第84話 ゴーテ辺境伯令嬢、悪役令嬢の秘密(?)に気付いてしまう
(ゴーテ辺境伯令嬢視点)
ゴーテ辺境伯令嬢は、セラム聖国の書物で得た知識から悪役令嬢の秘密(?)に気付いてしまいます。
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自分が突然悪意に晒され、あっけなく命を散らす。
そんなこと、わたしは今まで一度も考えたことがなかったの。
もちろん、国境線を守るゴーテ辺境伯家の第二子として、緊張感がなかった訳ではないわ。
それでも、接しているのは(他の大国とは違い)比較的友好的と言って良いセラム聖国で、辺境伯領を貫くキャンベーク街道を行き来するのは、交易に携わる商人とセラム聖国への巡礼に赴く王国民たちくらい。
辺境伯領軍の兵士たちや領城の衛兵たちだって、緊急の場合に他の辺境伯領に派遣されることを想定しての厳しい訓練はしていたものの、我が領が直接危険に晒されることは想定していなかったと思うの。
だから、わたしにとって、かつて悪意を持ってミスラク王国に攻め込んできたという南に接する大国ナシル王国を王都騎士団や他の辺境伯領軍が力を合わせて追い払ったというお話や(最近も度々いざこざがあるらしい)北の辺境伯領でかつてのビアド卿がご活躍されたお話なんかを聞くのが好きだった。
悪意に晒されることのない平和なゴーテ辺境伯領で生まれ育ったから、そういうお話に憧れを抱いてしまったのかもしれないの。
そんなときに我が領を訪れたのが、エレム・メティラーナントサンクタ・シェラーダ様。
物語に出てくる悪者のように、悪の気配を漏らし出すエレム様に、わたしは自分が物語の主人公になったかのような錯覚を覚えてしまったの。
今考えれば、わたしは本当に無謀なことをしてしまったのだと思う。
もし影のお姉様が駆け付けてくださらなかったなら、わたしが命を落としていたのは間違いないのだもの!
そして……わたしは影のお姉様のご活躍に浮かれてしまって、自分が命を落としかけた恐怖を一時的に忘れてしまっていたのだわ。
『ひっ』
ふと嫌な気配に気付いて、見上げた先には、わたしを狙って放たれた弓矢。
矢じりの鈍い輝きには、何かが塗りたくられた色合いがあって、明らかに致死性の毒がそこにあることを示していたの。
たとえ(それなりの怪我を負うこと前提で)素手で弓矢を叩き落としたとしても、その毒を受けてしまうことだけは避けられない。
いえ、そもそもわたしの反射神経では(身に突き刺さるまでの残り時間で)その弓矢をどうにかすることなんてできなかったの!
「お姉様あ」
そんなわたしをまたしても庇ってくださったのは、あの影のお姉様。
わたしが『休んでいて欲しい』とお伝えして、休んでいただいていたはずなのだけれど、お姉様は常に周囲に悪者の気配がないか、見張っていてくださったのだわ。
もしお姉様がいらっしゃらなければ、本当にわたしはここで命を散らす運命しか残されていなかった。
命を散らす本物の恐怖というものを今になって実感してしまう。
あの毒が塗られた矢じりがわたしの身体に突き刺さっていたら、わたしが命を散らすまで、そう時間はかからなかっただろう。
特に心の臓辺りに刺さっていたなら、数を数える間もなく命を散らしていたと思うのだわ。
迫り来る弓矢の矢じりに、わたしは皆の顔を、皆との思い出を思い出してしまっていた。
これがきっと走馬灯というものなのだわと思ったの。
天に召される前に、短いわたしの人生を振り返る。
あれで本当に終わっていたなら、わたしはどれほどの悔いを残して、天へと旅立つことになっていただろう。
幼い正義感に駆られて、命を散らした愚かな辺境伯令嬢。
わたしは……デビュタントまで数年あるとはいえ、中身はもう立派な令嬢なのだと思っていたのだけれど、そうではなかったのね。
「ぐすっ、ぐすっ」
今のわたしがここでこうして息をしていられるのは、全てお姉様のおかげ。
あの瞬間、瞬き一つする間にわたしの前に、わたしを守るために現れてくださったお姉様のおかげ。
今思い出しても、あれは、経典に出てくる『神兵』のごとき身のこなしとお力だったのだわ。
わたしは(命を散らすことを確信し)タダ迫る死の気配に怯え、タダ目を瞑ることしかできなかったというのに、わたしの前にご自身のお身体を投げ出され、目にもとまらぬ速さで襲う来る弓矢をその手で握り締め、へし折られるなんて、普通の女性にできるとは思えない。
「うぇぇん」
王家の影のお方というのは、本当に、これほどまでにお強いの?
