5.林くん、急に変わりすぎです。
夏の短期バイトも終わり、9月になった。とはいえ大学はまだ夏休みが続く。久しぶりに帰ってきた自宅は懐かしい感じがした。そして落ち着く。
「今何時……?」
「昼前。」
アラームの音が消えたので、消した本人に聞くと掠れた声でそう言われた。少し寝過ぎてしまった。バイトから帰ってきたら、体はかなり疲れていた様子。ここ最近は寝坊してしまう。それは私の横でスマホを触る彼、林くんも同じだった。
林くんはバイトから帰ってきても、私の家に入り浸っていた。いつの間にか用意されていたボックスには、林くんの洋服が収納されているし、洗面台にはメンズ用のスキンケアも置かれている。
元々引越し直後から置かれていた私物は、より量が増えていた。一応自分の家にも帰ってはいるようだけれど、もはや一緒に住んでいるかと錯覚するくらい、我が家に馴染み切っていた。
「今日バイト何時まで?」
「クローズまで。」
「ん。俺も今夜バイトだから帰り気をつけろよ。」
「うん。」
私の予定も林くんが把握するようになった。林くんが用意するご飯を食べて、身支度を整えてバイトに向かう日々。バイト先や友達との飲み会の日には、爽やかな顔で迎えにくるようになった。ちなみに2人で出かけるようにもなった。
だけど私たちは付き合っていない。
「そんなことあるの?」
バイト後、ユーコとタローと新田くんと呑むことになった。林くんは合流するまでにまだ時間がかかりそう。私は閉店が21時のカフェバイトのため早めに集合できたのだ。とはいえもう22時過ぎだけど。
近況報告を聞かれ、質問に答えていくと3人は不思議そうな顔をした。思っていたような答えじゃなかったかららしい。
「もうそれ付き合ってるようなもんじゃね?」
「でも特には言われてないんでしょ?」
「ただ一緒に暮らしてるってだけらしいしね。」
3人が思い思いに話しているのを眺めながら、ビールを飲む。あの夏の日から、林くんからの気持ちには薄々気づいてはいた。だけどお互いに言葉にすることもなく、いつも通りの雰囲気だった。あ、でも。
「ひとつ変わったことがあって…。林くんに予定がない時は、バイトと飲み会終わりに迎えが来るようになった。」
「えっ。」
「やばい。」
「林……彼氏面してるな。」
やっぱりそう思うのか。新田くんの言うように、迎えにきた姿を見て周囲からは「えっ彼氏?!」と言われるようになった。
「只野はそれ否定せんの?」
「しようとする瞬間に、林くんが笑顔で皆に挨拶してる。しかも仲良くなってる。否定する隙がない。」
「あっはっは!大学入学してから薄々思ってたけど、林くんって結構やばいよね!」
「おお、ユーコちゃん気づいてたんだ。」
瞬時に『いつもこの子がお世話になってます!すみません、帰り際にお邪魔しちゃって!』とにこやかに周囲と話す姿は違和感がまるで無い。肯定もしてないけれど否定もしてないから、周囲には林くんは彼氏だと思われていた。ユーコは爆笑してるし男の子2人は引いている。うーん。やっぱりこの関係は普通じゃないんだなぁ。
暫くすると林くんも合流し、自然と会話は違う方向へ向かっていく。それを聞きながら隣にいる林くんを盗み見る。頭の片隅でそろそろこの関係性をどうにかしないとな、と思いながら。
***
「なんで朝、先に行ったの?」
「え。」
びっくりした。
その一言に尽きる、この状況。不機嫌そうな林くんに声をかけられるのは慣れてるから別にいい。けど、ここは家ではない。
「コンビニ寄りたくて早めに出た…。」
「それくらい一緒に行くから。誘って。」
「あ、うん…。というか林くん。」
ここ、大学だけどいいの?
思わず聞いてしまった私、家にいるときのような無表情の林くん。そして近くにいた林くんと仲の良い学部の人たち。林くん以外の人はポカンとしている。いつも私を見て舌打ちや睨みつけがスタンダードと化した彼が、私の隣に座って話しかけているから。周囲はすぐに騒めいてコチラを見てるし、林くんの友達は「えっ?!仲直りした?!」と寄ってきた。え、どうしろってんだコレ。どうしたんだ、林くん。当の本人はにこりと微笑み、
「うん、仲直りしたよ。ていうか元々俺が一方的に突っかかっちゃっただけ。」
と私の髪の毛を触りながら言葉を返した。周りはギョッと目を見開いてるし、心なしか女子からの目が痛い。林くんは「ン、やっぱ髪色いいな。先週カラーしに行ったもんな。前回のも良かったけど、これも似合う。」と呑気に話してる。
あまりにも家モードな林くんにはもう慣れたも何もないけど、周囲との温度差に風邪をひいてしまいそう。あと先週はまだ夏休み中だから。ナチュラルに夏休み中も会ってたこと話すの?話していいの?
突然の林くんに理解が追いつかない思考のまま、講義が始まった。
「只野、どこいくの。」
「只野、今日バイトだろ。俺もだから早く帰るぞ。」
「只野、この論文今回の研究に関係あるって。俺もう読んだからどうぞ。」
ただの、ただの、ただの、
「今週だけで只野の名前をどれだけ聞いたことか。」
「俺もう火曜日から数えるのやめた……。」
林くんは文字通り全ての時間を私と一緒にいようとした。朝のおはようから夜のおやすみまで。家には林くんのものが夏前に比べてかなり増えたし、この前はスマホに予定共有アプリが入れられてた。
今日はたまたまどうしても抜けられない予定があるとのことで、林くんはお手製のお弁当を私に渡して友人グループと去っていった。新田くんが手を振ってくれたので振り返した。
「その弁当も林の手作りだったんだな。」
「うん。家ですごい料理してる。」
「只野の家で、でしょ。」
私の食生活はいつのまにか林くんに支えられていた。
「今までこんなにベッタリな姿だったのか……。」
「家に2人でいるときはね。」
「そりゃ外でとられる態度くらいでは、嫌われてるって思わないわ。」
「でも今までこんなこと無かったんだよな?」
タローの問いに頷く。今まで家と外でしっかり切り替えてた林くん。それがまさかこんなことになるなんて、思わなかった。
おかげで学部のいろんな女の子に質問攻めされたし、違う学部の子からもチラチラと見られてる気がする。これは絶対気のせいじゃない。
「なんだか順調に外堀を埋められてる感じ。」
「おいユーコ…怖いこと言うなよ。」
「本当のことでしょ。どうするの、只野。」
「もし林との先を考えられないなら、ちゃんと言葉にして離れたほうがいい。只野の人生、めちゃくちゃにされるよ。」
ユーコの心配そうな瞳がこちらに向く。続いてタローの瞳も。ごくんと飲み込んだ卵焼きの味で、口の中はあまったるかった。




