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浮いて

作者: WonInagaki

 前もって渡されていた資料では高校生となっていたけれど、地元の調査員の酒井さんに連れられて部屋に入ってきた森さんは、それよりも幼く見えて、初めましてのあいさつを終えた後、わたしは念のために訊いてみた。「あなた高校生?」「はい、2年生です」森さんは明るい声で答えてくれた。そのようすからわたしは、この子にはすぐに聴き取りに入ってもいいと判断させてもらえた。「あなたは浮けるの?」「はい」「今浮ける?」「はい」森さんの声はまっすぐで、躊躇とか逡巡とか欠片も感じられない。「浮いてみていいですか?」「お願い」森さんは一度うなずくと、顔を上に向けた。じっと一点を見つめているけれど、精神集中というほどの緊張感は伝わってこない。口を大きく開けて、なにかを呑み込むように頬を膨らませたまま、口を閉じると、森さんの顔が少し上がった。さっきまで見下ろす位置にいた森さんの顔が目の前に来ている。あわてて森さんの足下を見ると、確かに両方の足が、床から10センチぐらい浮いている。立ち上がって、わたしと同じ高さにいる森さんと向き合う。「苦しくはない?」「いいえ」森さんの身体のどこかに力が入っているようには見えない。「もっと上に行ける?」「はい」森さんは上を向き、口を開き、目の前の空気を呑み込むようにすると、また少し顔の位置が上がる。今度はわたしが見下ろされる立場になった。「そうやって上に行くんだ」森さんはなにも言わなくて、微笑みながらわたしを見下ろしている。「もっと上がれるの?」「はい」森さんはまた同じ動作を繰り返し、少しずつ上がって行く。「ありがとう」森さんの腰のあたりが目の前に来たぐらいで、わたしは止めた。「どのくらいまで上に行けるの?」「わかりません。天井に触れるぐらいにしか行ってないんです。急に落ちたりしたら嫌だなって思って」「どうして自分が浮けるってわかったの?」「たまたまです」思い出そうとするように上を向く。「空を見上げて、大きく息を吸ったら、気がつくと浮いていました」「驚いた?」「はい」「怖くなかった?」「落ちたら痛いかなという心配はありました」「苦しくない?」わたしは浮いたままでいる森さんにまた尋ねた。「いいえ、ぜんぜんです」森さんは答える。「わたしにもできるかしら」そう言うと、森さんは驚いて、「そんなこと言った人、初めてです」と高い声を出した。この子にいろいろと聴き取りをした人はわたしの前に何人もいたはずなのに。森さんの感情らしきものが初めてあらわになったように思えた。「こうするのよね」わたしは上を向く。口を開く。さっきの森さんのようすを思い浮かべながら、そのあたりにある空気を口いっぱいに含んでのみこむ。すぐに足の感覚がなくなった。初めはなにが起きているのかわからなかったけど、両足が何にも触れていないのだと気づく。まさかと思いながら自分の足下を見ると、わたしの足も床から離れている。どうしていいかわからなくて、つい救いを求めるような気持ちで森さんを見上げる。「すごいです」森さんは素直に驚き、喜んでくれているように見えた。酒井さんは大きく口を開けたまま固まっている。空気を含んで呑み込む。含んで呑む。何回か繰り返して、森さんと同じ顔の位置に届いた。森さんは本心から楽しんでいるようだけれど、わたしが「ちょっと怖い」と正直に言うと、「だいじょうぶですよ、青山さん」と両手を握ってくれた。名前を呼ばれて、10コも年下の子に励まされていくらか落ち着くことができて、この町に来たもともとの目的を思い出した。「浮いている人について」報告書を書くことを依頼されていて、新幹線と在来線とバスを乗り継いで何時間もかけて来たのだけれど、困ったことに、今のところ「いっしょに浮いてみると楽しい」としか考えられない。

(了)


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