第53話 王女殿下、悪戯に成功する(!?)
(第一王女視点)
悪役令嬢の聖なる力で透明人間となった第一王女は、ちょっとした悪戯に成功します(!?)
すごい、すごいわ。
わたしの左手が、左腕が目の前にあって、こうして動かしているはずなのに、そこに見えているのはティーテーブルだけ。
人を見抜く能力を磨くために、影と同じような鍛錬をさせられ、暗闇の中でもそれなりに動けるようにはしている私だけれど、こんな明るい部屋の中で自分の身体が完全に透き通っているなんて……おそらく気配さえ消してしまえば、裏通路なんて使わなくても堂々と対象を監視することができるだろう。
裏通路で見張っていたわたしの気配に気付かれたメリユ様のことだから、きっとわたしと同じようなことが、それ以上のこともできるはず。
もしかすると、オドウェイン帝国や他国へも移動のご命令で赴かれて、お姿を消されて偵察のようなことをされていたのかもしれない。
いいえ、オドウェイン帝国の侵攻の兆候を掴まれていたのだもの、ご神託だけでは不足する情報を得るために、メリユ様ご自身が動かれていたということで間違いないだろう。
「“Execute batch for update-avatar-of-meliyu with file-named Meliyu_ver2.vrmx”」
そして、お手を繋がさせていただいていたメリユ様は、聞き覚えのあるご命令を発せられる。
変身のご命令。
貴賓室の扉の隙間からミューラ様とご一緒に拝見させていただいた、使徒様へのご変身のご命令だわ。
「メリユ様」
あのときと同じく僅かな時間の後、わたしの身体の周りを空気がふわっと流れて、キラキラした光の粒が周囲を漂う。
お姿こそ見えないけれど、今、メリユ様はお翼を生やされ、使徒様のお姿になられたのだろう。
「あの、メリユ様、このままハラウェイン領に赴かれるのでしょうか?」
お試しで、というお言葉だったけれど、今にも飛んでいかれそうなメリユ様に、わたしは思わず尋ねてしまう。
「いえ、今から相対距離を算出して、コーディングをしますので、もう少々お待ちいただけますか?」
ほっ。
どうやら、今すぐ赴かれるという訳ではないらしい。
移動のご命令を発せられる前の手続きをこれからされるということなのだろう。
メリユ様のご命令のご実行手順は、何となく分かってきたように思うけれど、細かな手続きは本当に大変なことだと思う。
「手を離しますが、大丈夫でしょうか?」
「ぇ、ええ、これでも鍛錬を受けている身。
自分の手足が見えない程度では問題ありませんわ!」
手続きをされるメリユ様の片手をわたしの右手が握り締め続けていたことに気付いて、今更ながら恥ずかしくなってきてしまう。
いつも両手で聖なる文字を打ち込まれている(?)メリユ様だから、片手であってもお手が塞がれれば、お困りになられることだろう。
メリユ様の聖務をお傍でお手伝いするのだから、こういうことにはすぐに気付けるようにしなければ!
「あ、あの、メリユ様、ハナンにメリユ様の聖務のお手伝いする旨、伝えておこうと思うのですが、いいでしょうか?」
「もちろんです。
姿を消していることもお伝えていただいて構いません」
「ありがとう存じます」
すぐ傍で、青い細かいタイルがメリユ様の細い指に反応している。
さすがメリユ様、ご自身の指が見えていなくても、こんなに細かい作業ができるいらっしゃるなんて。
わたしは、手続きをされているメリユ様のお邪魔にならないよう、そっと寝室の扉の方へと移動していくことにした。
鈴を鳴らさずに、そっと扉を押し開くと、ハッと反応を見せるハナンの気配に気付く。
さすが、お兄様専属のアメラと同じように訓練されているだけはあるわね。
「……殿下?」
扉の隙間から身体を部屋の外に出すと、ハナンが警戒するのが分かる。
何しろ、扉周囲に人影はないのだから。
うふふ、まあ、わたしが姿を消して、ここにいるのだけど。
「何者?」
どうやら気配だけは感じ取っているらしい。
わたしの気配を掴めていない他の侍女たちは、急に態度を急変させたハナンに驚いている様子。
そして、通路を警護する近衛騎士に混じっていたアリッサたちも、異変に気付いたのか、こちらの様子を窺がっているみたい。
「ハナン様っ、何かありましたか!?」
「アリッサ、待って」
アリッサとセメラが駆け寄ってくるのを見て、わたしは、頃合いかと思い、口を開く。
「うふふ、驚かせてごめんなさい、ハナン。
わたしよ」
「殿下!?」
わたしの発した声に、ハナンが驚きのあまり、目を見開く。
何しろ、気配こそあれど、わたしの寝室の扉周囲には人影一つないのだから、そんなところから突然わたしの声が聞こえてきたら、驚愕するのも無理はないわね。
「はぁっ、ハナン様!?」
「どうかされましたかっ?」
ハナンの傍まで辿り着いたアリッサとセメラが、『殿下』と声を漏らしたまま凍り付いたように見えるハナンに、心配そうな眼差しを向けた後、わたしの気配に気付く。
「これは……?」
「そちらにどなたかいらっしゃるのですか?」
「アリッサ、セメラも騒がせてしまってごめんなさい。
わたしよ」
「「は……?」」
同じようにアリッサ、セメラにも声をかけると、二人とも口を半開きにしたまま、わたしがいる方を凝視してくる。
けれど、焦点が合っていないように見えるのは(わたしの姿が見えない以上)仕方のないことなのだろう。
「ひ、姫様、もしかして、そちらにいらっしゃるのですか!?」
「え、ぇぇぇ!?」
「はい、メリユ様の聖なるお力で姿を隠させていただきました!
