第92話 ハラウェイン伯爵令嬢、一時は最悪な事態に陥るも、また悪役令嬢に救われる
(ハラウェイン伯爵令嬢視点)
ハラウェイン伯爵令嬢は、目覚めた伯爵夫人に悪役令嬢を紹介しようとしますが、最悪な事態に陥りかけ、またも悪役令嬢に救われることとなってしまいます。
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「今の光は何っ? ちょっと、誰かいないのっ!?」
お母様のお部屋の奥の方、寝台のある辺りからお母様のヒステリックなお声が聞こえてきます。
きっと、今の、猊下がご変身された際の光でお目覚めになられたのでしょう。
今までの落ち着かれたお母様ではあり得ないような金切り声に、わたしは身体が強張るのを感じてしまいます。
そう、あの偽聖女見習い様に献金を騙し取られたことに気付いてしまったお母様は、本当に別人のようになられてしまったのです。
それも、この二日ほどで更に酷くなられてしまったご様子。
本当に、どうすれば、元のお母様に戻っていただけるのでしょうか?
「メリユ様」
わたしは(もはやお頼りするしかない)猊下を、すがるような声で呼んでしまいます。
猊下は、全て分かっているとばかりに頷かれると、何かを小さく呟かれ、『使徒様』のお翼で羽ばたかれるとお部屋の曲がり角の方へと飛んで行かれるのです。
まるで宗教画の中に入り込んでしまったような光景に、わたしはタダ瞬きを繰り返すことしかできません。
全てを任せて欲しいとおっしゃってくださった猊下。
それでも、わたしの肉親、お母様のことなのですから、わたしが付いていかないなんてことあってはならないでしょう。
「お母様っ」
わたしは床から一フィートほど浮かんだままお部屋の角へと進んでいかれた猊下に追い付き、並び立ちながら、お部屋の曲がり角の手前から声をおかけするのです。
(お部屋の入口からは直接寝台が見えないようになっているので)この角を曲がれば、すぐ向こうにお母様の寝台が見えるのですが、緊張のあまり、声が少し震えてしまいました。
「ハードリー、そこにいるのですか?
なぜ侍女たちを下げたのですっ、貴女までこのわたしを遠ざけるつもりなのですかっ!?」
お母様のお心が病んでしまわれたのは、きっとあの土砂崩れのせいで、お父様もお母様に付き添うことができなくなり、またわたしも昏睡状態に陥られた猊下のお世話でお傍にいられなかったせいもあるのでしょう。
普段のお母様であれば、それぐらいはご理解してくださるのでしょうが……多額の献金を騙し取られてしまった罪悪感に心を病まれてしまった今のお母様には、『少しでも距離を取られる』ということが、『自分の味方がいなくなる』ということなのだと曲解されていらっしゃるのかもしれません。
「ぉ、お母様、ご紹介したいお方がいらっしゃっているんです。
そのままで結構ですので、どうかお話を聞いてくださいませんか?」
わたしは必死にお母様の味方が、いえ、お母様をお救いくださるお方=猊下がいらっしゃっているのを伝えようと試みます。
「医者ならもう結構っ!
どんなお薬を飲もうとも、あの献金が返ってくることはないのですものっ!
お薬を拒んでも、どうせまた口先だけで、わたしを宥めようと言うのでしょう!?」
全てを拒絶されるようなことをおっしゃるお母様が怖い。
どうしてお母様は、こんなにお人が変わられたようになってしまわれたのでしょうか?
もしかすると、これが……わたしへの『神罰』だったりするのでしょうか?
「げ、猊下」
わたしはまた涙が目尻からポロポロと零れていくのを感じながら、猊下を見上げてしまいます。
すると、猊下は『お泣きならないでくださいませ』とおっしゃるかのように目を細められ、優しく微笑んでくださるのです。
わたしはそんな猊下に頷き返し、思い切って、
「ぉ、お母様、お医者様ではございません。
神に認められし、本物の聖女猊下がお越しになっていらっしゃっているんです。
どうかご紹介させてくださいまし!」
と声を張り上げて、お母様にお伝えします。
わたしの声に合わせるかのように、猊下は再び背中のお翼を羽ばたかれ、ゆっくりと角を曲がっていかれるのです。
どうか、お母様が……猊下に乱暴を働いたりされませんように!
わたしは必死に祈りながら、猊下に続いてお部屋の角を曲がり、寝台に腰かけていらっしゃる……空色のナイトドレス姿のお母様を視界に捉えるのです。
「聖女?」
まるで幽鬼のような呻き声を上げられ、血走ったその目をぎょろりと猊下に向けられるお母様。
一瞬にしてゾクリとしたものが背筋を走り、わたしは全身が震え出すのを感じてしまいます。
こ、これが今のお母様!?
