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Chapter15【海洋都市アレッサンドリア】

潮風が肌をでる中、魔王ハル子一行は重厚な石造りの城門をくぐった。海洋都市アレッサンドリア──白と青のタイルで飾られた街並みが夕陽に染まり、港からは魚介とスパイスの入り混じった香りが漂ってくる。


門の先で彼らを待っていたのは、絹のマントを羽織り、金や宝石を身につけた貴族風の男たちだった。その姿はどこか疲弊ひへいしながらも、どこか希望の光を見つけたような眼差しをしていた。


「新しい支配者に──我らより歓迎の意を」


一人の年嵩としかさの男が、声を張り上げた。周囲の貴族たちも一斉に頭を垂れる。


「え、支配者? なになに……?」


ハル子は困惑した表情を浮かべ、ルイと顔を見合わせる。


しかし──


「いや、我は魔王ルシファー。この都市アレッサンドリアを、聖ルルイエ帝国の支配より解放しに参ったのだ──」


と、ハル子は背筋を伸ばし、重々しく言い放った。海から吹き上がる風がそのマントを揺らし、威厳あるその姿に貴族たちは息を呑む。


「え……本当ですか……! それでは、奴隷や、捕らわれた者たちは……」


希望に満ちた声で、若い貴族が言った。


「ああ、そうだ。今この時より、すべてを解放せよ!」


その言葉に、空気が震えた。城門前にいた貴族たちが、一斉に膝をつき、涙ながらに叫ぶ。


「おおおお、救世主……いや、慈悲深じひぶかき魔王様……!」

「この都市に、再び光が戻った……!」


(え……どんだけ聖ルルイエ帝国って悪い国なんだ……)


ハル子は内心で呟く。帝国の悪名の深さに、逆に驚かされていた。


その時、一人の初老の男が前へ進み出て、ハル子の前にひれ伏した。


「あの……慈悲深き神──様。お願いがございます……」


「神ではない。魔王である。で、願いとは?」


男は涙を拭いながら、震える声で語り出した。


「実は……無実の罪で投獄とうごくされた者が、この街の地下牢に閉じ込められているのです。その中でも特に……領主であらせられるアレッサンドロ13世様が、鉄の檻の中に……。我らも何度か救い出そうとしましたが、その檻は鍵穴すらなく、尋常ならざる魔術で封じられております。ですが、魔王様の御力ごりきならば……!」


「うむ……それでは案内してもらおう」


そう口にしたものの、ハル子の心には一抹の不安がよぎっていた。


(檻を破壊って……私の体格みてそう思っただけでしょ?)

と呟いた。


街の中心部に、苔むした赤茶のレンガ造りの建物があった。無骨ぶこつな鉄扉に囲まれ、周囲からは不自然な静けさが漂っている。明らかに、ここが罪人収容所──かつての領主たちを幽閉ゆうへいする場所だ。


「こちらです……魔王様」


ヨハネスと名乗った男が、重々しい扉を開き、先導する。中は冷たい石の階段が地下へと延び、かすかに蝋燭ろうそくの灯が揺れていた。


石壁に染みついた湿気と血の匂い。誰かの呻き声が遠くから微かに聞こえる。ハル子たちは沈黙の中、地下へと足を進めた。


──そして。


長く続く牢獄の最奥、そこに異様な重圧を放つ牢屋があった。他と明らかに違う。鉄格子は腕ほどの太さで、かせの部分には魔法陣が微かに脈動している。誰が見ても、特別な存在を閉じ込めるための檻だった。


「領主様……今、助けに参りました」


ヨハネスが祈るように言うと、牢の中からくぐもった声が返ってきた。


「……うん……ヨハネスか……もう……この牢は開くことはかなわぬ……あきらめてくれ……」


鉄格子の奥から姿を現したのは、肩まで伸びた栗毛と、口元に茶色い髭をたくわえた中年の男だった。やつれ、痩せ細り、頬はこけていたが、その瞳にはわずかに誇りの光が残っている。


「さあ……魔王様……どうか……お願いします……!」


ヨハネスが、ふたたび深く頭を下げた。


「うむ……」


ハル子は静かに応えたが、その表情が一瞬歪む。唇をかすかに噛み、右脇腹を押さえた。


(……くっ、やっぱり……まだ脇が……折れてる……)


地面を蹴るだけでも痛む体をだましながら、彼女はそっと片手を牢にかざした。指先から力を集中させる。


(確か……コンソールにあった……そうこれ金属を破壊する魔法……)


静かに息を吸い、呟いた。


「ディストラクション──」


その瞬間、ハル子の手が青白い光を帯び、まるで波紋のように牢へと広がっていく。魔法陣が逆流するように脈動し、鉄格子全体が震え始めた。


──パリンッ!


