ウザ川くんとウマ川くん
「あれ、ウザ川くんいない……」
いつもの時間に海に来てみたけど、ウザ川くんの姿は見えなかった。
我が家のアイドル、ヴィシュヌ様が警察犬みたいにウザ川くんの痕跡を嗅ぎ回っている。
「ヴィシュヌ様、ウザ川くんのにおい分かる?」
せっかくクタ多めコーデで来てあげたのに。リクエストしといて来ないなんて、なに考えてんの失礼なやつめ。
「あ、キリ山さんだ。良かった、タイミングぴったりだ。あんまり暑くてアイス買ってきたんだけどキリ山さんも食べる?」
いきなり背後からウザ川くんが現れた。
私は動揺がばれないように、なんとかごまかした。
「あ、そうだったんだ。へー、アイスいいねー。今日も暑いもんねー、アイス日和だよねー」
「はいキリ山さん、パペコはんぶんこ。ゴミ俺がもらうから。まあ座ろうよキリ山さん」
ウザ川くんは2個セットのチューブアイスをパキッと割ると、片方を私にくれた。
「ありがとう。でもいいよ、袋持ってるからゴミは私が持って帰る。ウザ川くんのゴミもちょうだい」
「ああ、BのBENのBAGか」
ちょっと待った。
ビーのベンのバッグって何。
普通、便じゃなくて糞でしょ。犬の便って初めて聞いたわ。
「そういえばさっきキリ山さんBになんか言ってなかった? ビシュがどうとか」
しまった……!!
ヴィシュヌ様の真の名をウザ川くんに聞かれてしまった――!?
「あ、えっと、ほらあの……美醜って字は難しいよねーってビーちゃんに話してたの」
「美醜……? 酉に鬼……、そんなに難しくはない気がするけど」
「私には難しいの! ほっといて!」
「そっか、まあ人それぞれか。その漢字って宿題に出てきたりした?」
「家庭内の問題で発生した漢字だからあんまり深く追求して欲しくない」
これ以上ヴィシュヌ様の話題を続けたくない私はセンシティブな理由で逃げることにした。
「あ……踏み込み過ぎてごめん……」
私の読み通り、ウザ川くんはこれ以上踏み込んでは来なかった。
会話が途切れ、二人で黙々と夏の定番アイスを吸う。喉に心地よい冷たさが流れていった。
「キリ山さん、宿題進んでる?」
「うん、割とね」
「部活もあるんだっけ? 1日どれくらい勉強してる?」
「部活は午前中には終わるから、お昼食べたらそのまま学校で宿題して、夕方になったら家に帰ってるよ。だから……うーん、最低でも3時間くらいはしてるかも」
「え! なにそれ優等生。てかキリ山さん夏休みなのに毎日学校にいんの? それ全然夏休みじゃねーじゃん」
「家にいても集中できないし、部活終わって家帰るとダレちゃうし。
先輩たちが部活終わってから図書館とか教室で勉強してるって聞いて、私も真似してみたんだけど、結構はかどるよ。それに私以外にも教室使ってる子いるし」
「え……誰?」
「えっとね、藤宮さんと武藤くん」
「は? なにその藤の出現率。なにそれ、その中にいるキリ山さん異質じゃん」
「異質呼ばわり」
だがしかし藤は二人しかいない。
「俺も行く。部活終わったら俺も教室で宿題する。てか武藤のやつ、なにハーレムしてんだよ腹立つわー」
ハーレムいうても女子は二名ですけど。
「あんまり接点のあるメンバーじゃないから、みんな黙々と勉強してるだけだよ。ウザ川くんも部活で学校来てるの? 何部だっけ?」
「書道部」
「お……おぉお〜……」
「適当なリアクション」
うっ、見抜かれてしまった。
なんか書道部って地味っていうか、夏休みに学校来てまで活動するイメージがなくて意外だった……とは言えない。
私の心の中を読んだのか、ウザ川くんがスマホを見せてきた。