どうでしょう、後は気配さえ断ってしまえば、完璧にどなたにも気付かれないかと」
ハナンの下顎がカクンと落ちかけると、慌てて両手で開いてしまった口を押さえているのが分かる。
うふふ、昨夜のメリユ様のお気持ち、少し分かったような気がするわ。
「す、お姿を消されているのですか?」
「ええ、アリッサ、触れるけれどいいかしら?」
「も、もちろんです。どうぞ!」
すすっと、足音を消して近付き、そっとアリッサの手首を掴む。
かなり気配を殺していたせいか、急に手首を掴まれたアリッサがビクッとする。
「ひ、姫様、なのですよね?」
「ええ、そうよ。
今あなたの傍にいるの、分かるでしょう?」
「はあ、途中で気配を消されたでしょう?
心臓に悪いですよ」
「ごめんなさい、どのくらい気付かれないものか試したくて」
「はあ」
そんな会話を交わしていると、セメラが静かに近寄ってきて、わたしの掴んでいるアリッサの手首の辺りを凝視してくる。
「アリッサ、こちらに殿下がいらっしゃるの!?」
「ああ、わたしの右手首を掴まれていらっしゃる。
気配で何となく分かるだろう?」
「ここにいるわよ、セメラ」
「し、失礼いたしました!
こ、これが聖女様のお力ですか?」
セメラが屈んで謝罪してくる。
さすがにこの近さで、わたしがいるのかなんて尋ねているようではね。
「ええ、そうよ。
まるでお伽話みたいでしょう?」
「はあ、さすがは光と水の聖女様でございますね!
本当に光をご自在に操られることができるのでございますね!」
バリアから帰還してからすっかりメリユ様に心酔しているらしいセメラがうっとりとしている。
光と水の聖女様ね。
確かに姿を消すというのは、光を操られているということなのだろうから、正しいと言えるのかしら?
「ハナン、そして、アリッサ、セメラにも伝えておくことがあるの」
「な、何でございましょうか?」
アリッサとセメラとの会話の間に、ようやく元に戻ったハナンがわたしの気配を読んで、駆け付ける。
「これからメリユ様が聖務を執り行われるの。
わたしはそのお手伝いのため、ハラウェイン伯爵領まで向かうことになるわ」
「はっ!
はっ? これからハラウェイン伯爵領に向かわれるのですか!?」
「さすがにそれは……明日の朝のご出発としても、聖女専属護衛隊の編成がまだ済んでおりませんが!?」
アリッサ、セメラが驚くのももっともなことよね。
ハラウェイン伯爵領へは馬車を使っても丸一日かかるのだもの。
こんな夜に出発するなんて普通あり得ないわね。
「殿下、何をお考えでいらっしゃるのですか?」
あまりにも非現実的なことを言っているように聞こえたのだろう、ハナンが眉間に皺を寄せる。
「ハナン、あなたの言いたいことは分かるわ。
けれど、これは神命の代行者たる、聖女メリユ様の聖務なの。
そして、メリユ様のお話では、この聖務を今夜の内に終えられ、予定通り、わたしの部屋でお休みいただけるとのことよ」
「今夜の内に……終えられ!?
今、そのようにおっしゃられましたでしょうか?」
今までの常識の範疇で考えれば、絶対に不可能な話に、ハナンは目を白黒させる。
「明日の朝騎乗にてご出発いただくとして、ハラウェイン伯爵領には、明日の日中には到着できるでしょうが……今夜の内とは……わたしには全く理解できません」
「ハナン、アリッサ、セメラ、メリユ様が聖なるお力を下賜された聖女様であられることを失念しているでしょう?
