第24話 王子殿下、結界から戻った近衛騎士団と悪役令嬢を出迎える
(第一王子視点)
第一王子は、結界から解かれ戻ってきた近衛騎士団と悪役令嬢を出迎え、報告を聞きます。
正午を過ぎ、鏡の結界が日の光を反射し始め、我らのいる辺りを照らし始める。
雲がなければ、景色に溶け込んでしまいそうな鏡の結界だが、こうも雲のある状況では、異常なまでの存在感を覚えてしまう。
メリユ嬢が聖女。
メグウィンの話は、それなりに納得できるものであるし、八割ほどは信じてもよいと考えている。
しかし、二割ほどはまだ信じ切れていなかった。
近い将来、王太子になる身であるわたしとしては、そう安易にメグウィン一人の意見を受け入れる訳にもいかないのだ。
断定するのは、近衛騎士団が戻ってその話を聞いてから。
特に、否定的であったカブディ近衛騎士団長の意見も聞いてからにしたいと、そう思っている。
それでも、メリユ嬢が光球をその掌の上に浮かべ、天空へと伸びる巨大なバリアの内部に入っていったときの後ろ姿が忘れられない。
鏡の結界に映る自身の姿をまっすぐに見詰めたまま、視線を揺らすこともなく、その内部へと身を浸していった彼女の凛々しい姿がどうにも目に焼き付いて忘れられないのだ。
「わたしは……」
ふと、身近に気配を感じて振り返るとアメラが来ていた。
「殿下」
「アメラか。
それで、どうだ、城下の様子は?」
「結界に気付いた信心深い者たちが王城に向かって拝み出すなど、一部では騒ぎになっているようでございます。
また、教会でも教皇らが動き出したとの影からの報告がございました」
あの衝撃音に、天空まで伸びる鏡の結界の出現。
王都には、何万もの人間がいるのだ、誰も気付かないなんてことあり得る訳がないか。
教会が動き出したのはやっかいだな。
「そうか。
城下は、大きな騒ぎになってはいないのだな?」
「はい、今のところ、怪我人が出るような事態にはなっていないとのことでございます」
「それならよい。
教会が王城に遣いを出すような動きがあれば報告を頼む」
「ははっ」
さて、教会は鏡の結界をどのように見るのか?
「殿下、あともう一件ご報告が」
「何だ?」
「メリユ様の専属侍女ミューラ様から何か得られないかと思い、接触してみたのですが、『お嬢様には使命が』と漏らしておいででした」
なるほど、専属侍女が口を滑らせるのを期待して、接触を図った訳か。
それで漏らした言葉が『お嬢様には使命が』か。
使命。
やはり、メリユ嬢は何らかの使命を負っていて、今このように動いているということか。
その使命が『王国を救う』というものであれば、大歓迎なのだがな。
「なるほど、メリユ嬢の専属侍女は彼女の正体を知っているということか。
何かあれば、すぐに呼び出せるようにしておいてくれ」
「承知いたしました。
それで、殿下、とうに正午も過ぎておりますが、お食事はどうなさいますか?
陛下は、メリユ様がお戻りになられてから取られるとのことでございますが」
「わたしも同じで頼む。
状況が状況だ、軽く摘まめるようなものでよい」
「承知いたしました。」
アメラが下がると、ハナンを伴ってメグウィンがこちらへと向かってくる。
「お兄様、教会が動き出したと」
「ああ、王都の大勢の人間もこの奇跡を見てしまったんだ。
教会としても王城に説明を求めてくるだろうな」
「やっかいなことでございますわね」
「そうだな」
知らぬ存ぜぬを貫こうかと思っていたが、城下でも騒ぎとなっているなら、王城として何も情報を出さない訳にはいかないか。
ただ、何にしても、メリユ嬢を教会を渡す訳にはいかない。
彼女が魔法使いであろうが、聖女であろうが、今のこの王国にはなくてはならない戦力だ。
そう思い、鏡の結界を見上げると、突然鏡の結界がコーン……と震えた。
全身に伝わる細かい振動。
これは何かが起こる前兆?
いや、メリユ嬢が近衛騎士団を結界から解放しようとしているのか?
「お兄様っ」
「ああ、分かっている。
全員、突風に備えよっ!」
陛下や我々を守る近傍警護の近衛騎士たちにも聞こえるように声を上げる。
そして、間もなく、鏡の結界が掻き消え、ボンッという衝撃音と共に練兵場に砂煙が巻き起こる。
「………」
飛んでくる砂粒から目を守るように腕を目元に当て、様子を窺がっていると、鏡の結界のあった辺りから歓声が聞こえ始めた。
これは、近衛騎士団第一中隊。
彼らが無事戻ってきたということなのか?
