第75話 王女殿下、消えた悪役令嬢のもとへ駆け付ける
(第一王女視点)
第一王女は、姿を消した悪役令嬢がいると思われる場所に駆け付けます。
そして、ハラウェイン伯爵令嬢にとあることがバレてしまいます。
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キューブバリアの外側を流れていた激しい土煙が次第にその勢いを弱めていく中、『ものを消すご命令』=『クリッピング』を執り行われたメリユ様は、突如『ご移動のご命令』を発せられ、そのお身体を崩されるようにゆっくりと倒れていかれながら、そのお姿をお隠しになられたのだった。
『クリッピング』も衝撃的な光景だったけれど、そのお力のご行使をされたメリユ様が、倒れていかれる光景の方が遥かに衝撃的で、わたしは頭から血が引いていく音を聞きながら、言葉を失っていた。
「せ、聖女様っ!?」
「聖女様が消えた!」
先ほどハードリー様がメリユ様の頬を叩かれたこともあり、緊張感を持って護衛に当たっていたハナンや女護衛隊の皆にも動揺が走る。
「ハナン、メリユ様がっ、メリユ様がっ!
一体どちらへ!?」
「ぉ、落ち着いてくださいませ。
おそらく、状況から考えて、馬車の方へご転移されたのでございましょう」
「転移……?」
顔を青ざめさせてはいるものの、まだ冷静さを残していたらしいハナンは、事前の打合せで『緊急の場合に、メリユ様が馬車へ瞬間移動される可能性』について触れられていたことをすぐに思い出していたらしい。
確かに……今のこの状況で、王都にまで瞬間移動される可能性は低い。
すぐ近くで緊急に瞬間移動されるとしたら、メリユ様がいらっしゃることになっている王家の馬車内しかあり得ないだろう。
「馬車、そ、そうね、そうだわ!
アリッサ、セメラ、すぐにメリユ様の状況を確認に向かって!」
「「ははっ」」
わたしの言葉を待っていたかのように、アリッサとセメラが街道傍に止めてある王家の馬車の方へと向かって駆け出していく。
はあ、こんなことになるなら、この場に一騎くらい待機させておけばよかった!
メリユ様が馬車内に瞬間移動されるなんて緊急事態が起こるなら、護衛だってすぐに移動させなければならないのに!
「殿下、今のお話、どういうことなのですか?」
わたしが後悔のあまり唇を噛み締めていると、わたしと手を繋がれていたハードリー様が強張った表情でわたしの顔を覗いてこられていた。
「ぁ」
いけない、わたし、またメリユ様のお前を口に出して?
光と水の聖女様で誤魔化し通さなければならなかったのに、わたしは一体何をやっているの!
「………」
ダメ、言葉が出てこない。
だって、ハードリー様にご説明申し上げているような場合ではないのだもの。
『クリッピング』を執り行われる直前も、あれほどお辛そうなご様子だったのに、なぜわたしはメリユ様のご体調をちゃんと気遣うことすらできなかったのかしら。
言葉だけではダメなの。
それでなくとも、専属護衛隊全員の瞬間移動だとか、あの聖なる光球を打ち上げられたりだとか、過剰にお力をご行使されていたというのに。
既にバリアは張られていたのだから、『クリッピング』していただくのは明日でだってよかったのよ!
「な、何て、とてつもない、神のお力とは、これほどか!」
「見ろ、川を堰き止めていたあの土砂の山が消えてる!」
「すごいっ、ハラウェイン伯爵領は、本当に助かったんだっ」
周囲で騒ぎ出しているハラウェイン伯爵領の方々のお声が五月蠅い。
メリユ様がお姿をお隠しになられたところをご覧になられていない方も多くいらっしゃるのだろうけれど、一番のご貢献をされたそのメリユ様が倒れられているというのに、なぜメリユ様を気遣われる方がいらっしゃらないの!
わたしがそんなことを思っていると、
「殿下、ほんの今、光と水の聖女様のお姿が掻き消えたように見えたのでございますが、聖女様は、一体どちらへ?」
近寄ってこられたハラウェイン伯爵様が血の気の引いたようなお顔で心配げに尋ねてこられる。
ふぅ、本当にハラウェイン伯爵様に救われたような思いがするわ。
伯爵様にまで、気にかけていただけないようなことがあれば、わたしはこの怒りを抑えられなかったと思うもの。
「今、護衛を確認に向かわせておりますので、ハラウェイン伯爵様には、万が一に備えて、聖女様を王城までお運びするご準備をお願いいたしたく存じます」
わたしは冷静さを失った頭でながらも今すべき要請をハラウェイン伯爵様にお伝えすることができ、少しばかりホッとしてしまう。
「状況はよく分かりませぬが、やはり、聖女様のご体調はかなりよろしくないと」
「ええ、今からわたしも聖女様のもとへ向かいます」
「承知いたしました」
メリユ様はハラウェイン伯爵様にとって、加えてハラウェイン伯爵領にとっても大切な恩人。
ハラウェイン伯爵様にお気遣いいただけて本当によかった。
「ハナン、わたしたちもすぐに向かうわ」
「はっ」
そこへ斜面を駆け下りてくる馬が一騎。
一瞬、アリッサか専属護衛隊の誰かかと思ったのだけれど、よく見ると、ハラウェイン伯爵領の軍馬のようだった。
「閣下っ、殿下とお嬢様もご無事でいらっしゃいますか!?」
聞き覚えのあるお声。
おそらく、先ほどハラウェイン伯爵様からこの場にいる者の確認に当たるようご指示を受けておられた、ジャウィイル様というお方だったかしら?
