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Chapter1【魔王降臨】

朝の空気は、春の匂いをふんだんに含んでいた。


都内某所。ビルの谷間をすり抜けるように吹き抜ける風が、桜の花びらをひとひら、ハル子の肩に落とした。


「今日も晴れていて気持ちいい!」


池沢ハル子は、満開の桜並木を抜けながら、小さく伸びをした。光を反射するスーツのボタンがきらりと輝き、彼女の気分もそれに呼応するかのように、軽やかだった。


 

年齢は26歳。

職業は、一応“OL”ということになっているが、正確には都内にあるコンテンツ制作会社で、イラストレーターとして勤務している。美術大学院を出た後、紆余曲折ありつつも、今の職場に落ち着いた。


 

パキッとした輪郭のビルと、春の柔らかな陽光。そこを歩くハル子の姿は、どこにでもいる普通の社会人女性に見える――ただし、彼女の内面を除けば、だ。


「おはようございます。」


オフィスビルのロビーで、明るく挨拶をする。少しだけ柔らかく微笑むその表情は、しっかり社会人の“顔”だ。


(よし、今日も会社員モード完了)


だが内心では、「今日こそ早く帰ってソシャゲの新イベントやりたい……」という本音がくすぶっていた。


そんな彼女に、声をかけてくる人物がいた。


「おはよう、ハルちゃん!」


くしゃりとした笑顔を浮かべながら、片手を軽く上げて挨拶してきたのは、松中副部長。五十歳を迎える年齢とは思えぬほど元気だ。アーサー王伝説や封神演義、そして戦国時代などをこよなく愛する歴史マニアでもある。更に、最近はアニメにドはまりしている…ちょっぴり残念なおじさんである。


「最近さ、おじさんが悪役令嬢に転生するアニメにどハマりしててね~!」


その言葉に、ハル子は思わず吹き出しそうになった。


「副部長……おじさんが悪役令嬢って……」


「いや、でもなかなか面白いんだよ? どんどん無双していく感じがさあ、カタルシスってやつ? こう、現実じゃ味わえないじゃん? 逆にハルちゃんがおじさんに転生とかしたら面白いのに!」


「……え、私が“おじさんに転生”? いやですよ~!」


心の中では、(悪役令嬢モノも好きだけど、私はどっちかっていうと“魔王モノ”派なんだよなぁ……)などと考えながら、やりとりを笑顔で受け流す。


「ハルちゃんさ、高校時代のスキルを活かしてさ――

おじさんになりきって演じたら、誰にもバレずに終わるってオチになりそうだよねぇ」


副部長は、笑い混じりにからかうように言った。


その言葉に、ハル子は苦笑いを浮かべながらも、心のどこかでうなずいていた。

確かに、演じることにかけては、ちょっとした“伝説”があるのだ。


──あれは、まだ入社して三カ月目のことだった。


取引先からのクレームで、上司と技術担当が謝罪に行くことになっていたのだが、当日になってその責任者がまさかの寝坊。

代役として急遽送り出されたのが、右も左も分からぬ新人のハル子だった。


しかし、そこで彼女は見事に「演じきった」のである。

高校時代、演劇部で鍛えた即興力と観察力――それを総動員して、取引先の前で堂々と“責任者”を名乗った。

相手は本物の責任者の顔など知らない。

結果、完璧にその場を乗り切ったハル子は、社内でちょっとした話題となった。


さらに彼女には、もうひとつ異様な才能があった。


――「空気を読む力」、それも“異常”なまでに。


それが天性のものなのか、あるいは前世から引き継いだ能力なのか、誰にも分からない。

けれど、彼女の周囲の空気の変化を察知する力は、まさに“読みすぎてしまう”レベルだった。


そんなハル子も、今では入社して三年目。

職場にも慣れ、雑談も増え、副部長の“戦略講義”も日課となっていた。


「いやね、戦はね、“間”なんだよ。“間”を制する者が兵を制するんだ」

「はあ……そうなんですねぇ」


──毎朝のように繰り返される“孫子の兵法”と“戦術論”の一方通行。

他の社員なら音を上げていただろうが、ハル子は表情一つ変えずに合わせていた。

……ただ、その時間だけは、ほんの少しだけ、憂鬱だったけれど。


それでも、職場の日々はそれなりに穏やかで、居心地も悪くなかった。


誰もが、そんな「当たり前」の日々が――

いつまでも続くものだと、信じて疑わなかった。






夜。

帰宅後の部屋は、静かだった。照明の落ち着いた灯りの下、ハル子はソファに寝転びながら、タブレットで動画を再生していた。


「“悪役転生おじさん”、か……試しに一話だけ見てみよ」


副部長のおすすめを軽く流すつもりだった。だが、思っていたより面白く、気づけば何話も連続で視聴していた。


「なるほどねー、こういう展開かぁ。転生モノってやっぱり面白いよな~……ふぁ……」


そのまま、眠気に襲われて、タブレットを手にしたまま、いつものように寝落ちした。



それが、現実と非現実の境界が壊れた瞬間だった。






「……ん……?」




ハル子は、重いまぶたを開けると、見知らぬ天井が視界に映った。


いや、天井だけではない。天蓋付きのベッド。絹のようなカーテン。銀の燭台しょくだいに揺れる青白い炎。壁には細密な紋章が刻まれたタペストリーがかかっており、床には獣の毛皮が敷かれている。


