第58話 王女殿下、悪役令嬢とお泊り会をする(!?)
(第一王女視点)
悪役令嬢を自身の寝室に泊めることになった第一王女は、自身のベッドの上で、夢にまで見た友人との会話を楽しみます。
湯浴みの前にメリユ様は使徒様のお姿から元のお姿に戻られ、今は白いシュミーズドレスにお着替えになられている。
それでも、使徒様のお姿であられたときに纏われていた清純な雰囲気はまるで変わらず、わたしの寝室に使徒様が舞い降りられているかのよう。
こんなメリユ様が、わたしの寝室にお泊りされるなんて、やはり、緊張してきてしまいそうだわ。
「殿下、それではシャンデリアを下ろさせていただきますね」
「ぇ、ええ、ハナン、よろしくね」
「承知いたしました」
ハナンに声をかけられ、思わずビクリとしてしまいながらも、わたしはいつもようにハナンにお願いする。
(シャンデリアの蜜蝋を消すために)ハナンたちがきびきびと鎖で吊るされていたシャンデリアを床近くまで下ろしていくのを眺めながら、わたしはまた自分の頬が火照ってくるのを感じてしまう。
蜜蝋を消してしまえば、残る灯りは暖炉の炎のみ。
毎晩のように揺れる暖炉の炎を見詰めながら、誰か、わたしが心から信頼を寄せることのできる(友人関係にある)ご令嬢と一緒にこの時間を過ごせる日が来るのだろうかと何度思ったことだろう。
それがこうして叶ってしまったことに、わたしは神に感謝を捧げずにはいられない。
何より、差し迫るオドウェイン帝国の侵攻やキャンベーク川の堰き止め湖による災厄といった数々の不安のタネを全て取り除いてくださった救世主様であられる、真の聖女様=メリユ様がわたしの寝室にお泊りされるなんて夢のようだ。
「メグウィン様、何かうれしいことでもありましたか?」
向かい側の客人用天蓋付きベッドに腰掛けられたメリユ様が、わたしの方をお見詰めになられてそうお尋ねになる。
「は、はいっ!
メリユ様、今晩は……急なお願いにも関わらず、わたしの寝室でお泊りいただくこと、ご了承いただきありがとう存じますっ」
「いえ、こちらこそお誘いいただけて光栄に存じておりますわ、メグウィン様」
おべっかやそんなものでなく、本当に喜んでくださっているらしいメリユ様に、わたしは心がまた芯からじわっと熱を帯びていくのを感じてしまう。
「ぁ、あの、初めてなんです」
「初めて、とは?」
「同い年の友人が、わたしの寝室でお泊り、されるというのが初めてで……」
恥ずかしさのあまり、わたしは言葉を詰まらせてしまう。
蜜蝋を順に金具で消し始めていたハナンが微笑ましそうな表情を浮かべているのに気付いてしまって、わたしの頬は更に熱さを増していく。
「……と、とてもうれしく思っております」
それでも、お伝えしたかった言葉を何とか絞り出して、わたしは俯いてしまう。
「メグウィン様」
ギシリとベッドの軋む音と共に、メリユ様の立ち上がられる気配があり、わたしの視界にメリユ様の(近寄ってこられる)足が映り込む。
そして、また花の香りが漂ってきて、わたしは自分の心臓が飛び上がるように反応するのを感じるのだ。
「わたしも、自分の秘密を打ち明けられる親友以上のご存在を得て、大変うれしく思っておりますわ」
「メリユ様っ」
わたしが顔を上げると、膝に手を当てて、わたしと同じ視線の高さで優しく微笑んでこられるメリユ様のお顔がそこにあった。
蜜蝋が一本一本消され、少しずつ薄暗くなっていく寝室の中で、揺れる暖炉の炎の灯りに照らされるメリユ様の綺麗なお顔。
まるで夢でも見ているような気分になって、わたしは、思わずメリユ様に見惚れてしまっていた。
「お隣よろしいでしょうか?」
「はいっ、も、もちろんですわ!」
長い赤い御髪を掻き揚げられながら、そんなことをおっしゃるメリユ様に、わたしはタダコクコクと頷くことしかできない。
お隣って……わ、わたしのベッドに、わたしの今腰掛けているお隣に、メリユ様がお座りになられるということ!?
