第56話 王女殿下、悪役令嬢と王城に帰還する
(第一王女視点)
悪役令嬢の聖務の執行を終えた第一王女は、悪役令嬢と王城に帰還します。
バリアを張り終えたわたしたちは再び(手を繋いだまま)キャンベーク川の上空へと飛翔し、決して破れることのないバリアの突き刺さった峡谷を見下ろしていた。
川底でさえ百ヤードを優に超える峡谷の両岸の斜面にすらも突き刺さっている巨大なバリア。
もしこれと同じ大きさのものを石造の建築物として作り上げるとなったならば、どれほどの年月がかかることだろう。
いえ、バリアの最上部が百五十ヤードを優に超えているだろうことを考えると、もはや人の手で作ることのできる建築物の上限を既に超えてしまっていると言えるかもしれない。
これほどのものを一瞬で張り終えられてしまうなんて、メリユ様は本当に神に等しいお力をお持ちなのだわ。
左手にメリユ様の手の温もりを感じつつ、わたしは……メリユ様のお隣に立つのに相応しいかの試練を無事乗り越えられたのだろうかと、少し不安を抱いてしまう。
「メグウィン様」
「は、はい」
何かを促されるようなメリユ様の呼びかけにバリアの袂を見ると、先ほどの衝撃音に驚いたのだろう……ハラウェイン伯爵領の兵士や役人たちの持つの松明の灯りがバリアから離れていっているのが見える。
おそらく、下にいる兵士や役人たちからすれば、『土砂ダム』が決壊したか、新たな土砂崩れが発生したかのように感じられたのだろう。
けれど、彼らの今いる場所の安全は、メリユ様のバリアによって確保されているのだ。
勘違いして慌てふためいているのだろう彼らには申し訳ないけれど、災厄に至る運命は回避されたのだから許して欲しいところ。
明日、ハラウェイン伯爵領に赴いた際に詳しく説明しなくてはと思う。
「下にいるハラウェイン伯爵領の皆様方には悪いことをしてしまいました」
「いえ、メリユ様は感謝されこそすれ、文句を言われるような筋合いはないかと思いますわ」
「そうであればいいのですが」
かすかに憂いを含んだようなメリユ様の声音に、わたしは(見えはしないけれど)メリユ様の方を見てしまう。
ああ、そうだわ。
わたしはまだミスラク王家の人間として、バリアを張り終えられたメリユ様に謝意を伝えていない。
どうしてこんなことにも気が付かなかったのかしら!
これまで孤独な偉業を成し遂げられてきたメリユ様は、きっと、成し遂げられる度に『これで皆に喜んでもらえるかどうか』不安に思われてこられたに違いないのに!
「メリユ様っ!」
「はい、何でしょう?」
「この度は、ミスラク王国の民を、ハラウェイン伯爵領の領民を、災厄の危機からお救いいただきまして本当にありがとうございました!!
ミスラク王国第一王女として心から深く感謝申し上げますっ!」
両手は塞がってしまっているし、わたし自身の姿も見えない状態ではあるのだけれど、わたしはミスラク王家を代表して頭を下げる。
本当に、本当に、今まで数々の聖務をこなされてきたというのに、誰からも謝意を伝えられることがなかったなんて、少し考えただけでも心が痛む。
メリユ様は望まれないかもしれないけれど、メリユ様に何かしらのお返しをしたいと心の底から思うのだ。
「そんな、メグウィン様、頭をお上げくださいませ」
「いいえ、いくらメリユ様が親友以上のご存在であろうと、いずれわたしのお姉様になられるご存在であろうと、こればかりは王家の人間として必要な務めかと存じますわ」
「……そうですか」
「これまでも人知れず数々の災厄から王国を、世界をお救いこられたかと存じますが、これまで何も気付かず謝意の一つすらもお伝えできませんでしたこと、深くお詫び申し上げます」
「ありがとう存じます、メグウィン様。
ですが、わたしは自分のすべきことをしているだけなのです。
メグウィン様に謝っていただくようなことは何もありません」
とても柔らかな響きを伴ってお礼をおっしゃられるメリユ様に、わたしは思わず顔を上げてしまう。
……自分のすべきことをしているだけ。
そう、聖人、聖女様方にとっては、神命に従い聖務をこなされるのが当たり前のことなのかもしれない。
けれど、メリユ様のお声の響きが今こうして変わられているのだから、わたしのしたことは間違いではなかったと確信するのだ。
これほどのお力をお使いになり、憔悴、消耗されてもなお、誰からも謝意が届けられないなんて、聖人、聖女様の在り方として、あってはならないと思う。
メリユ様だって、お一人の『人』であり、わたしと同じまだ十一歳の少女なのだ。
誰かがメリユ様の行いを見届け、それに感謝を、労いの言葉をおかけしてこそ、メリユ様だって心穏やかに次の聖務に取り組むことができるというものだろう。
そして、その役目は、ミスラク王国第一王女であるメグウィン・レガー・ミスラクが務めるべきなのだと確信する!
「それでは、王城に戻ることにいたしましょうか?
少々お待ちくださいませね」
メリユ様はコンソールを開かれると、再び相対移動量とやら計算され、移動のご命令にあたっての手続きに集中されるのだった。
メリユ様はあっという間に手続きを終えられ、わたしたちは再び移動のご命令によって王城への帰還を果たしていた。
全身の表面を包み込む激しい空気の流れに、目を強く瞑ってしまったけれど、もう恐怖感は全くない。
往路とは異なり、肌寒さすら覚えていた夜気に変わって、全身を包む空気が暖気を伴ったものに変わり、わたしは王城に戻ってきたことを実感する。
「っ!?」
「戻ったのか!?」
数多くの人の気配。
そして、今のお声はお兄様?
