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2 岸本氏の話

 少女から受けとった住所を頼りに、町内の番地を辿りながら目的の市営団地に足を運んだ。

築三十年は経っているだろうか。建物の外壁にはクラックを補修した跡が蜘蛛の巣のように広がっていた。階段は昼間だというのに異様に薄暗い。設置されている埃の被った蛍光灯が、交換をせがむように点滅していた。


 集団ポストで名前を確認し、建物の三階へ上った。インターホンを押すと、ブーっという時代遅れのブザーが鳴り、間髪を入れずドアが開いたので、思わずのけ反ってしまった。


「待ちくたびれたぞ。汚いところだが、まぁ中に入れ」

少女から前もって連絡を受けていた岸本氏は、(こころよ)く迎え入れてくれた。

「どうやら本格的に動く気になったようだな。君のような若者を待っていたんだ。智子(ともこ)ちゃんの話によると、雑誌の編集者だそうだが」


「ええ。今度この事件を取り上げて、取材経緯を長期連載する予定なんですよ」

差し出された缶コーヒーを口に含んだ。

「その事だが、君もわかっているだろうが、この取材には危険が付きまとう。もし公表するのなら、それは事件の真相が明らかになってからにしてもらいたい」

岸本氏は神妙な顔つきで言った。その表情は威圧的な雰囲気を(かも)し出していた。


「確かにそうですね。まだきちんとした回答はできませんが、編集長に掛け合ってみますよ。

それはそうと、岸本さんがこの本を入手された経緯をお伺いしたいんですが」

「その前に、見つけた手紙を見せてくれ」

岸本氏は手紙を受け取ると、食い入るように文面を追った。その鋭い瞳孔(どうこう)は、古本屋の店員とは思えない風格が(ただよ)っていた。


「君の質問に答えてやろう。わしは以前、ある殺人事件を担当していた元捜査員だ。

『ある囚人の独白』は、その時の被害者が隠し持っていたものだ。

わしは捜査資料として目星を付け、この本の捜索(そうさく)に当たっていた」

「その被害者って、まさか……」

「そうだ。君が次に面会する予定だった、三島孝史(みしまたかし)だ」


 岸本氏は定年が差し迫った十五年ほど前、三島孝史強盗殺害事件の捜査員の一人として鑑識(かんしき)に立ち会っていた。被害者は、体中をアイスピックと思われる凶器によってメッタ刺しにされ絶命していた。

 室内が乱雑に荒らされた形跡があったので、強盗殺人事件として捜査はスタートした。

被害者の金庫が物色され、財布の(たぐい)も発見されなかったことから、捜査本部は金品目的の強盗によるものだと判断した。


 しかし岸本氏は、犯人には別の目的があると考えていた。被害者のゴミ箱にはフロッピーディスクを切り刻んだような磁気フィルムの残骸が残っていた。

 殺害現場の状況からも、被害者がワープロで何かを執筆していた事は明らかだった。にもかかわらず、書類は一切残っていなかった。

 鑑識に依頼した結果、データの一部が解析され、「黎明館」「独白」「罠」などの文字が抽出できた。


 岸本氏は五年前に黎明館(れいめいかん)で起こった大量殺人事件に注目する。

その事件で唯一生き残った立山被告は、一昨年に獄中で自死していたのだが、今回の被害者、三島孝史とは生前から交流があり、頻繁に手紙のやりとりを繰り返していた。

 手紙の内容は、検閲の悩みの種だったらしく、ミミズの()ったような文字が大量に(つづ)られているだけで、皆目(かいもく)理解できなかったらしい。

ただ、立山が最後に送った革張りのブックカバーには『ある囚人の独白』という文字がエンボス加工されてあったという。


 データの断片、ブックカバーのタイトル、アイスピックの残虐的な殺害方法、そして執拗(しつよう)な物色状況から判断すると、おのずと犯人の真の目的が明らかになってくる。

岸本氏は次のような推論を立てた。

 立山紘一は自分の冤罪を晴らすため、『ある囚人の独白』の原稿を暗号化して三島孝史に送り続けていた。そして原稿を受けとった三島は、暗号を解読し一冊の本としてまとめ上げる。