心臓が……今までどんなご来賓を相手にしたときでも感じたことのないほど高鳴って、わたしは胸が苦しくなってくるのを覚えてしまう。
「ありがとう存じます」
ギシリ
わたしのすぐお隣に、メリユ様が腰掛けられ、今までわたしの体重しか支えたことのなかったベッドにメリユ様の体重が加わった軋みが小さく響く。
花の香りが強まると同時に……抱き付かせていただいていたときと同じ、メリユ様の体温が(部屋の空気を介して)微かに伝わってきて、わたしは夢が現実になっているのを実感するのだ。
「殿下、メリユ様、我々はこれで退室いたしますので、何かございましたら、鈴を鳴らしてくださいませ」
空気を読んだように(蜜蝋を消し終えたらしい)ハナンが声をかけてくる。
「ぁ、ありがとう、ハナンっ」
「それでは、どうぞ良い夜を。
あまり夜更かしはなさらないようにしてくださいませね」
うう、色々見透かされているようだわ。
まあ、ハナンもわたしの夢が叶ったことは喜んでくれているようだから、後からあれこれ言うつもりもないのだけれど。
「ありがとう存じます。
ミューラにもよく休むようお伝えくださいませ」
「はい、承知いたしました」
ハナンたちが退室し、静かに扉が閉められると、わたしの寝室は、メリユ様とわたしだけの空間となったのだった。
暖炉で燃える薪が小さく爆ぜる音に混じって、メリユ様の息遣いがわたしのすぐ傍から聞こえてくる。
改めてメリユ様と二人きりになっているというのを実感して、わたしは緊張のあまり、口から心臓が飛び出しそうになっているのを自覚するのだ。
あんなにもたくさん話したいことがあったはずなのに、今のわたしの唇は開いたり閉じたりを繰り返すばかり。
「メグウィン様、緊張なさっていらっしゃるのですか?」
「ぅ、それは、その……」
「“SwitchOn light 1 with intensity 0.001”」
わたしがガチガチになってしまっているのにお気付きになられたらしいメリユ様は、静かに聞き覚えのあるご命令を発せられる。
思わず、口の中で三、二、一と数えてしまうわたし。
すると、わたしの右隣にお座りのメリユ様の膝上に置かれている右掌に、小さな光球が現れたのだ。
メリユ様のお翼から放たれていたのと同じ(お翼からの光は小さくすぐに散って消えてしまうけれど)、純白の聖なる光は……見ているだけで心安らぐもので、
「綺麗……」
わたしはそう呟いてしまっていた。
「ふふ、緊張は取れましたでしょうか?」
「はい……そう言えば、セメラがメリユ様のことを光と水と聖女様と呼んでいましたけれど、本当に光の聖女様でいらっしゃるのですね」
その手に光を生み出すことのできる聖女様。
カブディ近衛騎士団長のお話では、天界の夜すらも明けさせたと報告に聞いている。
一体どれほどの権限とお力をお持ちだというのか、わたしは思わず上目遣いにメリユ様を見てしまう。
「さあ、どうなのでしょう?」
メリユ様ははぐらかすようなことをおっしゃるけれど、この世界でこんなことができるのはメリユ様だけなのに違いない。
「そういえば、メリユ様、わたし以上に気配を正確にお読みになるお力もお持ちでいらっしゃいますでしょう?」
「はい?」
「昨夜潜らせていただいていたときもそうでしたけれど、先ほど姿を消していましたときも正確にわたしの手を握りにこられて、本当に驚かされましたもの!」
そう、特に神への手続きや、聖なるご命令を発せられることなく、わたしの気配を読まれていたのだから、メリユ様も、わたしと同じく影同等の鍛錬を積まれていたということになる。
「あれは……まあ、ワイヤーフレームで……いえ」
「なるほど、聖女様ならでのコツみたいなものがあるということでしょうか?」
「そうなりますね」
苦笑いされるメリユ様に、わたしは、わたしやお兄様とは違った形で、感覚を研ぎ澄まされてきたに違いないメリユ様の苦労の影を見るのだ。
「ビアド辺境伯様も、気配を読まれるのに長けていらっしゃって、王城でお泊りされる際は影をある程度の距離引かせているとは伺っていたのですけれど、やはりそういう血を引かれているというのもあるのでしょうね」
「メグウィン様?」
「メリユ様は、その、ご自身の血で、ご自身の運命が決まってしまうことに、ご不満などはなかったのでしょうか?」
私自身は、ミスラク王国第一王女であることに、大きな不満があるという訳ではない。
それでも、周囲の大国の動向に常に気を配り続けなければならない小国ゆえの理由で、王女であるわたしまで影と同じような鍛錬を積まされたことには不満があった。
他国の王女ならば、きっとこんな鍛錬をすることはない。
いえ、ミスラク王国内ですら、一部の辺境伯家を除き、こんなことを子女にさせていたりはしないだろう。
特に、悪いお噂をお兄様から伺っていた北の辺境伯令嬢=メリユ様は、絶対にこんな気苦労を重ねていらっしゃるなんてことはないに違いないと思っていたのに、わたし以上に大変なお立場に立たれていたなんて……メリユ様のお気持ちを慮ると、改めて胸が締め付けられそうになる。
「そうですね。
その血で恵まれていると思えることもあれば、その分の代価として重い責務を背負わされていると思うこともあるという感じでしょうか?
