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3 砂場邸にて

 二十年前に起こった黎明館(れいめいかん)事件の概要をつかむため、地元の市立図書館へ向かった。当時の人々は、この事件をどの程度の扱いで見守っていたのだろうか。

 各紙の新聞記事を辿(たど)っていくと、当時は『首相が倒れ連立内閣発足』や『シドニー五輪』の二大記事に注目が集まっていた。黎明館事件は大量殺人事件にも関わらず、地方で起こった事件、かつ厳重な取材規制もあったのか、大々的な扱いはされていなかったようだ。

地方紙にはあるいは、という思いを抱きつつ、周辺の取材も兼ねて丹波篠山(たんばささやま)市、そして黎明館のある多紀連山(たきれんざん)へ向かう事にした。


 インターネットで調べると、多紀連山は三嶽(みたけ)西ヶ嶽(にしがたけ)小金ヶ嶽(こがねがたけ)の三つの山からなる、別名多紀アルプスと呼ばれる所で、奇岩絶壁(きがんぜっぺき)があり、高山植物、野猿の群を見る事が出来るという。五月初旬に山開きされるという事なので、時期的にはちょうど良かった。


 ただ、このうだるような暑さだけは大敵だった。想像するだけで気が滅入ってしまう。ひとまず黎明館事件の発端である砂場秀樹(すなばひでき)の自宅へ向かい、あわよくば黎明館の取材許可を取ってしまおうと考えた。


 JR大阪環状線を乗り継ぎ、大阪駅から宝塚線に乗り換えた。快速列車で二つ目の駅に目的の地があった。砂場秀樹と立山紘一が高校時代を過ごしたI市である。改札を通り抜けると、だだっ広い広場にこぢんまりとした時計塔があり、反対側には全国展開しているショッピングモールが一望できた。

I市といえば、震災で少なからず被害を受けたという話を聞いてはいたが、当時の傷跡は微塵も感じられなかった。

 駅の案内板を確認し、市営バスに乗って三十分ほどの砂場邸のある地区へと向かった。


 市営バスを降り、バス停から徒歩五分ほどの砂場邸に足を運んだ。時刻は午前十時を少し回ったところだ。砂場の住んでいた地区は、のどかなベッドタウンという表現がぴったりと当てはまる。整然と舗装された道路と真新しい建売住宅やマンションが軒並み見られる一方、少し目を移せば畑や田んぼもちらほらと点在していた。


 用意した菓子折を小脇に抱え、服装を整えて門前で足を止めた。

砂場邸は、立山紘一の手記の記述どおり立派な門構えで、建物は圧倒されるような風格を醸し出していた。しかし庭の手入れが長い間(とどこお)っているのか、生い茂る雑草が玄関への飛び石を覆い隠していた。

外灯の周りには綿のような蜘蛛の巣が張り巡らされ、蛾のもぎ取られた羽の残骸と(たわむ)れるように、土色の蜘蛛が動いていた。


 開け放たれている門をくぐり、雑草に引っかかる足を気にしながら玄関のインターホンを押した。こもった電子音が聞こえたが、誰も出てくる気配はなかった。しばらく待っても返答がないので、玄関を横切り縁側(えんがわ)の方へ足を進めた。


 絡みつく雑草をかき分け周囲に目を向けると、昔は錦鯉でもいたのだろうか、干上がった石敷きの池の中にまで雑草が蔓延(はびこ)り、無惨にも乾燥して白くなった苔が、申し訳程度にこびり付いていた。ひっそりと雑木林に佇んでいる石灯籠(いしどうろう)も薄気味悪く変色していた。


 縁側の大きなガラス戸がむき出しになっており、もし建物の主が不在であれば、不用心この上ない。カーテンで中の様子は(うかが)えないものの、庭の状態から考えると、家の中もきっと散々(さんざん)な状態なのだろうと予想した。


