第55話 王女殿下、悪役令嬢と初めての共同作業をする(!?)
(第一王女視点)
悪役令嬢の聖務を手伝うことになった第一王女は、悪役令嬢との初めての共同作業(!?)を行います。
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メリユ様とわたしは、月明かりに照らされるキャンベーク川上流の峡谷へとゆっくり下りていく。
足元から夜風がドレスの中に入り込んできて、わたしは今更ながらドレス姿でハラウェイン伯爵領に瞬間移動してきてしまったことを思い出すのだ。
もちろん、今は身体もドレスも透き通っていて、誰にも見えないのだろうけれど……こんなことなら着替えてくればよかったと思ってしまう。
いえ、けれど、こうしてメリユ様の奇跡……ハラウェイン伯爵領まで瞬間移動し、空を飛んでいるという奇跡……を体験し、聖務のお手伝いまでできるという高揚感が、そんな些細な羞恥心を遥かに上回っているのも事実。
次はキャンベーク川の土砂崩れ現場=堰き止められた部分の決壊を防ぐためのバリアを張られるという奇跡の現場に立ち会えるのだから、気にしてなんていられない。
「あの、メリユ様、わたしはどうすればいいのでしょうか?」
「そうですね。
メグウィン様には、バリアを展開する中心点をお決めいただきたく存じます」
「中心点ですか?」
「バリアの起点といいましょうか、あの土砂ダム全体を覆う円状のバリアの中心を見定めて、そこにワイングラスを掲げていただけますか?」
円状のバリア。
メリユ様はあの天界まで届いていた鏡の御柱のようなバリアだけでなく、そんなバリアを張られることも可能なのだわ。
今回は天界に通じる通路のようなものでなく、本当に結界のようなバリアを張られるということなのだろう。
「あの、ワイングラスを掲げる場所へは?」
「わたしがメグウィン様のおっしゃる通りに飛びますので、ご指示いただけますか?」
「わ、分かりました」
せ、責任重大だわ。
バリアの起点を見誤れば、隅に隙間のようなものが残って、そこから決壊が生じるかもしれないもの。
メリユ様のお手伝いをするというのは、こういうことなのね。
そうか、もしかすると、メリユ様はわたしの覚悟をお試しになられているのかもしれない。
いえ、神が……なのかしら?
きっと聖女様であられるメリユ様のお傍で『聖務を手伝う』ということがどういうことなのか、この奇跡でしっかりとわたしの覚悟を見極めようとされているのだろう。
「“VerticalMove -150.0”
“HorizontalMove 1500.0”」
「っ」
降下する速さが落ちてきていたのがまた加速に変わる。
そして、わたしはメリユ様が『土砂ダム』とおっしゃられていた、キャンベーク川を堰き止めている土砂崩れ現場を視認するのだ。
大きい。
今まで手前にせり出していた山のせいで見えていなかった部分がかなりあったのだけれど、これだけ近付くと月明かりに照らされる岩盤が剥き出しになった斜面と、そこから崩れ落ち、谷間を埋めた巨石、土砂、木々の塊の巨大さに圧倒される。
それこそ、王城を上下に二つ重ねても、それがすっぽり嵌ってしまうくらいの体積があるのだもの。
「こ、これが……」
そう、これが王国に降りかかるはずだった災厄の源。
もし神に認められし聖女であられるメリユ様がいらっしゃらなければ、王国は領民の避難以外何も対処することができないまま『土砂ダム』の大決壊を迎え、土石流が下流にある町々やブドウ園を飲み込み、全てが破壊されるような事態に至ってしまっていたことだろう。
だって、これほどまでに大きいのよ?
たとえ(オドウェイン帝国を迎え撃つための)王都騎士団や近隣領軍を動員して対応しても、これを押さえ込めるようなものを拵えることは不可能だろう。
そもそも、決壊までの時間を考えれば、人の手でどうにかできる訳がない。
こんなものを押さえ込めるメリユ様のバリアというものが、いかにこの世の理から外れたものであるか、わたしは改めて思い知るのだ。
「あれは……」
メリユ様のお声に、わたしは斜め前方の下の方に、小さな松明の灯りが動いているのに気付く。
きっと、ハラウェイン伯爵領軍の兵士か、役人が監視に当たっているのだろう。
それとも、『土砂ダム』を何とかしようと検討していたりするのだろうか?
とはいえ、いざ決壊が生じてしまえば、早馬を使っても知らせることと困難であろうし、弱小な人の身では、ただこの巨大な『土砂ダム』を見上げることしかできないだろう。
いずれにしても、彼らに、使徒様のお姿をされたメリユ様と一緒に空を飛ぶわたしの姿が目撃されなくて本当によかった。
………待って?