きっと、それは、メグウィン様も同じでは?」
メリユ様は『不満』というお言葉を使われなかった。
そして、わたしの気持ちをお見透かしになられるのだ。
「ええ、その血で王族と決まってしまったおかげで、わたしは間違いなく恵まれた生活を送っているのでしょう……ですが、その王族としての責務に見合うだけの幸せはそこにあるのかと思わずにはいられなかったんですわ」
「そこに、メグウィン様のご友人のお話も加わっているのでしょうか?」
「そ、そうなのですわっ!
わたしも、もし普通の平民の娘であれば、あんな普通の友情を紡ぐことにできていたのに違いないと思ってしまって……そんな幸せもあったに違いないと思ってしまって」
また、わたしは目頭が熱くなって、涙が滲んでくるのを感じてしまう。
そう、普通の平民でも、それほど身分の高くない騎士爵家や子爵家くらいの貴族でもよかった。
あまりに身分が高過ぎて、距離を取られてしまうか、それ目当てに擦り寄られるかのどちらで本当の友人ができない寂しさ。
生まれ変わるのが無理なら、せめて、それを分かってもらえる真の友人が欲しかった。
「ですが、メグウィン様とわたしは友情を紡ぐことができましたでしょう?」
「メリユ様」
親友だと信じているハードリー様ですら、わたしが抱き付けるほどには、その腕を開いてはくださらない。
けれど、けれど、メリユ様だけは最初からその腕を、その身体をわたしに開いてくださっていたのに気付いてしまう。
ああ、本当に、メリユ様は、その素のお姿をお示しになられたときから、真の聖女様なんだと思ってしまう。
「メグウィン様、この世には必ず友の幸せも悲しみも共有することのできる、心を通わせることのできる友が少なからずいるものですわ。
ハードリー様とお知り合いになられて、深い友情を結ばれたことも、今こうしてわたしとも友情を結ばれていることも、決して奇跡などではないのです」
ああ、どうしてメリユ様はわたしの心に直接触れてこられるのだろう。
これが……今メリユ様がおっしゃった、心を通わせるということ?
わたし自らから『結ばれたい』と願い、メリユ様もまたこうして近寄ってきてくださったからこそ、今こうして通じ合っているということなのかしら?
「これからもメグウィン様は素敵なご友人をお見付けになり、きっと色とりどりのご友人関係を築かれていくに違いないとわたしは確信しております。
そして、その内の一色として、わたしとも繋がっていてもらえるなら、これほどうれしいことはありません」
わたしの目尻からまた涙が零れる。
メリユ様に泣かされたのはこれで何度目だったかしら?
わたしは光球を浮かべていらっしゃらないメリユ様の左手を両手で包み込んで、お互いの体温を感じながら言うのだ。
「何をおっしゃるのですか、メリユ様!
既にメリユ様は、わたしの一番の親友以上のご存在ですし、未来のお姉様なのですもの!
その内の一色だなんて寂しいことをおっしゃらないでくださいませ!」
「メグウィン様」
「さあ、メリユ様、明日はメリユ様にハードリー様をご紹介いたしますわ!
絶対にハードリー様とも親友以上になっていただきますから!」
そう、メリユ様のお言葉の通り、わたしはハードリー様とも、メリユ様とも一番の関係を築いていきたい。
それだけの信頼に足る、素敵な友人なのだから、絶対だとわたしは思うのだ。
「では、ハードリー様にも、メグウィン様のありのままを受け入れていただけるよう、メグウィン様には素直になっていただかなければなりませんね」
「メ、メリユ様、もうっ、意地悪おっしゃらないでくださいませ!」
わたしは思わず口を膨らませて、メリユ様にそんなことを言ってしまっていた。
本当に、あんなに緊張していたのが嘘のよう。
やはり、メリユ様は天性の聖女様で、誰もの心を開くことができるのだわと確信すると同時に、わたしは少しでも長くメリユ様を独占していたいと思ってしまうのだった。
順調にメグウィン殿下との仲が進展していっているようですね!
さて、ハードリーとはどうなるのでしょうか?




