Chapter20【レペリオの水晶】
海の香りとともに、アレッサンドリアからの大きな船がトスカーナの港に入港した。甲板には魔法の保存容器に収められたヒーリングカレーが山のように積まれ、街の広場では兵士や市民が長蛇の列を成していた。
中央広場では仮設の配膳所が設けられ、鍋から立ち上る芳醇な香りが人々の心を和ませていた。ひとさじ、またひとさじとカレーが配られるたび、倒れていた兵士たちの身体からは『薄緑色の癒しのオーラ』がふわりと立ち上がり、やがて喜びと安堵の声があちらこちらから沸き上がる。
「……よかった。間に合ったみたいだな」
魔王ハル子は、リヴァイアとともに高台からその様子を見下ろし、そっと息を吐いた。
(やっぱりナオヤの料理、すごいな)
ハル子が微笑みながら思った。
やがて、兵士の一人が駆け寄ってきて敬礼し、深く頭を下げた。
「魔王様、司令官シンより、大公閣下が面会を望んでおられます」
ハル子たちはその案内に従い、街の奥、ひときわ大きな建築物へと向かった。
そこにそびえ立つのは、まるで中国の古代要塞を彷彿とさせる荘厳な構え。数十段はあろうかという広い石の階段が、空へと続くかのように伸びていた。
「……なんて立派な建物。これ、ほんとに中に人住んでるの?」
リヴァイアがつぶやくと、ハル子は小さく笑った。
中に入ると掌サイズの赤い水晶が飾られていた。
(これがレペリオの水晶か‥‥意外と小さいな…)
と思いハル子とリヴァイアは眺めていた。
すると軍司令官シンが近づいてきた。
「それはシャオンの水晶といって、レオグランス王国から輸入したものです。映る者を空に大きく映し出し、話した言葉が拡声器の役割を果たす水晶で、珍しいものでもないのですが…まあ演説などで使える物なのですけどね。」
と言うと、さあこちらへと奥の通路へと案内された。
重厚な扉の前に立つと、トスカーナ大公が自ら姿を現した。年老いたその姿は品格に満ち、両手を丁寧に合わせて深々と頭を下げる。
「魔王様……さあ、どうぞ、こちらへ」
その後、大公の導きによって進むと、鉄でできた巨大な門が現れた。両脇には無言で立つ警護兵たち。大公が合図を送ると、兵士たちは重い鍵を回し、扉をゆっくりと開いた。
中に広がっていたのは、厳かな八角形の部屋。その中心には、荘厳な台座が据えられており、その上に置かれていたのは、約1メートルはあろうかという巨大な水晶だった。まばゆい光を内包するように、ゆらゆらと淡い光を放っている。
「魔王様……こちらが、レペリオの水晶にございまする」
トスカーナ大公が恭しく言う。
「ほほう……これが、万物の探し物の姿を映し出すという水晶か」
ハル子は一歩前に出て、水晶をじっと見つめた。光がその双眸に反射し、どこか神秘的な空気が流れる。
「はい。思いを込めて触れていただければ、その対象の姿が映し出されます」
そう説明した大公が、水晶にそっと手をかざす。
大公が静かに手をかざすと、レペリオの水晶が淡い蒼光を帯びて鼓動のように脈打ち始めた。
その光は、最初はただ柔らかな明滅にすぎなかったが、次第に部屋の空気そのものを震わせるように振動を伝え――やがて、空間に歪みが生まれた。
まるで水面に小石を投げたときのような、波紋が空中に広がってゆく。
透明だった空間が少しずつ揺らぎ、視界の中心が歪んでいく。
その中心から、ぼんやりとした影が浮かび上がる。やがて輪郭が明確になり――
現れたのは、薄暗い牢獄の一室だった。
重く冷たい石造りの床。鉄錆の匂いが映像越しに漂ってきそうなほど生々しく、天井からはぽつりぽつりと滴る水音が、音もなく流れる時を刻んでいた。
その中央に――一人の男がいた。
道士ジャン・ズーヤーである。
彼は壁にもたれかかり、ボロボロの服を身にまとい、足元には鋼鉄の鎖が巻かれていた。衣服の破れから覗く傷痕が、拷問の過酷さを物語っている。
