第4話 王子殿下、戻ってきた王女殿下から報告を受ける
(第一王子視点)
貴賓室の壁裏から戻ってきた第一王女を迎えた第一王子は、彼女からの報告を聞きます。
予備の控室で妹のメグウィンが戻って来るのを待つ。
十一歳になり、何でもそつなくこなすようになった我が妹は、メリユ辺境伯令嬢の真の姿を見抜いて戻って来るに違いないと確信しながら、わたしはハナンの入れたお茶をゆっくりと楽しんでいた。
ハナンは子爵令嬢だが、本当に優秀だ。
アメラにはまだ及ばないとはいえ、いずれはアメラ同様に使える駒となるだろう。
王家の内情を知り、影に近い役割も任せられる侍女はとにかく貴重なのだ。
「殿下」
「ああ」
物音一つ聞こえないが、メグウィンが隠し通路を戻ってくる気配を察した二人の影が、隠し扉をゆっくりと開いていく。
真っ暗な隠し通路から、フードを被ったメグウィンが現れ、珍しくも蹴躓く彼女を(三人目の)女性の影が支える。
「メグウィン!」
「ぉ、お兄様!!」
フードが外された途端、青白くなったメグウィンの顔が露わになり、わたしは予想外の何かが起きたことを察した。
取り越し苦労になるはずが……あの我儘令嬢ごときで一体何が起きたというのか!?
わたしは立ち上がって、メグウィンに駆け寄る。
「王女殿下?」
「お兄様に至急のご報告が……着替えは後でお願いします」
メグウィンを受け止めた女性の影は、メグウィンの手から薄汚れた手袋を外しながらに頷く。
何もなかったのであれば、王女であるメグウィンは着替えを優先するはずであり、それを後回しにするということはよほど切迫した事態が発生したということになる。
まさか、あの我儘令嬢、本当に帝国と通じていたとでも言うのか!?
下手をすると、陛下と北の辺境伯の信頼関係すら崩してしまいかねない事態に、わたしも頭から血が引いていくのを感じた。
「メグウィン、何かあったのだな?」
「は、はい……」
「何があった?」
「あの……言葉ではとても説明しづらい事態が発生しました」
「何だと?」
蜜蝋の燭台の揺れる灯りに照らされるメグウィンの様子は尋常ではなかった。
対象はあの北の辺境伯の令嬢だ。
昔貴賓室に付けた影に勘付いて寝られなくなったという辺境伯の血筋なら、あの我儘令嬢と言えど、潜ったメグウィンに気が付いてもおかしくはないと言えるだろう。
それくらい、可能性としてなら、わたしもメグウィンも折り込み済なはずだ。
そのメグウィンが、言葉で説明しづらいとは、一体全体何事だと言うのか?
「殿下、お水を」
「ありがとう」
女性の影がメグウィンに水の入ったカップを手渡す。
そうだな……まずは、メグウィンに落ち着いてもらい、正しい情報をうまく引き出さねばならない。
わたしは、呼吸を整えながら、震える手で水を飲む妹を見詰める。
「ふぅ……」
カップに注がれた水を全て飲み干してから、メグウィンは大きく息を吐き出すと、こちらを見る。
「少しは落ち着いたか?」
「な、何とも言い難いところですが……」
力のない笑み……人を見る目ならば、充分に育っていると信じていたのだが、彼女の身に何が起きたのか、気になって仕方がない。
「あの、お兄様は……お伽話に出てくる魔法や魔術というものを信じていらっしゃいますか?」
「魔法や魔術だと?」
「はい、奇術という言葉では説明のできない奇跡の御業です」
まさか……
「……それを見たというのか?」
「はい、わたしが幻術の類をかけられていなければ、メリユ様は魔法をお使いになりました」
「……わたしは一度も見たことがないし、信じてもいないぞ?」
「そうでございましょう。
わたしも先ほどまでは信じておりませんでした。
むしろ、王族として、そのような与太話、耳を貸すことすらあってはならないと思っておりました」
次第に焦点がずれていっているような眼は、メグウィン自身、見たものを信じられていないことを物語っていた。
「しかし、お一人になられたメリユ様は、呪文を呟かれ、不思議なガラス板を宙に浮かせられたり、ティーカップを手も触れずに、空中に移動させられたりなさったんです」
「そんなものは、所詮奇術の類であろう?」
「いいえ、それどころか、メリユ様は呪文一つでティーカップをこの世から消し去られてしまったんです。
ああ、お兄様、どうしましょう?
