第133話 ハラウェイン伯爵令嬢、世界の闇と光をその目に焼き付ける
(ハラウェイン伯爵令嬢視点)
ハラウェイン伯爵令嬢は、セラム聖国の聖都ケレンで世界の闇と光をその目に焼き付けます。
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世界で最も光に満ち溢れていると言われているセラム聖国の聖都ケレンで、わたしは世界の闇を見てしまいました。
オドウェイン帝国の偽者の修道騎士様たちが、アディグラト枢機卿様のお屋敷を襲撃していたのです。
突然の襲撃に晒されたお屋敷の警護に当たられていた修道騎士の皆様はその多くが傷付き、倒れ伏されていました。
『時』は止められているとはいえ、深い傷から流れ出ている血の量は多く、助からない方々もかなりの数に昇ることでしょう。
かすかに鼻を突く、鉄錆の匂いに、わたしは気持ち悪くなってしまい、猊下=メリユ様の後ろに隠れてしまいました。
わたしとて、伯爵令嬢です。
我がハラウェイン伯爵領内でも、夜盗が出たり、怨恨による殺傷沙汰が時折起きているのは、知っています。
ですが、殺傷沙汰を直にこの目で見たのは、これが初めてでした。
「怖い……」
何せ、目の前で命のやり取りが行われているのです。
相手が悪いことをされているアディグラト枢機卿様のお屋敷の警護されている修道騎士様でいらっしゃるからと、相手が侵略を企むオドウェイン帝国の偽者の修道騎士様でいらっしゃるからと、公平な『裁き』によるものでない殺傷がたくさん生じているなんて、許されることではないでしょう。
何より、猊下がご救出に向かわれている聖職貴族のご令嬢ルーファ様が狙われるということ自体、許されてはならないことだと思うのです。
ルーファ様は、カーレ第一王子殿下と同い年でいらっしゃって、学生だというではありませんか!
たとえアディグラト枢機卿様が悪事を働かれていたからと言って、学生の身分のルーファ様がこのような形で命を落とされることはあってはならないことだと思うのです!
「うぅ」
とはいえ、わたしがわたしの正義を振りかざしたところで、きっと世界は変わらないのでしょう。
明らかに不当な力による世界の改変であっても、それに対抗できる力がなければ、どんなに正義を主張をしたところで、このように圧し潰されてしまうに違いないと今は思うのです。
ああ、胸が締め付けられそうな、この思いをどうすれば良いのでしょうか?
猊下がいらっしゃなければ、聖都ケレンでのオドウェイン帝国の悪行を止めることなんてできなかったでしょうし、十日以内にもゴーテ辺境伯領やハラウェイン伯爵領でも多くの惨劇が生じていたことでしょう。
そして、猊下がいらっしゃなければ、わたしは……(偽聖女見習い様のご訪問がなかったとしても)忍び寄る魔の手にも気が付かないまま、能天気に普段と何も変わらない生活を続けていたと思うのです。
それで、最後は……突然のオドウェイン帝国の襲撃に驚き、何も抵抗することもできないままに命を散らしていたことでしょう。
お父様、お母様、領城の皆が血の池に沈んでいくのを見て、絶望しながら、この世とお別れすることになっていたと思うのです。
そう、これが現実なのです。
猊下のように、常に大国に攻め込まれる脅威に晒されることなく、タダ、伯爵令嬢として恥ずかしくないよう、領民に寄り添える心正しき者であろうと……綺麗事だけに酔って、呑気に過ごしていたわたしは、世界の闇から目を逸らし続けていた自分にようやく向き合えたように思ったのでした。
わたしは世界の光を見てしまいました。
世界の『時』を止めるなんていう神や神の眷属、使徒様ぐらいでしか行えないようなことを平然と行われ、敵味方関係なく傷付いた修道騎士の皆様、偽者の修道騎士の皆様方を、(わたしのお母様もお救いいただいた)聖水でご救済されていかれる猊下。
殿下ともお話させていただきましたけれど、本当に猊下こそが最も神の側に近い『人』=聖女様でいらっしゃるのでしょう。
シュン、シュンと修道騎士の皆様の元へ飛んで行かれては、ご救済を齎される猊下は、まさにこの世界の光そのものであられるのでしょう。
『誰も命を落とさない』なんて綺麗事、現実にはあり得る訳がないのだと、先ほど突き付けられたばかりでしたのに、その綺麗事を現実のものにされていく猊下は、あまりにも尊く、眩しく、今まさにここに神の奇跡が起きているのだと思わずはいられませんでした。
しかし、それは猊下の犠牲の元に成り立っているのを忘れてはならないのです!
