第307話 ハラウェイン伯爵令嬢、『鳥船』に乗船する
(ハラウェイン伯爵令嬢視点)
ハラウェイン伯爵令嬢はついに『鳥船』に乗船します。
[『いいね』いただきました皆様方に心よりのお礼を申し上げます]
ハラウェイン伯爵領において『船』と言えば、小さな川船しかありません。
くだる際は竿や櫂で操船し、のぼる際は馬で陸から引くものになります。
くだりはともかく、のぼりが大変なのと、輸送力もあまりないため、運搬手段は馬車がメインなのです。
海へ行けば、大きな船があるそうなのですが、わたしはまだ見たことがありません。
そんなわたしが空に浮かぶ『鳥船』に乗船しようとしているだなんて、未だに信じられない思いです。
わたしたちの前を信じられないような速さで通り過ぎていく壁面。
キャンベーク渓谷のご奇跡を拝見し、空を飛ぶ体験などを重ねてきたわたしたちだからこそ、背筋が軽くゾクッとする程度で済んでいますけれど、そうした経験の浅い聖騎士様たちは人智を超えた光景に怖れを抱かれ、絶句されているご様子なんです。
まあ、そうですよね。
聖都ケレンを丸ごと空に浮かべたとしても、この『鳥船』の大きさにはまるで及ばないんですもの。
今下に流れていくように見える『鳥船』に生えている建物なんて、本当に山のような大きさで、これ一つでエルゲーナで最も大きい建物を遥かに超えてしまっていることでしょう。
これすらも『鳥船』のごく一部だなんて、まるで夢でも見ているかのようです。
「はぁ、凄い」
ですが、これは決して夢なんかではないんです。
メリユ様とメルー様と繋いだ手に感じる体温が、これが現実だと教えてくれます。
手袋越しでも少し手汗を掻いていらっしゃるらしいメルー様は、聖なるご命令を発せられるのに際し、緊張していらっしゃったのでしょう。
それでも、目を輝かせて、近付いてくる『鳥船』の白い穴に心躍らせていらっしゃるご様子なのもまた確か。
ええ、それはわたしも同じなんです。
メリユ様がこれまでいらっしゃった世界を見てみたい。
そして、これからは(きっと)わたし自身も関わっていくに違いない神聖なる景色をこの目に映してみたいと思うんです。
「減速フェーズに入ります。
身体が浮かび上がるような感覚があるかと存じますが、危険はございませんので、ご安心くださいませ」
メリユ様がご自身の前に浮かべられたコンソールをご覧になられながらそうおっしゃいます。
減速。
それはすなわち『鳥船』への乗船が近付いているということを意味しているのでしょう。
わたしはメリユ様を挟んで向こう側のメグウィン様の様子を窺います。
頬を紅潮させていらっしゃるメグウィン様は、うっとりと『鳥船』を見上げられて、期待に胸を膨らませていらっしゃるご様子でした。
そんなメグウィン様の視線につられるように、わたしも『鳥船』を見上げます。
わたしたちの乗る白い円盤と同じくらいの白い穴……いえ、眩しくて穴なのかどうかもよく分からないのですが、それがどんどん近付いてくるのが分かります。
「ぶ、ぶつかる!?」
「本当にあの白い穴に、この『迎え船』は入ることができるというのか!?」
本当に、大人の方々は何無粋なことをおっしゃっているのでしょう?
メリユ様が、神が、そのような間違いをおかされる訳がないでしょうに。
タダ、このご奇跡のような光景を黙って受け入れ、心に刻んでいけば良いんです!
そんなことすらも分からないとは、特使に相応しくないのでは? と思ってしまいます。
「わ」
それでも、突然やってきたその減速フェーズというものによって、突然身体がふわっと浮き上がるような感覚に、少しばかり声を漏らしてしまいました。
メルー様だって、平気そうでいらっしゃるのに恥ずかしいです。
ですが、思ったよりも速く迫りくる『鳥船』の下面とそこにある白い穴に、わたしは圧倒され始めていました。
白い穴から噴き出す白い光の粒。
メリユ様の翼からも発せられていたものときっと同じ神聖なるものなのでしょう。
これこそ、まさに洗礼のようなものなのではないでしょうか?
