第157話 王女殿下、アディグラト枢機卿邸にて、ゴーテ辺境伯領に戻る準備をする
(第一王女視点)
第一王女は、『時』の止まった世界で、アディグラト枢機卿邸に移動し、皆とゴーテ辺境伯領に戻る準備をします。
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何時までも続くかのように思われた、宵の内のままの聖都ケレンで、わたしたちは(真っ暗なままの)最後の朝を迎え、晩餐会に出る準備を始めていた。
わたしたちだけの『時』の中で、昨夜、メリユ様、皆と一緒に大聖堂と時計塔を見られたことは、また一つ、絶対に忘れられない良い思い出になったと思う。
メリユ様とお会いしてから、『時』の流れはどんどん濃密になっていって、今のこの一瞬ですら、とても大切なものに思えるほど。
『時』がこのまま止まって、オドウェイン帝国との戦が始まらなければ良いのに。
そんなことばかりを昨日から何度も考えてしまう。
それでも、無情にも、この特別な『世界』でも『時』は確実に進んでいて、わたしたちがミスラク王国に、ゴーテ辺境伯領に戻る時刻は着実に迫りつつあった。
「えー、あっしは、坊ちゃんを見張ってますんで、何かあったら、呼んでくだせぇ」
目隠しされたディキル様は、大人しくアファベト様によって別室へと連れて行かれ、わたしたちは、(ガラフィ枢機卿猊下様のお屋敷から移動してきて)アディグラト枢機卿様のお屋敷で、ルーファ様のドレッシング室に入り、着替えをしようとしているのだ。
「ディキル様、随分と大人しくなられたように思うのですが、何かあったのでしょうか?」
今もディキル様に対してご立腹でいらっしゃるご様子のハードリー様が、不思議そうにわたしに尋ねられる。
それに対して、わたしは、ルーファ様と顔を見合わせ、苦笑いするしかなかった。
ディキル様とメリユ様の間にあったことを知っているのは、取り合えず、メリユ様ご本人と、ルーファ様とわたしだけのよう。
メリユ様に口止めされ、ディキル様もそれを守られている以上、今は黙っておいてあげるのが優しさ……なのだろうか?
「まあ、ご謹慎の間、何かしら思われることがあったのでしょう」
「そういうものでしょうか?
何にしましても、わたしは絶対に許せないのですけれど!」
ガラフィ枢機卿猊下様のお屋敷からの移動の際、謹慎させられていたお部屋から出てこられたディキル様は、ハードリー様たちに対しても謝罪はされたばかり。
それでも、ハードリー様はまだ『口先だけのもの』と思われているのかもしれない。
「まあ、ディキル様のことは考えないことにしまして、お着替えを始めましょう!」
「ええ……それで、ルーファ様、またルーファ様のドレスなどをお借りさせていただいても、本当によろしいのでしょうか?」
本当にそう。
ガラフィ枢機卿猊下様にお会いするときだって、失礼があってはいけないと、ドレスなどをお借りしたばかりなのだ。
(何日も聖国で過ごすことになるとは夢にも思わず)着替えを持参しなかったわたしたちが悪いのだけれど、これだけ色々お借りしていると恐縮に思ってしまう。
「もちろんでございますわ。
カーレ・レガー・ミスラク第一王子殿下に、ゴーテ辺境伯様もご出席される晩餐会ということでございますから、ぜひ一番と思われるものをお選びいただければと存じます」
妹君がいらっしゃらないルーファ様だから、確かに古着を置いておいても、それを着られる方もいらっしゃらないのかもしれないけれど、聖国らしさとエレガントさを兼ね備えたドレスを見ていると、第一王女のわたしですら汚してしまわないかと少し緊張を覚えてしまうわね。
「こちらには、ヘッドドレス、イアリングやネックレスなどもございますので、ぜひお好きなものを手に取って、お選びくださいませ」
「わあ、聖教会の意匠が入っていて、とても素敵で、ごさいますね!
