第142話 聖国アディグラト家令嬢、オブザーヴァントになる
(聖国アディグラト家令嬢視点)
ガラフィ枢機卿猊下と会談した聖国アディグラト家令嬢は、オブザーヴァントになってしまいます。
[『いいね』、誤字脱字のご指摘をいただきました皆様方に心よりの感謝を申し上げます]
アファベトと一緒にガラフィ枢機卿猊下の執務室の前で待つこと、一刻と少し。
割れた窓から吹き込む、夏のような温風に、メリユ・サンクタ・マルグラフォ・ビアド聖女猊下がなされた、神に代わってのご警告がどれほど凄まじいものだったのか、改めて実感してしまう。
『種蒔きの月』の夜に、汗ばむほどの暑さを齎されてしまうとは。
神が本気になられれば、聖都ケレンは一瞬にして灼熱地獄と化し、本当に、地図の上からも消滅することになってしまうのかもしれない。
聖職貴族の一員として、経典に書かれている事象は全て読み、記憶しているわたしだけれど、夜を昼に変え、季節すら『種蒔きの月』の肌寒い夜から『緑盛る月』の熱波の夜のように変えてしまうような事象は記録にないはずだ。
「はあ」
神隠し、神の怒りによる荒天、使徒様のご降臨に伴う奇跡など、神のお力を示す事象は多々記されてはいても、生まれてからこの方、神のお力を間近で体験することのなかったわたしは、早々神が地上にお力を及ばされることはないのだと思い込んでいた。
まさか、元使徒ファウレーナ様=メリユ・サンクタ・マルグラフォ・ビアド聖女猊下が密かに神よりのご神命、ご神託を受け、動かれていたとは。
サラマ聖女猊下と夜を共にさせていただいた際に、メリユ・サンクタ・マルグラフォ・ビアド聖女猊下が使徒ファウレーナ様の生まれ変わりである可能性が高いことは伺っていた。
偽修道騎士=オドウェイン帝国の工作兵たちをあっという間に制圧し、皆の傷を癒されたあの奇跡をこの目で拝見することになったわたしに、それを否定することはできなかったものの、本当に神のご眷属であられる使徒様が『人』に生まれ変わるようなことがあるのかと多少なりとも疑っていたのも事実なの。
「本当に不敬な限りね……」
けれど、この夜の奇跡で、メリユ・サンクタ・マルグラフォ・ビアド聖女猊下がタダの『人』の聖女様では決してないことをわたしは突き付けられた。
聖史に刻まれた数々の聖女猊下方ですら、メリユ・サンクタ・マルグラフォ・ビアド聖女猊下のような奇跡を起こされたことは一度たりともない。
いえ、それどころか、ご神命の代行者として、これほどのお力を下賜され、神に代わって振るわれることなど『初めて』のことであるのに違いない。
それも、メリユ・サンクタ・マルグラフォ・ビアド聖女猊下が、元は使徒ファウレーナ様であられたから。
神にとっては、地上で神のお力を振るわれるに相応しい、信頼し得るご眷属を得たに等しいのだ。
おそらく、年々神への畏敬の気持ちを忘れ、腐敗の度を深めていく聖職貴族たちに業を煮やされた神が、直接介入されるために使徒ファウレーナ様の生まれ変わりを許されたのかもしれない。
「お嬢、あっし、腹が痛くなってきやした」
「はあ、アファベト、今更何を言っているのよ?」
少し下がったところで待つアファベトは、見つけ出した書類でパンパンになった帆布鞄を三つ提げながら、顔色を悪くしている。
「いやー、聖女猊下、タダ者じゃねーなとは思ってはいやしたが、まさか、天変地異を起こされるほどとは思っていやせんでしたからね。
もちろん、助けていただいたときにも、そのお力は思い知ったつもりではいやしたけど、さすがに軽口を叩き過ぎたなあ、と」
はあ、アファベトには伝えていないけれど、聖女猊下が元使徒ファウレーナ様だなんて知ったら卒倒しそうね。
神のご眷属にあんな軽口を叩けたのは、聖史上でもアファベトぐらいではないかしら?
