第64話 王女殿下、馬車ごとハラウェイン伯爵領に瞬間移動する
(第一王女視点)
馬車に乗った第一王女は、悪役令嬢によってハラウェイン伯爵領の森にまで瞬間移動します。
「では、ハラウェイン伯爵領に向かいましょう」
「「「はい」」」
メリユ様のご移動のご命令、瞬間移動をなさるにあたって、全員がその対象となっているのを確認し、わたしたちは狭い馬車の中でお互いの手を重ね合っていた。
メリユ様の差し出された手をわたしがまず握り、そこにハナン、メリッサ、エル、カーラが手をのせていく。
手の肌に感じられる皆の体温に、身分や立場に関係なく、信頼することのできる、わたしの大事な方々と本当に通じ合えているのだというのを実感でき、わたしはまた心が温まってくるのを実感していた。
それにしても、メリユ様は本当にすごい。
先ほどの瞬間移動の対象になっているかのご確認だって、きっとメリユ様はコンソールをご覧になって誰が対象になっているかなんてすぐお分かりになられていたと思う。
それなのに、誰が対象か分からないからと、お一人お一人を聖なる光で輝かされたのは、沈んでいたわたしを元気付ける意味もあったのではないかと思う。
お二人目がアダッドで、皆を笑わせたのもきっとその意図でわざとされたこと。
三人目がわたしだったのも、本当に絶妙なタイミングだったと思う。
アダッドの動揺ぶりに、わたしも笑わずにはいられなくて……その次にわたし自身の身体が輝いて、その、あまりの高揚感にわたしの意気消沈していた気持ちはどこかに飛んで行ってしまったのだ。
「メリユ様」
あくまで偶然を装われていらっしゃったけれど、メリユ様は本当に皆やわたしを気遣ってくださっているのだ。
だから……今度こそ、わたしたちはメリユ様の支えになれるよう、メリユ様以上にメリユ様を気遣えるようにならなくてはならない。
何でもないようお顔をされて、ご自身はご無理ばかりをされるメリユ様をいざというときにはお止めし、強引にでもお休みいただいたりできるようにならなくはならないのだ。
「アダッドも聞こえているわよね?」
「はっ、いつでも構いません」
開けられた御者席の窓からアダッドの返事が返ってくると、メリユ様は、
「それでは、皆様、目を瞑ってくださいませ」
と告げられ、
「“Translate 17023.5 20345.3 182.7”
はい、三、二、一」」
ついにご移動のご命令を発せられるのだ。
わたしは目を瞑り、昨夜も二度体験したあの瞬間移動に備える。
昼間の移動はこれが初めて。
馬車ごと瞬間移動するというのは、どんなものなのだろうか?
そんなことを考えている間には、シュバッという大きな音と共に御者席の窓から強烈な風が入り込み、馬車の窓がビリビリと震える。
「キャッ」
初めて体験するセメラが小さく悲鳴を上げるのが聞こえる。
それもほんの一瞬で、馬車はドスンという衝撃と共にハラウェイン伯爵領の大地に降り立ち、わたしはそっと瞼を上げる。
ヒヒーンと少々動揺した様子の馬の嘶きと『どうどう』とそれを鎮めるアダッドの声。
わたしはすぐ目の前で微笑み頷かれるメリユ様に頷き返してから、馬車の乗り込み口のガラス窓の方を見る。
「ここが……」
昨夜は空の上だったけれど、今はハラウェイン伯爵領の森の中にいるようだ。
青い針葉樹の森がずっと向こうまで広がっていて、本当に練兵場からの瞬間移動に成功できたのだと実感する。
「ほ、本当にここはハラウェイン伯爵領なのでございましょうか?」
隣のハナンも少し茫然となりながら、わたしと同じ窓の外を眺めているようだ。
「はい、ハナン様、無事ハラウェイン伯爵領に到着しておりますよ。
扉を開けましょう、外は王都と違った空気に満ち溢れておりますよっ」
エルが馬車の扉を広くと、王都より少し冷たい空気が足元にすぅっと流れ込み、春の森の香りが鼻腔を擽った。
昨日は試練のこともあってあまり余裕がなかったけれど、一瞬でハラウェイン伯爵領の森に来られたことに改めて感動を覚えてしまう。
「はあ、何という素晴らしいお力なのでしょう!