 その事に気づいた黎明館事件の真犯人が、三島の元へ出向き、『ある囚人の独白』の在処(ありか)を残虐な手段を使って聞き出そうとした。


 ここからは岸本氏によるかなりの演出が入るが、殺人犯はまるで中世の拷問(ごうもん)のように、足下から額にかけて順々に、アイスピックでジワジワと苦痛を味合(あじあ)わせながら告白を迫った。

 しかし三島は拷問に耐え抜いた。絶命するまで口を割らなかった。

自らの危機を察していた彼は、すでに全ての書類を闇に(ほうむ)っていた。唯一『ある囚人の独白』の一冊を残して。


 黎明館事件の真犯人は、執拗(しつよう)な脅迫に耐え抜き絶命した三島の尋問を(あきら)め、部屋中の(いた)る所を物色(ぶっしょく)した。軒下から天井裏まで、その執念たるや強盗、空き巣の域をはるかに超えていた。岸本氏が引っかかりを感じたのもその点だった。


 結局、殺人犯は『ある囚人の独白』を発見することが出来なかった。真の目的を悟られないように金庫から通帳や印鑑、財布や金品を奪い取り、犯行を強盗による殺害に見せかけたのだ。


「『ある囚人の独白』を見つけ出せれば、わしの仮説が固まると信じていた」

岸本氏は過去の経緯を語った後、遠くを見るような眼差しで言った。


「どこにあったんですか? よほど意表をついた所に隠してあったんでしょうね?」

「残念だが、まぁ単純な話だ。木の葉を隠すなら森に隠せ、ってな。三島は(すで)に製本した本をこっそりと市場に出していた。あの懐風書店(かいふうしょてん)の本の山の中に」

「確かに。あの古本屋に隠されると、ちょっとやそっとじゃ見つけ出せませんよね」

天井まで届きそうな懐風書店の本の山を思い浮かべた。


「必ずここにあると確信していたが、とうとう見つけ出す前に定年を迎えてしまった。

わしは諦めきれなかった。そして残りの人生をこの事件に捧げる覚悟を決めた。だが、ようやく見つけ出した時には、わしは歳を取り過ぎていたんだ」

岸本氏は厳しい表情で語った。三島孝史強盗殺害事件は未解決のまま、十五年という長い歳月が経っていた。


 編集部に戻り、編集長に今回の経緯を手短に報告した。

『ある囚人の独白』の存在によって、二つの殺人事件に密接な関連性がある事がわかった。

編集長は立山紘一の直筆の手紙を読むや否や、興奮した顔をして言った。

「面白くなってきたな! このまま連載開始と行きたいところだが、お前に死なれても困るしな。今日からリモートワークで構わん。だが逐次(ちくじ)報告は(おこた)るなよ。タダ飯喰らいは許さんからな」


 かくして毎朝出勤のしがらみから解放され、遅刻の心配も無くなった。取材報告の義務はあるが、鬼編集長の(そば)でビクビクしながらの編集作業からも解放されたわけだ。

この取材を仕上げる事ができれば、一端(いっぱし)の記者として一目(いちもく)置かれるかも知れない。都合の良い妄想を思い浮かべながら編集部をあとにした。


 翌日、岸本氏の市営団地に向かい、これからの取材計画を練る事にした。

「早速ですが、立山紘一の奥さんの件、岸本さんは何かご存じですか?」

「その件か。かなり昔の事になるが、三島孝史の殺害事件が起こる以前から行方をくらませているようだ。連れ去られたか、殺されたか、自ら隠れたのか。かれこれ十五年も経っているから、今その住所に自宅が残っているかどうかもわからんな」

岸本氏は立山の手記の住所を眺めながら低く(うな)った。


「ま、奥さんの件は後回しにして、とにかく『ある囚人の独白』に沿って、黎明館で起こった事件を順を追って調べていきたいと思っているんです。岸本さんもある程度調べておられるとは思いますが、改めて調べる事で、また違った発見があるかも知れませんから」


「もっともだ。せいぜい足手まといにならんようにせんとな。相談事があれば、いつでも乗るぞ」

岸本氏はグビリと缶コーヒーを飲み込み、新しい煙草の封を切った。

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