Chapter2【最後の四天王】
魔王城に帰還するなり、石造りの廊下を靴音高く踏み鳴らしながら、一人の男が猛然と駆け寄ってきた。
黒衣に身を包み、影のように揺れるその姿――見覚えがある。
目覚めたときにそばにいた鳥の仮面、いや、ペストマスクの男。名はアンドラス。
「魔王様! 一体、なんてことをなさったのですか!」
ふだんは冷徹そのものの彼が、仮面の奥から今にも噛みつかんばかりの怒気を放ち、声を荒げていた。
その叫びは、怒りというより――悲鳴に近かった。
「……あの魔法は、強力ゆえに……寿命が、半分になるのですぞ!!
しかも、これで二度目……! 二度と、決して使用なさらぬよう、お願い申し上げます!」
アンドラスはその場にひざをつき、肩を震わせながら、まるで我が子の命を案じる親のように懇願した。
仮面に覆われた表情は見えずとも、その背中から、張り詰めた空気が痛いほど伝わってくる。
(――えっ?寿命が半分!?で、二度目……? そんなの、知らないけど。)
咎められたことに戸惑いながら、ハル子はゆっくりと胸元のコンソールに視線を落とす。
そこには、さきほど使用した魔法――《メメントモリ》の詳細が表示されていた。
【メメントモリ】
使用者の魔力の40%を消費し、前方3キロ圏内の生命体を昇華させる超威力魔法。
魔力消費は比較的軽微だが、発動のたびに使用者の寿命を半分削る。
※高位魔力者には無効。ただし、膨大な魔力によって貫通する可能性あり。
(……説明、めちゃくちゃ丁寧じゃん。
夢かゲームか知らないけど、UIの作り込みすごすぎでしょ。
てか、“高位魔力者には効かない”って……強いやつには通じないのね。)
妙に感心しながらも、ハル子はその文面をもう一度読み返す。
どうやら、自分の寿命は、すでに四分の一しか残っていないらしい。
けれど――。
現実味の薄いこの異世界では、それすらも遠い他人事のようだった。
まるで画面の向こうで展開されるRPGを眺めるように、ハル子はその事実を、ただ静かに受け入れた。
そんなふうにアンドラスとやり取りをしていたそのとき――
突如、外から激しい音が響いた。
風を裂くような重低音。幾重にも重なる羽ばたき。空気そのものが揺れ、窓がわずかに軋む。
何かが――近づいてくる。
羽ばたきの数は一つではない。
複数の、巨大な何かが空を舞い、魔王城へと向かっているのだ。
アンドラスは仮面の奥で眉をひそめ、すぐさま踵を返した。
「こちらへ」
導かれるまま、ハル子は城の南側に設けられた巨大なテラスへと駆け出す。
そこは、まるで軍用ヘリポートのような広さを持ち、空を一望できる展望の場だった。
息を呑む。
空が、裂けていた。
遥か雲の彼方から、黒い影がいくつも出現し、隊列をなして魔王城へと迫ってくる。
その中央――ひときわ大きな飛影が、燦然と空に君臨していた。
漆黒の鱗は、まるで磨かれた黒曜石。
日光を浴びて妖しくきらめきながら、ゆっくりと翼を翻し、こちらへと降下してくる。
「……あれは……ドラゴンか?」
呟いたハル子の声が、風にかき消されそうになる。
アンドラスがその姿を認め、小さく、しかし確信を込めて告げた。
「――四天王、リヴァイア様です」
その言葉を聞いた瞬間、ハル子の身体からすっと力が抜ける。
知らず知らずに緊張していた肩が、安堵とともに緩んでいく。
味方であるとわかってもなお――
その存在がもたらす威圧感、そして空を支配する飛翔の迫力に、ただただ圧倒されるしかなかった。
やがて――
黒き飛竜が、風を巻き上げながらテラスへと降り立った。
その着地の衝撃で、床石が微かに震え、周囲の空気が一瞬ざわめく。
竜の背から、ひとりの人物が音もなく舞い降りる。
その動きは、あまりにも優雅で、あまりにも静かだった。だが、確かな威厳をその身に宿している。
長く艶やかな黒髪が風に揺れ、漆黒の甲冑が陽光を受けて鈍く輝く。
腰には一本の刀。鞘から抜かずとも、ただ携えているだけで圧倒的な気配を放っていた。
身の丈は180センチを優に超え、しなやかな体躯には一分の隙もない。
そして――切れ長の双眸。
その目には、氷のように冷たい静寂と、決して消えぬ炎のような情熱が、同時に宿っていた。
(……わぁ……綺麗……)
ただただ、見とれるしかなかった。
美しさと強さ。静けさと激しさ。そのすべてが、矛盾なく彼女の中に同居している。
やがて彼女は、まっすぐにこちらへと歩み寄り、片膝をついた。
その所作さえも、美しく、完璧だった。
「――魔王軍四天王。飛龍軍・軍長、リヴァイア。
このたびの号令を受け、援軍として参上いたしました」
凛と澄んだその声が、テラスの空気を切り裂く。
まるで剣を振るったかのような鋭さと、胸に響く重みがあった。
とっさに、ハル子は反射的に言葉を返した。
「わざわざ……ご足労かけて、ありがとう!」
しかし――その一言を聞いた瞬間、リヴァイアの双眸が鋭く細められる。
「……この偽物め。貴様は何者だ!」
怒気を孕んだ声が、空気を震わせた。まるで雷鳴のような衝撃。
その視線は、鋼の刃にも似て容赦がない。
突然の詰問に、ハル子は口を半開きにしたまま、ただぽかんと立ち尽くす。
(……いや、そうですけど。偽物ですけど。
なんかごめん、私が一番分かってる……)
そんな情けない本音が、心の奥で虚しく響いた。
沈黙が場を凍りつかせる中、やや呆れたような声が割って入る。
「おやおや。揉め事が起きたときは、魔王軍の掟をお忘れなく」
そう言ったのはアンドラスだ。
黒衣の裾をなびかせ、肩をすくめながら、どこか楽しげな口調で続けた。
「――決闘により、真偽を決する。これが我らの習わしですよ」
リヴァイアは一瞬だけ沈黙し、そして冷ややかな笑みを浮かべる。
「……面白い。アンドラス、闘技場の用意を」
その背中に、黒いマントが翻る。
「この偽物の皮を……この手で剥いでくれよう」
言い捨てるようにそう告げると、リヴァイアは一歩もためらわず、テラスを後にした。
その背中から放たれる殺気の余韻が、なおも空気を震わせていた。
……風、冷たすぎんか?
