第3話 王女殿下、悪役令嬢の秘密を目撃する
(第一王女視点)
貴賓室で寛ぐ悪役令嬢を第一王女が壁裏から監視します。
「ふぅーっ」
アメラが部屋から出ていくと、ティーテーブルの横に座られていたメリユ様がホッとされたように吐息を漏らされるのが聞こえた。
先ほどまでの彼女が猫かぶりしていなかったとすれば、侍女がいなくなったくらいでホッとしたりはしないだろう。
つまり、メリユ様はアメラの前で猫かぶりされていたということで間違いない。
我儘な貴族の令嬢令息というものは、侍女相手に猫かぶりはしないことが多いけれど、少なくともメリユ様はアメラ相手に気遣いできる程度の令嬢ではあるということなのだろう。
さて、ここからが本番よ!
猫かぶりはやめたメリユ様がどんな姿を見せられるのか?
そして、もし本当に帝国と通じていて、王城で何らかの情報収集や工作を目論んでいるのだとしたら、今こそ彼女がその本性を見せてくれることだろう。
わたしは訓練通りに己の気配を断ちながら、彼女の観察を本格的に始める。
緊張を解いた彼女は、相変わらず穏やかな様子で、顔と視線だけを動かして貴賓室内の様子を眺めている。
首から下は全くブレもしない。
貴族令嬢の模範とも言える姿勢を保ったまま、じっとされている。
第一王女として厳しく立ち振る舞いを指導されてきたわたしならともかく、同じ十一歳の令嬢がこれほどの落ち着きを見せているなんて正直驚きだ。
それこそ口煩い専属侍女がいなくなったことで、部屋の中を駆け回ったりするような令嬢だって世の中には普通にいるのだ。
もちろん、辺境伯家という立場を考えれば、彼女もそれだけ厳しく躾けられている可能性は十分にあるが、お兄様からの事前情報を含めて考えると、信じられない思いでいっぱいだ。
まさか、身代わり……ってことはないわよね?
それを疑ってしまいたくなるほど、彼女の振る舞いは大人びたものだった。
暫く大人しく部屋の様子を眺められていたメリユ様が、ようやく上半身を動かされる。
ドレスの上で重ねられていた手を持ち上げ、掌を開いたり閉じたりをされている。
まるで自分の身体の状態を確かめられるような不思議な動きだった。
どういう意味があるのだろう?
「動作は1:1か……行動できる範囲が、限られるのが痛いな」
っ!!
模範的貴族令嬢として振る舞っていた彼女が、ついに素を見せ始めたことにわたしの緊張が高まる。
『動作』とは?
『1対1』とは?
意味の分からない言葉が多いけれど、『行動できる範囲が限られる』というのは、かなり怪しい言葉だ。
メリユ様はこの王城で何かしらの行動を起こされようとしているのだろうか?
わたしは気配を殺しながら、彼女の一挙手一投足を見逃すまいと、覗き孔に張り付く。
そして、彼女が身構えたように感じた次の瞬間、
「"Show console"」
メリユ様が呪文のようなものを唱えられた。
初めて聞く言葉の響きだ。
二つの単語から構成される呪文、それぞれの単語の意味もまるで分からない。
いや単語なのかどうかすら怪しい。
一体何の意味があるのだろう?
わたしが訝しんだ次の瞬間、
「っ!?」
彼女の胸の前辺りに、青いガラス板が音もなく現れ、宙に浮いていた。
驚愕のあまり、言葉にならない吐息が漏れる。
それでも、悲鳴を上げたり、物音を立てたりしなかったわたしを褒めてもらいたいものだと思う。
彼女のしでかしたことは明らかに現実離れしたことだった。
現実的な範囲で言えば、奇術。
わたしも王城で奇術師の操る『奇術』くらいは見たことがある。
しかし、あれらはタネがあるもので、奇跡の類ではないのだ。
現実的な範囲を超えてもよいのなら、魔法、魔術の類が思い浮かぶ。
とはいえ、それらは所詮お伽話のはずだ。
わたしとて、王女として、おかしな話を信じ込んだりすることのないよう、その辺りはしっかりと教育されている。
そ、そうよ……きっと、彼女は奇術を使えるのだわ!
