●発端『ある囚人の独白』②
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砂場の手紙を要約すると、思い出す限りでは、次のような事が書かれていた。
【荒川先生宛の手紙】
僕の葬儀には何人くらいの人が来ていましたか? 恐らく先生は来てくれたでしょうね。
先生は僕のような面倒な生徒のために、辛抱強く足を運んでくれました。きっと来てくれていると思います。でもそれは何の慰めにもなりません。あんたは偽善者だ。良い人を演じて、自分のお株を上げようとしている策略家だ。クズだ。
僕が引きこもるようになったのは、あんたのような表と裏のある汚い人間に飽き飽きしたからだ。
僕は汚い人間の代表であるあんたを呪いながら死んでいきます。一生この重荷を背負って生きて下さい。せいぜい長生きして下さい。僕はお先に地獄で待っていますから。
【私、立山紘一宛の手紙】
僕の部屋のパソコンを起動して、ドクロマークのアイコンをクリックしてくれ。
私宛の手紙には、好奇心をくすぐるようなそっけない一行の文章が記されていた。
今考えると、この手紙を読んでいなければ、私の人生もあるいは違ったものになっていただろう。
先生と私は手紙を読むと、母親に手渡した。先生は苦虫を噛み潰したような表情で黙り込んでいた。
「先生、気を落とさないで下さいよ。お母さんには悪いけど、砂場の方がひねくれているんです。それより、こっちの手紙のほうが気になるんですが」
私は悪臭漂う砂場の部屋を覗き込んだ。衣類の山に埋もれている年代物のノートパソコンが目に入った。
私と先生は、ハンカチで鼻を押さえながら砂場の部屋に入った。母親の了解を得て、窓を全開にし、ゴミ袋にカップラーメンやお菓子の残骸、シミの付いた大量の衣類を放り込んでいった。
「まるで掃除屋だな」
荒川先生は鼻を押さえながら、小声で愚痴をこぼした。
微かな異臭は漂ってはいたが、ようやく部屋が片づいた。私は先生と母親が見守る中、ノートパソコンの電源を入れた。静かな起動音が流れたあと、お馴染みのOSが立ち上がった。デスクトップには、ぽつんとただ一つ、ドクロマークのアイコンが表示されていた。テキスト部分には【立山紘一宛】と記されていた。
「それじゃ、開きますよ」
私は恐る恐るアイコンをクリックした。先生と母親の固唾を飲む音が、ゴクリと聞こえた。
カラカラというハードディスクの回転音が聞こえ、画面には黒地に白のテキストが表示された。私は高ぶる鼓動を必死に抑え、慎重に読み進めた。
立山紘一君。君は僕の事を覚えているだろうか? 高校三年間、まぁ正確に言えば、二年と三ヶ月ほどだが、君のクラスメートだった砂場秀樹だよ。そうそう、マッチ棒とかニトロのほうが思い出すかも知れないね(笑)
君はもう大人になって、結婚もしているんだろうな。それに比べて僕の頭の中は、ずっと高校三年生のままで止まっているよ。まだまだ僕は若いんだ(笑)
君がこの文章を読んでいる頃、僕はもうこの世にはいない。車に体当たりして自殺するつもりだ。君は負け犬の最期だと思うだろうが、それは大きな間違いだ。僕が死んでからが本当の始まり、僕を侮辱した奴らへの復讐劇の幕が上がるのさ。
計画はすでに第一段階を終えた。僕が死んでも、全ては僕の大親友に託してあるので、思い残すことは何も無い。
せいぜい君も体には気をつけてくれよ。僕の復讐が完了するまでに死なれては困るんだから。
君はこの手紙を読んだ時点から、死の恐怖に苛まれるだろうな。なんせ僕の大親友が君の命を今か今かと付け狙う事になるんだから。
とは言え、君と僕は長い間クラスをともにしてきた好もあるんで、唯一の防御策を述べておこうか。それは僕の家の別荘である黎明館へ向かう事だ。そこへ行けば、ひょっとすると君の命は守られるかも知れないな。あわよくば、他の憎たらしい面々の命も救えるかもね(爆笑)
断っておくけど、警察に頼んでも無駄だよ。事件はまだ起こっていない。警察には民事不介入、っていう大原則があるんだからね。