アファベトのおかげで、少しばかり緊張感が緩んだところで、カチャリと扉が開き、サラマ聖女猊下が顔を出され、わたしたちの方を見て頷かれる。
「お待たせいたしました。
どうぞお入りくださいませ」
「はい」「へい」
サラマ聖女猊下が自ら扉を開けられるなど、普通ではあり得ないことだけれど、状況が状況だけに、侍女は全て下げられているの。
執務室外だって、わたしたちを見張る修道騎士が四名ほどいるだけで、漏れてはまずい話を無関係の者に聞かさないよう、『非常時の体制』を取られているのだろう。
わたしは深呼吸をして、(先ほど一度お会いはしているのだけれど)もう一度ドレスにおかしなところがないところを確認してから、その扉から執務室に入らせていただく。
「再度失礼いたします、ガラフィ枢機卿猊下。
アディグラト家のルーファ・スピリアージ・アディグラトでございます」
「護衛のアファベトでございやす!」
「ふむ、二人ともこちらへ。
先ほどは事情も知らず、こちらこそ失礼いたしました」
「いえ、とんでもございません」
ガラフィ枢機卿猊下とこうして向き合うのは、デビュタントのパーティー以来になるだろうか。
枢機卿を輩出している家同士、いえ、教皇派の聖職貴族家同士、交流がなかった訳ではないけれど、ガラフィ枢機卿猊下ご本人とお会いする機会はなかなかなかったのだ。
それでも、デビュタント時にお祝いのお言葉をかけていただいたときのことははっきりと覚えている。
まさか、このような形でまたお会いすることになるとは思ってもみなかったけれど。
「こちらへおかけくださいませ」
「ご配慮感謝申し上げます、サラマ・サンクタ・プレフェレ・セレンジェイ聖女猊下」
さすがにアファベトの席は用意されておらず、アファベトはその場で跪く。
「ガラフィ枢機卿猊下、此度はわたしどものためにお時間を割いてくださり、深く感謝申し上げます」
わたしは、カーテシーをしてお礼を申し上げる。
「いえいえ、ご立派になられましたね、ルーファ嬢」
「ご過分なお言葉、恐縮な限りでございます。
此度は教皇派の一員である我がアディグラト家が不正に手を染め、他国と通じ、聖職貴族にあるまじき腐敗を聖都に招き入れましたこと、祖父に代わりまして深く謝罪申し上げます」
そして、わたしも膝を突いて、謝罪するのだ。
「ふぅ、それは、その腐敗を暴いた貴女のすべきことではないでしょう。
確かに、貴女がその不正の恩恵を全く受けていなかったとは言えないのかもしれません。
しかし、貴方はご自身の家に疑いを持ち、その不正・腐敗の証拠を見つけ出し、そのお命を狙われるまでに至ったと聞いています。
そして、使徒ファウレーナ様、いえ、メリユ・サンクタ・マルグラフォ・ビアド聖女猊下にご救命されたのでしょう?」
「いえ……確かに、それは事実ではございますが」
そうであっても、外患誘致の罪まで犯した我が家の取り潰しは避けられまい。
もはや、アディグラト家の者は全て聖職貴族の立場を奪われ、罪人として処罰され、息を潜めて生きていくしかないのだ。
「貴女のご救命も、神のご意思であるならば、聖都、聖国の清浄化に貴方が必要だと、神がご判断されたということでしょう。
つまり、貴女には神が望まれた役目があるということです。
しかも、まだ学院の学徒でしかない貴女を罰するなんてこと、あり得ないでしょう」
先ほどとは打って変わり、あまりにも優しいお声をかけてくださるガラフィ枢機卿猊下に、わたしは戸惑いを隠せなかった。
「し、しかし、アディグラト家の者は等しく処罰されるべきと……」
「ご神命の代行者であられる使徒ファウレーナ様が直接ご救命され、お役目を課された貴女を罰するような愚か者などおりません。
もしいたとしても、教皇猊下とわたしが黙らせます。
神がこうしてご警告を発せられた以上、ご神意に反するような行動を取れば、今度こそ聖都が滅ぼされかねないとね」
本当に何をおっしゃっておられるのだろう?