こうしてお姿を消されているからこそ、わたしたちは彼らから見えない訳だけれども、逆に言えば、メリユ様はどんな奇跡を起こされても、今まで誰にも気付かれていなかったっていうことなのだわ。
「(ゴクリ)」
人知れず聖務に当たられていたというのは分かっていたつもりになっていたけれど、本当に(これまでの)メリユ様は誰にも賞賛されることなく、神命のくだった通りに王国の、いえ、この世界の災厄のタネを摘まれてこられたということなのね。
もちろん、前代のビアド辺境伯様にはお褒めいただいていたのかもしれない。
それでも、聖人、聖女様の関係者にしか知られない孤独な偉業。
きっと、わたしだったら心が折れていたことだろう。
表舞台に立たざるを得なくなったからこそ、こうしてわたしにも聖務をお手伝いいただく機会をお与えくださっているのだろうけれど、もしオドウェイン帝国が本格的に侵攻してくることがなければ……今も、今後も、メリユ様の偉業は歴史に残ることなく、(神以外)誰にも気付かれることなく、まさに『なかったも同然』になっていたのだろう。
わたしはまた目頭が熱くなってくるのを感じながら、聖なる光を散らされているメリユ様の方を窺がうことしかできなかった。
「メリユ様、もう少し斜め右前方に進めますでしょうか?」
「分かりました。
“RotateAlongZ-axis step 0.01”
“Stop movement”
“HorizontalMove 10.0”」
『土砂ダム』の前面にまで下りてきたわたしたちは、バリアの起点の調整を必死に行っていた。
右手に持った銀製のワイングラスを右目の前に掲げながら、『土砂ダム』を覆うための円状バリアの起点位置を決めようとしているのだ。
ステムを握る右手に、嫌な汗が滲んできてしまうのを感じる。
こんなことなら、手袋を外してきておいた方がよかったのかもしれない。
本当に、聖務というのは、これほど神経を使うものなのだわ。
「だいたい、この辺りでよろしいかと思いますが、どうでしょうか?」
「ええ、わたしもよろしいかと存じます。
では、起点の登録をいたしますね」
「はい」
「“Pick for Temp-Point 1”
“Set Cylinder-Center with Temp-Point 1”」
三、二、一。
三つ数えると、供物であるワイングラスが一瞬輝き、バリアの起点として登録されたことが分かる。
そして、わたしたちは水の干上がったキャンベーク川の川底まで下りていくと、円状のバリアの大きさを決めるためのもう一点を決める作業に入るのだ。
「メリユ様、川底に一度降り立った方がいいでしょうか?」
「いいえ、おおよその位置からだいたいの半径が求まれば、あとは半径を多少加算して設定するので浮いたままでいいでしょう」
わたしは川底ぎりぎりで浮いている自分の足をパタパタさせながら、今もまだ宙を浮いている自分自身に不思議な感覚を覚えてしまう。
もうここまでくれば、ワイングラスを落とす心配はないのだろうけれど、右手は緊張と疲れで震えているみたい。
わたしは、先ほどと同じように、右手を前方に掲げる。
「よろしいでしょうか?
“Pick for Temp-Point 2”
“Calc Temp-Radius with Temp-Point 1 and Temp-Point 2”
“Add 10.0 to Temp-Radius”
“Set Cylinder-Radius with Temp-Radius”」
三、二、一。
三つ数えて、先ほどと同じようにワイングラスが輝く。
これで、わたしのお手伝いは終了ということでよろしいのかしら?
「お疲れ様でした、メグウィン様。
あとは、わたしの方でいたしますね」
「ぉ、お願いします!」
ふぅ……これで、わたしはお役目御免ということね。
はあ、もう右手の筋肉がおかしくなりそう。
大事な、神に捧げる供物だもの。
ワインを途中で零してしまわないか、気が気でなかったわ。
けれど、メリユ様の聖務はまだ続いている以上、わたしもまだ気は抜けない。
ちゃんとこの奇跡を見届けなければ!
「メグウィン様、備えてくださいませ。
“Execute batch for Cylinder barrier”」
三、二、一。
いよいよ、災厄を防ぐためのバリアが張られる!
ズドムッ!!
「んぅっ!??」
昼間、鏡の御柱が出現したときとは異なり、お腹に重く響くような凄まじい音が響き、ビュワッと(思わず目を閉じずにはいられない)強風が吹き荒れる。
そして、遠くの斜面でパラパラと石が飛び散るような音がするのに続き、飛び起きたらしい森の鳥たちが大騒ぎしながら飛び立っていく羽音が聞こえる。
「ぅ」
ぃ、一体、これは……?