鈍い金属音とともに、牢の格子が粉々に砕けた。金属片は霧のように塵と化し、ただの空間へと変わる。


「おおおっ……! なんという力……これこそ……神の御業……!」


ヨハネスが震える声でつぶやいた。後ろにいた兵士たちも、目を見開いている。


牢の中から、アレッサンドロがゆっくりと立ち上がった。拘束の鎖は砕け、光に照らされた彼の顔には、弱々しいながらも微笑みがあった。


「……ありがとう……魔王様……あなたが……救ってくれたのですね……」


掠れた声は、ハル子の心に静かに染みた。


彼女は軽く頷いた後、再び脇腹を押さえ、ふらりとよろめく。


(……無理しすぎたな。早く横にならないと……)


しかし、アレッサンドロがその様子を見逃すはずもなかった──。


夜の帳が街を包み始める頃──魔王ハル子一行は、アレッサンドロ邸へと招かれていた。


石畳の中庭を通り、屋敷の正面玄関に入ると、執事が丁寧に一礼して迎える。内装は上品で、過度な装飾はないが、長い歴史と品格を感じさせる空間だ。


窓辺に立ったハル子は、ふと外に視線を送る。そこには、内壁の上を行き交う黒衣の兵影──シャドウレギオンの姿があった。彼女の命を受け、海上都市の警備を担っている影の軍団。その姿に、わずかに安心した。


「こちらへどうぞ」


執事に案内され、一行は奥の大広間へと進む。そこには、豪勢な食卓が用意されていた。長く磨かれたテーブルの上には、銀の蓋がかぶせられた皿が整然と並び、煌びやかなワイングラスが光を反射していた。


上座を勧められ、魔王ハル子と蟲王ルイが並んで座る。その隣には、三姉妹のメラ、メル、メロ。そして対面には、ガーラとビゼが静かに腰を下ろした。


間もなく、料理を運ぶためのメイドたちが入室する。彼女たちは揃いの黒いドレスに身を包み、無駄のない動作で食卓を整え始めた。


そのとき──


「皆様、ようこそお越しくださいました」


低く、しかし品のある声が響いた。


髭をきちんと剃り、整った礼装に身を包んだ男が現れる。やつれた面影は消え、気品ある微笑みをたたえたその男こそ、この都市の領主・アレッサンドロだった。


挿絵(By みてみん)


「このたびは……都市アレッサンドリアの解放、そして私の命まで……。魔王殿、そしてその御軍に、我が領民を代表して心より感謝申し上げます」


彼は深く、心からの礼を込めて頭を垂れた。


「ささやかではありますが、今宵の料理は私が心を込めて作りました。どうか、お口に合えば幸いです……」


そう言って、彼はメイドたちに合図を送る。


カチャリ──


銀の蓋がいっせいに持ち上げられる。


その瞬間、香ばしく甘辛い匂いが食堂中にふわりと広がった。


「これは……!」


目を見開いたハル子の前には、炊きたての白米、そして生姜焼きが丁寧に盛られていた。つややかな米粒、油をまとった肉からは、懐かしい家庭の香りが立ち上っている。


「……では、いただくとしよう」


ハル子が静かに言うと──


「いっただきまーすっ!」


とメロが元気よく声を上げ、勢いよくフォークを手に取った。


ハル子もナイフで肉を切り、ご飯の上に乗せて、一口……。


「……う、うまい……っ」


口いっぱいに広がる懐かしい味。思わず目を細め、天井を仰ぐ。すると──彼女の体が、ふんわりと『緑色の光』に包まれた。


「なっ……これは……?」


「それは……私の魔法の効果です」


アレッサンドロが恐縮したように説明する。


「私の持つ魔法は“治癒ヒール”でして。私が調理した料理には、自然と治癒ヒール効果が宿るのです。疲労、傷、毒、炎症──ある程度の状態異常は、食事によって回復できるようになっております」


「治癒魔法……!? それはすごい……!」


蟲王ルイが目を丸くし、言葉を継いだ。


「……ご存知ないかもしれませんが、この世界では、治癒ヒールの能力を有して生まれる人間は極めて稀なのです。白髪で生まれる者は千年に一人。そして、治癒の力を持って生まれる者は──三千年に一人と言われております」


その場の空気が、思わず静まり返る。


「そ、そんなに……貴重な人だったのか……」


と、ハル子は小声でつぶやいた。


(ていうか……この世界、治癒士ヒーラーや治す魔法ないのかよ!?)