まるで滝の水のように、吹き下ろされてくる白い光の粒は、雨のようにわたしに降り注ぎ、身体のいたるところからわたしたちの身体を擦り抜けていくんです!
その光の粒はどんどん密度を増して、わたしはお隣のメリユ様のお姿さえ、見えづらくなってきているのに気付くんです。
「何だ、これは!?」
「光が、神聖なる光が!」
「神よ、おお、神よ」
特使の騎士様たちのどよめきが一層大きくなります。
ええ、こればかりは騎士様たちのお気持ちもよく分かってしまいます。
何せ、まるで神聖なる光に浄化されているような気持ちになってくるんですから!
これは『鳥船』に乗船するにあたり、必要なことなのでしょう。
穢れを神聖なる『鳥船』に持ち込ませないためなのかもしれませんね?
光の粒は、周囲を光で満たしていって、わたしたちは目を開くのも辛くなってきます。
それでも、絶対的な安心感もあって、わたしはメリユ様と繋いだ手に全神経を集中させるんです。
ええ、次目を開くときには、わたしは『鳥船』に乗っているのだと確信していたんですから。
身体の浮かび上がるような感覚がなくなり、瞼裏に感じていた光の粒の眩しさが薄らいだところで、わたしはおそるおそるゆっくりと瞼を上げることにしました。
細目で眩しさが残っていないか確かめながらに開いたわたしの視界には、信じられない光景が映っていました。
ここは『鳥船』の中ですよね?
それなのに、『鳥船』の中は先ほど乗っていたのと同じ白く輝く床が延々と広がっていて、ほんのりとかかる白い霧が遠くの景色を霞んで見せるんです。
「ここは、天界?」
それはわたしの言葉だったのか、メグウィン様のものだったのか。
誰であれ、この光景を目にして、『鳥船』……そう船の中とは思わないでしょう。
どちらかといえば、天界と言うに相応しいものだったんです。
見上げれば、遥か彼方、上方に『鳥船』の下面に生えていたものと同じ建物による模様が広がっていて、霧……なのか、雲なのかがその光景をぼかしているんです。
なるほど……『鳥船』とは、まさに天界の一部を『船』の中に再現したものなのかもしれませんね?
少なくとも『人々』の考える『船』の中ではありません。
まさに神と神のご眷属の方々が住まわれる世界の一部というのがぴったりくる表現だと思います。
「天界、これが天界、なのか?」
「いや、これはまた違うもののようだの」
「まさに、使徒様のための神聖なる世界と言いましょうか、そんな一つの小世界を包む『船』なのでしょう」
そんなわたしや、騎士様たちの考えを否定されるのは、王国の近衛騎士の方々。
そうでした。
メリユ様とご一緒に天界に召されかけていらっしゃったのですよね?
これすらも天界とは異なるとは。
サラマ様のおっしゃられる通り、使徒様のための神聖なる小世界を包む『船』という表現はとてもしっくりくるように感じられました。
神や神のご眷属の方々の言う『船』とは、一つの小さな世界を丸ごと包み込み、運ぶ、特別なものなのでしょう。
「すぅ、はあ」
そして、漂う霧か、雲すらも、先ほどの光の粒と同じく、息をするだけで身体が浄化されていくように感じられます。
わたしは深呼吸を繰り返しながら、特使の皆様の向こうに広がる世界の果てを見極めようと見詰めるのですが……地平線のような先は煙ってしまっていて、よく分かりませんでした。
十三マイル。
そんな円盤が足元に広がっているというのでしょうか?
本当に神の関われるものの規模の大きさに圧倒されてしまいます。
ですが、メリユ様のご反応を見ますに、これすらも大したものではないご様子。
神にとって、これほどの『鳥船』を何隻もご用意することすら容易いということなのかもしれません。
……凄い、凄い凄い、凄い凄いっ!
メリユ様のいらっしゃる世界の凄さが今更ながらにわたしの意識を揺り動かし、そして、これまでわたしのいた世界がどれほどまでにちっぽけで、視野狭窄していたのか、今更ながら気付かされてしまうのでした。
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フォグエフェクトで誤魔化したファウレーナさんでございますが……逆に、皆の度肝を抜いたようでございますね。