上腕を目元から離し、砂煙漂う練兵場を眺める。
先ほどまで鏡の結界があった場所に、大勢の人影と大型の攻城兵器=破城槌の大きな二つの影。
まるで神隠しにあっていた人間たちが戻ってきたような不思議な光景だ。
「お兄様」
「ああ、本当に戻ってきたようだな」
メグウィンが駆け出そうとしている気配を察して、その腕を捕まえておく。
「お兄様っ!」
「待て、まだ安全が保障された訳ではない」
そう、もし暗闇の中で気の触れた騎士がいたりすれば、王女であるメグウィンの身に危険が迫る可能性すらあるのだから。
それにしても、何て騒ぎだ。
奇声を上げているのか、歓声を上げているのかも区別できない。
うん? あれは……?
手前の方で、固まったままの数人の人影に視線が行く。
次第に薄まっていく砂埃の中、シルエットから言うと、女の騎士たちと思われる人影が……(その隙間から見える)ドレス姿の少女を囲っているらしいのが分かる。
その近くにいる、あの人影は、カブディ近衛騎士団長と、近衛騎士団第一中隊最上級騎士のカブダルか。
「「「聖女様、万歳! 王国、万歳! 国王陛下、万歳!」」」
なっ………。
突然始まった万歳斉唱に、メグウィンもわたしも言葉を失う。
近衛騎士団第一中隊の百名ほどが『聖女様、万歳!』と斉唱したのだ。
そして、再び感極まった者たちが抱き合ったり、飛び付き合ったりし始める。
「ぉ、お兄様……」
「ああ」
メリユ嬢が鏡の結界に消えてからニ刻かそこらで、近衛騎士団全員が彼女を聖女として認めているとは……一体中で何が起こったというのだろうか?
取り合えず、気の触れたような者はいないようであるから、行ってみるか?
「っ!」
そう一瞬迷ってしまった次の瞬間、メグウィンがわたしの手を振り払って、飛び出していく。
ドレスを摘まんで持ち上げながら、何て器用に素早く走るんだ、あの妹は!
「陛下っ」
わたしは振り返り、陛下の許しを得ようとすると
「ぅ、うむ……皆で行こうか」
「ははっ」
陛下もすぐ向かわれることを決断された。
そう、何にせよ、メリユ嬢とカブディ近衛騎士団長から話を聞かなければ、何も分からないのだから、当然と言えば当然なのだろう。
一足先に女騎士たちのもとへ駆け寄るメグウィンに、女騎士たちは警護陣形を解き、ドレス姿のままのメリユ嬢が姿を現すのが見える。
いや、しかし……何だ?
メリユ嬢のドレスがやけにキラキラしているように見えるのは気のせいだろうか?
「メリユ様ぁっ!」
「「「メグウィン第一王女殿下、ただいま戻りました!」」」
女騎士たちが敬礼する中、カーテシーをしかけたメリユ嬢にメグウィンが抱き付く……。
いや、一体メグウィンは何を考えているのか、と思ってしまう。
取り合えず、今は先にカブディ近衛騎士団長から急ぎ話を聞くことにしよう。
近付く陛下、アワレ公爵とわたしたちにカブディ近衛騎士団長も気付いたようで、最敬礼をしてじっと頭を下げる。
距離にして数ヤード。
カブディ近衛騎士団長の隣にいる近衛騎士団第一中隊最上級騎士のカブダルが、
「総員、最敬礼!」
と大声を上げると、近衛騎士団の騒ぎがやみ、全員が最敬礼をとる。
「国王陛下、第一王子殿下、第一王女殿下、宰相閣下。
聖女様、近衛騎士団第一中隊百名、女護衛騎士小隊六名某含め総員百八名、無事天界より帰還を果たしましたっ!」
大真面目なカブディ近衛騎士団長の帰還報告に、陛下、宰相とわたしは凍り付く。
今……『聖女』に、『天界』と言わなかったか?
『聖女』は近衛騎士団の騎士たちも叫んでいたが、『天界』、『天界』とは、どういうことだ!?
「カブディ近衛騎士団長、聖女とは一体?」
アワレ公爵が震える声で尋ねられる。
「ははっ、メリユ・マルグラフォ・ビアド辺境伯令嬢こそ神に認められし聖女様でございまする!」
はっ!???