思わず心の中で突っ込みながらも、彼女は再びナイフとフォークを手に取る。


確かに、痛めた脇腹の痛みはもうほとんど感じない。ただ、体力や魔力はまだ限界に近いまま。それでも、回復の兆しは明らかだった。


その後、一行はワインを片手に談笑し、しばしの平穏を楽しんだ。戦の傷をいやす夜。魔王にとって、束の間の安息のときだった──。





宴の喧騒けんそうがひと段落し、ハル子はそっと席を立った。


酔い覚ましのために出たテラスには、夜風が穏やかに吹き抜けていた。潮の香りを含んだ風が頬を撫で、遠くからは静かな波音が街を包んでいた。星々がきらめき、漆黒の海と夜空の境は曖昧だった。


その縁に立つ一人の男──


「……よい夜ですね、魔王殿」


そう声をかけてきたのは、領主アレッサンドロ伯爵はくしゃくだった。


肩の力を抜いた穏やかな表情。さきほどの饗応きょうおうとはまた違う、素の顔だった。


「……そちの生姜焼き、久しぶりで旨かったぞ」


ハル子は肩を揺らして笑いながら、そう言った。


「“久しぶり”……ですか。もしかして……魔王様も“転生者”では?」


その一言に、ハル子の肩がピクリと揺れた。


ギクッ、と心の奥に響いた言葉。


「……あ、いや……その……」


動揺するハル子に、アレッサンドロは柔らかく笑って首を振った。


「実は私は、地球という星の“日本”という国に住んでいました。信じ難い話でしょうが、ある日目覚めた時には、私はこの街の海辺に倒れていたのです」


彼は、静かに語り出した。


「20年前──私は『和戸ナオヤ』と名乗っておりました。ここで、生活を余儀なくされた私は、漁村で力仕事を手伝いながら生きていました。そしてある日、偶然、自分が作った料理に“癒し”の力が宿っていることに気付いたのです」


ハル子は息を呑んだまま、耳を傾けていた。


「その噂を聞きつけた先代領主、アレッサンドロ・バストーニ伯爵から屋敷に呼ばれました。彼の娘、カミーユ嬢が呪いの病に苦しんでいたのです。私はいつもの様に、味噌汁のようなスープを飲ませました。しかし、いつもなら治るはずのものが治らなかったのです。色々と試したのですが、その中で、手作りで3年熟成させた葡萄酒ワインを飲ませたのです。……すると、その一杯で、彼女の病は奇跡のように全回復したのです」


そしてアレッサンドロは少し目を細めて言った。


「料理長として屋敷に迎えられ、いつしか……カミーユ嬢と心を通わせるようになりました。義父である伯爵も、そのえんを喜び、私はこのアレッサンドロ家の婿養子となったのです。今の名は、その時に授かったものです。そして、昨年、領主である義父が亡くなり、今はこの地の領主として、私がこの地位についているのです…」


淡々と語られる過去。しかしそこには深い因縁と、異世界での「生き方」があった。


ハル子はしばらく黙っていた。


(転生者か……)


胸の奥がざわめいた。


(私が今ここで自分の素性を明かせば、魔王軍そのものの求心力に関わる。そもそも……私は“本物の魔王ルシファー”ではない。偽物ルシファーなのだ……)


思わず転生前から有していたスキル…「空気を読むスキル」が発動する。


「……そなたも、苦労をしたのだな」


そう言って、ハル子は軽く頷いた。それがすべての答えだった。


「ところで……何かお礼をしたくて」


アレッサンドロが話題を変える。


「それなら、私と一緒にログエル王国まで来てほしい。あそこも聖ルルイエ帝国に攻め込まれている。傷ついた者も多いだろう。……そなたの料理で、癒してやって欲しい」


「お安い御用です。明朝には出立しましょう」


アレッサンドロは迷いなく答えた。


「それと、できれば……回復用のドリンク《ポーション》も、少し分けてくれないか」


「承知しました。ちょうど、用意してあるものがあります」


彼は懐から小さな木箱を取り出し、そっとハル子に手渡す。


中には、銀の筒が3本、整然と収められていた。


「これは、私が1本3年かけて一滴ずつ熟成精製じゅくせいせいせいした、最高級の葡萄酒ハイポーションです。一滴で致命傷さえも癒し、『呪い』の病も解けます。そして、この効果は飲めば体力も魔力も完全に回復させる……いわば“究極のハイポーション”です。私の手元に残されたすべて託します。必要な時にお使いください」


(魔力まで回復……チートすぎる……しかし使いどころを間違えるわけにはいかないな)


ハル子は神妙しんみょうな面持ちでそれを受け取り、深く頭を下げた。


「ありがとう……本当に、助かる」


そして──


ふと、夜空を仰ぎ見る。


星は静かに瞬いていた。


(一つ、分かったことがある……)


(ここは夢じゃない。私が“魔王”として転生した、もう一つの現実世界なんだ)


地球の記憶。ゲームの知識。またそれらが登場する神話の人物名や聞きなれた魔法名に溢れたこの世界。それらの繋がりが何を意味するのか、まだ答えは出ていない。


(この世界は誰が作った? なぜ私がここに?)


謎は深まるばかりだ。


それでも──


ハル子は静かに、そして強く、空を見上げるのだった。






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アレッサンドロ13世めちゃ有能ですね〜
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