わたしが茫然となりながらも、(社交用の真紅のドレスを纏われているというのに)神速で動かれるお姉様に『本当は人の身ではいらっしゃらないのでは?』という疑問を思わず抱いてしまったのも、無理はないと思うの。
わたしを『他国の長弓』で狙った(木立の上の)あの暗殺者を、お姉様が捕縛に動かれたとき、(お姉様は間違いなく本気を出されていたと思うのだけれど)あの動きは到底『人の身』でできることではなかったのだわ!
「うぇぇん、お姉様」
こうして(はしたなくも)抱き付かせていただいている、わたしの鼻をくすぐる、お花のお香り……これはクチナシのお香りかしら?
花言葉は『喜びを運ぶ者』『大きな幸せ』『洗練』といったものだったと思うの。
まさに、お姉様に相応しい花言葉だわ!
そう、お姉様は……まるで、民の幸せの護るためにご降臨された使徒様のよう。
領城の書庫にあった書物はもちろん、セラム聖国から取り寄せた最近の書物だってまんべんなく拝読してきたわたしは、似たようなお話を知っているの。
確か、仮初のうら若き女性のお姿でご降臨された使徒様は、とても女性とは思えないお力で悪しき者を鎮め、民を不幸からお救いになられたと、そんなお話だったはずなの!
もしかすると……いえ、きっと、お姉様はその使徒様に違いないのだわ!
「ひぐっ、ひぐっ……」
お姉様の胸元のご体温を手放したくなく思いながら、わたしはお姉様を見上げてしまう。
あまりにもお優しい微笑みを浮かべられ、(わたしが幼かった頃の)お母様のような手付きでわたしの頭を撫でてくださるお姉様。
月明かりに照らし出されるお姉様のお顔はあまりにも白く美しく輝かれていて、闇夜の闇を取り払う使徒様そのものに見えてしまう。
「お姉様……」
そう……そのお話では『人の身』ではないと、正体を見破られてしまったその使徒様は、寂しげに天界へと帰られてしまう、そんな展開だったのだわ。
おそらく、お話の使徒様は……もっと多くの民を、もっと長く見守られたく思われていたのだと思うの。
それなのに、助けられた娘が『あなたは人ではないの?』と告げてしまったせいで、使徒様はそれ以上地上に留まることを許されなくなってしまった。
天から突如現れた天界へ繋がる回廊は、使徒様のお身体を包まれ、その回廊の満たす光の中で使徒様は本当のお姿に戻ってしまう。
娘は必死に謝り『一緒にいたい』と告げるも、神はお赦しにならず、使徒様は涙一滴零されるもそのまま天上へと召され、使徒様の涙が落ちた地には、新たな泉が湧いたと……そんなお話だったはずなの!
っ!
ちょっと待ってなの!?
その泉のある地こそ、サラマ聖女猊下のご実家のあるセレンジェイ伯爵領だったはず。
そして、サラマ聖女猊下は枯れた泉の代わりに、新たな泉のご神託を受け……聖女猊下になられたはずなのだわ!
