第93話 ハラウェイン伯爵令嬢、新たな奇跡を見る
(ハラウェイン伯爵令嬢視点)
ハラウェイン伯爵令嬢は、母親である伯爵夫人が悪役令嬢によって救い上げられる(新たな)奇跡を目にします。
[『いいね』、誤字脱字のご指摘いただきました皆様方に深く感謝いたします]
猊下の右掌の上に浮かぶ聖なる光の珠から溢れ出していく『聖水』
もちろん、光の珠には、管ですとかそういったものは繋がっていないのです。
本当に、今ここに、この世の理から逸脱した奇跡が起きていると言えるでしょう。
「あ、あ、あ……」
そして、止め処なく溢れ続ける『聖水』は、お母様の頭の上からかけられていき、お母様の髪や顔を、そして首から下の身体へと全身を濡らしていくのです。
『聖水』は、神の祝福であり、穢れを清めたり、病を癒したりするのだとは伺ったことありますけれど、それを浴びられたお母様はどうなってしまわれるのでしょうか?
「猊下、お母様……」
わたしは、相変わらずポロポロと涙を零しながら、猊下のなさる奇跡をタダ眺め続けることしかできません。
最初は、唐突に『聖水』をかけられたことに驚かれていらっしゃったお母様ですが、今は自ら『聖水』を浴びに行かれているようにすら思えます。
そして、お母様の全身を『聖水』が濡らしていくほど、色白だったお母様のお肌が徐々に赤みがかってものへと変わっていくのが、分かるのです!
本当に、何が起きているのでしょうか?
「ああ、わたし、清められていっているの……?」
『聖水』ですっかり全身びしょ濡れになられたお母様は、恍惚とされたご表情でお顔を上げられると、お目をパチリと開けられ、先ほどまでの血走った目ではなく、瞳孔回りはすっかり白くなられていたんです。
そして、お母様は、水を求める魚のようにお口を開けられ、猊下のお手から溢れ落ちる『聖水』を飲まれ始めるのです。
「アリー……」
バリアの向こう側から状況をご覧になられていたお父様は、茫然とされたご様子で、お母様のお名前をお呼びになられます。
わたしもまた『聖水』を必死にお飲みになられ始めたお母様に、困惑を隠せず、声をかけることすらできませんでした。
「あぁ、(ゴクッゴクッ)あああっ!」
ですが………何だか、お母様のご様子が少しおかしいような気がします。
全身『聖水』で濡れていらっしゃっているからという訳ではなく、妙にお肌の艶、張りといったものが若返っていらっしゃるように見えるのは、錯覚か何かなのでしょうか?
「ああっ、わたし、こんな澄んだ気持ちになったのは、初めて……」
はい……!?
ぉ、お母様のお声が、先ほどまでとは全くの別ものに、それもデビュタントを済まされたばかりのご令嬢のようなお声に変わられていたのです!?
こ、これはもう、お母様にとんでもない変化が起こっていると見て、間違いないでしょう。
猊下のお手から溢れ出ている『聖水』は、本当にお母様を心身を癒し、『若返り』のような現象まで引き起こしているとみて良いのではないでしょうか?
何ということでしょう。
お母様はまるで幽鬼に憑り付かれたような先ほどの怖ろしいお姿から、感情豊かなデビュタント前後のご令嬢のお姿に生まれ変わられてしまったかのようなのです。
本当に信じられません!
「(コク)(コク)」
お母様は頬を染められながら、ご両手で『聖水』を受け止められるようになさると、今度は大事そうに……ですが、お上品に飲まれるようになっていらっしゃいました。
ここまで、変わってしまわれると……お母様というより、少し歳の離れたお姉様といった印象すら抱いてしまいそうになります。
「はあ、ありがとう存じます、使徒様」
う……更にお母様のお声が若返られたような気がするのですが、大丈夫なのでしょうか?
ぃ、いえ、ちょっと待ってください。
お母様をお救いくださった猊下の『聖水』の源は、猊下の聖なるお力のはず!