ほ、本当に、こんな高価そうなものをお借りしても、大丈夫なんでしょうか?」
すっかり見入られたご様子のハードリー様が、宝石の付いたイアリングやネックレスに目をキラキラされている。
普段はあまり着飾られないハードリー様ではあるけれど、こういうところは年相応のご令嬢なのだと感じて、笑ってしまいそうになる。
「ええ、もちろんでございます。
何せ、ハードリー様は、ディレクトロ デ サンクタ アドミニストラードでいらっしゃるのですし」
「う……」
急に胸を押さえられるハードリー様。
未だにその役職名には、慣れられていらっしゃらないみたいね。
「本当に、わたしが、そんなお役職に就いて、よろしいのでしょうか?」
「メリユ様がご承認されたのですから、聖国中央教会としては追認するより他にないかと存じますわ。
これからハードリー様は、ミスラク王国の伯爵令嬢としてだけでなく、ディレクトロ デ サンクタ アドミニストラードとしても敬意を払われることになるかと」
「はい、ここに聖国聖女として、わたしも承認しておりますことをお忘れなく」
サラマ聖女様も加わられ、退路を断たれたハードリー様が、口をパクパクされているのが可笑しい。
「……あの、わたしは、メリユ様のお世話係くらいのお役職で、十分なのですが」
「そういう訳にはまいりませんっ!
何せ、世界でタダお一人、神より常時ご神託、ご聖務をくだされるメリユ様のお力の管理もされるハードリー様には、それ相応のお立場が必要ですから」
「そ、そういうものでしょうか……?」
背丈だけならハードリー様とそう変わらない、サラマ聖女様に迫られてタジタジになっておられるハードリー様にいよいよわたしは笑いを堪えられなくなってくる。
「ふふふ、ハードリー様、よろしいではありませんか?
これで聖国においても、聖職に関わる者としてのお立場ができるのですから」
「聖職、そう、聖職に関わっているのですよね、わたし」
わたしがそう告げると、ハードリー様は、頬を少し染められ、少しうれしそうにされる。
キャンベーク街道沿いの貴族家は、聖国との繋がりも深く、聖国と王国の間を行き来される聖職者の方々へも敬意を払われていらっしゃるから、ご自身が聖職に関わられることには、やはり喜びを覚えていらっしゃるのだろうと思う。
「もしよろしければ、聖国での聖職貴族としての地位も差し上げられるかと思いますが、いかがでしょう?」
「せ、聖職貴族としての地位ですか!?
ぃ、いえ、さすがにそれは畏れ多く、じ、辞退させていただければと」
「ハードリー・スピリタージ・プレフェレ・ハラウェイン様になられると。
わたしは賛成ですけれど?」
「メグウィン様!」
ハードリー様は、わたしがからかっているように思っておられるのかもしれないけれど、わたしは本当に良いことだと思う。
まだまだ世界は、女性をその実力で正しく見てくれはしない。
聖国においても聖職貴族に序されているとなれば、王国内でもハードリー様を見る目はきっと変わるに違いない。
ハードリー様はそれだけのことをされているのだもの、正しい評価と立場というものは必要だと思うの。
「ハードリー様、そのお話はぜひお受けされるのがよろしいかと存じますわ」
「メ、メリユ様まで!?
ま、まあ、お父様とお母様は喜ばれると思いますけれど、本当によろしいのでしょうか?」
「ええ、これからのハードリー様に必ず必要になるものかと存じます」
「メリユ様がそうおっしゃられるのであれば……お、お受けいたしたく思いますが」
「「「ふふふっ」」」
もじもじされながら、受け入れられるおつもりになられたご様子のハードリー様に、皆が思わず笑ってしまう。
「も、もう、皆様、やっぱりからかわれていらっしゃるのでしょう!?」
「いいえ、タダ、ハードリー様が可愛らしいなと思っただけですわ」
「ええ、そうですわね」
「そうですの!」
皆の応えに、ハードリー様は両手でご自身の赤くなった頬を押さえられながら、少しばかり拗ねられてしまわれたのだった。
そうして、わたしたちは、メリユ様を除いて、ルーファ様のドレッシング室で着替えに入った。
メリユ様はもちろん、このあと(ここにはない)元のミューラ様の侍女服に着替えられることになる。
何せ、ご変身の際には、服装までも含めて変わってしまうのだから、(ハラウェイン伯爵領城でハードリー様のネグリジェがドレスに変わってしまったように)ルーファ様からお借りしたものを別ものにしてしまう訳にはいかないからだ。