ハル子の心に、そんな乾いたツッコミが虚しく浮かぶ。
だがその視線はもう、逃げ道ではなく――闘技場という現実へ向けられていた。
アンドラスが再び足音も静かに近づいてきた。
その仮面の奥から放たれる気配には、揺るぎない決意が込められている。
「魔王様……数十年ぶりに、外へ出られたのです。
ここはリヴァイア様を圧倒し、我こそが復活した“魔王”であると、全軍に知らしめる好機ですぞ」
その声音は熱を帯びていた。
仮面越しでもわかるほど、彼は本気だった。
(……いやいや、そんな軽く言うけどさ……)
内心で冷静かつ激しくツッコミながら、ハル子は思わず尋ねた。
「……その、リヴァイアって。どのくらい強いの?」
アンドラスは、ほんのわずかに沈黙し、そして静かに、重く言葉を紡いだ。
「魔王様……その強さを最もよくご存じなのは、他ならぬ貴方です。
かつて、リヴァイア様を“魔王軍四天王”に任命されたのは、復活前のあなたなのですから」
「……それで? 彼女ひとりだけ?」
ハル子が引っかかったように問い返すと、アンドラスは一歩近づき、言葉を低く続けた。
「……今や、リヴァイア様は“最後”にして“唯一”の四天王なのです」
「……最後?」
その一言が、耳に刺さるように響いた。
そしてアンドラスは、重く、暗く、遠い過去を語り始めた。
「お忘れかもしれませんが――
数十年前、都市ジェリャバにて、“鬼将”アスタロト様が帝国の勇者ミカエルに討たれました。
筆頭“四天王ベルゼブル”様はその後、消息を絶ち……
“大魔導士、不死のラ・ムウ”様は、帝国の策略により、南方の山中に封印されております」
その声は淡々としていたが、言葉の一つひとつが棘のように胸に刺さった。
「……つまり、現在実働可能な四天王は、リヴァイア様ただ一人なのです」
(いや、四天王って“四人”いるから四天王なんじゃないの?
まさかの“ワンマン王政”になってるじゃん……戦力やばすぎる……)
ハル子の心の中で、静かに非常ベルが鳴り始めた。
ふと、ハル子の胸に、どうしても拭えない疑問が浮かんだ。
それは先ほどから喉に引っかかっていた小骨のような違和感だった。
「……それでさ。
どうしてリヴァイアは、私のことを“偽物”だなんて、あそこまで怒ったのだ?」
その問いに、アンドラスは珍しく言葉を詰まらせた。
仮面の奥で眉をひそめ、やや困ったような口調で答える。
「……申し上げにくいのですが……
魔王様はここ数十年、玉座の間どころか部屋から一切お出にならず……」
「え?」
「拝謁できたのは、魔王軍幹部のごく一部に限られておりました。
ですが……その間も常にご機嫌は悪く、感謝や労いの言葉は皆無で……
誰かに気を遣うことなど一度もなく、まして褒めるなど……到底考えられぬことだったのです」
「…………なるほどね。合点がいったわ」
ハル子は納得したようにうなずき、目を伏せた。
――つまり、前世の魔王。
数十年間も引きこもって、他人の労をねぎらうことすらできない、こじらせ全開のヒステリー男子だったってわけだ。
(……最低か)
思わず、深いため息がこぼれる。
でも、だからこそ――はっきりした。
(よし。決めたわ)
もう“魔王”の演技なんてしない。
肩肘張って、威張り散らすだけの誰かをなぞる必要なんて、どこにもない。
私は――池沢ハル子。
ありがとうも言うし、褒めることもする。
一人ひとりを見て、ちゃんと歩いていく。それが、私なりの魔王道。
静かに、しかし確かな決意を胸に刻み、ハル子はゆっくりと歩き出す。
向かう先は、決闘の場。
偽物と呼ばれたその足で、真実の“自分”を証明するために――
闘技場への道を、迷いなく進み始めた。
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