カブディ近衛騎士団長のあまりの変わり様に、わたしは自分の目と耳を疑いそうになった。
あれほど、メリユ嬢を馬鹿にするような態度を取っていたカブディ近衛騎士団長が『それが当然』と言うがごとく、メリユ嬢を聖女と断言するとは!
「いや、待ってくれ、まるで話が見えん。
なぜ神に認められたと、そう言えるのだ?」
「ははっ、某らは、神命の代行者であられる聖女様に神罰として天界に一度召されましたのでございます」
『神命の代行者』、『神罰』、『天界』に召された!???
すぐに頭が理解できない言葉が飛び交い、わたしは軽く頭痛を覚えた。
「し、神罰だと、どういうことだ!?」
痺れを切らしたかのように、今度は陛下が尋ねられる。
「某ら、聖女様への侮辱と、神のお力による結界への破壊行為への神罰として天に召されておりました。
教会の経典にございます、使徒様へ危害を加えようとし、神隠しに遭った彼の国の兵たちと同じでございまする。
ああ、なお、第一破城槌は破損、全て某の責でございます」
神命を受けたメリユ嬢によって天に召された、だと!?
メグウィンの言っていた通り、あの鏡の結界は、本当に天界にまで繋がり、近衛騎士団第一中隊は神罰として天界に連れて行かれていたというのかっ!??
わたしはあまりの衝撃に、平衡感覚が狂い、身体がフラ付き出すのを感じていた。
「天界に召されたとは……本当に命を落とす寸前であったということで間違いないのか?」
振り返ると、陛下が青い顔でカブディ近衛騎士団長を睨んでいるのが分かる。
「ははっ、文字通り、雲々の上、天界に召されておりましたので間違いございませぬ。
聖女様のお慈悲により、命を落とすことはございませんでしたが」
「せ、聖女の慈悲とは?」
「ご安心くだされ、聖女様であられるビアド辺境伯令嬢は、神罰を本気でくださられるおつもりでなかったようでございまする。
それどころか、某らに聖水を振る舞っていただき、この通り、身体すらも若返ったようでございますれば」
今度は、『聖水』だと!?
一体カブディ近衛騎士団長は何を言っているんだ!?
いや、しかし……カブディ近衛騎士団長の顔がつい先ほど前とはまるで別人のように艶やかになっているように思えるのは、気のせいではないと言うのか!?
「ううむ、分からぬな」
「ああ、申し訳ございませぬ。
このような場で順序立てて説明するのもいかがなものかと存じますれば。
陛下、すぐさま、御前会議の実施をお許しいただければと存じまする」
「ふ、ふむ、それが必要な状況であることは理解した。
宰相、すぐに手配を」
「承知いたしましたっ」
アワレ公爵は汗を拭いながら、内城門の方へと駆けていく。
わたしは混乱を隠せない中、メグウィンに抱き締められているメリユ嬢の方へと向かった。
メリユ嬢のドレスは水滴がたくさん付いて宝石のように輝いており、下の方にはドロ跳ねすらも見受けられた。
先ほどキラキラして見えていたのは、きっとこの水滴だったのだろう。
本当に一体何があったというのだ?
「姫様っ、聖女様はお疲れでございますのでっ」
「分かっています、ですが、本当にメリユ様が聖女様でいらっしゃったなんて!
感動で止められないのですっ!」
「メグウィン第一王女殿下……」
「そんな、聖女様であられるメリユ様には、メグウィンと、そうお呼びいただきたいですわ」
「は、はあ……」
メグウィンの近傍警護の二人ですらも、メリユ嬢を聖女と認めているというのか?
「セメラ、メリユ嬢が聖女というのは?」
「ええ、はい、メリユ様は光と水の聖女様でいらっしゃいます!」
……今度は、『光と水の聖女』と来たか。
どうやら、鏡の結界内では、本当にとんでもないことがあったようだ。
あのセメラが少女のように頬を染めて、メリユ嬢を見ているとは!
メリユ嬢が特別な存在であるということには異論はないし、わたし自身、メリユ嬢が気になっているのは確かだ。
しかし、これほど大勢の人間がメリユ嬢に崇拝するような眼差しを向けているのを見ると、胸の内がムカムカしてくるように感じるのはなぜなのだろうか?
わたしは思わず己の胸の上に手を当てて、考え込んでしまった。
あまりの勘違いっぷりに王国がヤバイ……とだけ。




