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死座ノ黒星 〜彼女はきっと神になる〜  作者: 枝垂桜
第六章 間もなく墓暴き
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第二話 力を求めて腐り落ち

「準備はできた?」


 特に持つものもなく、腰に下げた聖剣の重さを確認するように軽く身体を跳躍させる。


「ええ、もちろん」


 彼女の言葉に応えるのは後ろに立つ男で、骨身の彼に何が必要なはずもなく……サティナ同様、手ぶらにも近い格好だ。

 その答えを聞いて満足げに頷けば、一つ目を閉じて息を吐き出した。


「さて……」


 瞼が持ち上がり、ゆるりと動いた瞳が見下ろすのは遥か彼方まで続く不毛の大地。風に乗って感じるのは流石な死臭と、視界いっぱい映し出されるのは屍の山だ。


「あれは龍族の?」

「ええ。ご覧の通り、これより先は龍族の墓場となります」


 ゆっくりと足を踏み出し、赤い土を踏む。血を吸い込んだような土は存外柔らかく、しかしどうやらそれ表面だけのようですぐに硬い地面の感触が伝わってきた。


「うん。思ったよりは大丈夫か」


 臭いも想定していたよりは弱く、足元も割といい。ただどこで沼にハマるかも分からないことを考えれば、決して油断していい状況ではないのが。


「まさか龍族と交渉に行けとは」

「我々だけでは力不足です。『滅びの王』とて、『亡神』の力を前にどれだけ対抗できるか」


 少しばかり固い声で言う男の、そのあまりに的外れな言葉に思わず吹き出す。クスクスと嗤う、少女の姿にさしもの勇者とて足を止めて訝しむのも無理ないことだろう。


「そう心配しないくても大丈夫だ」


 分からないと無言を貫く男をよそに、少女が前を歩く。後を追わねばこれ以上の話しはしてくれないと悟り、気乗りしないまま一歩足を持ち上げた。


「彼は世界を滅ぼす使命を受け、神を殺す器を手に入れた。遅れを取るとでも?」

「打てる手は、打っておくべきでしょう」


 淡々と、横目に見上げる少女と視線を合わそうともせず男は嘆息するのみ。ゆるりと動いた瞳が興味がそれたと言わんばかりに正面へと向き直り、見上げるのは巨大な骨格。


「なんだかんだ言って、龍族の屍を見るのは初めてだ」


 巨大な、巨大する骨格。今までサティナが見てきたどんな巨龍も比較ならない……骨盤だと思える部位だけで、一山ほどの大きさを誇っているのだから。


「生涯をまっとうした龍です」

「龍族に寿命なんてあるのか?」


 見上げたまま、男の言葉を繰り返すサティナに彼はゆっくりと頷きかける。


「一部の例外を除いて、龍族は年月を重ねるごとにその身体は成長し続けます。無論、身体が大きくなるほどに成長速度は落ちていきますが、理論上は際限なく巨大化できるでしょう」

「それがどうして寿命と?」


「…………ある程度生きた龍族は自らその生涯を終えます。あのようにして大地に横たわり深い眠りに……そしてゆっくりと生命活動が失われて、最後には巨大な山となる」


 しかしこの地底世界では自然活動もまた停滞している。本来山となって地上から姿を消すはずの巨龍は、その身体は他の生物に分解されず、肉が腐り落ちるだけで骨格が残ってしまった。


「彼自身も不本意だったはずです。しかし、これ以上生きている理由もなかった」


 きっと彼が地上で一生を終えていれば巨大な山脈が形成されていたはずだ。有り余る血肉は豊富な栄養素となって生物に分け与えられ、内蔵した膨大な能源エネルギーはその土地を今後数百年に渡って豊かにしたはず。──ただ文字通り、土に変えるだけ。


「……………」


 ゆっくりと首を動かせば、そんな屍は一つだけではなく……霞むほど遠くにまた一つ、そして振り向けばまた一つと。


「……龍の墓場、か……」


 そうぼやく少女の後ろ、二人の服が熱風に煽られる。振り返ろうとしない白い少女に変わって、男が首を上げた。


「まさか、そちらから出迎えてくれるとは」


 燃えるように赤い瞳の奥、縦長の瞳孔を窄めて鼻を鳴らす。赤焼けた大地の上に降り立つのは、黄金の鱗に身を包んだ龍の姿だ。


「我ガ主ノ命ニ従イ、貴様等ヲ連行スル」


 龍が放つ人の言葉は不器用ながらも身体の芯にまで響くような圧力があった。毅然とした姿勢は自らの力に確固たる自信を持ち……それでいながら二人を見下ろす瞳に油断もなく、同時に怯えも驚きもない。