わたしはあの厳格なガラフィ枢機卿猊下のお言葉とは思えない、そのお言葉に、涙が込み上げてくるのを感じていた。
「さ、ルーファ嬢、お顔を上げてください。
貴女は神に認められた、聖職貴族に相応しいご令嬢なのです。
貴女が学院でも一、二位を争う才女というお話は伺っておりますよ。
聖女の地位は難しくとも、今のお立場に見合う地位を用意することにいたしましょう」
家族ですら、そんな風に褒められたことはなかった。
殿方よりも利発な女性は嫌われると、婚約者探しに苦労すると、弟にまで言われる有様で、正直家ではお荷物扱いだったわたし。
唯一、書類仕事の手伝いができるということだけが取り柄で、結婚までは、それでかろうじて家での立場を守ろうとしているくらいだったのに。
そう、それで……せめて、聖女になることができれば、頭でっかちなわたしの知識を活かして、聖職貴族らしく活躍できるのではないかと思ったこともあったけれど、サラマ・サンクタ・プレフェレ・セレンジェイ聖女猊下が突如聖女に選ばれ、わたしは自分の進路を奪われたような気になって、勝手に嫉妬までしてしまった。
まさか、こんなわたしに聖教会での地位を用意していただける……なんてお話が出てくるだなんて、夢にも思わなかった。
「か、感謝申しげます、ガラフィ枢機卿猊下」
目が涙がいっぱいになって、溢れていくのが分かる。
お礼のお言葉を申し上げるのだって、しゃっくりが出そうになるのを止めるのに必死で、酷いものだ。
「感謝をお伝えすべき相手は、使徒ファウレーナ様でしょう。
いえ、『人』として生きる道を選ばれた使徒様には失礼になりますか、メリユ・サンクタ・マルグラフォ・ビアド聖女猊下にどうぞ謝意をお伝えください」
そういうことなのね。
突然侍女服姿で現れ、命の危機からわたしを救ってくださった聖女猊下。
ご神命の代行者であられる聖女猊下が、聖国の清浄化にわたしが必要だとご判断され、お救いくださった以上、わたしはそのご期待に応えるべく働き、その役目を全うしなければならない。
そもそも、そういうことでわたしは赦されたのだったわよね?
わたしとそうお年も変わらないように見える聖女猊下。
今思えば、聖女というお立場がどれほど過酷なものなのかが分かる。
経典や聖史にどんなに詳しく、貴族の書類仕事に慣れていても、務まるようなものではないのだ。
自分に聖女たるに必要なお力が下賜されたとしても、聖女猊下のように偽修道騎士たちを相手にあのような立ち回りができるものか。
それでも、頭でっかちなわたしの知識が少しでも役に立つならば、聖女猊下のお役に立ちたいと思う。
もし、もしガラフィ枢機卿猊下がおっしゃってくださったような、わたしがお役に立てるのに必要な地位までいただけるのだとしたら、それこそ夢のような話だと思うの。
「さて、それで貴女はメリユ・サンクタ・マルグラフォ・ビアド聖女猊下にご同道し、ミスラク王国ゴーテ辺境伯領へ向かわれるとか」
「は、はい。
別邸におります弟も連れていく予定でございます」
わたしは涙声になりそうなのを必死に堪えながらにお答えする。
最初は避難のためという意味合いも強かったけれど、ガラフィ枢機卿猊下のお言葉で、自分のすべきことがよりはっきりしてきたように思える。
「そうですか。
実はですね、聖騎士団、少なくとも一個中隊を先遣派遣するつもりでおります」
「ガラフィ枢機卿猊下!?」
今まで口を挟まれなかったサラマ聖女猊下が驚かれたご様子で、声を上げられる。
「聖都がこのような有様ですから、清浄化は最優先ですが、聖女猊下お二人に、貴女も向かわれる以上、聖騎士団を動かさない訳にはいきません。
また、オドウェイン帝国に対してもある程度の牽制にはなるでしょう。
神がオドウェイン帝国の好き勝手を許さないというご神意をお示しになられた以上、聖国が聖騎士団を動かすのは当然のことでしょうしね」
「「よろしいのでしょうか?」」
サラマ聖女猊下とお声が被ってしまって、お互いに思わず顔を見詰め合ってしまう。
「それでですね、ルーファ嬢、聖騎士団を動かすとなると、兵站の管理や経理的な面に通じている人間が必要なのです。
もちろん、聖騎士団にも専門の者がおりますが、まだ不正に関わっている者を排除しきれないままの出立となる可能性も高く、監視者も必要と考えています。
アディグラト家でそれだけのことをやってきた貴女なら、きっとその仕事も容易にできることでしょう。
ですので、オブザーヴァントの地位を貴女に与えたく思います」
オブザーヴァント!?