なお、この文章は、君が読み終わる頃には全て消去するプログラムを組んである。文章だけじゃないよ。このパソコンが壊れる手筈になっているんだ。いくら君がこの文章の事を警察に証言しようとも、証拠が無いんだから信じてもらえないだろうね。
同時に、ネットを通じて君がこの文章を読んだ事が、僕の大親友に知れ渡る仕組みになっている。復讐計画第二段階の始まりだ。
君はもう今から死の恐怖と格闘する羽目になったんだ。これは脅しじゃないよ。本当だよ。帰り道、気をつけてよ。
黎明館の場所はうちのクソババアに聞いてくれ。助かりたかったら、7月20日までに黎明館へ向かう事だ。それではこれくらいにしておこう。健闘を祈る!(笑)
文章を読み終わると同時に、画面が乱れだした。ハードディスクのアクセスランプが激しく点滅し異音を発したかと思った矢先、パソコンの電源がプツリと切れた。それ以後、何度ボタンを押しても、パソコンが起動する事はなかった。
「立山、あまり深刻に受け止めない方がいいぞ。ただ気になる所もあるから、俺の方からクラスの面々にはそれとなく連絡を取ってみる。とにかく今日は自宅に戻った方がいい。追って連絡するから、気をつけて帰れ」
血の気の引いた私の表情を見て、慰めるように荒川先生が言った。
私は砂場の文章を半ば信じることができなかったが、背筋に冷たいものを感じ取ったのも事実だった。自殺の決行と手の込んだ消去プログラム。砂場の屈折した怨霊のようなものが、私の首を締めつけるような気がした。そして文章の中に記された、姿の見えない砂場の大親友とは一体誰なのか?
私は早々に砂場邸をあとにした。今は何も考えないでおこうと思った。全ては先生の報告を待ってからだ。
二日後、荒川先生から電話が入った。砂場の策略はまんまと成功し、私は仕事もろくに手につかないほど不安に苛まれていた。
「立山か。当時の面々に連絡を取ってみたら、今のところ何事も無いようだった。ただ連絡の付かなかったのが何人かいる。引っ越したり嫁いだりといろいろあってな。無事な面々にはくれぐれも気をつけるよう話しておいたが、取り越し苦労かも知れないぞ。君もこの件はスッパリと忘れて、元気を出せよ」
その言葉を聞いて私の心は多少和らいだ。だが、その安堵感も数日後には脆くも崩れ去る事になった。
当時の学級委員長、水元悟から連絡が入ったのは、まもなくだった。事もあろうか、砂場秀樹の別荘、黎明館で同窓会を催すというのだ。電話越しの水元の声は、心なしか怯えているような気がした。
「水元、荒川先生から忠告は受けているよな。馬鹿げた事をするもんじゃないよ。だいたいそんな場所で同窓会をやったって、盛り上がるわけ無いじゃないか」
呆れて言うと、水元は深刻な口調で頼み込んだ。
「頼む、絶対に来てくれ! 十人以上集めないと……。詳しくは言えないが、どうしても来て欲しいんだ。絶対だぞ、絶対に来ないと恨むからな!」
水元のあまりの剣幕に、私は違和感を感じずにはいられなかった。
「水元、ひょっとして脅されているのか?」
「そ、そんなわけないじゃないか。久しぶりにみんなに会いたいだけだよ。何、変な事言ってるんだよ」
うわずった水元の口調から、私はSOSの信号を読み取った。
「わかった。十人以上だな。お前のその勧誘じゃ、集まるものも集まらない。俺も他の面々を当たってみるから、元気出せよ」
助け船を出すと、水元は救われたような声色に変わった。私は砂場の復讐計画が本格的に進行している事を確信したのだった。
同窓会は7月20日、海の日に決定していた。砂場が残した文章に記されていた、タイムリミットと同日だった。私は覚悟を決め、妻を実家に帰し十分注意するように言った。
砂場の呪縛から逃れるカギは黎明館に隠されている。罠だとわかっていても助かる術はそれしかないと思った。
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