まさに神の奇跡としか言いようがございません」
セメラは、ハナンと違って、素直に感激しているようだ。
エル、カーラは、既に何度も行き来していただけあって、余裕の笑みでお互いに頷き合っている。
わたしですらまだ三回目だというのに、ずるい……と思ってしまうのは、わたしの心が狭いからなのだろうか?
そうしている間にも、近衛騎士団第一中隊最上級騎士カーディア様が扉のところまでやって来られる。
「殿下、猊下、ご無事にお着きになられたようで何よりでございます。
特に猊下、我らを聖なるお力で送り届けていただいたこと、専属護衛隊を代表して感謝申し上げます。
大変恐縮ではございますが、ここから猊下ではなく王太子妃候補として警護させていただくこととなりますので、何卒ご承知おきくださいますようお願いいたします」
「はい、承知しております」
そう、メリユ様が聖女猊下であられるというのは、ハラウェイン伯爵領では、伯爵様と伯爵領上層部の方々にしかお伝えしないことになっており、表向きはお兄様の妃候補として警護することになっているのだ。
神に認められし聖女様であられるメリユ様には心苦しいのだけれど、他国の間者から狙われることだけは避けなければならないのだから。
「お前たちも、メリユ様をお呼びするときは気を付けるように」
「「「承知いたしました!」」」
「アダッド、お前も頼むぞ」
「ははっ、お任せください。
それにしましても、あのハラウェイン伯爵領に今自分がいるだなんて、まだ信じられませんや」
「まあ、夢でも見ているような気分になるのは分かる。
少し休憩したら出発するので、そのつもりで準備をしておいてくれ」
「ははっ」
どうやら、少し休憩したら出発するようだ。
「にしても、見事な景色だ。
殿下たちもぜひご覧になってください」
エルが頷いて場所を変わってくれる。
そして、わたしは馬車の扉からアダッドが見ているらしい前方を見てみる。
そこには、針葉樹の森の上に聳え立つ、雪を被ったバーレ連峰の雄姿があった。
王都では、手前の山々に遮られ、先の方しか見ることの叶わない高山の美しい姿に思わず見惚れてしまう。
「綺麗……」
昨夜もキャンベーク川の峡谷の上に見えていたはずだけれど、昼間に見るとこれほどまでに綺麗だなんて。
第一王女という立場もあって、わたしが公務でハラウェイン伯爵領を訪問するのはこれが二度目。
それも今回はメリユ様やハナンたちと一緒に来られるだなんて、本当にうれしく思えてしまう。
けれど、もしメリユ様がいらっしゃらなかったなら、キャンベーク川の『土砂ダム』の件で、いつ襲い来るか分からない災厄におどおどするばかりで、こんな気持ちには決してなれなかったことだろう。
「よし」
そう全ては、メリユ様のおかげ。
既に昨夜メリユ様の張られたバリアで『土砂ダム』の決壊は完全に防がれているけれど、メリユ様が根本的な解決をされるというその聖務を全力でお手伝いしなければと、わたしは肝に銘じるのだった。
……悪役令嬢、本当に何をやっているのでしょうかね、、、?
さて、ここにいないミューラですが、王都でメグウィン殿下と悪役令嬢のお世話をする侍女の選別に加わっています(何でこんなことをしているのだろうというミューラの嘆きの声が聞こえてきそうです)。
今回は緊急のハラウェイン伯爵領訪問で、悪役令嬢らは先遣されていますので、ハナンと伯爵領の侍女でお世話する感じですね。