「それは助かるよ。それで、背中にでも乗せてくれるのかな?」


 振り返りそう言う少女。そんな彼女へと浴びさせられたのは容赦のない鉤爪の一撃。


「ホザケ」


 鉤爪と鉤爪の間を通してサティナを踏み潰すことまではしなかったが、それでも彼の怒りを伝えるには十分だった。

 まるで驚いた様子もなく平然とした顔で眉一つ動かさない少女を前に、龍はガチガチと牙を打ち鳴らして顔を近づける。


「そう? お客さんをもてなすのは当然だとは思わない?」


 芯を外したものの、常時展開している翼は削ぎ落とされ……見るも無惨な姿で足の下敷きになっている翼を見下ろし、軽くため息を吐く。


 ──再生には少しかかるか……


「何ヲ勘違イシテイル? モテナスノハアクマデ対等ナ者ノミ。貴様等如キ下等ナ人ノ子ニ、何故我ガ気ヲ使ウ必要ガアル?」


 どうやら根本的に考えが違うようだ。とは言え、龍に人の常識が通じないのは当たり前のことで、サティナとてそんなくだらないことで長々と話しをするつもりもない。

 グシャっと踏み潰した白い翼に鉤爪が食い込み、怒りを露わにする龍の前足に軽く触れて見せる。


「確かに種の違う君達に、僕らのやり方を押し付けること自体が間違っている。そんなことよりも今後の話をしよう」


 彼女がそう言えば龍が目を細め、ゆっくりを顔を離す。遅れてサティナ目掛けて振り下ろした前足を引っ込め、鉤爪に張り付いた翼を払い落とすと続けろと言わんばかりに顎を持ち上げた。


「態々迎えにしてくれたと言うことは付いていけばいいのかな?」

「フン。運ンデ欲シイノナラ、鷲掴ミニシテヤッテモイイノダゾ」


 龍の言葉にわざとらしく肩を竦め、無遠慮に顔へと降ってきた翼の残骸を掴むとそれをパタパタを振って見せた。


「それなら遠慮しておこう。このまま歩いて行くのがいい」

「戯ケ。何故我ガ貴様ノ足並ミニ揃エネバナラヌ?」


 毛繕いするように鉤爪に付いた血を舐め取り、彼は片目のみで少女を見下ろす。


 ──翼を奪ったのは、君主に合わせる前に力を削ぐためか……


 ただ感情のままに手を下しているように見えて、的確かつ最善の行動を見せている。ここでサティナが抵抗をすれば敵意があるとも見なされる上、交渉は厄介になっただろう。


「誰かさんが翼を奪ってくれたから。これで空を駆けるのは些か骨が折れるとは思わないか?」


 一瞬の間に相手の意図を察して動かず受け入れたサティナ。それを知っているからこそ、龍もまた彼女を警戒しているのだろう。


「我ハ言葉遊ビナド好マヌ」


 いつか、どこかで聞いたような言葉。しかしサティナが知るはずもなく、スッと両者が目を細める。


「腹ノ探リ合イガ望ミナラ、文字通リ薄汚イ腹ヲ裂イテヤロウ」

「僕を殺してくれるのか?」


 柔らかく笑う少女の、そのあまりに歪な在り方にさしもの龍とて訝しげな眼を向ける。ボロ布が熱風にあおられて靡き、ゆるりと動いた瞳がぼんやりと巨龍を見上げた。


「でも、残念。まだ、死ぬわけにはいかないんだ」


 どこか虚ろで、それでいながら確かな決意を宿した瞳。一つ鼻を鳴らせば、彼はそれ以上何を言うことなく先導するように歩き出した。















 引き千切られ翼を片手にゆっくりと瞼を持ち上げる。ゆるりと見上げるのは想像していたよりも、また違う姿だった。

 目の前の座する龍は痩せこけて、所々鱗も禿げている。彼等にとって鱗の美しさもまた強さを証明するものの一つであるはずのに、力無く横たわる姿からはまるで威厳など感じられるはずもない。