お母様が心身ともに癒された分だけ、猊下はお力をご消耗されていらっしゃるはずなのです!
「げ、猊下、これ以上はいけません!
もうこれで十分でございますっ!」
焦りを覚えたわたしが必死にそうお伝えすると、猊下は軽く頷かれ、何かを呟かれると、猊下の右掌の上にあった光の珠はゆっくりと萎んでいき、『聖水』もまた絶えてしまったのです。
「ああああ、使徒様っ」
『聖水』が失われてしまったことで、今まで恍惚とされたいらっしゃったお母様は、我に返ったようにお目を見開かれ、『使徒様』を崇拝するような眼差しが見詰められるのです。
そして、(我に返られたことで)ご自身がなさってしまわれたこともまた思い出されたのでしょう。
「わ、わたしは、何ということを……」
深い感謝と懺悔の念の入り混じったご様子で、その場で膝を突かれると、お目を閉じられ、猊下にお祈りを捧げられるのです。
心身ともに聖なる癒しを受けられたお母様が、宙に留まられている『使徒様』のお姿の猊下にお祈りをされているご様子は、本当に宗教画の一枚のようにしか見えませんでした。
「おおお」
女護衛隊の方々だけでなく、お父様までも涙ぐまれ、感謝のお祈りを捧げられていらっしゃいます。
「使徒様、此度は多大な恩寵を賜りまして、わたしの全心全霊をもちまして深謝申し上げます。
それに対して、わたしは……うぅ、御身を疑い、害しようとしたこの愚か者に、どうぞ然るべき神罰をくだしていただければと存じます。
如何様なる神罰でございましても、わたしの命をかけて償う所存でございます」
お母様……本当にご正気に戻られたのですね!
ですが、お母様のなさってしまわれたことは……もはや取り繕うこともできないようなことだと思います。
どうして、わたしはお母様をお止めできなかったのか、いえ、どうして猊下をお守りできなかったのでしょうか?
今思えば、今朝の『正夢』は、猊下を『人の身』に引き留めるというだけでなく、お母様の仕出かされたことを事前に防ぎ、猊下のお心が『人』のそれから逸脱されていくのを回避せよということだったのではないでしょうか?
本当に全てはわたしの失態だと思うのです。
「お母様」
「アリー……」
わたしさえ適切に動くことができていれば、お母様が猊下に害意を向けられることなく、タダ猊下はご神託のままに『聖水』を授け、『何事もなくお母様が救われる』そんな可能性だって大いにあったことでしょう。
もしお母様が神罰を受けられるのだとすれば、その一部はわたしもまた受けるべきものだと思うんです!
「アリー・プレフェレ・ハラウェイン様、貴女様の謝意、確かに頂戴いたしました。
ですが、ご神命にございました『救い』は、まだ終わりではございません。
先立ちましてハラウェイン伯爵家より騙し取られたご献金の方は、わたしが取り戻してまいりました。
どうぞこちらに、お受け取りくださいませ」
「し、使徒様っ!?」
使徒様が何かが呟かれた直後、(昨夜がわたしの部屋に現れたときと同じように)部屋の空気を掻き乱すような音に続いて、使徒様の(浮いていらっしゃる)足元にあの『櫃』が出現するのです!
お言葉の時点で、涙を零され始めていらっしゃったお母様は、目の前に現れたあの『櫃』にいよいよ泣き始められてしまわれます。
「こ、これは、間違いなく、我が領の献金を収めた『櫃』!?
ま、まさか、戻ってくるなんて、うぅぅ」
「ああ、何という、ご恩寵を……」
お父様も涙交じりのお声で、使徒様に感謝の祈りを捧げられるのです。
「あぁぁ、使徒様、わたしは本当に、何と愚かなことを、仕出かしてしまって、あぁぁ」
もはや号泣といって良いほどにお泣きになられるお母様。
こんなお母様も、初めて見てしまいました。
本当に、お母様が『人の心』を取り戻されたのだと分かります。
「では、アリー・プレフェレ・ハラウェイン様、ケラフォ・プレフェレ・ハラウェイン様のお二人にくだされた神罰をお伝え申し上げます」
そ、そんなお父様も、だなんて。
わたしも、神罰を受けるべき身だと思いますのに!