「王城に到着いたしました。
今からお姿を元に戻しますね。
“Set transparency of avatar-of-meliyu to 1.0”
メリユ様が姿を元に戻すご命令をされ、三、二、一と数えてから、わたしは瞼を上げる。
今わたしたちがいるのは、たくさんの蜜蝋が灯るシャンデリアのある天井近くで、下のティーテーブル近くにはお兄様やアメラ、ミューラ様たちがいらっしゃるのが見える。
そして、眼下には、わたし自身の身体が見えるようになって戻ってきていた。
揺れる(聖務に赴いたのに汚れ一つない)ドレス。
右手には少しワインの減った銀製のワイングラス。
左手には……白く柔らかそうなドレスを纏われ、聖なる光を舞い散らすお翼を広げられた使徒様のお姿のメリユ様、そのお手がわたしの手を握られていた。
「「ただいま戻りました」」
(意図せずしてメリユ様とお声を重ねるように)わたしたちは聖務からの帰還を告げるのだ。
「メグウィン、メリユ嬢……」
「お嬢様っ!」
まるで神々しいものを見るように、目を潤ませながらこちらを見上げてこられるお兄様。
そして、涙を零されるミューラ様……どうやらハナンと交代で、休憩から戻られたらしい。
「それでは、着地いたしましたね。
“VerticalMove -1.0”」
メリユ様のお翼が軽く羽ばたかれ、ゆっくりと床へわたしたちは降り立つ。
久々の足裏に地面のある感覚に少しホッとしつつも、飛翔していたときの感覚をもう少し味わっていたかったようにも思ってしまう。
「よく無事に戻ってくれた。
ハラウェイン伯爵領に聖務で赴かれたと聞いていたが、本当に……」
「お兄様っ、メリユ様をお疑いになられるなんて不敬ですわ!
わたしが、間違いなくハラウェイン伯爵領に赴いていたことを証言いたしますし、メリユ様が災厄を回避するためのバリアを無事張り終えられたこともここに報告いたします」
あまりにも失礼過ぎるお兄様に、わたしはその言葉を遮り、メリユ様の聖務のご達成を報告するのだ。
「なんと……」
「っ」
「おおっ」
「さすがは、光と水の聖女様っ!」
わたしの寝室内にいたお兄様、ミューラ様、アリッサ、セメラたちも少しばかり興奮されたような面持ちで声を上げられている。
「し、しかしだな、メグウィン。
先に国王陛下、王妃陛下のご許可をなぜ得なかった?
お前も王族、第一王女として、もしその身に何かあったなら……」
「お兄様、王命よりも神命が優先されるのは当然のことですわ!
何より神命の代行者たるメリユ様の庇護のもとで、ハラウェイン伯爵領に赴いたのですから、何を心配することがございましょう!」
「ぅ……神命と言われれば、何も言い返せないが」
「それより、お兄様は、先にメリユ様にお伝えすべきことがあるのではないでしょうか?」
「っ!
そ、そうだな、我が王国を、ハラウェイン伯爵領の民たちを危機から救い上げていただいたこと、第一王子として心から感謝申し上げる」
ハッとしたようにメリユ様の方を振り向き、頬を赤く染めて、お礼を伝えられるお兄様。
使徒様のお姿のメリユ様を眩しそうにご覧になられているそのご様子からも、すっかり惚れ込まれてしまわれているのが分かる。
もちろん、メリユ様には、正式にわたしのお姉様になっていただきたいし、家族として触れ合いたい気持ちは強いのだけれど、この、今のお兄様にはまだ渡したくないとも思ってしまう。
だって、散々メリユ様を疑った挙句、今だってすんなりと信じてはいなかったのだもの!
「いいえ、わたしは当然のことをしたまででございます。
これはわたしの責務でございますから、どうぞお気になさらないでくださいませ、カーレ第一王子殿下」
「しかし……」
うーん……赤毛の小柄な使徒様=メリユ様に言い寄るお兄様という構図には……少しばかり腹立たしさを覚えてしまう。
「メリユ様っ」
大き目の声を上げて、わたしはお兄様とメリユ様の会話に割り込む。
「メグウィン第一王女殿下?」
お兄様がいらっしゃる手前、言葉遣いを戻されていらっしゃるメリユ様。
「あの、わたしはっ、その、メリユ様の聖務のご執行で、ぉ、お役に立てましたでしょうか?」
そんなメリユ様に、わたしは(先ほどから)気になって仕方のなかったことを伺うのだ。
胸がドキドキする。
もしメリユ様の、神の試練に、わたしがもし不合格だったなら……わたしはメリユ様のお隣に並び立つことはできなくなってしまうかもしれないから。
「殿下」
お兄様の方からわたしの方へ向き直されたメリユ様が(まだ)繋がったままだった左手を解かれたとき、わたしはゾクリとするものを感じてしまった。
けれど、メリユ様は、微笑みを深くされて、おどおどしているわたしの目を覗き込まれると、その両手でわたしの左手を包み込んでくださったのだ。
「もちろんでございますわ。
今後ともぜひ、よろしくお願い申し上げます」
「っ!!」
……それって、『合格』ということ?
今後ともよろしくっておっしゃるくらいなのだから、そういう理解でよいのよね?
「よしっ! やりましたわ!」
わたしは、お兄様が呆れる顔を浮かべられているのも無視して、歓喜のあまりに踊り出しそうになってしまうのだった。
メグウィン殿下、よかったですね!




