宇佐川くんと桐山さん
「俺さ……好きな子と最初にデートする場所は海って決めてたんだよね……」
宇佐川くんがこのセリフを言うのが何回目だったか、もはや数える気も失せた。
「だーかーらー! ごめんって謝ってるでしょー!」
さすがにイライラしてきた。
宇佐川、ウザい。
夏休み中、まさか近所の海を散歩中にクラスメイトに遭遇するなんて思わず、ついテンションが上がってしまい、偶然だねなんて声をかけてしまったのが失敗だった。
クラスメイトの宇佐川くんは、熱中症を疑ってしまうほどに私を焦点の合わない目で見つめた後、先ほどのセリフを吐いたのだった。
つい好奇心で話の詳細を聞こうとしてしまったのがそもそもの間違いだった。
「まあ、座りなよ桐山さん」
そう言われて隣に腰をおろしてしまったのが全ての間違いだったのだ。
宇佐川くんは語り出した。
海を一人で眺めるのが好きなこと。
海は宇佐川くんにとって特別な場所で、夕日が沈んでいく砂浜を、未来の彼女と二人で並んで、なんてことない会話をすることが夢なのだということ――。
「まさか最初の相手が桐山さんになるだなんて……!」
宇佐川くんは両手で顔を覆って塞ぎ込んでしまった。
なにこれ。
なんか私が宇佐川くんを弄んだ悪女みたいな感じじゃん……不本意だ。
たまたま知り合いがいたから声かけただけなのに。
めちゃくちゃ不本意だ。
「そっちが座れって言うから座ったんでしょ!」
「俺の初めてを桐山さんが……俺のロストヴァージンを桐山さんが……」
「ちょっと言い方! そんなにショック受けるくらいなら隣になんか座らせなければ良かったでしょ! ねぇウザいよ宇佐川くん。これ以上しつこいと、もうウザ川くんって呼んじゃうからね!」
頭にきて立ち上がると、宇佐川くんは悲しそうな目で私を見上げた。
「今更そこを離れてももう遅いよ、桐山さん。もうなかったことにはできないんだから、もう少し俺と語ろうよ」
なんなの。その私が加害者みたいな言い方は。ウザいよウザ川くん。
ああもう、ウザ川くんなんかに話しかけるんじゃなかった。
「犬の散歩の途中だから。もう行くから。ごめんねウザ……宇佐川くん、もう邪魔しないから。バイバイ」
「その犬、しつけたの桐山さん? すごくいい子だね、行儀もいいし」
帰ろうと思っていたのに、急に褒められて調子が狂った。……照れる。
「あ……うん。一応」
「犬って上下関係がしっかりしてるよね。桐山さんはその犬にとって家族の中で何番目に偉いと思われてるの?」
「え……? たぶん2番目かな」
1番目はお母さんだ。
「ナンバー2か。さすが桐山さん、キリッとしてんもんね。クラスでも誰にでもはっきり言うしさ……。
あ、ねぇ今度からキリ山さんって呼んでいい?」
「それ、何も変わってないと思うけど」
「犬なんて名前?」
完全に油断していて言葉に詰まった。
厨二病をこじらせた弟が命名したのは、シヴァよりヴィシュヌの方が強いという理由でヴィシュヌ(柴犬♂1歳)……。
恥ずかし過ぎて公表できない。
「……ビーちゃん」
「ふーん。ビーの発音ってB? V?」
え? それ必要な情報? っていうかヴィシュヌのスペルなんて知らないし、そもそもどこの国の神様? インド? それもしかしてアルファベットですらなくない?
「……び……びー……かな……?」
「ふーん。あ、ねえキリ山さん、俺の右をロストヴァージンさせたこと、別に気にしなくていいよ。俺にはまだ左側が残って……あ……」
ちょこんとウザ川くんの左隣を陣取ったのは、我が家のインド神ヴィシュヌ様だ。
「ご! ごめんねウザ川くん! でもほら、犬はカウントに入らないもんね! ほら! 邪魔しちゃ悪いから帰ろ、ビーちゃん!」
「あーあ……右も左もキリ山さんに奪われちゃったなあ……」
ウザ川くんは闇堕ちしたキャラのような暗い目で海に沈んでいく夕日を見つめた。
何から何までウザい。もう帰りたい。
「ごめんて……。今日のことはなかったことにしてよ」
「なんかこれって、初めての日に前も後ろも両方……」
「あー! なんか聞きたくない! そっから先は聞きたくない感じがするなー!」
嫌な予感を感じた私は声を張り上げてウザ川くんの続きを封じた。
「キリ山さん責任とってよ。俺、好きな子と最初にデートするのは海って決めてたんだ……」
「もう何度も聞いたよそれ。
責任って何? 何させる気?」
「俺がデートでやりたかった会話、再現させてよ」
……なんか、即興ショートコントの気配がしてウザい。
けれど私が返事をする前にウザ川くんは指示を出してきた。
「風に髪をなびかせて、それをこう……こういう感じで髪をかきあげながら、目をキラキラさせて『海、キレイだね……』って言って」
……うわ鳥肌たった。
ねえ、注文多くない?
何こいつ。少女マンガの読みすぎじゃないの? 今どきそんな乙女なんて計算高いビジネス乙女しかいないって。夢見すぎ。ウザ川の妄想ウザい。
「海キレイダネー」
どうしても心がこもらない声しか出ない。
「桐山さんの方が……何倍もきれいだよ……。
そこで二人の顔は接近してキスを――」
「ビーちゃん、そろそろ帰ろうか。
ウザ川くん、風も出てきて冷えてきたし、そろそろ帰った方がいいよ」
私は強引にウザ川くんの続きを遮った。
「ありがとうキリ山さん。
俺……好きな子と初めてデートする場所は、海って決めてたんだ」
「もうそれは何回も聞いたから。ごめんってば奪っちゃって」
「だから桐山さんにここで会えて、すげー嬉しかった」
お尻の砂を払いながら、ウザ川くんが立ち上がる。
……ん?
「暗くなってきたし、家まで送るよ。
家、この辺だったんだね。俺のチャリ向こうにあるから、ちょっと一緒に来て」
あれ? なんか変なこと言われた気がする。どういうこと?
「明日もB連れて散歩来る?
俺、ここでまた待っててもいい?」
待って。どういうこと? どういうこと?
ウザ川くんは笑った。
全然ウザくない、ちょっとはにかんだかわいい笑顔で。
「明日もまた話しようよ。待ってるからさ」
不覚にも私は、あんなにウザかったウザ川くんにキュンとさせられてしまったのであった。