「ぐすっ、お姉様」
セレンジェイ伯爵領に新たにできたという泉。
そして、そのサラマ聖女猊下が王都への往路に休息のため一時ご滞在された、この我が領に突然ご降臨され、わたしを悪しき者たちからお救いくださったお姉様。
これは本当に偶然だと言えるのかしら?
もしかしたら……もしかして、お姉様こそが、天界より新たに遣わされた使徒様!?
それなら、お話に出てきた、かつて使徒様の零された涙より生まれた泉が枯れたのも納得ができるような気がするの!
「……っ」
ちょっと待つの!
お姉様が口にされた『ハラウェイン伯爵領』、そこでの出来事は何だったのよ!
多数の倒木に覆われたキャンベーク街道の復旧に当たっていた兵士からあった『山肌をえぐり取ったかのような光景があった』とのあの報せ……半信半疑だったのだけれど、お姉様が使徒様としてのお力を振るわれたのだと考えれば、全て辻褄が合うのだわ!
「………」
わたしは必死に自分の口を両手で押さえながら、お姉様を見詰めてしまう。
もしここでわたしが『お姉様は使徒様でいらっしゃいますの?』なんて訊いてしまえば、お話の通りに天からの回廊がお姉様を攫っていってしまうのかもしれないのだもの!
そう、絶対にこの疑問だけは口にしてはいけない。
そうでなければ、わたしはあのお話で悲しい思いをした娘のようにお姉様と今生で二度と出会うことはできなくなってしまうのだわ!
そして、お姉様だって不本意にも、(使徒様にとってのお時間では)ご降臨されて早々に地上から立ち去られることになってしまう!
そ、そんなのは絶対にダメなのよ!!
「どうかされましたでしょうか、マルカ様?」
わたしの心は、まだ残り二割ほどお姉様=使徒様と信じ切れていなかったのだけれど、それでも、この疑問を口にすることだけはできそうになかった。
「ぃ、いえ、何でもございませんの、お姉様」
「そうでございますか?
ふふ、さあマルカ様、ご家族の皆様がお待ちでございますわ。
すぐにお連れいたしますので、ほんのひと時目を瞑っていただけますでしょうか?」
お姉様。
そんなわたしの心をおくすぐりになられるようなお言葉をおっしゃるお姉様。
ひと時目を瞑っている間に、一体お姉様は何をなさるというのかしら?
「は、はい、お姉様」
お姉様のお優しさが、命を散らす恐怖に縮こまっていたわたしの心を解きほぐし、温かく包み込んでくださるのが分かるのよ!
そう、お姉様が、王家の影の方であろうと、使徒様であろうと、わたしには関係ない。
だって、お姉様は、わたしの命の恩人(?)なのだもの!
このお方を信じないなんてこと、あっていいはずがないのだわ!
わたしは、お姉様がわたしの両肩にお手を置かれる感触を確かめるようにしながら、瞼を閉じる。
「“Translate 1521.5 235.8 20.6”
三、二、一!」
呪文のような、よく分からないお姉様のお言葉に続いて、三つ、数を数えられるお姉様?
何かとてつもない奇跡が起こるのでは……そんな期待に、わたしは胸が高鳴るのを覚えてしまうの!
「はわっ!?」
バシュッ!
身体の周りをものすごい速さで風が流れていくの!
そして、わたしの足元から……地面が消えているの!?
わたしは息を必死に止めながら、世界がぐるぐる回りそうな感覚に耐えながら、お姉様と同じ世界を感じていることにドキドキしていたの!!
トンッ
「っ!?」
気が付いたとき、わたしの靴裏は馴染んだ領城の石材の床の感触を捉えていたの!?
そして、鼻腔をくすぐるのは、これもまたよく知った領城の廊下の匂い。
ど、どういうことなの!?
ほんの今まで、王城から少し離れた川岸の森にいたはずなのに……一瞬にしてわたしが、領城に移動しているなんてこと、本当にあり得るのかしら!?
「な、何者だ?
