世界の終わりと個人の始まり
前編「選択」
最初に聞いたときは、手の込んだ四月馬鹿だと思った。
地球は未知の天体との衝突で破滅する、それも、あと半月で。
厳重な情報統制で一般には知られていないが、地球脱出の準備は何年も前から着々と進んでおり、月の裏側で宇宙船団が建造されている。国連機関の係官だと名乗る男からそんな説明を聞けば、どこかにテレビカメラがないかと探したくもなる。
二〇世紀初めのSFなら受けたかもしれないが。いまどきなら門外漢でもすぐに反論を思いつく。地球を破壊するほどの質量の天体が接近しているなら、アマチュアを含めた世界中の天体観測者が見つけないはずがない。仮にその天体が小さすぎるとか、普通の観測では見つからないとしたら、逆に何年も前に発見できたのは矛盾だ。更には、地球脱出なんて巨大事業を秘密にできる訳がない。等々。
「マイクロブラックホールだとでも言うのですか?」
なるべく冷ややかに聞こえるように言ったつもりが、更に冷ややかな口調で返された。
「そんなものなら、まだマシでしてね。」
驚くほど短時間で、反論はすべて潰された。
冗談やドッキリではなかった。示された証拠は、素人には理解不能なデータも含め、テレビ局の仕込みにしてはあまりに手が込んでいた。
どう反応してよいのか? 当惑する私に係官は落ち着いた口調で、来訪の目的を告げた。
地球脱出用宇宙船の乗員は厳正に選別される。いくつかの選別方法の中に、古典的な他薦がある。その推薦者にあなたが選ばれた、と。推薦者を選定する最重点の項目は「正直さ」である。地位や名誉ではない。むしろ「正直者が馬鹿を見る」ために立身出世しない人が選ばれている。
ストレートに出世とは縁遠いと言われると腹立たしいが、これまでの人生で思い至ることが多々あるのも、また事実であった。
推薦者一人につき、宇宙船でも地球脱出者が一名推薦される。推薦は完全な自由意志による。知人でも会ったことのない人でもよい。選択に制限はない。決定は総理大臣だろうと国連事務総長だろうと覆せない。ただし自薦と棄権は認めない。
「三日後に返答をお聞きします。人類のために良き人物を選ばれることを期待します。」 衝撃が大きすぎると、逆にパニックにならない。係官が去ると、自分でも驚くほど冷静に、誰を推薦するかを考えていた。
生き残って、人類のためになる人とは誰か。高名な政治家か? いや、未曾有の危機に人類を指導できる人物など思いつかない。
では世界に貢献した科学者か? いや、ノーベル賞受賞のどこが優れているのか、今の科学は複雑すぎて、平凡な会社員には理解できない。そもそも、選ばれるべきは年寄りじゃない、これからを担う子供であるべきだ。
人類ためなんて大きすぎる課題に、明快な答えを出せる能力など、自分にあるはずがない。ならば自分の都合で、自分が生きて欲しい愛する人を選べばいいのだ。それなら迷うことはない、自分の一人息子を推薦しよう。
今年五歳になる息子は可愛い。親のひいき目を抜きにしても、素直で良い子だ。親が離婚したので母親とほとんど会えなくなったのに、明るく育ってくれている。幼くても一所懸命に生きている。生き残るのに相応しい子だ。
いや、待て。あの子は良い子だが、少し気が弱い。友達の我が儘を我慢していることがある。生き残った人類が進むのは苦難の道だろう。あの優しい子が生きていけるのだろうか。一人でも多く生き残らなければならない時代に求められるのは、もっと強い意志を持った子ではないか?
そう考えると、生き残るべきは別の子か。弟の子、あの子の従兄弟はどうだ。息子はゲームで負けかけると息子は泣きそうになるけど、同い年の従兄弟は勝つ工面はないかと向かっていく。あのくらいの強さが、多難な時代には必須ではないか。
いやしかし、そのために息子が生きるチャンスを捨ててしまってよいのか。
考えが千々に乱れるうちに、約束の三日後が来た。
回答は古式ゆかしい、書面に直筆で記載と署名・拇印だった。記載後は変更は受け付けないので、これがいちばん不正を防げる方式なのだと、係官は言う。
私は弟の息子の氏名を書いた。
それからの日々は夢のように取られどころがなかった。
地球が終わると、一般人にもどこからか伝わった。人々は信じられないほどあっさりと、それを受け入れていた。「明日が死刑執行だと知らされることほど、人を落ち着かせることはない」。遠い昔に聞いたときはあり得ないと思ったが、現実に人間がほとんど全部そうなると、どうもそれは正しかったようだ。
終末が来た。
空は漆黒に包まれ、大地は揺れ裂けていった。
息子は私にしがみついた。「お父さん、恐いよ、恐いよ」
私は息子にかけてやる言葉がなく、抱きしめ返した。
これでよかったのか? 答えてくれる者はなく、息子と私は地割れに飲み込まれた。
後編「困惑」
地球が砕け散ると言われ、その意味を正確に理解できる五歳児などいまい。
地球脱出の宇宙船に搭乗するというより、家族から引き剥がされて訳の分からない環境に放り込まれたという認識になるのが普通だ。
衛星軌道まで脱出者を運ぶシャトルの搭乗口は、まるで巨大なショッピングモールにでもあるエスカレーターのようだ。少し前まで多数の老若男女を運んだエスカレーターも、いまはその役目をほぼ終えて閑散としている。無味乾燥な白壁が、寂しさを際立たせる。
少年は老婆に手を引かれ、シャトルへと向かっていく。
「あなたは強い子だね」優しげな老婆の声で、少年は辛うじて泣かずにいた。
老婆は少年の頭をなぜながら語りかける。
「宇宙船に付くまでは一緒にいてあげます。宇宙船では同年代の子供達と生活するようになるわ。」
「私? どこに行くか、よく分からないの。あなたのような利発な子が生き残るのは順当だとして、どうしてこんなお婆ちゃんが宇宙船の乗組員に選ばれたのかしらね。」
シャトルにも人はまばらだった。地球衛星軌道から月へと向かう。
「ほら、見えてきた。あれが私たちが乗り込む、雷号よ。」
月をバックに円筒形の建造物が虚空に浮かんでいる。その巨大さを理解するには少年は幼すぎた。ただ、家族や友だとと別れ、その筒の中で暮らすのだということは、これまでの説明で辛うじて把握できた。
雷号の居住区画のうち、少年達が住むブロックは宇宙船とは思えなかった。うっそうと生える広葉樹林、地面はぬかるみ、油断すると足を取られる。
あろうことか、森林の一角でたき火をしている。小学生ぐらいの少年達が奇声を発しながらたき火の周囲を回っている。
あっけに取られる少年がたき火を見つめていると、その一角が唐突に黒くなり、また炎になった。本物の火じゃない、立体映像だ。
なぜこんな凝った装置を使ってまで、自然をまねするのか、少年には理解できなかった。
たき火を回っている子供達のうち、年かさと思える子が少年に向かって手を挙げる。
「やあ、よく来たね。僕はこのグループのリーダーだ。君も今日から僕たちと暮らすんだ。歓喜するよ。」
するとこれが転校生を迎え入れるお祭りというわけか。馴染めそうにないな。
実際、既に出来上がったコミュニティーに入っていくには、少年は自我が強すぎた。表面上は仲良くしながら、ことあるごとに集団から浮いてしまうのに、さして時間はかからなかった。
「家族と一緒に死なせてくれた方がよかった」
宇宙船がどこに向かっているのか、少年は知らない。
(了)