「……え?」


目の前の光景は、どう考えても現代日本のものではなかった。


起き上がると、身体が重い。スーツの感触もない。代わりに感じるのは、金属と革のしなやかな重み――


「ちょっと、何これ……鎧?」


目を疑いながら、部屋の隅に置かれた姿見に向かう。古びた枠に、魔法のような光を帯びる鏡。それに映った“自分”を見た瞬間――


「……な、に……これ……?」


そこに立っていたのは、間違いなく“人間”とは言いがたい存在だった。


全身を黒曜石のような漆黒の鎧に包み、身長は二メートルを優に超え。肩からは漆黒のマントが翻り、頭からはねじれる双角そうかくが突き出ていた。

鋭く輝く赤の双眸そうぼう、そして鎧が皮膚と一体化している異様な顔――それは、“あきらかに人ならざる恐怖”を持つ、“魔王”の姿。



「うそ……でしょ……?」


言葉を発そうとした瞬間、その口から発せられたのは、低く、うねるような重厚な声――


「どういう……ことだ……?」


まるで、長年戦場で命令を下してきた将軍のような、威厳と重みを持った声音だった。


「……私の声……これ、私の声!?」


思わず鏡の前で叫びながら、頭を抱えた。自分の声すら、もう自分のものではなかった。


混乱する思考の中、部屋の扉の向こうから、急ぎ足の足音が近づいてくる。


そして、扉が開いた。


そこに現れたのは、長身で、鳥の仮面を被った男だった。黒と紫を基調とした重厚なローブを身にまとい、眼光は仮面越しでも鋭く感じられる。


「魔王様!お目覚めになられたのですね!」


彼は、深く膝をつき、敬意を込めて頭を垂れた。


「……誰?」


魔王の声で問いかけると、男は顔を上げ、名乗った。


 

「私はアンドラス。魔王軍ベルゼブル様「魔戦軍ませんぐん」副軍団長にございます。現在、魔王城は聖ルルイエ帝国軍二十万の兵によって包囲されております。外郭の城壁は未だ健在にございますが、いまこの瞬間も激戦が続いております!」


アンドラスの言葉を受けて、ハル子――いや、「魔王ハル子」は、思わず反射的に呟いた。


「……そうか……状況は、理解した」


その言葉が、まるで地の底から響くような重々しい声となって部屋に広がる。


(うそでしょ……こんな、バリバリの魔王ボイス出してんの、私!?)


心の中では大パニックだ。だが、外見も声も完全に“魔王”となった今、動揺を見せることが許されない空気がある。何より、目の前のアンドラスは本気で自分を「(あるじ)」として崇めている。その眼差しに、ハル子はしばし押し黙った。


その時だった。


視界の端に、ふいに浮かび上がる何か――


透明なガラス板のようなインターフェースが、空間に突如として現れた。


(えっ、なにこれ……?)


そこには、“ステータス”、“スキル”、“装備”、“魔法”といった、見覚えのあるワードがずらりと並んでいた。まさに、RPGゲームでおなじみのコンソール画面そのもの。


(え、これ、ゲーム!? 夢? いやでも、感覚がリアルすぎる……)


思考が混乱する中、「スキル」の項目に、ひときわ目を引くものがあった。


――【飛翔】――


その言葉を、思わず口に出してしまった瞬間だった。


「飛翔!」


全身に異様な魔力の流れが奔り、次の瞬間――

背中が裂けるような感覚と共に、黒い羽根が広がった。広がったそれは、まるで闇そのものを体現したような、巨大な翼。


(うそ、まじで!?)


驚きと同時に、足元がふわりと浮く。

重力の感覚が消え、体が宙へと持ち上がっていく。


(わわわわ、飛んでる!? しかも、なんか気持ちいい……!)