「おお、ジャウィイル、上も無事か?」
「はっ、怪我人はおりません。
馬の方も、ご命令通り、ブリンカーをさせておりましたが、あまりの音に暴れる馬も結構出まして。
比較的落ち着いているコイツで駆けつけました」
よかった、エルたちも無事のようね。
もちろん一番問題はメリユ様なのだけれど……わたしもすぐに向かわなければ。
そう思いつつ、ジャウィイル様が軽やかに馬を下りられるところを眺めていたところ……
「ジャウィイル、この馬、お借りします!」
「はっ? ハードリーお嬢様!?」
唐突にわたしの手を離し、馬へ近寄られてそう発せられたハードリー様のお言葉に、わたしもハナンたちも呆気に取られた。
いけない!
乗馬がお得意で行動力もおありになるハードリー様の即断即決力を見誤っていたわ!
まさか、馬で街道の方まで向かわれるだなんて!
「はぁっ!」
ハラウェイン伯爵様とジャウィイル様すらも、手綱を振るって騎乗で斜面を駆け上がっていかれるハードリー様を呆然と見送っておられる。
「ダメ、ハナン、わたしたちも走って向かうわ」
「はっ」
さすがのハナンも事態が事態だけに叱責することはない。
わたしははしたないことは覚悟の上、ドレスの裾を持ち上げると、斜面に向かって走り始めたのだった。
「はあ、はあ、はあ」
こういうとき、影同様の修練で鍛えた自分のこの筋力があってよかったと思える。
これが他国の王女であれば、あまりの体力のなさに、きっとすぐにバテてしまっていたに違いない。
それでも、相手が馬となると、まるで追い付けない。
ハードリー様にはちゃんとお答えできていなかったのだけれど、ハードリー様はわたしがハナンたちと交わした会話から何をご推察されたのだろう?
メリユ様とハードリー様の間に誤解が生じてしまった以上、神より下賜されたご成長されたメリユ様のお姿の方を本物の聖女様とするということになっていたのに。
エルたちがいるし、アリッサ、セメラも向かっているから大丈夫だとは思うけれど、もしハードリー様が馬車内に立ち入られてしまったなら、どうなってしまうのだろうか?
「お願い、間に合って」
わたしはドレスの裾が木々の枝に引っかかるのも構わずに斜面を駆け上がっていく。
間もなく、この木立の間を抜ければ、街道傍の広場に出るはず。
突き出す太めの枝を掴んで、一番きつい斜面を短絡するように登り切り、わたしは見てしまうのだ。
「ハラウェイン伯爵令嬢様!?」
アリッサ、セメラを最後に馬で追い抜かし、馬車の傍で静止しようと待ち構えるエルとカーラの上を飛び越えて、馬車にしがみつくハードリー様のお姿を。
そして、メリユ様のお力のご行使の証であったキューブバリアに異変が現れるのを。
「ハードリー様っ!?」
ダメ、間に合わない!
エルが馬車の扉を開けようとするハードリー様を捉えようとするも、ぎりぎり間に合わない。
まるで、ハードリー様が馬車内に入られるのを待っていたかのように、馬車内からは眩いばかりの聖なる白い光が溢れ始め……わたしは間に合わなかったことを悟った。
「ぐっ」
また、メリユ様のお役に立てなかった。
悔しさが溢れてくるも、異変はそれだけに留まらなかった。
「殿下っ」
ハナンの声にハッとして見上げると、キューブバリアがシュンという小さな音と共に掻き消え、続いて峡谷を昼間のように照らし出していた聖なる光球もまた一気に明るさを落として消えてしまうのだ。
それは今までで一番ゾッとする光景だった。
おそらくメリユ様の直接のご命令によるものでない、ご命令のご失効。
それは、メリユ様がお力を使い果たされたということを意味しているように思われたから。
「いや、そんなのダメ」
わたしは、慌てて馬車の方へと全力で駆け寄っていく。
馬車内から溢れ出たあの光は、通常のご変身ではなく、きっとお力を使い果たされたことでメリユ様のお姿が勝手に元に戻られたためのものに違いないだろう。
だとすれば、今のメリユ様は!
