二刀流!」
鋭い掛け声とともに、両手の剣が乱舞する。重ねられた技の波状攻撃に、レンもやや後退する。
「レンさん……押されてる……!」
獣人の子ケルがハル子の袖にしがみついた。
だがハル子は、不敵に笑みを浮かべていた。
「ふふ……遊んでおるな、あれは」
次の瞬間――
パシャァァァンッ!
鋭い一閃と共に、レンの手刀が閃いた。剣を握るイリアの腕に正確に打ち込まれ、その衝撃で剣が弧を描いて宙を舞う。
「……なかなかだったわよ、イリア殿」
空中の剣を無造作に拾い上げるレン。その姿には余裕すら漂っていた。
「さあ……次はどう出る?」
その言葉に、イリアは一瞬、貴賓席を見やった。
そこには、静かに見守るアルル女王の姿があった。目を閉じ、わずかに首を縦に振る。
イリアは深く息を吸い――静かに立ち上がると、背中から巨大な剣を抜いた。
「レオグランス秘宝、《不滅の刃デュランダル》……!」
観客が再びどよめいた。
「おお、あれが……!」
「伝説の聖剣……本当にあったのか!」
「ほぅ……あの有名な剣、実物を見るのは初めてだわ」
レン――リヴァイアは、まるで鑑賞するように剣を見つめ、口元をつり上げた。
次の瞬間、イリアが叫ぶ。
「ファランドール究極奥義!《アルターエゴ》ッ!!」
刹那、イリアの姿が七つに分裂した。
「なっ……!」
七人の剣士が、同時にレンへと襲いかかる。一糸乱れぬ連携。完全なる包囲。
だが、レンは静かに目を閉じ――
「……竜陣剣」
低く、呟いた。
次の瞬間、薄水色のオーラがその身を包む。
空気が弾けた。
閃光のような一閃――そして無数の残像が霧のように崩れ、地面に叩きつけられた分身たちは、ふわりと煙のように消えていった。
最後に残った一人――本体のイリアが、顔から地面に倒れ伏していた。
そして彼女の喉元には、レンの剣がそっと差し出されていた。
「……ま……参りました」
敗北を認める声が、観客の沈黙を破る。
貴賓席のアルル女王は、静かにその瞳を潤ませていた。
司会者が、震える声で告げる。
「勝者……修道女レン!」
爆発的な歓声が巻き起こる。
「レン様ぁああああああああ!!」
「な、なんて強さだ……!」
その中で、ハル子は口元に微笑を浮かべた。
(ふふふ……すべて、作戦通り)
だがその笑みが消えるより早く――背後から現れた黒装束の男が、低く囁いた。
「そろそろです……さあ、こちらへ」
無言で立ち上がるハル子。ケルを連れ、観客の喧騒を背に静かに席を離れる。
向かうは、地下――
聖ルルイエ帝国の闇を抱く、大監獄であった。




