●来客者たち『ある囚人の独白』③
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●来客者たち
駅前で発掘された遺跡調査が一段落した。残る大半の作業は、埋蔵物の調査と報告書作成といったお決まりの流れを踏む事となる。私は助手の三島孝史に作業計画を告げ、一週間の休暇を申し出た。三島は大学院を卒業したてのどこか幼さの残る青年であったが、在学中から遺跡現場の十分な経験があり、豊富な知識と情熱を持った信頼のおける後輩だった。
「仕事虫の立山さんが一週間も休暇を取るなんて、珍しい事もあるんですねぇ」
三島は土器の破片をパズルのように合わせながら、私を一瞥した。
「実は面倒な事に巻き込まれていてね」
私は三島と歳も近く同じ大学の先輩後輩という事もあって、日頃から兄弟のような付き合いをしていた。職場やプライベートでも、よく悩み事を聞いてやったり、世間話に花を咲かせたものだった。
「面倒な事?」
三島はピンセットを持った手を止め、私に視線を向けた。
「今は詳しくは話せないが、とにかく当面あとの事は頼んだよ。何かわからない事があったら、周りの者に聞くといい。私からよろしく言っておくから」
海の日まで、残り三日を切っていた。何度も水元に連絡を入れてみたが、携帯電話、自宅電話いずれも不通だった。彼の職場に電話すると、一週間も前から長期休暇を取っていて、職場にも一度も連絡が無いと言う。人手が足りないので、一刻も早く見つけ出して連れて来るよう、逆に頼まれる有様だった。
水元の身に何かが起こっている事は容易に想像できた。ひょっとすると黎明館に監禁されているのでは? という思いが、私の脳裏に過った。
同窓会の前日、私はぎりぎりまで水元からの連絡を待っていた。明日連絡が無ければ、意を決して黎明館へ向かう決心を固めていた。万が一の事を考え、職場の三島孝史と恩師である荒川先生に行き先だけを伝え、出発の日まで何をする事も無く、ただ悶々とした時間を潰していた。
そんな時に、夕刊に挟まっていたこの手紙を発見したのだ。差出人は水元悟。ワープロで印字された文面からは、以前電話で感じたような緊迫感は微塵も感じられなかった。
封筒に切手は貼られておらず、直接ポストに投函されたようだ。
一体誰が投函したのだろうか。水元本人であれば、一言の挨拶も無く私の家をやり過ごすはずはない。私は一字一字、注意深く文面を追った。
立山紘一様
下記の通り、県立●●高校第16回生3年D組の同窓会を開催いたします。
場所:兵庫県篠山市○○町○○○○
「黎明館」にて
日時:7月20日(木)午後1時より
チェックインして下さい。
なお宿泊・食事等一切の料金は、とある方の御厚意により無料とさせていただきます。
豪華な食事を囲んで昔話に花を咲かせましょう! みなさんのお越しを心待ちにしております。
※ちなみに現在の参加希望者を、御本人の了解を得まして紹介しておきます。
①水元 悟(幹事)②中塚尚樹(進行)
③岡林祐一 ④八木芳和 ⑤服部紹子 ⑥町田真衣
⑦東原由夏 ⑧福本郁実 ⑨洲崎倫子 ⑩立山紘一
(順不同・敬称略)
同窓会幹事 水元 悟
大阪府○○○市○○○○-○○
電話 ○○○-○○○-○○○○
黎明館 電話 ○○○-○○○-○○○○
参加希望者に私の名前が記されているのには少なからず驚いたが、これは砂場の大親友の無言の脅迫かも知れない。断ることは避けられないぞ、という暗黙の警告なのだろう。
黎明館は多紀連山の西ヶ嶽中腹にある砂場家の別荘であるが、所有者である砂場家の人々はここ数年の間、一度も足を運んでいないという。私は一人息子の引きこもりがおおよその原因だと考えたのだが、原因はそれだけではなかったのだ。