「エル、どきなさい」
「で、殿下っ!? も、申し訳ございません!」
馬車内に突入しようとしかけていたエルをどかせて、わたしが馬車内に駆け上がる。
半開きの扉を思い切りよく開き、中に入ると、そこには呆然と立ち尽くすハードリー様がいらっしゃった。
「ど、どうして、貴女様が……ウソ、ウソ」
ハードリー様は指を折り込んだ両手をご自身の頬に宛がい、信じ難いとばかりに震えていらっしゃった。
そして、そのハードリー様の肩越しに、わたしはあってはならない光景がその向こうにあるのを見てしまう。
右肩を下にし、腕をダラリと広げられ、ご尊顔を床に付けんばかりのご姿勢で倒れ込まれてしまっているメリユ様。
変身が解かれたため、神より賜った赤いドレスは元の若草色のドレスに戻り、床に広がる赤い髪も元の長さに戻っている。
何より、ドレスの裾から見える脚や、腕、肩の肌色が全く赤みを帯びられていないことに、わたしの心臓は止まりそうになった。
「っ、っ、メ、メリユ様っ!?」
わたしはハードリー様を押し退けて、馬車内に膝を突き、メリユ様の上半身を抱え上げて、メリユ様のご意識を確かめる。
全く力の入っておられない手足。
浅く乱れた呼吸。
触れてすぐに『冷たい』と分かるほどの低い体温。
もはやご意識があるかないかというどころか、瀕死でいらっしゃるのではと思えるほどメリユ様は酷い状態だった。
「殿下っ」
続いて入ってきたハナンが、一目見て、メリユ様のご状態を察したのだろう。
すぐに扉口に戻って、
「エル、カーラ、すぐに清潔なブランケット、タオルをかき集めなさい」
と大声を張り上げる。
「「ははっ」」
「護衛隊は、ハラウェイン伯爵を除き、伯爵領の衛兵たちを馬車に近付けないように!」
「「「はっ」」」
そんなハナンの声を聞きながら、わたしは激しく後悔の念にかられていた。
「メリユ様、メリユ様、メリユ様っ」
どんなにお名前を呼びかけて、メリユ様の瞼はピクリとも反応することがない。
まるでもう二度とご意識が戻られないのではとすら思えるような蒼白なご尊顔に、わたしは涙が一気に溢れてくるのを感じていた。
「殿下、失礼いたします」
すぐ傍に座り込んだハナンがメリユ様の首筋に手を当て、続いて、メリユ様の鼻、口元で呼吸の状態を確かめる。
そして、背や脇に触れ、体温を確かめる。
「脈と呼吸はございますが……これは、体温が低過ぎます」
「そんな……」
顔を顰めるハナンに、わたしは思わず絶句してしまう。
メリユ様が、どんなにお辛い状況であろうとも何も言わずにご無理をされるようなお方だと分かっていたのに。
メリユ様が、ご自身を顧みられることよりも、王国の民の幸せを最優先されるようなお方だと分かっていたのに。
どうしてわたしはメリユ様なら大丈夫だと思ってしまっていたのだろう?
神からのご警告。
あれは、きっとメリユ様ご自身のお力の使い過ぎも含めてご警告されていたのだろう。
本来なら、わたしが、あのお辛そうなメリユ様のお姿に気付いて、事前に止めるべきところだったのだ。
「あの、わたし、体温が高めなはずなので、わたしが聖女様を温めたく思います」
「ハードリー様」
ハードリー様は今はっきりとこのメリユ様を『聖女様』とお呼びになった。
やはり、ハードリー様はメリユ様のご変身が解けるその瞬間をご覧になられたのだろう。
「わたし、お倒れになられた光と水の聖女様の身体が光り輝いて、メリユ様のお姿にお戻りになられるところを見てしまいました。
本当にメリユ様が聖女様だったのですね」
わたしの思っていることを察したのか、ハードリー様は頷いてそう告白される。
そして、ハードリー様は涙をポロポロと零されて、横たわるメリユ様に抱き着かれるのだ。
「こ、こんなに冷たくなられて……我が領のため、命を賭して奇跡を起こされるだなんて」
ハードリー様は、嗚咽をあげながら、メリユ様をご自身の全身で温めようと更に密着されるのだった。
ついにハードリーちゃんにメリユの正体がバレてしまいました。
まあ、メグウィン殿下がボロを出していましたので、バレるのも時間の問題だったかもしれませんが、、、
さて、これで二人の関係性はどうなってしまうのでしょうか?