ハナン様からお母様のことは伺ってはおりましたけれど、まさか、ここまでお母様の状態が悪化されていたなんて。
ですが、猊下のお姿をご覧になられば、あるいは……
「あっ……あ、あ、あ」
そう、どう見ても『使徒様』にしか見えない、あまりにも神々し過ぎる猊下のお姿に、お心を病まれたお母様も驚かれたように目を見開き、右手を猊下の方へと伸ばされようとされるのです。
どうか、お母様、猊下にお心を開いてくださいまし!!
「お母様っ、こ、こちらが、メリユ・サンクタ・マルグラフォ・ビアド聖女猊下です。
先のキャンベーク川の土砂崩れ現場決壊の危機から我が領をお救いくださり、あの献き……」
「っ! 献金ですってっ!?」
「ひぅ」
その言葉=『献金』がよろしくなかったのでしょうか。
わたしの言葉を遮り、娘のわたしですら恐怖を覚えるような大声を張り上げられるお母様に、わたしは思わず言葉を続けられなくなってしまいます。
「そうですか、エレム・メティラーナントサンクタ・シェラーダとかいうあの偽聖女見習いに続いて、今度は『聖女』を騙り、『使徒様』の装いまでさせた不届き者を送り込んでくるとは!
あの女からは、ハラウェイン伯爵家は『いい鴨』だとでもお話があったのでしょう、ふふふ?」
「ぉ、お母様!?」
視線を床に落とされ、病的なまでにお身体を震わせられながら、猊下を否定されるようなことをおっしゃるお母様に、わたしはゾッとしてしまうのです。
もしかしますと、お母様は、猊下に乱暴を働くようなことをなさろうとされるかもしれません。
ですが、そんなことは絶対にダメなんです!
たとえ、今の猊下がお怪我を負われる可能性がないのだとしても……そのお命を懸けてハラウェイン伯爵領を災厄から救ってくださった猊下が、その領主の妻であるお母様から悪意を向けられたというだけでも、猊下はお心に傷を負われてしまうことでしょう。
ですから、万が一の場合には、わたしが身を挺してでも猊下をお守りしなければならないんです!
「ふふ、そんな恰好をすれば、わたしが簡単に引っかかるとでもお思いになったのでしょうか?
本当に馬鹿にしてくれるわね?
どこの派閥に属している修道女かは知らないけれど、貴女、そんな恰好をして恥ずかしくないのかしら?」
いけない!
お母様がしょ、燭台を手にされてしまっています!?
まさか、あれで、猊下を!?
そ、そんなことダメです、絶対にダメですっ!
「猊下っ、お逃げくださいましっ!」
「ハードリー、貴女まで!
本当に憎たらしい! こんなつまらない細工までしてっ、すぐに叩き落としてあげるわ!」
わたしは全力でお母様の腰に抱き着き、引き離しにかかります。
ですが、何なのでしょう、お母様の力強さは!?
押さえ、切れませんっ!
「ダメェ」
「「「メリユ様っ」」」
あまりの事態に、お部屋の角で状況の推移を見守られていた女護衛隊の方々が動き出されてしまいます。
お声からして先頭を切ったのは(わたしもお名前を存じ上げている)ルジア様に、殿下の近傍警護をされているお二人でしょうか?
微かに抜剣される音がお部屋に響いて、わたしは最悪な事態に陥ってしまったことを悟ってしまいます。
どうしてっ、どうして、こんなことになってしまったのでしょう!?
わたしはタダ我が領をお救いくださり、更には献金まで取り返してくださった猊下を、お母様にご紹介して、もはやお母様がお心を病まれる必要はないのだと、そうお伝えしたかっただけですのに!
「いやぁ!」
「なりませんっ!」
わたしがお母様に引き摺られながら悲鳴に似た声を上げる中、凛とした声を張り上げられる猊下。
続いて、コォォンと聞いたことのないような音がして、女護衛隊の方々が軽く呻き声を上げられるのが背後に聞こえてきます。
いえ……今の音は、先日の奇跡の際、わたしたち全員を守っていた結界、バリアにものが当たるときの音、なのでしょうか?
思わず振り返ってしまった次の瞬間、わたしはお母様を完全に押し留められなくなり、
「きぇぇぇ」
お母様が両手で握られている燭台が猊下に届くところまで、一気に引き摺られていってしまうのです。
ダメェ!!