「あの、それはどういうことなのでございましょう?」
この中で唯一、メリユ様のご変身のことをご存じでいらっしゃらなかったルーファ様の問いに、皆が『うっかりしていた』という表情になる。
何せサラマ聖女様も含めて、メリユ様が度々ご変身されるのは皆、当たり前のように思っていたから。
「ルーファ様、以前少し触れたかと存じますが、メリユ様は今『仮初のお姿』でいらっしゃって、本来のお姿は、また別のお姿であられるのです」
どうやら、サラマ聖女様は『仮初の姿』であるということは伝えられてはいたよう。
それでも、ルーファ様にはご理解いただけなかったということなのだろう。
さすがに、変身ばかりは、実際にご覧になられなければ、お分かりいただけないのも無理はないと思う。
「ほ、本当に、『仮初』とは、そういう『仮初』という意味だったのでございますか!?」
「はい、これはわたしの専属侍女のミューラの姿なのですわ」
メリユ様ご自身がそうおっしゃられ、ルーファ様が目を白黒されていらっしゃる。
「それで、あの侍女服のお姿で……現れなさったのですか。
では、本当のお姿は?」
「ええ、それは後ほど、お見せすることになるかと」
今はまだ変身にお力を使うときではないものね。
先にミューラ様の侍女服にお着替えされないと、今お借りしているドレスも消えてしまうのだから。
「メリユ様は、ビアド辺境伯家血筋ならではの艶やかな赤毛で、それはもう凛々しくて素敵なお方なのですの!」
マルカ様がルーファ様にご説明されていて、ルーファ様はタダタダ驚かれていらっしゃるよう。
「ええ、メリユ様は十六、十七くらいの、年上のお姿になられているときが、とてもお姉様感があって、甘えたくなってしまうのですわ」
立ち直られたハードリー様も力説され始めて、余計にルーファ様が混乱されていらっしゃる。
「あの……年上のお姿とは?
メリユ・サンクタ・マルグラフォ・ビアド聖女猊下のお年は、そもそもわたしとそう変わらないものと存じておりましたが」
「いいえ、元の身体は、十一でございます」
「………っ」
完全にご理解できる範囲を超えてしまわれたらしく、ルーファ様が絶句されていらっしゃる。
まあ、無理もないだろうと思う。
おそらく、ルーファ様は、ずっとご自身と同い年くらいに思われていたのだろうし。
「は、はい!? じゅ、十一と? じゅ、十一!?
ぃ、いえ、大変失礼をいたしました!」
「むむむっ」
もちろん、『時』を止めた世界で年を重ねられているのだから、ルーファ様とそう変わらないお年であるのも事実だろう。
それを言いたくてたまらないご様子のハードリー様。
それでも、必死に口外されないように頑張られていらっしゃるご様子に微笑まずにはいられない。
そんな中、
「ハードリー様、ここにいる皆様に対してなら、秘匿する必要はございませんわ」
メリユ様がわたしの方もご覧になられ、頷かれる。
そして、わたしも頷き返す。
そう、ここにいる皆様方に対して、隠し事をすることは無意味だろうと、わたしも思う。
むしろ、隠し事をする方がよろしくないだろう。
「でしたら、よろしいのですよね?」
「はい」
「あの、メリユ様は『時』をお止めになられることが可能ですので、お心の実際のご年齢はサラマ聖女猊下やルーファ様と変わらないのです!
それだけ、メリユ様は『時』の止まった世界でお過ごしになられてこられたということなのですわ」
メリユ様はご説明をハードリー様に譲られ、メリユ様はなぜか鼻高々にご説明を始められる。
「「「そ、そうなのですか(ですの)!?」」」
サラマ聖女様とルーファ様、マルカ様が驚愕されたのか、同時に叫ばれる。
「はい、ですので、本来のお姿は、十一歳のお姿でなく、『年上のお姿』とわたしたちが呼んでいるものの方がメリユ様の真なるお姿なのです!」
『えっへん』という声が聞こえてきそうなハードリー様に、わたしはまた笑いの衝動にかられてしまい、ついに噴き出してしまったのだった。
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それにしましても、ハードリーちゃんはまだまだディキル君のことを許せないご様子でございますね。
いずれは、仲間として認めてもらえますでしょうか? アンフィトリテは心配でございます。。