メリユ様は、神より移動のご命令を執行する権限を賜っていて、手続きさえ踏めば、一瞬でハラウェイン伯爵領に赴かれることが可能なのよ」
「「「は!?」」」
ふふふ、三人とも完全に凍り付いちゃっているわ。
まるで悪戯に成功したような気分。
「ちなみに、ハナン、あなたはその移動のご命令を拝見する機会を得ていたのよ?」
「ぃ、移動のご命令、でございますか?」
「応接室で、ティーカップが一瞬で天井の辺りまで移動していたでしょう?」
「それは……はい、確かに拝見させていただいておりましたが………っ!??」
今になって、何かに気付いた様子のハナン。
まあ、そうよね。
ティーカップが空中に留まっていたこと、アメラのお盆ではそのティーカップを破損させることがではきなかったことの方が印象に強く残っていただろうから。
あれが、まさか世界のどこへでも一瞬で移動することのできるご命令だなんて、思いもしないわよね?
「そう、あれが移動のご命令。
お伽話に出てくる転移の魔法、魔術のように、一瞬でメリユ様はハラウェイン伯爵領に赴かれることが可能なの」
「そ、そ、そんなことが…………」
ハナンは、今まさに己の常識が破壊されたような表情で茫然としている。
アリッサ、セメラは天界にまで招かれていただけあって、まだ理解ができているようだわ。
「いい、これも最重要の秘匿事項よ。
メリユ様は今までも移動のご命令で、一瞬で各地に赴かれ、お一人で聖務をこなされてこられたの。
今晩はわたしもそのお手伝いをほんの少しさせていただくだけ、だから、何の心配もないのよ」
「し、しかし、姫様、近傍警護は必要です!
ぜひわたしもお連れください」
「そうでございます。
アリッサと同じく、わたしもご同道をお許しくださいませ」
「いいえ、今回だけは認められません。
メリユ様はわたし一人だからこそ同行をお許しくださったのです。
これからハラウェイン伯爵領で、大きな奇跡をなされる以上、メリユ様のご負担が増えるようなことは認められませんわ」
そう、メリユ様がこれからなされることは奇跡以外の何物でもないだろう。
土砂によって堰き止められたキャンベーク川の決壊をバリアによって完全に防ぎ、災厄を回避できるようにするのだから。
「大きな奇跡……でございますか?」
「ええ、ハナンも知っての通り、土砂で堰き止められたキャンベーク川の決壊可能性を完全に摘み取るという奇跡、いえ、神命による聖務なのですわ」
「し、神命による、聖務……でございますか(ゴクリ)」
本当ならメリユ様がたったお一人で執り行われたのであろう聖務。
それでも、地図や供物の手配といったところで、こんなわたしでもお役に立つことができた。
ハラウェイン伯爵領に赴かれるのに付いていくのは、お邪魔になるのかもしれないけれど、少しでもお手伝いができるなら、これほどうれしいことはないと思うの。
「ハナンの言いたいことは分かるけれど、王国を災厄から防ぐ聖務を邪魔することは許されないわ。
これ以上、とやかく言うのであれば、神への不敬と見なされてもおかしくないでしょう?」
「そ、そんな……」
「メリユ様が神命で動かれる以上、王国がその邪魔立てをすることは決して許されません。
全ては、メリユ様のおっしゃる通りにするしかないのですわ」
ああ、何かしら、この誇らしいような気持ちは。
王女としての公務をしているときには得られなかった、胸の内に何かが満たされていくような感覚があるの。
「ハナン、あなたにはお父様、いえ、国王陛下、王妃陛下への報告を頼みます。
そして、聖務を終えて戻られたメリユ様に、疲労の取れそうなものとお茶を用意しておいてもらえるかしら?」
「しょ、承知いたしました」
そう、聖務である以上、お父様もお母様もメリユ様には口出しできない。
メリユ様は、神命に従う代わりに、超越者としてのお力をご自身のご意思で自由に振るうことができる。
責務と責任を担う代わりに、メリユ様は、ご自身の良心が許せる範囲で、この世の理に干渉してあらゆることを変えてしまうことができるのだわ。
性別だとか、年齢だとか、そんなものに関係なく、メリユ様は、地上の柵に囚われることなく、この世をよい方向へと変えていくことができる。
だから……そう、わたしはメリユ様にこれほど憧れているのだわ。
「ハナン、もし国王陛下、王妃陛下に何か言われたら、わたしが直接説明申し上げるようにするわ。
だから、安心して」
「ご配慮いただき心より感謝申し上げます」
「いいのよ。
全ては王国のためなのだから」
「姫様」
「殿下」
「アリッサ、セメラもありがとう。
聖女専属護衛隊の編成だけれど、わたしの近傍警護も兼ねて入ってもらうつもりでいるからよろしくね」
わたしは(三人には見えないのだろうけれど)ニコリとほほ笑んで、いよいよメリユ様との聖務に臨むことにしたのだった。
皆様、台風は大丈夫でしたでしょうか?
わたしの方はまだこれからというところですが、気を付けたいところです。
さて、今回のお話ですが、何かタイトルが間違っているような気も、、、
まあいつものことでしょうか、、、