強風が収まると同時に薄目を開いたわたしが見たものは……川底にできた、一ヤードの幅の(抉り取られたような)穴だった。
まるで見えない巨大なガラス板が、川底に突き刺さっているよう。
「ぁ、ぁあ……」
そして、右岸側に続く真っ暗な穴を見上げていくと、峡谷の一部剥き出しになった岩場にも同じような穴が続いており、土埃が立ち上っているのが見える。
これが、円状バリア?
あの一瞬で、透明で強固なバリアがここに出現したというの!?
まさに、奇跡だわ。
「メグウィン様、完了いたしました」
「す、すごいです。
これもバリアなのですね?」
「ええ、触れて確かめてみられますか?」
「は、はい」
そう答えてから、左手はメリユ様のお手と繋がり、右手はワイングラス(今の衝撃でワインがとうとう零れてしまった)を握り締めたままであるのに気付く。
「“Fixation”
三、二、一、これでワイングラスをお離しいただいても大丈夫です」
「え?
ぁ……はい!」
ワイングラスのステムを握り締めていた右手をそっと離すと、ワイングラスは空中に縫い付けられたように浮かんでいる。
すごい。
ティーカップが浮いているところは何度も拝見してきたけれど、これほど簡単にものを空中に固定できてしまうなんて。
もちろん、目の前のバリアの方がずっとすごい奇跡なのだけれどね。
「では、触れさせていただきますね」
わたしは手を伸ばしてバリアに触れてみる。
メリユ様を護っていたバリア、鏡の御柱のような天界まで続くバリアと全く同じ感触。
そうね、透明なところはメリユ様を護っていたバリアと同じと言えるのかしら?
これがある限り、あの『土砂ダム』が決壊しても、このバリアで食い止められるということなのだろう。
わたしはもう一度バリアがめり込んだ右岸の岩肌にできた穴の筋を見上げていく。
今もまだ土埃が残る斜面から更にその上の空中へ。
見えないけれど、不可視の障壁=結界=バリアが今このキャンベーク川を遮り、災厄から王国を護っているのだ。
わたしはまた胸の中が熱く滾ってくるのを感じてしまう。
「これが、円状のバリア、シリンダーバリア……ですか」
「はい、タダ完全にキャンベーク川の流れを完全に断ち切ってしまっていますので、明日にでも対応策を考えましょう」
「分かりました」
そう、確かに最悪の災厄はこれで防がれるのかもしれない。
けれど、川の流れが完全に堰き止められれば、ハラウェイン伯爵領の農業に大きな影響が出るだろう。
明日中には、正式な形でハラウェイン伯爵領に赴き、伯爵家の方々と事前協議する必要がある。
「メグウィン様、“Translate”コマンドで、明日の朝、ハラウェイン伯爵領に向かうことは可能でしょうか?」
「は?
そ、それは……まさか!?」
メリユ様の『お力の秘密を知る』最小限の人員を、明日の朝『移動のご命令』でハラウェイン伯爵領まで瞬間移動させるということ!?
そ、そうね。
もしメリユ様のご負担にならない範囲で、それが可能ということであれば、馬、馬車による移動はほぼ不要になるということなのよね?
す、すごいわ。
だって、今日のこの聖務は特別だからこそ、移動のご命令を使うことができたと思っていたのだもの。
明日は普通に一日かけてハラウェイン伯爵領にまで移動するのだと思っていたのに、また瞬間移動、転移魔法のような体験できてしまうなんて!
「メリユ様、まず早馬で先触れを出す必要があるかと思います。
もしよろしいようでしたら、アリッサをその任に付け……その、メリユ様に彼女を送り届くのをお願いしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、アリッサさんでしたら、わたしのこともよく知っているでしょうし、適任かと」
ご同意いただけてよかった!
アリッサは、つい先ほどメリユ様とわたしがハラウェイン伯爵領に瞬間移動したことも知っているのだし、この最重要の秘匿事項に触れるのに相応しいと思えるもの。
何より女騎士として、王族の緊急来訪を告げる先触れの任務に付けることで、彼女にも箔を付けておいてあげたいものね。
「アリッサ、きっと驚くことでしょうね」
わたしはアリッサがまた驚き喜ぶ姿を想像して、思わず笑ってしまったのだった。
また思わせぶりなタイトルになってしまいました……が、本当に初めての共同作業であるのは確かなのですよね。
メグウィン殿下、早速悪役令嬢メリユの補佐をしっかりしてくれているようで、これからのご活躍も楽しみなところです。
ちなみにシリンダーは円柱形状のプリミティブ(基本形状)になります。
平べったい高さ一メートルの円柱を横倒しにしているのですが、メリユは面倒臭かったのか、円状のバリアと説明していますね、、、




