第303話 ダーナン子爵令嬢、出発の朝を迎える
(ダーナン子爵令嬢視点)
ダーナン子爵令嬢は、特使として出発するその日の朝を迎えます。
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お姉ちゃんと同じベッドで寝て、幸せな夢から覚めると、外は昨夕よりもずっと暗くなっていて、『鳥船』が本当に地表すれすれまで下りてきてるんだって分かったの。
あれから三日。
あたしたちはその『鳥船』に乗り込んで、オドウェイン帝国に赴くその日がやってきたんだわ。
あたしがお姉ちゃんから任されたのは、昇降する『エレヴェイティングプレーン』というものを動かすお仕事。
地表から皆様を『鳥船』まで運ぶ、大事なお仕事なんだって。
左手を胸に当てて、心の臓の鼓動がいつもより速くなっているのを感じるの。
ええ、あたし、わたくしがメルサ・サンクタ・スピリアージ・アリファナードだったときですら、承ったことのないようなご聖務なのだもの、緊張して当然よね?
すぅっと息を吸って、はぁっと吐いて、隣にいるお姉ちゃんを見る。
本当に、あたし、お姉ちゃん=ファウレーナ様=メリユ様の妹分として、これからもいられるんだって思って、高まってきていた緊張感を和らげるような安心感を覚えて、顔の表情が緩んでくるのが分かるの。
穏やかなお顔でおやすみになられているお姉ちゃんの横顔、その頬に唇を近付けて、チュッとキスをしてね、あたしはそっと起きて、窓際まで行くの。
「……凄い」
あたしたちが乗り込む『鳥船』は、バーレ連峰の山頂ぎりぎりまで下りてこられたようで、今にもその山頂を押し潰しそうなほどに迫っていたわ。
そう、今朝の空はそのほとんどが『鳥船』に覆われていて、遥か向こうに朝日を浴びて白く輝く『鳥船』の端っこが見えているおかげで、朝が来たって分かるくらいなの。
頭上には(薄暗いけれど)美しい模様が描かれた『鳥船』の中心があって、そこから『エレヴェイティングプレーン』というものが下りてくるらしいのね。
お話で一度は聞いていても、信じられないようなご奇跡よね?
あたしの聖なるご命令で、『鳥船』のその『エレヴェイティングプレーン』を動かせるなんて、メルサから続く人生でも、あり得なかったような大役よ?
経典には、きっと今のあたし、メルー・サンクタ・ヴァイクグラフォ・ダーナンの名前が、『エレヴェイティングプレーン』を昇降させた聖女として記録に残るのだと思う。
メルサだったときだって、『ウヌ・クン・エンジェロ』という称号を作ったことは個人的に誇って良い仕事をしたと思っているけれど、これまでは聖職者たちにだってあまり注目されてこなかったことなのよね。
でも、今回は違う。
お姉ちゃんのお手伝いとして、だけれど、これだけのご聖務をこなしたという記録が残ることは、聖女として『使徒様のため何かできた』『世界のために何かできた』って、ようやく胸を張れると思うのだもの。
そう、サラマ様のお話を聞いてね、思ったの。
メリユ様とお会いになられるまでのサラマ様は、昔のあたしだって。
聖女という称号は、一人の少女にとってどれほどの重荷になることか。
それに見合ったご聖務をできているかって訊かれて、自信を持って『はい』って言える聖女は、ほぼいないと思うもの。
お姉ちゃん=ファウレーナ様と出会えたことで、サラマ様も、あたしも、自分の聖女としての価値を信じられるようになったのよ?
「……メルー?」
いけない、お姉ちゃんを起こしちゃったかな?