ぃ、今どこから現れたっ!?」
すぐ傍から響く(酷く狼狽したような)お兄様のお声と気配。
あまりにも唐突な状況の変化に付いていけなくて、わたしは混乱に陥ってしまっていた。
「突然お邪魔することになってしまい申し訳ございません。
マルカ様をお連れいたしました。
どうかマルカ様を安全な場所でお守りくださいませ」
「ふ、巫山戯るなっ!?
妹を、マルカをどこにやっていた!?」
……本当にわたし、領城にいるのだわ!?
「お姉様、目を開けてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんでございますわ」
わたしが瞼をあげると、領城の廊下に灯された蜜蝋に照らし出されるお姉様がそこにいらっしゃった!?
お姉様の背後には、特徴的なアーチを描く領城の天井が続いているのが見える。
な、何てことなの!?
お、お姉様……お姉様が使徒様なのは、もうこれで間違いないとしか言いようがないのだわ!
「ソルタ様、どうかマルカ様のお話をお聞きになってくださいませ。
マルカ様が全てを知っていらっしゃっておられますから」
「わっ」
お姉様がわたしの肩を軽く押さえてくるっと回転させると、わたしはお兄様の背中にぶつかっていた。
「ひっ」
な……なるほど、突然背後を取られてしまってお兄様、身動きが取れなくなっていらっしゃったのだわ。
しかも、お姉様のただならぬ気配が(敢えて)ダダ漏れになっていらっしゃるのだもの、下手に後ろを向くこともできなかったのに違いないの。
「マ、マルカ……なのか?」
「はい、お兄様、ご心配をおかけしまして申し訳ございませんの。
ですが、重要なご報告がございますの」
「“Translate 12056.2 2389.3 -128.2”」
わたしは、お姉様がお捕えになられた悪しき者たちのことを思い出して、お兄様に伝えようとする。
そして、次の瞬間、わたしの背後に回られたお姉様の気配が薄れるのを感じてしまったの!
「それでは、ご機嫌よう、マルカ様」
わたしの耳を震わせたのは、お姉様のお別れのお言葉。
ウソ!?
わたしは、全力で身体を半回転させて、お姉様を振り返るの!
軽く挙げられた右手を小さく振られるお姉様。
そんなお姉様のお姿がシュンッという風切り音と共に掻き消えてしまう!!
「お姉様っ!?」
本当ならもっとちゃんとお礼をお伝えしたかったお姉様。
本当なら領城でおもてなししたかったお姉様。
わたしなら、お話で出てきた娘のようにはならないよう気を付けながら、お姉様ともっと仲良くなれると思っていたのに!
「お姉様、ぐすっ」
……いいえ、けれど、これが最後ではないのだわ。
お姉様はまだ天界に戻されるようなことにはなっておられない。
なら、まだお姉様は地上に留まられるはず。
ええ、またきっとお姉様とお会いできる機会はやってくるはずなのだわ!
わたしは涙が零そうな目を少し擦って、お姉様から託されたことを始めていくことにしたのだった。
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正直なところ驚いてしまったのですが、2話続けて『いいね』を押していただけて大変うれしゅうございます!
さて、マルカちゃん、悪役令嬢メリユが思っていたよりは強い子みたいですね。
文武両道で、とても物知りな子のようです。
ここで、銀髪聖女サラマちゃんの出身地の昔話が絡んできましたね。
さすがセラム聖国マニアなマルカちゃん、詳しいです!
昔話の天使様も(命を取るようなことは決してなかったでしょうが)『神兵』と思われそうなほどの結構な武闘派だったようで。
マルカちゃんは、その昔話のこともあって、メリユの正体(?)を告げてはならない、バラしてはならないと思っているようですが、サラマちゃんの方は使徒様の直接降臨を見てしまっているので、そちらの昔話と直接絡めては見ていないようです。
もちろん、昔話のことは意識していたでしょうけれどね。
この二人が出会ったなら、うーん、どんなディスカッションを始めてしまうのでしょうか?




