第51話 王女殿下、悪役令嬢と企みごとをする
(第一王女視点)
第一王女は、悪役令嬢と企みごとをしつつ、また一つ悪役令嬢の秘密を知ってしまいます。
ハナンたちに秘匿度の高い地図と銀製のワイングラス、国賓用のワインを持ってこさせ、下がらせる。
わたしの隣には、真剣な眼差しで地図をご覧になられるメリユ様。
ハラウェイン伯爵領で発生したという災害の報告に、わたしが晩餐会の間も少しばかり不安を抱えていたのは事実で……いえ、もちろん、メリユ様にああ言っていただけて、大丈夫だとは思っていたのだけれど、できることなら一刻も早くハードリー様のもとに駆け付けたい気持ちでいっぱいだったのも本当のことなの。
それがまさか、今夜の内にバリアを張りに赴かれるおつもりでいらっしゃって、わたしの心配のタネを取り除こうとされていたなんて。
こんな素敵な聖女様が、わたしの親友以上のご存在で、わたしの未来のお姉様だなんて……わたしは、メリユ様の横顔を拝見させていただきながら、胸の内が熱くなってくるのを覚えてしまう。
「王都から北西に十八マイル……ふうん、だいたい三十キロくらいか」
昨夜覗き孔から拝見させていただいたのと同じ、メリユ様の素のお姿。
やはり、こちらがメリユ様の飾らない本来のお姿なのだろう。
北の辺境伯領で、たったお一人、密かに聖女としてのお力を行使され、国境を守り抜いてこられたのだもの、性別のない使徒様のような雰囲気を纏われるのも当然のことなのかもしれない。
「(ゴクリ)」
聖なるお力を行使されれば、間違いなく我が王国の同年代の貴族子女で最もお強く、最もお優しいお方。
いえ、本気でお力を行使されれば、世界の誰も抗うことのできない超越者たるお方。
そんなメリユ様のすぐお傍で、こうしてお支えすることができるなんて、わたしはとてつもないほどの幸運に恵まれているのかもしれない。
「取り合えず、“translate”で現地上空に飛ぶか。
でも、天使形態だと……うーん、目立っちゃうからな……」
握り拳にした左手をご自身の下唇に添えられ、凛々しく考え込まれているメリユ様に、わたしは胸の高鳴りを止められなくなってくる。
どうしよう、わたしはまた誰よりも先にメリユ様のお力に触れてしまっているのだと気付いてしまった。
王族として様々な教育を受け、早くから魔法や奇跡などこの世には存在しないかのように教え込まれてきたわたし。
そんな夢も憧れも失ってしまったわたしの常識をティーカップお一つで叩き壊し、今まさに世界の輪郭すらも変えられようとしているメリユ様。
メリユ様とご一緒にいることで、わたしの世界は色付き、昨日までのせせこましさが信じられないほどに広がっていっているように思えてしまう。
たった一つの命令で、世界のどこかへと転移することのできる移動のご命令。
たった一つの命令で、決して破れない決壊に人やものを閉じ込めることのできるバリアのご命令。
たった一つの命令で、別のお姿に変わることのできる変身のご命令。
今度は一体どんな奇跡をお見せいただけるのかしら?
まさかわたしの中の不安を取り除かれた上に、こんな心躍るような体験をさせていただけるなんて、人生、何が起こるか分からないものだわ。
「メグウィン様」
「は、はい、何でしょうか?」
急に顔を上げられ、真正面から見詰められてしまって、わたしはドギマギしてしまう。
「土砂ダム……いえ、堰き止め湖には、ハラウェイン伯爵領の方々が常駐されていらっしゃると思われますか?」
「そう、でございますね。
間違いなく、領軍の兵士や役人の方々が常駐されていらっしゃるかと存じますわ」
いけない、メリユ様にお堅いなどと文句を言っておいて思わずわたしがお堅い話し方になってしまっている!?
「そうですか。
では、対応策を考えておいた方がよろしそうですね」
危ない危ない、ふぅ。
土砂ダムというのが少しよく分からなかったけれど、どうやらメリユ様はハラウェイン伯爵領の方々の目を気にされているよう。
確かに、メリユ様が使徒様のお姿でご降臨されれば、それだけで現場は混乱に陥るのは必至だろうから、何かしら対応策は必要なのだろう。
けれど、どうやって?
「うーん、“SetTransparency”で透明度をゼロにするか」
聞き覚えのあるご命令にわたしはハッとする。
「透明度とは!?」
「ものが透けて見えるように、その、変えることができるのです」
そういうご命令が……って、まさか!?