今、こうして拝見しているだけでも、崇拝してしまいたくなってしまう、この気持ち。
きっと、猊下のご存在は今『人』と『神の眷属』=『使徒様』の境目にあられて、そのどちらに転ぶかはまさに紙一重と言って良いのではないでしょうか?
殿下やマルカ様、わたしまで、猊下を『人』あらざる者として崇拝してしまったとき、猊下は、その御身も御心も『人』ではなくなってしまうように思うのです。
わたしは、こんなにも猊下のことが大好きで、ずっとお傍でお世話をして、ずっとお傍でたわいないお話をし続けたいと思っていますのに!
「殿下が羨ましい、です」
猊下を『人』の側に呼び戻すために、敢えて猊下をご自身の『お姉様』として素直に甘えられる殿下。
猊下もまたわざと『お姉様』として振舞われることで『人』の側に戻ってこられたように感じられました。
あのとき、お話させていただいた通り、殿下は、猊下を『人』の側に呼び戻すためなら、どんなことであれ、躊躇わないということなのでしょう。
では、わたしは?
タダ、お慕いしているだけで良いのでしょうか?
いえ、それでは猊下には何も伝わらないのです。
猊下がまだ『人』の身でいらっしゃる以上、ご神託にないことでしたら、きっと少し察しの良いご令嬢という程度でしょう。
本当に猊下に、わたしたちのお傍にずっと居ていただきたいのなら、その気持ちを素直に、率直に伝えるべきなのでしょう。
「ですが、わたしなんかで、よろしいのでしょうか……?」
タダ、辺境伯令嬢と伯爵令嬢の身分差以上のものがわたしたちの間にはあるのです。
神に認められし聖女猊下と、タダの『人』、それくらいの差がきっとあるのです。
しかも、わたしは一方的にお救いいただいたのに、ご救済のためにご訪問された猊下を傷付けるようなことをしてしまった愚か者なのですから。
タダの『人』よりも距離が開いてしまっているのかもしれません。
それでも、猊下のいらっしゃらない世界なんて、今は考えられません。
次から次へと奇跡を起こされる猊下のお傍で、そのお世話をしているだけで胸の内が幸せで満たされていくくらいに、わたしは猊下を好いているのですから!
「メリユお姉様ぁ」
ミューラ様のお姿になられている(年上な見た目の)猊下に、真正面から抱き付きにいかれた殿下は、その胸元に顔を埋められ、更に激しく甘えていらっしゃるようです。
うう、もう我慢ができません!
わたしも猊下に甘えたい。
そして……それで、猊下を『人』の側により戻すことができるのなら、良いこと尽くめではないでしょうか?
「げぃ……メリユ様っ」
わたしは背中の側から猊下に抱き着きに行きます。
侍女服越しに感じられる、僅かな汗の湿り気と体温。
身体こそ別のお方になられているとはいえ、猊下が『人』としてここにいらっしゃることに、わたしは安堵している自分に気付くのです。
加えて、わたしの胸を満たしていく多幸感。
きっと、わたしにとって、一番安心でき、一番素直になれて、一番幸せでいられるのは、猊下の傍なのだと確信するのです。
どんな世界の闇を見てしまうことになったとしても、猊下さえいらっしゃれば、きっとわたしはそれらを受け止められ、世界に光を放たれる猊下のご活躍に心躍らせることでしょう。
「ハードリー様?」
「メリユ様、ハードリーは、メ、メリユ様のことが大好きです!」
はわわわわ!?
つい勢いに任せて言ってしまいました!?
わたしは暖炉の炎に当てられたかのように頬が熱くなってくるのを感じながら、猊下……いえ、メリユ様の背中に自分の顔を当て、更に大胆になっている自分に恥ずかしくなってきてしまうのでした。
グルルキュー
そして、メリユ様の身体に触れている安堵感に少しばかり気が緩んでいたせいでしょうか、(間の悪いことに)突如大きなお腹の音が鳴り響いて、わたしは羞恥のあまり、余計にメリユ様の背中から離れられなくなってしまったのです。
「まあ」
「ハードリー様、くすっ」
メリユ様と殿下が思わず笑い声を漏らされるのに、わたしはビクッとしてしまいます。
ですが……先ほどの奇跡を起こされているときの猊下より、ずっと『人』らしい反応をされる猊下に、わたしは、わたしの羞恥心が少し大変なことになってしまう程度で、メリユ様が元の場所に戻ってこられるのなら、安いものだと思ったのでした。
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時間がまた若干前後いたしまして申し訳ございませんが、ハードリーちゃん視点でございます。