まだ学院の学生でしかないわたしが!?
わたしは、そのあまりに大きい話に、全身に鳥肌が立つのを感じてしまった。
「し、しかし、わたしは一女学生でしかなく……『女』というだけで、軽んじられることもございましょう?」
「そのためのオブザーヴァントの地位です。
それで、貴女の専属警護の彼も一緒に向かうのでしょう?
貴女の意に反する言動を行った者には、彼に直接捕縛してもらうことにしましょう。
アファベト・モナフォカヴリロ・ゴディチ、オブザーヴァント・ペルソナ・ガーディストに任命します」
「オブザーヴァント・ペルソナ・ガーディストですかい!?」
それ、それって、オブザーヴァント専属の特別権限を持つ警護者の地位!?
「ええ、オブザーヴァントの意に反した者に対して逮捕権を有する地位です。
もちろん、オブザーヴァントの判断が必要ではありますがね。
オブザーヴァントの指示を妨害するような言動を取った者も逮捕することができますよ」
「ぁ、あっしが!?
本当によろしいんですかね!?」
「はい、また今回のことに関して特別褒賞も出ますから、期待してもらっていいですよ」
聖女猊下の奇跡だけでも、目が回りそうなのに、わたしのオブザーヴァントへの任官に、アファベトのオブザーヴァント・ペルソナ・ガーディストへの任官のお話までいただけるなんて。
長い停滞の中、悪い方向に澱んでいきながら『滅亡』へと沈み行くように思われた世界が、聖女猊下の強い聖なるお光の下、急速に『浄化』へと浮上していっているように感じられて、わたしは泣き出すのを止められなかった。
「オブザーヴァントは、聖騎士団所属でなく、聖教会の頂点、教皇猊下直轄の監視業務であり、問題を起こさない限りはタダの監視業務ではありますが、ご神意、聖教会の意に反する行動を起こしていると判断できた場合のみ、その特別権限により、聖騎士団長に対しても命令を下すことができます。
ふふ、言うことを聞かないようであれば、黙らせて逮捕してもらっても構いません」
「わたしが……」
「あっしが……」
「「そんなことを……」」
あまりにも大きなお仕事を任されてしまったことに気付いて、わたしとアファベトは思わず顔を見合わせてしまう。
その顔があまりにおかしくて、二人で泣き笑いしてしまうわたしたち。
まさか、聖女猊下にお命をお救いいただけただけでなく、自分が理想に思っていたようなお仕事を賜れることになるだなんて。
もしかすると、このお仕事で命を落とすことになるのかもしれないけれど……もしそうなったとしても、タダの一聖職貴族令嬢で終わるよりも『ずっと充実した人生を全うできた』と誇れることだろう。
既に一度は命を奪われていておかしくなかった身なのだから、神、そして、メリユ・サンクタ・マルグラフォ・ビアド聖女猊下から賜ったご使命に従い、精一杯に生きたいと思うのだ。
きっと、『女性』に生まれ、幼い頃に思ったような輝ける未来を得られそうにないことを嘆きつつ、必死に勉学に励んできたわたしを神、聖女猊下が拾い上げてくださった、二度とないこの貴重な機会なのだから、それを逃してなるものかとわたしは強く思ったのだった。
お仕事の予定が詰まってきてしまい、お待たせしてしまい申し訳ございません。
いつも『いいね』、誤字脱字のご指摘をいただいている皆様方、心より感謝申し上げます。
またご投票で応援いただいている皆様方へも厚くお礼申し上げます。
連休ということで、何とか疲れを取ってから、執筆を再開いたしました。
悪役令嬢メリユ=ファウレーナさんに関わると、次第にとんでもないことになってきてしまうのが常でございますが、今回はルーファちゃんにとって願ったり叶ったりだったようで良うございましたね!