ブンッという風切り音と共に、燭台は大きく振られ、猊下の右肩から左脇腹へと貫いていってしまいます!
お母様は(修道女と思われている)猊下に致命傷をお与えになるおつもりではなかったのでしょう。
タダ、細工によって宙に浮いているように見える修道女=猊下を叩き落としたかっただけなのかもしれません。
ですが、結果的には、お相手が猊下でなければ、大怪我を負わせかねない行為を働いてしまったのです。
「キャァァ、な、なんてことを、お母様っ」
「ァ、アリー、何をしているっ!?」
わたしが悲鳴を上げると同時に、お部屋の角からお父様が女護衛隊の方々を押し分けるように現れ、お母様のなさったことに、いえ、加えて宙に浮かんでいらっしゃる猊下のお姿に、茫然と立ち竦まれるのです。
「なっ……し、使徒様だと?」
口を大きくお開きになられたお父様が、そう呟かれた途端、
「……は?」
お母様はご自身のなさってしまったこと。
そして、(結果的には)猊下が全くお怪我を負われなかったことに、目を見開き、立ち尽くされてしまうのです。
「ど、どうして、今確かに当たってしまったはずなのに……当たった感触が……」
もはや、猊下が『特別なご存在』であられることを否定し切れなくなったお母様は(初めて)怯えたように手にされていた燭台を石張りの床に落とされ、全身を激しく震わせられ始めてしまうのです。
「皆様、どうぞ落ち着いてくださいませ。
わたしの、今のこの身は決して傷を負うことがございませんので」
わたしの目の前で、両手を胸元で重ねられ、微笑まれながら、一度お目を閉じられる猊下。
あってはならないことが起きてしまったというのに、タダお一人、何事もなかったかのように振る舞われている猊下。
何ということなのでしょう。
わたしはまた猊下のお心が『人』あらざるものに近付いてしまったような気がして、背筋が凍るような思いをしてしまうのです。
「げ、猊下……」
そして、瞼をゆっくりと上げられた猊下はお母様に向き合われ、口を開かれるのです。
「アリー・プレフェレ・ハラウェイン様、神からのご神託により、貴女様をお救いにまいりました。
本当にお辛い思いをなさいましたね、ですが、もう何もご心配なさることはございません」
猊下?
一体、猊下はお母様に何をお話になられておられるのでしょう?
ご神託とは……ま、まさかっ、猊下は事前に神より『お母様を助けるよう』ご神託を受けていらっしゃったとでもいうのでしょうか!?
「ひっ」
お翼を小さく羽ばたかせ、膝を折りながら、お母様へと近付かれていく猊下。
完全に猊下に対して怯えを見せるようになられてしまったお母様は、両手を重ね合わされ、下顎に宛がわれたまま、生まれた落ちたばかりの小鹿のように震えています。
猊下は、そんなお母様に対しても慈愛のご表情を浮かべられ、触れられぬそのお手でそっとお母様の手を覆われるのです。
「ぁ、あ、貴女は……貴女様は」
わたしは、またも『猊下に救われようとしているのだ』と(頭では)理解しながらも、あまりの事態に言葉を発することすらできなくなっておりました。
お母様を守るように、いえ、包み込むように猊下=『使徒様』のお翼は動き、
「貴女様のお心とお身体が健やかになられますよう、癒しの水を授けます」
猊下は信じられないようなことを告げられるのです。
『癒しの水』とは?
まっ、まさか、殿下からのお話で伺っていた『聖水』のことなのでしょうか!?
「“SwitchOn light-2 with intensity 0.04”
“Execute batch for water-generation-on-hand with flow-speed 0.01”」
またも聖なるご命令を発せられる猊下。
ゆっくりとお母様の手からそのお手を離されると、右掌を上へと向けられます。
そこに生まれたのは、キャンベーク川であの峡谷を昼間の明るさへと戻した光球と同じ聖なる光の珠。
そして、その光の珠からは『聖水』が溢れ始めてしまうのです!
いつも『いいね』、ご投票いただき、応援いただいている皆様、本当に感謝に堪えません!
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今回のお話はさじ加減がなかなか難しかったのですが、いかがでしたでしょうか?
何にしましても、悪役令嬢メリユ=ファウレーナさんのアドリブはちょっとやり過ぎですね、、、
メグウィン殿下のときもそうでしたが、ハードリーちゃんに対しても、決意を固めたばかりの彼女に酷な展開にしてしまって、更に離れられなくしてしまうおつもりでしょうか?
まあ、そんな意図は元からないのでしょうけれど、そう疑いたくなるような展開に毎度持ち込んでいるような気がしてなりません、、、




