第139話 王女殿下、改めて悪役令嬢の優しさと孤独を知る
(第一王女視点)
第一王女は、聖国ガラフィ枢機卿邸において、ガラフィ枢機卿や修道騎士と向き合う悪役令嬢の様子から彼女の優しさと孤独を改めて知ることになります。
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ガラフィ枢機卿猊下様の執務室に、息を切らしながら飛び込んでこられたのは、十名ほどの修道騎士の方々。
赤い羽根飾りの付いた兜に、上半身のみアーマーを装備された(比較的軽装の)先行五名の修道騎士の方々は、斧槍を手にされていて、切羽詰まったご様子だった。
それはそうだろうと思う。
このような『天変地異』と言って良い現象が起きている以上、この屋敷の主人であり、警護対象のガラフィ枢機卿猊下様に何かあってはと駆け付けられたに違いない。
「はあっ、枢機卿猊下っ、ご無事でいらっしゃいますか!?」
「げ、猊下っ!?」
入ってこられて早々平伏されているガラフィ枢機卿猊下様のお姿に、ギョッとされた修道騎士の方々は、すぐにその場で立っているわたしたちに厳しい視線を向けてこられる。
ゾクリと鳥肌の立つような感覚。
影に近い鍛錬をしていたと言っても、メリユ様のような実戦を経験していないわたしは、その殺気に思わず怯んでしまう。
メリユ様、ハードリー様、そして、わたしに斧槍の刃先が向けられ、これが決して演習の類ではないことを実感させられてしまう。
「何者だ、お前たちはっ!!?」
「どこのご令嬢だ!?」
「こっ」
『こちらは聖女猊下のメリユ様で、わたしは隣国の第一王女なのだ』と、そう大きく声を張り上げ、彼らを牽制したいと思っているのに、わたしの喉は、声は、掠れるばかりで、何も言いたいことを言葉にできない。
ああ、何て様なの!
これでも、わたしは、ミスラク王国の第一王女だと言うのに!
「おい、そこの修道騎士っ、どこの所属だっ! どこから猊下の執務室に」
「武器を置けっ!」
「いや、あっしは……」
そして、近くにいらっしゃったアファベト様に、入ってこられた修道騎士の方々が警戒されるのが分かる。
どうやらご所属が異なるため、アファベト様をご存じでいらっしゃる方がおられず、余計に警戒されてしまったよう。
まずい!
このままだとまたメリユ様がバリアを張られて……お力を浪費されてしまうことに!
わたしがヒヤリとするものを覚えつつ、メリユ様の方を見ると……やはり、メリユ様はコンソールの前にタイルのようなものを並べられたまま、すぐにでもバリアを張られる準備をされているようなの。
「メリユ様っ」
反対側からハードリー様の悲鳴に似た声が上げる中、事態はまた別の方向へと動き出す。
「そこの、え……聖女、猊下!?」
「え、なぜ、聖女猊下がここに……?」
そう、平伏されたガラフィ枢機卿猊下様に寄り添われていたサラマ聖女様が顔を上げられたことで、修道騎士の皆様もそのご存在に気付かれ、動揺したような声が執務室内に響く。
異常なまでの緊張感。
下手をすれば、サラマ聖女様とわたしたちがガラフィ枢機卿猊下様に危害を加えようとしていたと誤解されてもおかしくはないのではと、嫌な考えが頭の中で警鐘を鳴らし続ける。
「ええい、鎮まりなさいっ!!
全員、その場で武装を解き、平伏なさい!!」
サラマ聖女様ですら混乱を隠せない中、ようやくわたしたちに斧槍の刃先が向けられているのに気付かれたガラフィ枢機卿猊下様が今まで一番大きな声を張り上げられる。
「はっ!?」
「枢機卿猊下っ」
突然のあり得ないようなご指示に、困惑されているのは、修道騎士の方々も同じなようで、茫然と平伏されたままのガラフィ枢機卿猊下様の方をご覧になられる。
けれど、おかげさまで、わたしたちに向けられていた殺気は霧散し、一瞬戻った静けさに、屋敷の外の騒ぎ声がガラスの割れた窓から入ってくるのが分かるほどだった。
「いいですか、そちらにおわせられるは、使……いえ、ご神命の代行者様であられるメリユ・サンクタ・マルグラフォ・ビアド聖女猊下なのです。
斧槍や剣先を向けるだけで不敬罪が適用されるものと知りなさい!」
「し、神命の代行者様とは……」
この場にいらっしゃる修道騎士で一番上の立場でおられるらしい方が、額から汗を伝わせながら、平伏されている猊下に尋ねられる。
大の大人、それも、アファベト様よりもお強そうな修道騎士の方が、斧槍を下ろされるなり、それを小刻みに震わせていらっしゃる様は『今この場で起きていること』がどれほどの非常事態であるのかを雄弁に語っているようにも見えた。
「はあ、良いですか?