「…………」


『龍王』もまた酷く弱そうに見えたが、目の前にいる龍はそれ以上だ。不死性の高い龍族が、何故こうも弱っているのか。

 しかしその思いも、彼がゆっくりと瞳を上げるまでだ。


「──っ!」


 思わず固くなる表情を引き締めて、真っ直ぐと大きな瞳を覗き込む。かつて『龍王』が息をしただけで震えて動けなかったと同様に、身体中の血液が沸騰するような圧力がのし掛かる。


「久しいな……会いたかったぞ、『果無し亡神』。──今は『奇蹟の魔女』と、呼ぶべきか……」

「生憎、そんな神は知らないよ」


 吐き捨てるように言い放てば、手に持っていた翼の残骸を彼の……声からして彼女かの、その前へと放り投げる。


 今や血の流れないソレは未だなお神々しいまでの光を放ち、本体から切り離されてなお、実態のないままに半透明の羽毛が立ち上がっていた。


「龍族は群れないものだと思っていたけど……」


 周囲に立つ龍達が一人、また一人とその瞼を持ち上げる。光に慣れるように細く伸びた瞳孔が窄んでいく前、彼等の周囲を取り囲むように無数の羽毛が揺蕩う。


「個の力では限界がある。何が賢い判断か見誤るほど落ちてはいない」

「それもそうだね」


 肩をすくめ、挑発に乗らない龍の態度に毒気を抜かれたように敵意を引っ込める。しかし次の瞬間、爆ぜるような勢いで少女の身体から無数の羽毛が噴き出す。


「して……」


 片方の瞼を持ち上げれば下から覗くのは白光の瞳で、奥に浮かぶ四芒の黒星が弱り切った龍を射抜く。

 少女の背後に浮かび上がる白い影は巨大な翼で、半透明のそれは二対四枚存在していた。


 しかしそんな彼女を目にしてもなお、動こうとする龍は誰一人としていない。

 背後に控えた勇者もまた変わらず佇むのみ。


「一から、話した方がいいかな?」

「ああ、そうだな……大方こちらも調べはついている。要点だけを述べて貰おう」


 龍の言葉に一度考えるような素振りを見せたのち、サティナは無言のまま聖剣を抜く。その動作に周囲の龍が牙を打ち鳴らし、一瞬動きを止めて彼等を見渡す。──しかし止まることはなく、刀身の全てを鞘から引き抜くとそれを目の前へと放り投げた。