わたし、メリユ様に覗き見ていたことを知られてしまったかもしれません!」
呪文一つでティーカップをこの世から消し去っただと?
本当にあり得ん話だ。
「ティーカップに布地か何かをかけて、それが消えたという話ではないのか?」
テーブルの上にあるティーカップに布地をかけ、布地を取り去ればなくなっているなど奇術の常套手法ではないか?
「ぃ、いいえ……空中に浮かんでいた……そもそもどうやって浮いていたかも分からないのですが、そのティーカップがそのまま、こ、忽然と消滅したのです。
まるで、わたしが見ているのを分かっていて、ぉ、お前も消してしまうぞと……そう警告を受けたような気がして、わたし、気が動転してしまって、ぉ、お兄様!」
「メグウィン、落ち着くんだ。
メリユ嬢の様子ならこれからアメラに探らせる。
いくら何でも、王族を消し去ったりはしないだろう?」
「そ、それならよいのですが……」
昔侍女から怖い話を聞かされたと泣き付いてきた幼い頃のメグウィンを思い出させる、怯えを隠しきれない彼女の様子に、わたしは久しぶりの庇護欲を駆り立てられながら、頭を撫でて慰める。
「いずれにせよ、お前は無事に戻ってきたのだ。
向こうとて無事に帰してしまった以上、わたしやもっと上へも話がいくことくらい分かっていよう。
明日、メリユ嬢を呼び付けて直接聞こうではないか?」
「そ、そんな……」
「こうしてわたしも聞いてしまったんだ。
それに王族に詰問されて答えられない貴族令嬢もいまい」
「それはそうでしょうが……」
どう考えても奇術の類で間違いないと思うのだが……それほどの技をあの我儘令嬢が身に付けているとは、信じられない思いだ。
「それよりもだ。
メリユ嬢が帝国と繋がっているといった様子はなかったのだな?」
「おそらく……それは………いえ、自信がございません」
「メグウィン、どうした?」
「申し訳ございません、お兄様。
わたしが潜って見させていただいたメリユ様は……お兄様から伺っていたお人柄とはまるで別人のようで……しかも、お一人になられて魔法をお使いになられているときは、また別人のようになられていて……わたしでは、もうメリユ様がどういった方なのか見極めることができないと思ったのです」
「……メグウィン」
わたしが伝えていたメリユ嬢とは別人のようだったと?
「ごめんなさい、お兄様!!
メグウィンは、メリユ様の真のお姿を見抜くことが叶いませんでした!」
「はあ、もうよい。
わたしもメリユ嬢の裏の顔を見抜けなかったのだとしたら同罪だ」
「……お兄様」
メグウィンの頭を撫でながら、わたしは考える。
もし、もしもだ。
北の辺境伯領を訪れた際のメリユ嬢のあの立ち振る舞いが自分を印象付けるための作為的なものであったのなら、本当のメリユ嬢は……わたしが考えていた人物像とはまるで違っているのかもしれない。
そして、本当に『もしも』メグウィンが潜っているのに気付いていて、魔法を見せ付けたのだとしたら………もしかすると、メリユ嬢は王族と接触するために、わざとそうしたのだという可能性はないだろうか?
いや、考え過ぎか?
わたしは戻ってきたアメラにすぐさまメリユ嬢の元に行って『明日の朝、朝食を共にする旨』伝えるよう指示を出し、ハナンにメグウィンを(着替えと湯浴みのあと)寝かし付けるように言い付けるのだった。
いきなり第一王女の心労の原因となっている悪役令嬢……大丈夫でしょうか?