第66話 王女殿下、信じ難い光景に心を痛める
(第一王女視点)
第一王女は、親友のハラウェイン伯爵令嬢が悪役令嬢に手をあげたのを見て、心を痛めてしまいます。
「わたしは……たとえ、貴女様があの方々に、あの見習い聖女様に利用されただけなのだとしても、同じ王国の貴族令嬢として許すことができないのです。
辺境伯令嬢でいらっしゃる貴女様がわたしより目上なのも存じておりますが、これくらいのことをされるような悪事を働いたとご自覚くださいませ」
ハードリー様が怒りに顔を強張らせたまま、右手を大きく振りかぶって、そして、メリユ様の左頬を強くはたかれる。
そのピシャンという鋭い音に、わたしは自分の身を固くしてしまう。
普段のハードリー様のお人柄を考えれば、あり得ない、起こり得ないはずの事態がこうして目の前で生じてしまっていることに、頭から血がサァーっと引いていくのを感じてしまうの。
どうして、こんなことに!?
同い年のご令嬢で今までわたしが一番信頼を置いていたハードリー様。
メリユ様には絶対紹介したく思っていたハードリー様が、そのメリユ様に右手で打ち据えられるなんて!
「セメラ!」
「はっ」
誰より早く行動を開始したハナンとセメラがハードリー様の両腕を拘束する。
わたしの大事な人が、わたしの大事の人を傷付け、そして、わたしの大事な人が別の大事の人を捉えているという理解しがたい光景に、わたしは頭の中が真っ白になる。
どよめくハラウェイン伯爵領の衛兵たちに、聖女専属護衛隊の近衛兵たち。
本来この場に満たされているべき、平和な空気は完全に壊されてしまったように思えた。
「なりませんっ!!
ハナンさん、セメラさん、どうぞハードリー様をお放しになってくださいませ!」
けれど、左頬を赤く腫らされながらも、真剣な表情で強く言葉を発せられるメリユ様に、ハナンもセメラも思わずその拘束を解いてしまう。
っ!
そして、わたしは悪い夢から醒めたように、メリユ様の方へと駆け寄る。
明らかに謂れのない非難を受け、その上、傷害行為まで受けてもなおご自身のことよりも周りのことを優先されてしまうメリユ様。
赤く腫れていっている左頬のご様子からすれば、痛くないはずがないのに!
「メリユ様、お怪我は!?」
「大丈夫でございますわ、メグウィン第一王女殿下」
普通の貴族令嬢であれば、さほど痛くなくとも打たれた頬を手で押さえて必死に『痛さ』の主張をするところだろう。
メリユ様の頬の状態から言えば、かなりの痛みを感じていらっしゃるはずなのに、凛とした表情を崩されないどころか、こうやって優しく微笑まれるのだもの。
わたしは胸の内にチクチクするものを覚えてしまう。
「申し訳ございません、事前にハラウェイン伯爵領に忍ばせている影からの報告を受けておくべきところでした」
「いいえ、それよりもハラウェイン伯爵領の方々と王城側の方々の間に溝を作らないようにすることが先決かと」
「メリユ様……」
本当に、メリユ様はわたしと同じ十一歳のご令嬢なのかしら?
思わずそう思わずにはいられなかった。
敬愛できる親友以上のご存在で、未来のお姉様。
そんなメリユ様に、わたしはまた涙が滲んでくるのを感じてしまう。
「ビアド辺境伯令嬢様、どういうおつもりなのでしょう?