どうして、そんな……。
わたしは思わず絶句してしまい、口をパクパクさせることしかできない中、そして、お父様とお母様が覚悟を決めたようなご表情をされる中、ついに猊下は神罰の内容を口にされてしまうのです。
「お二人には、末永くハラウェイン伯爵領において、善政を敷いていただきたく存じます。
領民の方々が幸せに過ごされる限り、追加の神罰はございません」
まるで神罰をくだされるような口調ではなく、むしろ、『吉兆』をお告げになられるように微笑んでおっしゃってくださったその内容に、お父様とお母様は驚きのあまり、口を半開きになさってしまっています。
いえ、きっと、わたしもそうなのでしょう。
猊下、神に減刑どころか、むしろ追加の恩寵を願われたのではないでしょうか?
わたしのときも、あまりにも甘いと思ってしまったわたしですが、お母様へのあまりにもご寛大なご対応に涙が止まらなくなってしまいます。
「な、何という……ああ、寛大なるお取り計らいに甚謝申し上げます」
「あぁ、ああああっ」
お母様が大きく声を上げてお泣きになられる中、
「バリアの方は、解除いたしました。
どうぞケラフォ・プレフェレ・ハラウェイン様もお入りになられてくださいませ」
「おお、結界がっ!
アリー、アリーッ!!」
猊下は(続けて)バリアを解除され、お父様がお母様に駆け寄られます。
本当につい先ほどまでなら、信じられないような光景です。
お泣きになられながらも、安心しきったようなお優しい表情で、お父様を迎えられるお母様。
何だか、歳が少し離れた夫婦のように見えてしまうのは、お母様が若返られたからでしょうか?
「アリー、元に戻ったのだな。
お前を一人にしてしまって本当にすまない。
お前の辛いときに支えることができなかった」
「ぐすっ、いえ、そんな……我が領が災厄の危機にあったのは分かっておりましたのに、くずっ、わたしは自分のことばかりで……」
「何を言う、お前だって我が領のことを考えてくれていたからこそ、あの献金のことで思い悩んでいたのだろう?」
抱き合っているお父様とお母様を見ていると、幼い頃を思い出してしまいます。
あの頃のお二人は、こんなにもお熱い仲だったんですね。
十一になった娘としては、少し恥ずかしいくらいです。
「それにしても、アリー、随分とまた……まるで少女時代に戻ったようじゃないか?
初めて出会ったあの日を思い出してしまったぞ」
「まあ、旦那様ったら、ぐすっ。
ほら、娘を忘れちゃダメよ、ハードリー、貴女もこちらに来なさい」
熱い抱擁を解かれ、わたしにも腕を開いてくださるお母様。
わたしが小さかった頃はいつもこんな感じだったのでしょうか?
あまりにも懐かしく、心温まる情景がここに蘇ったような気がして、わたしはお母様、お父様に抱き着きに行ってしまうのです。
「ああっ」
猊下、猊下は間違いなく、我が領だけでなく、我が家にとっても大恩人です!
この大恩は一生かかってでもお返ししますから、どうか今だけは、我が家のお時間をお許しくださいまし。
わたしは、わたしへも微笑みをくださりながら、少し距離を取っていかれる猊下に感謝の思いを視線に込めて笑いかけるのでした。
連日の更新となっておりますが、いつもすぐにお読みいただき『いいね』、ご投票いただきまして本当にありがとうございます。
年末のお休みのところ、拙作の誤字脱字のご指摘、ご報告も連続でいただきまして恐縮な限りでございます。
さて、今回も悪役令嬢メリユ=ファウレーナさんが自重することなく、やらかしまくってくれているようでございますね、、、
ハードリーちゃんのお母様には、間違いなく『使徒様』として認識されてしまっているようですが、大丈夫でしょうか?
何にせよ、ハラウェイン伯爵家に幸せが齎されて何よりでございました!