「では、昨夜の、あのティーカップは?」
「ええ、透明度をゼロにして見えなくしておりました」
うう、あれをてっきりものを消去する命令だとばかり思っていたわたしの心配は一体、はあ。
「そうだったのですね。
もう、メリユ様もお人が悪いです!」
もちろん、本気でそう思っている訳ではないの。
それでも、親友以上という間柄なら、それくらい言わせてもらってもおかしくはないだろうと思って、ついそんなことを言ってしまった。
「申し訳ございません。
怖がらせてしまいましたね」
案の定、メリユ様は、苦笑いしながら謝ってくださる。
そんなメリユ様に少し安堵しながら、わたしは……
「全くですわ。
……ですが、もし神からのご制約に引っかからないようでしたら、一つお伺いさせていただいても?」
そう、それでも、これだけは一王女として確かめておきたいことがあった。
「何でしょうか?」
「その、ものの透け方を変えるご命令ではなく……ものを消去するご命令というのはあるのでしょうか?」
超越者のメリユ様が、一番怖ろしいご命令をご所持されていらっしゃるのかということ。
「そのご質問には……ふぅ、ご安心くださいませ、お答えできますわ。
わたしはその命令、権限を有しております」
今までになく真剣なご表情をされ、頷かれるメリユ様。
わたしはティーカップの消失を目撃したとき以上に、背筋がゾクリとするのを感じてしまっていた。
「そ、それは……ものであっても、人であっても、なのでしょうか?」
「はい、アクターごと“delete”することは可能です」
(ゴクリ)
神命の代行者、神より下賜されし聖なるお力の深淵を覗き見てしまったような気分。
聖女様として調停し切れない事態が生じてしまい、どうしようもなくなってしまった際の最終手段として、おそらく、メリユ様は人やものを消滅、消去するお力をお持ちということなのだろう。
もしメリユ様のお人柄に触れることなく、こんな真実を告げられていたなら、わたしはメリユ様を危険な存在と感じ、きっと距離を取ってしまっていただろうと思う。
しかし、今なら……よくわたしと同じお年で、そんな怖ろしいお力を手にされながら、平静を保っていられるものだと思ってしまう。
いくら最終手段とはいえ、わたしなら、うっかり気分を害してしまった際に『消えてしまえ』と思ってしまうことがないとは到底言えない。
そう、たとえば、オドウェイン帝国からの使者がとんでもないことを言い出したとしたら?
塵も残さず消し去ってしまうことが絶対にないとは言えない。
そんなお力をお持ちでも、聖女様として直接命を刈り取られるようなことはせず、帝国兵にすら慈悲をかけられるようなお方だからこそ、神に認められているのだろうと思うのだ。
もちろん、非常時以外使えないよう制約はかけられているのだろうけれど、ご自身に直接剣を向けられることがあってさえ、そのご命令を使おうとされるどころか、微笑みを浮かべていられるというところがメリユ様の尊敬できるところなのだ。
「ありがとう存じます。
必ず秘匿するようにしますし、メリユ様がそんなご命令をお使いになられることがないよう、お支えいたします!」
そう、もしメリユ様がその最終手段に訴えられるとしたら……侵攻してきた帝国兵に王国が蹂躙され、多くの王国民が迫害を受けるような事態になった場合ぐらいだろう。
メリユ様お一人では、どうしても食い止められなくなり、神より神命の代行者として、そのご命令を行使されるご許可を賜られたとき、メリユ様は心を鬼にして、帝国兵を消滅されることになるのだと思う。
けれど、わたしとしてはメリユ様にそんなものを背負って欲しくはない。
きっと帝国兵にはバリアの中で王国に攻め込んだ悪行を反省してもらい、命奪わずにしてお帰りいただくのが最上の手であるのに決まっている。
「メグウィン様」
またもじっと見詰めてこられるメリユ様に、こそばゆいものを感じてしまい、
「それで、ものを透けてみせるご命令は……わたしの身体をも透明にできてしまうのでしょうか?」
わたしは、そんなことを尋ねてしまった。
「ええ、完全に姿を消してしまうことが可能です。
メグウィン様とわたしもお互いに見えなくなってしまいますので、メグウィン様には、しっかりとわたしの身体を掴んでおいていただきたく思います」
なるほど、確かにお互いに見えないというのは危ないことなのかもしれない。
メリユ様ご自身はお飛びになれるとしても、わたしは飛べないのだもの。
うっかり振り落されてしまえば、大変なことになってしまうかもしれない。
……ちょっと待って!?
し、しっかりと、メリユ様のお身体を、つ、掴んでいるようにするって。
わたし、またメリユ様と密着して……うっ、うう、どうしよう。
あんなに泣き付いた後で今更だけれど、やっぱりわたし自身が汗ばんでいないか心配だし、この心臓の高鳴りを悟られないかどうか不安だわ!?
わたしは、手袋をそっと外すと、自分の腕がベタついていないかどうか確かめずにはいられなかった。
第一王女殿下、ミラータワーのところでも似たようなことは考えていましたが、今回、本当にそんな命令を持っているのか確かめにきましたね。
さすがはメグウィン殿下です!