大きな紙に難しい字がいっぱい書いてある。
「文化祭とかコンクールに出す作品書いてんの。割と毎年入選者出てるらしいよ、うちの部活」
「へー、書いてるとこ覗きに行っちゃおうかな。いつもどこで書いてるの?」
「多目的教室だけど……キリ山さんって何部だったっけ」
「ん? 弓道部」
ウザ川くんの目が光った。
「ぜひワソ山さんで写真を1枚。ぜひとも撮らせていただきたい」
「写真はやめて」
出た。謎山シリーズ。今回はどうせ和装のキリ山だろう。だんだんウザ川くんの思考パターンが読めてきた。
「和装いい。袴最高。キリッとしたキリ山さんにぴったりの部活だね。キリッとしたキリ山さんが的をキリッと睨んで矢をキリッて飛ばすのすげー想像つく。絶対にかっこいい」
効果音がくどい。
今度からクド川くんにしようか。
私のペパコがちょうど空になった。
ウザ川くんも食べ終わったようなのでゴミをもらう。
「お、BのBENのBAG登場。
ありがとなーB、お前のBENのBAG役に立ったぞー」
だからBENのBAGやめて。気に入ってんのかい。
だがしかしヴィシュヌ様はまんざらでもない様子だ。ウザ川くんに撫でられて尻尾をブンブン振っている。
「俺さ……パペコを好きな女の子とシェアして食べるのが夢だったんだよねー……」
不意打ちで食らわされたそれは、完全に私の急所へと突き刺さった。
「え……あ……えと……」
うまい返しが思いつかない。
待って。それってやっぱり、もしかして……!
「まあそれはおいといて、パペコを一人で食べんのって、ちょっとさみしくなるよね。『あ……俺一緒に食べる人誰もいない……』みたいな、無性に淋しさがこみ上げる罪なアイスだよね」
あ。さらっとおいとかれた……。
「他にもさ、グループが奇数のときにも食べられないアイスじゃん。活躍するタイミングが選ばれる選択の難しいアイスだよね」
「そ……そうかもしれないね……」
「でも俺パペコすごい好きなんだよねー。いろんな味あるし、今日のも初めて見たやつだからどうしても食べたくて、キリ山さん来るし買っちゃえって思って」
なんだ、普通に食べたかっただけなのね。
あーもうビビった。ウザ川くん心臓に悪い……。
「パペコ久しぶりに食べたよ私……チョコが甘さ控えめで、さっぱりしてて私の好きなやつだった。あの……ごちそうさま」
「ああ、『大人のほろ苦ショコラ』にしたんだ。良かった、甘いのとどっちにしようか悩んだんだよねー、こっちで正解」
ウザ川くんは歯を見せて無邪気に笑った。
「ありがとうね、ウザ川くん。今度なんかおごる」
「おごらなくていいからワソ山さんの写真を1枚」
「絶対おごる。明日ペットボトル1本おごるから何飲みたいか決めといて」
「ちぇ、分かったよ……。明日までに決めとく。じゃあキリ山さん、また明日」
ウザ川くんは肩を落としてトボトボと帰っていった。
・・・
明日の部活の準備をしてると、スマホから通知音が聞こえた。
「うわ! 字、うまっ!!」
ウザ川くんが作品の写真を私に送ってきたのだ。
続いてメッセージが届く。
【うまく書けた】
クラス用のグループリストから私に個別メッセージを送ってきたらしい。
私は少しだけ考えたあと、ウザ川くんを友だちリストに追加した。
【字がうますぎてびっくりした】
【ウマ川くんに昇格しとくね】
そう返信したら、よく分からない変顔のスタンプが戻ってきた。
私はもう一度、ウマ川くんの書いてくれた作品をゆっくりと眺めた。
そこにはすごくきれいで力強い、見事な『桐』の一文字が書かれていた。