それなら先ほどの話も理解できる。
『奇術』のタネを明かしてもらった際、大げさな行動、振る舞いの一つ一つに視線を吸い寄せさせ、気付かれてはならない動作から気を逸らせるように仕組んでいると説明を受けたことがある。
彼女が暇つぶしに奇術を試そうとしていたのなら、あの言葉もおかしくはないだろう。
彼女は奇術師がそうするように、ティーカップを指さし、
「"Pick"」
と呪文を呟いた。
今度は……何も起こらない?
警戒しながら注視していると、青いガラス板に変化があった。
見たこともない……文字のようなものが新たに浮かび上がり、それを見てメリユ様は納得するような表情を浮かべる。
何の文字……なのかしら?
奇術にしては、あまりにも不思議。
タネらしきものを見抜くことすら叶わない現象に、わたしはいよいよ不安を覚え始めていた。
そして、彼女は続けてまた謎の言語とすら思える呪文を呟く。
「"Translate picked object 0 0 0.5"」
数秒ほどの時間差で、何かが起こることを察せるようになっていたわたしは息を呑む。
一体、彼女は何をしようとしているのだろうか?
これが、もし、もし本当に奇術であるのだとすれば、彼女は稀代の奇術師になる才能があると言えるだろう。
こ、今度は、一体何が……?
わたしの視線が彼女の指先にあるティーカップに吸い寄せられたとき、
ヒュン!
という空気が乱れるような音と共に、ティーテーブル上のソーサーに置いてあったティーカップが姿を消した。
「っ!!!」
いや……一瞬で彼女の目線の高さより上に……宙に浮く状態でティーカップは存在していた。
な、何が起きた、の?
あのティーカップが、一瞬であの高さまで浮かび上がったというの?
お兄様に言われるがまま、何度か潜ったことのあるわたしだけれど、これほど動揺させられたのは、これが初めてだと思う。
ティーカップが消え、一瞬であの高さまで移動した理屈が分からない。
そして、何よりあのティーカップが浮き続けていられる原理が分からない。
これが奇術ではないとしたら……ないのだとしたら何だと言うのか?
もはや、あり得るとすれば、お伽話に出てくる魔法、魔術の類のみ。
あまりに現実離れした光景に、観察を続けているだけで、頭が痛くなってくる。
「よっと」
もはや、貴族令嬢らしからぬ掛け声で立ち上がった彼女は、浮いているティーカップを覗き込みながら、また何かをしようとする素振りを見せる。
見てはならないものを見ている。
見ては許されないものを見ている。
次に何が起こるのだろうということにゾクゾクするものを感じながら、わたしはそう思った。
「"Set transparency of picked object to 0"」
また新しい呪文が呟かれる。
これは先ほどの移動の呪文ではない。
一体、彼女はあのティーカップにこれ以上何をしようというのか?
わたしは腕に鳥肌が立つのを抑えられなくなっていた。
一、二、三……
毎回決まった時間差の後、
ティーカップは消滅した。
消される!
なぜかわたしはそんな焦りを覚え、ついに身体を動かしてしまった。
ガタン!
今まで一度もしたことのない失敗。
覗き孔のある壁に身体をぶつけてしまい、わたしは全身から汗が噴き出るのを感じる。
ダメ! なんてこと!?
彼女がチラリとこちらを見る。
バレてしまった……。
彼女が魔法を使っているところを覗き見てしまったことがバレてしまった。
もし彼女がものを消滅させる魔法を使えるのだとしたら?
次に消されるのはわたしかもしれない。
「っ」
自分の身の危険を感じたわたしは、覗き孔を塞ぎ直すことも忘れ、ただ無様に、ただ必死に影用の通路を引き返すより他にできなかった。
とんでもない勘違いをされてしまった悪役令嬢メリユ、はたして大丈夫でしょうか?