人里離れた「陸の孤島」だと砂場の母親は言った。息子が幼い頃に、一度だけ家族で訪れた事があった。黎明館は、山岳ルートから大きく逸れた地元の人も寄りつかないような場所にあり、鬱蒼とした山林の中に、まるで幽霊屋敷のような洋館がポツンと建っている。夫が自社に一任して建てさせたらしいのだが、蔦に覆われた気味の悪い外観に、身震いするような戦慄を感じたという。
追い打ちをかけるように、管理者の農家の男は無口で眼光が鋭く、陰湿な雰囲気を体全体から発散していた。表情に喜怒哀楽が無く、何を考えているのか全く分からない不気味な存在だった。
砂場の母親は、黎明館での滞在が日頃の主婦業の疲れを癒すどころか、とても居心地が悪く不快な休暇となった。それ以来、夫に誘われても頑なに拒んできたという話だった。
気落ちした砂場の母親から、それ以上深く追求する事は出来なかった。ただ、館の周辺には豊富な山菜が採れ、不定期で民宿としても機能しているらしい。管理と経営は、古くからその不気味だという農家に委託していて、現在の状況などはほとんど把握出来ていないのが実情だった。
この不気味な同窓会の参加希望者たちは、自由参加なのか、あるいは意図的に集められたのか。
当時の記憶を思い起こしてみたが、委員長の水元以外の参加メンバーとは大した付き合いも無く、向こうも私の事など記憶に無いだろう、と思った。 砂場の復讐劇の舞台がこの黎明館だとしたら、集められたメンバーが即ち、砂場の標的だと考えられる。必ず何かが起こる。危険な何かが。
私はまず自分の安全を確保するため、様々な危険を想定して準備を進めた。同窓会は日帰りとなるのか宿泊となるのか。それさえも定かではない。とにかく知りえる情報が少な過ぎるのだ。しかしこの茶番劇に砂場の大親友が関わっているのは間違いない。
私は身支度を済ませて自宅を後にした。黎明館に集まったメンバーが、誰が敵で誰が味方なのか見当もつかない。味方であったとしても、大親友の脅し一つで敵に寝返る場合もあると考えたほうがいい。冷静に、慎重に。黎明館では、出来るだけ多くの情報を集め、主催者の意図を探り出す。そしてこの馬鹿げた同窓会を乗り切ってみせる。
車窓から見える鬱蒼とした山林の風景は、今の私には薄気味悪さと不安をもたらす材料でしかなかった。篠山口駅からバスに乗り、黎明館の最寄りのバス停で降りる。早めに到着したので、参加希望者は見当たらなかった。黎明館に連絡を入れると、管理者が車で迎えに来るという手筈となっている。チェックインは午後一時なので、まだ二時間ほど余裕があった。
ここからは黎明館に続く専用の私道があり、バス停の向かいには『黎明館はコチラへ→』と書かれた古ぼけた案内板が見えた。
私は高まる緊張感を抑え、また思考の整理も兼ねて、徒歩で向かう事にした。幸い天候も曇ってはいたが雨の心配は無かったので、気持ちを落ち着かせる時間は確保出来そうだった。
黎明館へつながる私道は舗装されておらず、鬱蒼とした山林の中に、車一台分の車幅の砂利道が続いていた。緩やかな勾配の曲がりくねった道を小一時間ほど登りきると、突然視界が開け、蔦に浸食された不気味な洋館が現れた。
入口の前には年代物の白いワンボックスカーが停まっていた。恐らく送迎用の車だろう。私は時計を確認した。間近なバスの到着時刻から考えると、到着した参加者がそろそろ迎えの電話をかける頃だろう。幹事の水元と進行の中塚はすでに中にいるのだろうか。敵か味方か。後から揃うメンバーたちにも気を許してはいけないが、信用のおける味方を見つけ出す事も必要だと思えた。
木陰に少し身を隠して覗き見ると、玄関のドアが開き、中からベージュ色の作業服を着た老人が出て来て車の運転席に座った。帽子で表情がわからなかったが、恐らく母親が言っていた、不気味な黎明館の管理者の男だろう。私は通り過ぎる車を見送った後、黎明館の入口へ向かった。
さて、一体誰が最初に私を出迎えるのだろうか。
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