こうすれば、貴女様の本性を明らかにして、殿下に真実に気付いていただけると思っておりましたのに」
背後から響いてきたハードリー様のお声に振り向くと、解放されたものの、セメラに『行く手』を遮られているハードリー様がメリユ様を睨まれていた。
「セメラさん、ありがとう存じます。
ですが、今は警護は必要ございません」
「メリユ様……」
セメラが一歩横に下がると、メリユ様は、まるでハードリー様を迎え入れるような空気を纏われながら、ハードリー様の方へと近づき、
「ハードリー・プレフェレ・ハラウェイン様、改めてご挨拶させてくださいませ。
お初にお目もじいたします。
わたしは、北の辺境伯領よりまいりました、メリユ・マルグラフォ・ビアドと申します。
どうぞメリユとお呼びください」
とご挨拶をされるのだ。
「ビアド辺境伯令嬢様、貴女様は、聖女様ではなかったのでしょうか?」
「わたし自身はそう名乗ったつもりはないのですけれど」
困った笑みで零されるメリユ様に
「白々しいお言葉をお吐きなられるのですね」
ハードリー様は、より軽蔑されたような眼差しでメリユ様を睨まれる。
そんなハードリー様に、わたしは胸の痛みがより増してくるのを感じてしまう。
だって、わたしは……こんな光景を見たかった訳ではないのだもの!
「ハードリー様、どうかメリユ様のお言葉をご否定なさらないでください」
「では、殿下は、ビアド辺境伯令嬢様がこのハラウェイン伯爵領をお救いくださると、そうおっしゃられるのでしょうか?
まだ殿下はご覧になられていらっしゃらないかと存じますが、もはや人の手でどうにかできるようなものなどではないのですわ!」
そのハードリー様のお言葉には、さすがのわたしも我慢できなくなっていた。
「いいえ、『土砂ダム』の現場でしたら、昨夜メリユ様とご一緒に拝見いたしましたし、バリアと呼ばれる結界でメリユ様が災厄を回避できるよう処置されるのも拝見しております!」
そう……だって、昨夜メリユ様とわたしは瞬間移動で『土砂ダム』の現場へと赴き、バリアで完全に災厄を押さえ込んだはずなのだもの。
いくらハードリー様であっても、それを否定されるのだけは、許し難かった。
「殿下……何をおっしゃっておられるのですか?」
わたしに対しても警戒心を剥き出しにされるハードリー様。
そんなハードリー様の態度に、動揺してしまうわたしに、
「メグウィン第一王女殿下、今はそのお話をされるのを堪えてくださいませ」
「メリユ様!?」
耳元でメリユ様はそう囁かれたのだ。
そして、
「ハードリー様、この後、わたしよりも年上の聖女様がきっとご解決くださいますわ。
今はまだご信用いただけないかと存じますが、どうかご安心なさってくださいませ」
メリユ様は堂々とハードリー様にそう告げられる。
「何を……」
ハードリー様は(今度は)不気味なものを見るような眼差しでメリユ様をご覧になられて、言葉を失われてしまう。
……そうか。
わたしは、しっくりものを覚えて、ようやくメリユ様のお言葉を理解し始める。
わたしは、この場で何としてもハードリー様にメリユ様のお立場とお力をご理解いただきたいと思っていた。
それこそ、王城の応接室でティーカップを聖なるお力で空中に縫い止められたときのように小さな奇跡を起こしていただこうとすら考え始めていたのだ。
けれど、この場ではそうすべきではないとメリユ様はおっしゃった。
影による警戒すらないこのハラウェイン伯爵領城では、他国の密偵が入り込んでいる可能性だって否定できない。
だからこそ、メリユ様はご自身が聖女と名乗られることもなく、年上の聖女様(変身されたメリユ様)が解決するとそう告げられたのだ。
すごいわ、改めて本当にメリユ様はすごいと思う。
「今はまだ……ハードリー様にご理解いただくときではない、ということね」
わたしの気持ちとしては、まだ到底納得できるものではないけれど、メリユ様がそれで良しとされるのであれば、それを受け入れるしかないのだろう。
それでも……全てを終えられたときには、ハードリー様には謝罪していただかねば、親友として、親友以上のご存在として許すことはできないとわたしは思うのだった。
お気付きの方も多くいらっしゃるかと存じますが、メグウィン殿下と専属護衛隊の間でうまく擦り合わせができておりません。
カーディア隊長が一応専属護衛隊に声をかけるシーンもありましたが、先のダメージも残っていて少しポンコツ状態のメグウィン殿下はちゃんと理解できていませんでした。