背筋は曲がり、うつむいたまま動かない――だがその瞳だけは、かすかに、どこかを見つめていた。
水晶の映像は、ただの映像ではなかった。
部屋の空気が変わる。匂い、湿度、音、感情――それらが、魔力の波に乗って部屋全体に流れ込んでくる。
司令官シンが、はっと息を呑んだ。
そして一歩、また一歩と、吸い寄せられるように水晶へと近づいていく。
「…トスカーナ様…シン…ナージャ…」
映像の中、誰にともなく漏らされたジャンの声が、震えるように響いた。
たったそれだけの言葉に、軍司令官シンの顔が歪む。
「ジャン……っ」
拳を強く握りしめ、彼は奥歯を噛みしめた。幼き日より剣を学び、命を預け合った戦友。
その変わり果てた姿に、彼の胸は張り裂けそうだった。
「この場所……帝国の牢獄か?」
ハル子の声には冷静さがあったが、その胸の内には怒りがふつふつと湧き上がっていた。
「はい……あれは、帝国首都地下に存在する特別な牢です。最も危険な囚人を収容する、拷問施設でございます」
大公の声もまた重く、沈痛な響きを帯びていた。
リヴァイアが小さく息をのんだ。
「……人の仕業とは思えない。どうしてここまで……」
「皇帝エルシャダイ…彼は無類の拷問好きは有名です。毎晩のように拷問に立ち合いしては喜んで眺めているとか…」と言った大公は目を伏せていた。
「我が国トスカーナは、帝国からここ数年に渡り、幾度も襲撃を受けておりました。我らはそのたびに同盟国である魔王様に援軍を求めました‥‥が‥‥当時の鬼将アスタロト様が帝国の手にかかり亡き者とされ、魔王ルシファー様は……失意のまま、自室に閉じこもってしまったと‥‥報告を受けました」
トスカーナ大公の声は重く、そして続けた。
「魔王様の援軍も見込めない――その間、なんとか自国内の兵士を率いて、軍師ジャンの知略により、その侵略を幾度となく防いでおりました。帝国から見れば、我が軍師ジャンは帝国を苦しめた敵国の憎き捕虜という扱いなのでしょう……」
とトスカーナが語った。
ハル子はこめかみを押さえ、うんざりとした表情で内心ぼやいた。
(……はいはい、また本物ルシファーさんね。相変わらずがっかり魔王だな…それにしても帝国‥‥許せない…)
「つきましては、至急ジャン救出のため作戦会議を開きたく存じます。ぜひ魔王様のお知恵を――」
「会議など、いらぬ」
ハル子の声は、静かに、だがはっきりと響いた。
「我が手で……必ず救い出してみせよう」
その瞬間、部屋の空気が震えた。水晶がわずかに共鳴するかのように光を放ち、場にいた者たちが一斉に息を呑む。
「な……なんと!」
「恐れ多い……」
動揺する一同をよそに、シンが一歩前へ進み、膝をついた。
「どうか……お願いいたします。あの男は……我が心の半身。奴を失えば、私はもう……」
彼の声は震えていたが、その背筋は真っ直ぐだった。
ハル子はふっと口角を上げた。
「うむ、任せよ」
(って勢いで言ったはいいけど……うわ、完全にノープランだったわ。でも、あの指輪あるし? なんとかなるでしょ)
ポケットの中に触れた、あの三つの魔法指輪――それが、心にわずかな自信を与えてくれていた。
リヴァイアが一歩前に出て、興味深げに水晶を見つめながら言った。
「私も……少し触っても良いか?」
トスカーナ大公は満面の笑みで頷き、手を差し出す。
「ぜひ、どうぞお触りください。。貴殿の魔力に応じた反応を見せるはずです」
リヴァイアは軽く頷くと、ゆっくりと水晶へ手をかざした。
すると、水晶は彼女の魔力に反応するように淡く震え、柔らかな光が彼女の指先に吸い寄せられる。次の瞬間――空間にまた波紋が走り、景色が変わった。
浮かび上がったのは、まるで巨木の根の中に作られた神殿のような空間だった。
太く絡み合う根の隙間から漏れる陽光が、苔むした岩に柔らかく降り注ぎ、中央には神聖な祭壇に据えられたように、一つのクリスタルが鎮座している。