意外なまでの爽快感に、ハル子の心が少しだけ緩んだ。


翼をはためかせて、魔王城のテラスを飛び越え、空高く舞い上がる。空中から見下ろすと、城下町には慌ただしく動き回る魔族の兵士たち、さらにその外に、地を埋め尽くすような帝国軍の姿。


鎧の波、旗の森、無数の火矢や魔法の閃光が飛び交い、戦場の喧騒が空にまで響いてくる。


(これ……ゲームでよく見る“魔王城包囲イベント”そのものじゃん)


ハル子は意を決して、戦場の最前線――城壁の防衛ラインへと舞い降りた。


その瞬間、場が凍りついた。


弓を構えていた魔族の兵たちが、一斉に手を止め、その姿を見つめる。

漆黒しっこくの翼を携え、重厚な鎧を纏い、双角そうかくを戴くその巨体。銀色の双眸そうぼうが、睨むだけで人を射抜くように輝いている。

その存在感に、誰もが息を呑んだ。


「……魔王様……!」


誰かが、そう呟いた。

その声は波紋のように広がり、すぐに歓声へと変わる。


「魔王様が……来てくれた!」


「魔王様が、とうとう部屋から出られたのだ!」


(え?部屋から?)

ハル子は戸惑いながらも、視線を前方へと向けた。


眼下には、まさに人海戦術の如き軍勢。帝国の兵たちが隊列を整え、攻城兵器を押し出しながらじわじわと魔王城へと迫ってきている。


(これ、ヤバくない? 二十万って、現実だったら東京ドーム四つ分以上だよ?)


その圧倒的な数に、背筋が冷たくなる。

だが――


またしても、空中にゲーム風のコンソールが浮かび上がった。

そこに、一つの魔法名が浮かんでいた。


――【メメントモリ】――


(聞いたことある……ラテン語で“死を忘れるなかれ”って意味だっけ……。絶対ヤバいやつでしょ……でも、もうこれしかない!)


決意とともに、ハル子はその名を、声に出した。

「――メメントモリ!」


空が、一瞬にして暗転した。


陽の光が閉ざされ、分厚い黒雲が空一面を覆う。

風がうねり、雷鳴が轟き、帝国軍も魔王軍も、その異変に騒然となる。

次の瞬間、空の裂け目から、巨大な“扉”が出現した。

鉄とうるしで造られたそれは、まるで冥界への門。そこから、ぎぃ……と不吉な音を立てて、扉が開かれる。


透き通るような黒衣、鎌を携えたその姿は、人の魂を刈る者そのもの。


「死神」

 

それは、まさしく“死”そのものの具現。

何百、何千、何万……いや、数え切れぬほどの死神たちが、闇の空から音もなく舞い降りてくる。


ハル子は、その光景に言葉を失っていた。


(……え、うそ……私、呼んだの? これ……)


死神たちは、人の姿をした兵士たちに静かに近づくと、何の感情もなく、その大鎌を振るった。


一振り。


魂が抜ける音さえした。兵士は声を上げる間もなく、崩れ落ちた。


二振り、三振り。


連鎖するように、死が広がる。帝国軍の陣形は、一瞬にして崩壊した。

誰も、何も、抵抗できなかった。


20万の軍勢が、あまりに静かに、ただ“死んでいった”。


地に膝をつく者。逃げ出そうとする者。目を閉じて祈る者――

だが、誰一人として逃れることはできなかった。



そして――



死神たちは、用が済んだかのように、再び天に戻っていく。

その身体が鉄の扉の向こうへと消えていき、最後に、

「ぎぃ……ぃい……がしゃん」

と扉が閉じられる音が戦場に木霊(こだま)した。


残されたのは、ただ、帝国兵の死体の山。


さっきまであれほど怒号どごうが飛び交っていた戦場には、一転して、静寂が満ちていた。

風の音だけが、廃墟のような光景に吹き抜けていく。

二十万の帝国兵…一人たりとも”生きて”てはいなかった…


「…………夢……だよね?」


ハル子は、あまりの光景に苦笑を浮かべた。

これが夢であってほしいと、心から願った。


それでも――身体は、魔王のそれであり、さっきまでいたOL池沢ハル子のものではない。


重厚なマントを翻し、城壁の上に仁王立ちした彼女は、突如として笑い出した。

それはこの世界に似つかわしい、どこまでも邪悪な笑い声だった。


「フフフ……」


「フハハハハ……」


「ワッハッハッハッハ……!!」


その姿を見て、魔王軍の兵士たちは歓喜に沸いた。


 

「魔王様だ……!」

「魔王様が……ついに復活されたのだッ!!」


そうして、異世界の空に、魔王復活の号砲ごうほうとどろいた。


ハル子はただ、呆然としながら心の中でつぶやく。


(……夢……はやく覚めて…)


そう願うハル子であった…



挿絵(By みてみん)




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冒頭から本格的な文章でびっくりしました。最近色々な小説を読み漁ってますが、それらと遜色ないくらいスムーズに読み始められました。内容にとにかく無駄がなく、いろいろ設定は沢山ある中でもまずはちゃんと話を進…
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