「僕達は話し合いをしに来た。この場で争うことはお互い望まぬことじゃないでしょう」


 彼女の言葉に応じるように、背後に控えていた勇者もまた刀を引き抜くと少女が投げた聖剣のそばへ放る。


「単刀直入に言えれば、僕達は間もなく『法王』と衝突する」


 真っ直ぐに龍眼を見据えて、どの龍もじっと無法の闖入者を見下ろしている。彼女が何を言うのか、そして自信の代表たる龍が何を言うのか。

 もしそれが相応しく無ければ両者まとめて血祭りに上げられるだろう。


「君達龍族と僕達死者とで、力を合わせればあの冒涜者を食い殺せる」


 ジッとサティナの瞳を見下ろして、龍がその口元を歪めて見せる。


「ほう。それで?」


 彼女の放った一言に怪訝そうに顔を顰める。何を求めているのか、あるいはそれすらも彼女にとっては茶番に過ぎないとでも言うように。


「それで……か」


 嘆息混じりに俯き……次の瞬間、場を突き抜けるような寒気が吹き出した。

 殺気もなく、敵意もない。ただあるのは底冷えするような絶対零度の意思。


「何を勘違いしているんだい? 僕は別に頼みごとに来たんじゃない」


 ここに来て黙って背後に控えていた男から視線を感じた。しかしそれも無視して、サティナが一歩前に出る。


「僕は忠告と提案をしに来ただけだ」


 手の中に光十字剣を作り出し、それを龍の鼻先に突き付ける。


 周りの龍は動かない。

 興味があるのだ。

 そして飢えている。


「共に手を取って戦えば君達は血が見れる」


 ソレは彼等にとってこれ以上にない甘美な響きだった。誇り高き龍族を今や失われた神の力を持って押し退け、今もまだそれを許しているのは対抗する力が存在しないからだ。

 ──しかし今、その神が目の前に立ち、冒涜者の血を観れると言う。血に飢えた龍族を動かすのには十分な提案で、だからこそ代表者である彼女は頷かない。


「それは分かっている。だとして、我等に何の得がある?」

「へぇ、君達龍族が損得で動くのかい?」


 不敵に笑う少女の態度に業を煮やしたのか、龍がゆっくりとその細躯を持ち上げる。


「意味が分かっていないようだな。愚かな人の子よ」

「いいや、意味が分かっていないのは君の方だ」


 突き付けた剣をそのままに、両手を広げて見せる。初めてここに足を踏み入れた時に感じた強い殺気と血の匂い。

 血走ったその眼を見ればわかる。冒涜者を食い殺すその時まで、彼等の飢えは決して収まらないだろう。


「君がどんな意図で長年彼等をここに釘付けにしていたかわからない。──だけど、ね。もう限界だろう」

「我等は獣ではない。血に飢えた獣の如く獲物に喰らい付くことはない」


 腐った肉が千切れるごとも意に介さず、彼女が前出る。体の所々が腐敗した姿で、なおもこれだけの威圧感。


「ここの瘴気は少しずつ、しかし確かに我等を弱らせている」


 眉を顰め、それでも確かめるように周りを見渡す。さすれば彼女ほどではないにせよ、周囲に佇む龍の殆どがその身体の所々を腐敗させている。


「貴様が思うほど我等は戦力にならない。満足に奴の元まで辿り着ける者も少ないだろう」


 満足に動ける者はどれだけ残っているのか。殆どがただ息をしているだけで精一杯で、見ただけでは分からずとも……きっと臓腑に至るまで腐敗は周り、ある者は腑までもが腐り落ちていた。


「死者なら瘴気は感じないだろうな。貴様に至ってはその力が瘴気を浄化している」

「…………それなら、僕が治そう」


 不可能ではない。確かな確信と共にそう言い募れば、彼女は先程とは打って変わって柔らかい眼を向ける。


「それでどうなる? 何体癒せる? 時間がないのだろう? それは我等も同じだ」


 彼女の言う通りだった。サティナなら彼等の瘴気を払い、それに伴う傷を癒せるだろう。

 しかし一体を治すのにどれだけの時間がかかると言うのか。『法王』との戦闘にどれだけの龍を癒せるか。


 ──何よりも、彼等を癒せばサティナが力尽きてしまう。唯一、『彼女』の力に対抗出来る可能性がある少女が……


「何、貴様が悪い訳ではない。ただ一歩、遅かっただけだ」


 再び体を横たえ、彼女が言い募る。どこまでも深く、優しさに満ちた声だ。


「協力の要請、受け入れよう……ただ、我々もこのザマだ。あまり期待せぬように」

「それは……」


 ゆっくりと瞳を閉じ、これ以上の対話を拒む龍に縋るようにサティナが駆け寄る。しかしそんな彼女の行く手を阻むのはここまでの案内役だった金色の龍で、彼は少女の前に鉤爪を叩き向けると鼻を鳴らす。


「用は済んだか?」

「……………」


 無言のまま、金龍の向こうに見える龍を見やる。


「用は済んだか?」

「…………うん。済んだよ」


 一瞬手を伸ばし、しかしすぐに思い直すと踵を返す。足元の聖剣を拾い上げ、歩き出した彼女の前にまたしても前足が降ってきた。


「ならば、我を連れて行くとよい。我が……この身こそが、貴様と龍族の繋がりとなろう」


 一つ頷くと、それ以上何を言うこともなく歩き出す。彼等龍族との交渉は、予想外かつ望まぬ形で……しかし、今それを嘆いたところで何も変わらない。


 一度帰って現状をそのまま伝えるしかないだろう。その上で、また考え直す必要がある。


 ──龍の協力は得られた……


 ただ、それだけで十分ではないか。

 片眼を開けて去っていく少女の背中を見やれば、彼女は一つ息を吐き出す。


 ──『滅びの王』よりは、上出来か……

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