今からあたしは、メルー・サンクタ・ヴァイクグラフォ・ダーナン。
決して、メルサ・サンクタ・スピリアージ・アリファナードとしてのわたくしを残していると悟られてはいけないの。
「お姉ちゃん、おはよう」
窓からベッドに駆け寄って、あたしはできる限り、意識をメルーに戻して、お姉ちゃんに微笑みかけるの。
『ウヌ・クン・エンジェロ』にはなれなくても、姉としてお慕いできることがどれほど幸せなことか。
今のあたしは、お姉ちゃんのお傍にいることが許されている。
いいえ、むしろ、お姉ちゃんのお手伝いをすることを期待されているんだもの。
どうか、これからもお姉ちゃん=ファウレーナ様の妹分としていられますように、と神に祈って、あたしは改めてメルーとしての朝を迎えたのだった。
皆様がお目覚めになってからは、本当に(侍女様たちも含め)大騒ぎだった。
聖国のドレスを身に着けて、礼装として必要な宝石も着けてもらって……あたしが子爵令嬢(庶子)なのだとしても、あり得ないくらいに着飾って……髪も念入りに整えてもらったの。
何せ、オドウェイン帝国の皇帝陛下という方に会うんだもんね?
ああ、変に意識すると、メルサの方に意識が引き摺られそうになっちゃう!
今生で商家の女子かつ子爵令嬢に生まれ変わったのも驚きだけれど、お姉ちゃんに出会ってからの展開が早過ぎる!!
あたしが、オドウェイン帝国の皇帝陛下に会うとか、メルーの意識が付いていける訳がないよ!
でも、堂々としてるお姉ちゃんを見ていると、見習わなきゃって思うんだ。
きっと、あたしは、メルーとしても、聖女をやっていける!
そう信じたいの。
「メルー様、緊張されていらっしゃいますの?」
「あ、えっと、はい。
バリアには慣れたんですが、『エレヴェイティングプレーン』は初めて、なので」
あたしが『エレヴェイティングプレーン』の聖なるご命令を執行するにあたり、発音をご指導してくださったのがマルカ様。
悔しいけれど、メルサのあたしを取り戻しても、マルカ様の耳には敵わなくて、お姉ちゃんのご命令をマルカ様が学ばれて、あたしに教えてくださっているって訳。
「ふふ、では、カーレ第一王子殿下のご挨拶の前に最後の練習をいたしましょうか?」
「は、はい、お願いします」
それにしても、マルカ様、凄く楽しそう。
あたしは、これだけ緊張しちゃってるっていうのに。
「マルカ様、ご機嫌、ですね?」
「ええ、戦がこのような形で食い止められたこともそうですけれど、このようなご奇跡が、ゴーテ辺境伯領で起きたということはとても喜ばしくて」
「それは……」
意外なマルカ様のお言葉に、あたしはハッとなってしまうの。
「王国では特に聖教への信仰心の厚いゴーテ辺境伯領ですけれど、我が領自体が聖教にとって価値ある土地ではないというのは、メルー様もお分かりかと思いますの。
聖都まで巡礼に向かわれる方々にとっても、あくまで我が領は通過点。
通られるのも、せいぜい王国の信者の方々くらいですの」
ああ、そうなのね。
『鳥船』が舞い降りられた地として、この地は聖教にとって価値を持つ、と。
「それが、まさか『鳥船』が降臨された聖地となるだなんて!
も、もちろん、『時』を止められた帝国兵のことも考えなければなりませんけれど、『鳥船』の聖地としての価値はとてつもないものとなりますでしょう?」
あたしもメルサだったから分かるわ。
『鳥船』の聖地となったこの砦は、これから多くの巡礼者の立ち寄る土地となることだろうと思うもの。
ミスラク王国だけではなく、周辺国の信仰心厚い者たちが、この特別な地で、神のご存在を感じて、祈りを捧げるようになれば、ゴーテ辺境伯領自体の価値も上がるのね。
「良かった、ですね、マルカ様」
「ええ」
マルカ様の心からの笑みに、あたしもうれしくなってしまうのだった。
昔も、今も、お姉ちゃん=ファウレーナ様は、皆様に幸せを運んできてくださるだって、分かるんだもの。
そして、何よりも、今生こそは、メルカ様、リーラ様も、あたし自身も幸せになれたらって思うんだ。
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次回、いよいよ出発予定でございます。




