6.さて、お互い素直になりましょうか。
いつからか林くんが私の世界に侵食した。それはまるでウイルスのように広がり、すべてを飲み込む。普段は私へ素っ気ない態度なのに瞳は私から離さない。私が移動するとすぐに追ってくる。2人の時は私に優しく触れて、私の名前をたくさん口にした。そんな彼の様子に、私が嫌われてるなんて思うわけなかった。
雨の日は嫌だ。髪がうねるし湿気でべたつく。ああ、早く家に帰ってシャワーを浴びたい。バイト帰りの私は誰から見てもわかるような、うんざりとした顔で歩き出した。なぜ駅から少し離れた場所に応募したんだろう。過去の自分を少し悔やむ。
「あの、只野さん。」
雨の音に紛れて名前を呼ばれた。振り返ると同じビルで働いている人だった。働くカフェは商業施設の中に入ってて、隣に違うお店も並んでいる。普段はあまり関わりはないけど、たまにレジ金報告やビルの休憩室で会うことがあった。
彼は確か、別フロアのアパレルの人だったはず。何度か休憩中にドリンクを買いに来てたかな。茶色の髪は湿気に負けずにさらりと流れている。あっ、と口をまごつかせた後、こちらを見た。
「お疲れ様です。今、少しだけ大丈夫ですか。」
「…お疲れ様です。少しなら。」
ぱっと顔が明るくなった彼と、屋根がある場所へ移動した。今日混んでましたね。そうですね。と他愛無い話を少ししたあと、彼が「もしかしたら、この雰囲気から察してるかもですけど。」と切り出す。
「僕、只野さんのこと気になってます。もしよかったら連絡先交換してくれないかな?」
少し恥ずかしそうに視線を落とす。すごいなぁ、この人。真っ直ぐにその人への想いを最初に伝えられるんだ。まるで林くんとは違う愛情表現の人。こういう人と一緒になれば、お互いの生活や人生を尊重しあいながら生きていけるんだと思う。そちらの方が幸せになるかもしれない。
無意識に傘を持つ手に力が入った。
「ごめんなさい。私好きな人いるんです。」
でもふとしたときに思ってしまう。新発売のお菓子食べて「これ林くん好きそう。」とか買い物してるときに「林くん、気になってたのかな。ずっと見てた。」とか。日常の全てに彼の影が浮かぶ。
毎日が侵食されてるから、林くんにそう思わせられてるのかもしれない。けどこれは紛れもなく私の思考と心情だから。誰になんて言われようと、私がずっと温めたもの。
だから連絡先、教えられません。ごめんなさい、とお辞儀をして屋根の下から出る。角を曲がる。俯いている顔を覗き込んだ。
「ただいま、林くん。帰ろうか。」
黒い瞳がゆらゆら揺れる。迷子のようなどこか戸惑った表情には、いつもの爽やかな表情も無表情もどこにも見えない。案外、これが林くんの本当の顔なのかもしれないと思った。
***
「初めて見たとき、俺のものだって思った。」
ぽつりと降った林くんの言葉。
「びっくりした。今まで、こんな気持ちになったこと無かったからどうしたらいいかわからなくて。だけど俺がいいなって言ったら、周りも同調するから。それだけは絶対に嫌だった。」
「只野だけは誰にも取られたくないし、絶対に俺だけのものにしたいって思ったんだ。だから、周りに秘密にしたかった。それであんな態度しかとれなかった。」
ガキだよな、そう言って笑う声がした。その表情は俯いているからわからなかった。
「だけど只野のことは全部把握したいし、甘やかしたいし甘えたかった。だから家を知りたくて、帰り道についていったし家族を知りたくて只野の周囲に干渉した。」
「中学も高校も、本当は違う場所に行くはずだったんだ。…だけど、只野と離れるなんて想像しただけで絶望しちゃって。だから全部同じにした。大学はさ、焦ったよ。だって急に進路を変えるから。しかも東京だし。…偶然なんて嘘なんだ。全部、只野の後を追いかけてきた。」
帰ってきてから繋いだままの手に力が入る。震えているのは、雨で濡れたからではないだろう。真っ暗な部屋では、外の雨の音がなぜか響いて聞こえた。
「なぁ、只野。」
俺、お前のことがどうしようもなく、好きなんだ。
ーーーーーうん。
「知ってたよ。」
***
私こと、只野美和の性格は面倒くさがりでぼんやりしている。親にも友達にもそう言われてきた。けど、人から向けられる気持ちに鈍感ではない。
林くんの瞳、他の人を見ている時はキラキラしていてスポーツ少年、ていう感じ。だけど私を視界に入れると、一気に暗く澱んだ沼のような瞳をした。無愛想なくせして、私が彼の視界から消えると不機嫌になる。こんなにわかりやすい人の気持ちはすぐに気づいた。
私の全てを把握したくて、部屋や家に来てたことも知ってるし、今まで渡したものをいまだに全部保管してることも知ってるよ。
私が他の男の子と話すとすぐに邪魔してくるよね。私のことが気になってるって話した人とは、すぐに仲良くなって他の女の子を紹介していることも知ってる。
私の予定を知るために、仲の良い友達に声をかけて、さりげなく確認してたよね。私の進路を調べていたことも知ってる。
流石に何度も同じ行動をしていたら分かるよ。この人は私のことを独占したくて、文字通りずっと一緒にいたいくらい大好きなんだろうなって。
「…だから、知ってる。」
「…まじかよ。」
「いや、これで気が付かない方が変だよ。」
特に実家や地元離れてから顕著だったし。
そう話すと、林くんは頭を抱えていた。私の裏で行っていたことに本人が気がついているとは思わなかったらしい。林くんって今まで生粋の陽、みたいな人だったから、なんだろう。こういう裏でやるとか、ツメが甘いよね。
「…なんでもっと早く言わなかったの。」
「何を?」
「俺がしてる行動に対して!…変だろ、こんなの。分かってるから…。」
「それはまぁ……まぁいっか、って思ったから。」
林くんが目を開いて呆然としている。まじかこいつ、みたいな。失礼な。あんたがその顔するな。
「まぁ…林くんが私のことを可愛くないとかいう割に、他の子が言うと睨んだり不機嫌になるのは、どの口がって思うけど。あとは林くんの妨害活動が無ければ、もしかしたら人並みに恋愛をしてたかも知れないしね。」
「うっ…。」
自分で聞いといて辛そうな顔してるんじゃない。眉を下げてしゅんと落ち込む姿はまるでやらかした大型犬だ。
「でも、必死な林くんが可愛かったから。」
だからまぁ、良いかなって。
大きく目を開いた林くんに、思わず笑っちゃう。何その顔。初めて見たなぁ。林くんの知らない顔を見れるなら、少し面倒でも私から動いてみるのも良いかなって少し思った。
「私さ、もう林くんに人生めちゃくちゃにされてるんだよ。だからさ、責任ちゃんと取ってよね。」
「…ははっ。取る、絶対取る。」
嬉しそうに笑って私に勢いよく抱きつく。林くん、服が雨で濡れてるから少し冷えるかも。たまらず腕の中でくしゃみをした。