この事態は、わたしが神の意に背いたために生じたものなのです。
神は、今の聖都の、いえ、聖教会の在り様を嘆かれ、神罰をくだされることすら……場合によっては厭われないことでしょう」
「ま、まさか……いや、しかし、外で起きていることは」
「その通りですよ。
愚かなわたしがご神明の代行者様を侮辱したことによって生じたものなのです。
はあ、神はその気になれば、昼、夜問わず、この聖都を焼き尽くすということすら、考えておられるのかもしれないのです」
あのガラフィ枢機卿猊下様が自嘲気味に乾いた笑い声を漏らされるのを聞いて、わたしは、わたしが想像していたよりも遥かに事態が深刻であったのを知ってしまったのだ。
タダ、悪者を見つけ出して、聖騎士団の方々に成敗してもらえれば良い。
そんな単純な勧善懲悪で済む状況では既になかったということなのだろう。
「焼き尽くす……」
「では、この暑さは……まさか」
……暑さ?
わたしは、わたしのものよりもひんやりとした感触のメリユ様の腕のせいで気付くのが遅れたものの、ガラスの割れた窓から吹き込んでくる風が……まるで熱波の到来した夏場の風のように暑さを伴ったものであるのにハッとするのだ。
ここ数日は比較的暖かかったとはいえ、まだ『種撒きの季節』、しかも夜にこんな暑さなんてあり得ない!
「良いですか?
今、サラマ聖女猊下より、アディグラト枢機卿邸がオドウェイン帝国の工作兵により襲撃され、ご神命の代行者様により全員捕縛されたとのご報告を伺いました。
既にこの聖都は賄賂をばら撒いたオドウェイン帝国によって穢され、戦の種がいくつも産み落とされた状態にあるのです」
「そんなっ」
「本当ですか、猊下!?」
聖都ケレンで実際にその襲撃の現場に立ち会い、一晩過ごし、不正・腐敗の証拠を見付けてしまったわたしたちは、その現実を嫌というほど知っている。
けれど……それでも、その犯された罪の重さがどれほどのものであったのか、まるで理解していなかったということなのだろう。
「良いですか?
その襲撃を鎮め、死人の一人出さずに済まされたのがご神命の代行者たる、メリユ・サンクタ・マルグラフォ・ビアド聖女猊下であられるのです。
そして、此度の事態が、どれほどの神罰に価するか、このように示されていらっしゃるのです」
ガラフィ枢機卿猊下様のお言葉に、ようやく事態を把握された修道騎士の方々が斧槍や剣を次々と手放され、平伏されていく。
「(ゴクリ)」
気が付けば、この場に立っているのは、メリユ様をお支えしているハードリー様とわたしだけになっていて……サラマ聖女様も、ルーファ様も、マルカ様、アファベト様も皆メリユ様に対して平伏されていらっしゃったの。
たとえ、わたしが国賓としてセラム聖国に招かれることがあったとしても、このような光景を見ることは決してないだろう。
王族、第一王女という立場があったとしても、聖国の聖女様が、枢機卿猊下様が、わたしに平伏されるなんてことはあり得ないのだから。
もはや、聖国中央教会、いえ、聖教会にとって、メリユ様はそれほどのご存在であられるということになるのだろう。
「メリユ・サンクタ・マルグラフォ・ビアド聖女猊下、此度のご無礼、伏して謝罪申し上げます。
何卒、何卒、神にこのお怒りをお鎮めいただけますよう、お取り計らいお願い奉りたく存じ上げます」
「ええ……もちろん、そのようにいたします」
「ははっ、ありがたき幸せに存じます」
わたしは、背筋が冷えるような感覚を覚えて、ミューラ様のままのメリユ様の横顔を見上げる。
全くの動揺一つなく、ガラフィ枢機卿猊下様の謝罪を受け入れ、神のお怒りを鎮めることを約束されるメリユ様。
いくら年上のミューラ様のお姿になられているとはいえ、十一歳のご令嬢の取れる態度ではないだろう。
まるで、それは神のご眷属のようで……わたしは怖ろしさを覚えそうになってしまう自分に恐怖した。
「“Change intensity of light-1 to 0”」
『今のご命令は……』と思いつつ、胸の内で、一、二、三と数えると、フッと窓の外の昼間同然の明るさが消え失せ、元の夜の帳が戻ってくるのだ。
あまりの明るさの変化に、目が追い付かない中、執務室内の静かな動揺が最大限にまで高まるのが分かる。
何せ、メリユ様がそれだけのお力をお持ちであられるのだと、示されたも同然なのだから!