「どこだ? ここは……」
リヴァイアがつぶやくと、隣のトスカーナ大公が補足する。
「この映し出された場所を、少し大きく捉えるようにイメージしてみてください。全体像を思い描くのです。意識を集中すれば、水晶がそれに応えてくれます」
リヴァイアは軽く目を閉じ、呼吸を整える。数秒後、水晶がまた淡く脈動し始めた。
すると映像が広がり、視界の上方に巨大な大樹の幹が現れた。大地を貫き、天空へとそびえるその姿は、まさに神話の大樹…旧獣王国の南部にそびえ立っているものだ。
「こ……これは……世界樹ユグドラシルの根ですね……」
司令官シンが声を震わせながら言う。
「ほう、あの旧獣人国の南にそびえる世界樹か……」
リヴァイアが呟きながら、感嘆のため息を漏らした。
「他のクリスタルも……映し出せるのか?」
「はい。別のクリスタルを思い、その在処を願うように心の中で唱えれば、水晶は応えます」
トスカーナ大公が静かに言った。
リヴァイアは再び目を閉じ、今度は別の場所に意識を向ける。
すると、水晶が再び淡く揺れた。
今度は、壁一面に武具が整然と並べられた宝物庫が映し出された。
その中央に鎮座するクリスタルが、荘厳な存在感を放っていた。
映像がゆっくりと引かれていく。ガラス張りの天井、連なるドーム型の屋根、壮麗な建築様式――。
「これは……レオグランス王国の宮殿……」
トスカーナ大公が、思わず息を呑むように呟いた。
リヴァイアはさらに集中を深めた。
次に浮かび上がったのは、金属の板に囲まれた近未来的な空間。
歯車の音、蒸気の音、機械の駆動音――そこにまた、一つのクリスタルが大切そうに据えられていた。
映像が引くと、そこには煙が立ちこめるスチームパンク都市が広がっていた。空には飛行船が浮かび、小型飛行機が行き交っている。どこか十九世紀のヨーロッパを思わせる景観。
「ここは……?」
ハル子が訊ねると、大公が頷いた。
「私もある商人から聞いたことがあるのですが……おそらく、最北端の都市国家――ニタヴェリル共和国かと」
(以前、アンドラスが言ってたな……多種族が治める技術国家ってやつ)
ハル子は思い返す。
さらに、水晶の中に新たな映像が浮かび上がった。
今度は暗い、重苦しい雰囲気の地下空間。奥深くにひっそりと置かれたクリスタル。
その周囲には重厚な鉄の扉、厳重に警備された衛兵たち――
彼らは皆、金髪で豪華な鎧に身を包んでいた。
そして映し出されたのは、かの道士ジャン・ズーヤーが捕らえられていた同じ牢獄。
さらに映像が引くと、大聖堂のようなドーム建築が現れ、それを囲うように何十にも重なる建物群が連なる巨大な城塞都市が姿を現した。聖ルルイエ帝国そのものである。
リヴァイアが真剣な声で言った。
「……これで最後のようです。この世界に残されたクリスタルは、四つ。すでにラ・ムウ様の封印に使われたものが一つ。他の二つも、すでに誰かの手で使用されたとみていいでしょう」
トスカーナ大公も神妙な面持ちで続ける。
「最後のこのクリスタルは……帝国内、それも……シン殿が囚われている牢獄の内部にあるとは……」
「まさか……最初からそこまで読みきっていたのですか?」
リヴァイアが驚きに目を見開くと――
「ふふふ……すべては我の想定通りだ」
とハル子が不敵に笑う。
(えっ……今のマジで偶然なんだけど……まあ、一石二鳥だから、いっか)
ハル子は内心で肩をすくめた。
そして、静かに言い放つ。
「では、早速、明日の朝。聖ルルイエ帝国へ出立しよう」
「はいっ!」
リヴァイアが力強く返事をした。
(さあ……策はないけど……まあ、何とかなるでしょ)
ハル子は指輪に目を落とし、にやりと笑った。
(このチート指輪があれば、敵なしだしね!)
そして、誰にも聞こえないように心の中で呟いた。
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