「砂場さん、いらっしゃいますかぁ?」

ガラス戸越しに大きめの声で呼んでみたが、やはり返答がない。無駄足だったかと後悔しながらも、ガラス戸に手をかけてみると、驚いたことに抵抗なく戸が(ひら)いた。

「砂場さん、いらっしゃいますか?」

ガラス戸を開け、改めて大声で叫んでみた。ムッとするような悪臭が鼻孔に飛び込んできて、思わず咳込んだ。


「お客さんかい? 珍しい事もあるもんだ」

不意に背後から声が掛かったので、びくりとして飛び上がった。振り返ると、石垣の向こうの家の窓から、人の良さそうな老人が顔を覗かせていた。

「砂場さんは耳が遠いんで、中に入って(そば)で話さないと聞こえないよ」


 向かいに住む老人は、砂場家と同じく古くからこの土地に家を構える野田(のだ)という農家だった。今はもう畑を息子夫婦や孫に任せて隠居している身だった。

 老人の話によると、現在この屋敷に住んでいるのは、自殺したと思しき砂場秀樹の父、砂場重三(すなばじゅうぞう)ただ一人らしい。もともと重三は生活態度がだらしなく、妻の信子(のぶこ)が蒸発してからというもの、家中が荒れ放題。一時期は家政婦を雇っていた事もあったらしいが、重三の大名のような尊大な態度やセクハラ行為などにより、次第に誰も砂場邸に寄りつかなくなっていった。重三の経営する砂場建設の業績悪化も原因の一つではないかと老人は語った。

 今ではすっかりと老け込んでしまった重三に、愛の手を差出す者も無く、月に二度ほど役所の生活指導員が安否を確認しに来る程度だと言う。


「可哀想だが、ああいう人生は送りたくないねぇ」

老人は孫娘がくれたという厚手の湯飲みをしみじみと眺めながら言った。

 気さくな老人のおかげで、現在までの砂場家の情報が表面上ではあるが、つかむ事が出来た。

早速、生活指導員の肩書きを借りて、再び砂場邸に足を運んだ。


 ガラス戸を開け室内に入ると、まだ昼前だというのに中は気味が悪いほどに薄暗かった。それに、この鼻を突く何かが(くさ)った臭い。胃液が喉元まで突き上げて来るのを必死に我慢しながら障子を開けた。居間には埃が深く降り積もり、歩くごとに白い埃が宙に舞った。足の裏を確認してみると、白い靴下が早くも灰色に変色していた。(かす)かな人の気配を感じ、向かって左側の襖を開けた。


 喉を突くような悪臭の発生源は、目の前にある布団から出ているようだった。襖を開けた途端、刺激臭が眼窩(がんか)に飛び込んで来た。目も開けられない悪臭とは正にこの事を言うのだろう。砂場重三は、この猛暑にもかかわらず全ての襖を閉め切っていたので、室内に籠もった湿度を含んだ熱気が、(よど)んだ空気を増幅(ぞうふく)させているようだった。


「砂場さん、生活指導員の者です。お邪魔しますよ」

ハンカチで呼吸器官を抑えながら、枕元へ歩み寄った。

 すぐに異変に気づいた。この暑さにも関わらず砂場重三は分厚い掛け布団を目深(まぶか)(かぶ)り、身動き一つしていなかった。敷き布団の隙間から、埃にまみれた白く(うごめ)(うじ)が見えた。

「ぎゃっ」

思わず飛び上がった。よく見ると、敷き布団を囲むように(おびただ)しい数の蛆が蠢いていた。

「で、で、電話だ、電話!」


「なにぃ! 死体現場に遭遇しただと?」

編集長の甲高い声が受話器越しに響いた。

「本当にびっくりしましたよ。怖くて死体は見れませんでしたけど、とんでもない悪臭だったんです。おまけに第一発見者という事で、警察に根ほり葉ほり聴取されたあげく、長時間拘束(こうそく)されてました。連絡が遅れたのは、そういう事なんですよ」

編集長の興奮を抑えるように、ゆっくりと報告した。


「で、死体は自殺か? 他殺か?」

()き立てるように編集長が質問した。

「慌てないで下さい。まだ発見されたばかりですから。ちょっと小耳に挟んだ話なんですが、死後二、三日は経っていたようです。腐敗が激しくて詳しい事はわかりませんが、病死の線もあるようです」

「そうか。そっちの件は、おいおい記者発表があるだろうから、あまり首を突っ込まない方がいいかも知れんな。ところで今回の取材の本来の目的を警察に漏らしていないだろうな?」

編集長は一転して声を(ひそ)めて言った。


「その点は承知していますよ。あとあと動きにくくなるかも知れませんからね。とりあえず今日はここに(とど)まって、明日丹波篠山(たんばささやま)のほうに行く予定です。何らかの進展はあるはずですから」

「あんまり取材費を無駄遣いするんじゃないぞ。企画倒れになったら大損だからな」

編集長は期待を込めた口調で言った。

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