修道騎士の方々は、身体の震えのあまり、上半身の鎧がカチカチと音を立てている有様。
「メリユ・サンクタ・マルグラフォ・ビアド聖女猊下、お取り計らい賜り、深く深く感謝申し上げます。
加えて、アディグラト枢機卿邸への襲撃をお鎮め賜りましたことも含め、どれほどのお礼を尽くせば」
「構いません。
ガラフィ枢機卿猊下には、聖都の清浄化をお任せいたしたく存じますが、よろしいでしょうか?」
「お、おおっ、おおっ、よろしいのでしょうか?」
丸眼鏡を床に転がされたまま、平伏されているガラフィ枢機卿猊下様の目から涙がポタポタと床に落ちていくのが(やや薄暗く感じる蜜蝋のシャンデリアしかない部屋の中で)見える。
再びメリユ様の方を見れば、メリユ様はどこかホッとしたように微笑まれていて、わたしはようやくメリユ様がなされたことを理解するのだ。
月夜を真昼以上の明るさで満たされたことで示された神のお怒り。
今もなお、お部屋=ガラフィ枢機卿猊下様の執務室に流れ込む熱風は、本物の神罰がどれほどのものになり得るのかを示すと同時に、メリユ様が神に掛け合われ、地上にいる民、多くの生命に悪影響を及ぼさない程度にまで抑え込まれていらっしゃったことを物語っているのだと今なら分かる。
心優しいメリユ様がいらっしゃらなければ、聖都は夏場でも数十年に一度程度しか訪れない熱波以上の暑さに(突如)見舞われ、どれほどの犠牲者が出たか分からないことだろう。
「メリユ様」
きっと、平伏されているガラフィ枢機卿猊下様や修道騎士の方々は、タダ、メリユ様を神に近しい畏怖すべき対象とご覧になられているのだと思う。
けれど、メリユ様は(経典に記された)どんな聖女様よりもお優しいお方で、誰よりも世界のことを考えていらっしゃるの!
そんなメリユ様を決して孤独にしてはいけない。
わたし、いえ、ハードリー様、マルカ様含めてわたしたちは、絶対にメリユ様の御手を離してはならないのだと改めてわたしは思ったのだった。
「っ、えっ!?」
わたしの両腕で抱きかかえさせていただいたメリユ様の腕、(つい先ほどから力が入っていないご様子ではあったのだけれど)その腕に全く力が込められていないのに気付いたとき、メリユ様の上半身が傾きかけ、わたしは慌ててそれを受け止める。
反対側からも、ハードリー様が必死にお支えになって、かろうじて、倒れられるのは防げたのだけれど……気が付いたときには、メリユ様の御顔はすっかり蒼白になられていらっしゃったのだった!
※休日ストック分の平日更新です。
新規でご評価いただき、また普段から『いいね』、誤字脱字のご指摘、ご投票で応援いただいている皆様方に深く感謝申し上げます!!
はやいや、凄まじいほどのやらかしっぷりで、悪役令嬢メリユ=ファウレーナさんの立場がとんでもないことになりつつあるようでございますが、一途なメグウィン殿下たちのおかげで孤独になることだけは避けられそうで……このまま幸せになってもらいたいものだと存じます!




