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死座ノ黒星 〜彼女はきっと神になる〜  作者: 枝垂桜
第五章 死なぬ者達へ安息を
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第五章終話 罪の重さ

 自身の血統のことは知っている。

 酷く冒涜的は生まれであることも。


『神喰らい』の一族。


 それが何を意味するのかまでは知らないが、その特異な血統故に彼等は大粛清に遭い、そして今や彼女以外の全てが根絶やしにされた。

 彼女もまたその生き残りの末裔でしかなく、その血がどれだけ残されいるかも分からない。ただ分かるのは、自らには人としての尊厳はないことだけ。


 古びた一室、殆ど遮るものもなく冷たい風が痩せた身体を鞭打つ。その苦痛に耐える日々、ただ生きる為に少女は小さな身体を売っていた。


 その日も変わらず、日が暮れれば客が訪れる筈で……ただ帳の向こう側から現れるであろう男達を待つ。


「~~っ! ~~~~っ!!」


 ただ今日はいつもと違い、帳の向こうから何やら声が聞こえる。口調からして決して穏やかではなく、しかし決して荒事になっている様子でもなかった。

 暫くしても向こうから聞こえる声は抑えたような苛立ちを含んでいて……そうしている間にも隣りの同僚は既に客を取っている様子で、今や聞き慣れた嬌声が聞こてくる。


 隣りから聞こえてくるそれを無視して帳に近づくと、向こう側の声を盗み聞きする。聞こえてくる内容と声からして、どうやら店主が客と少しばかり言い争っているようだ。

 ただ先程に比べて店主の声が気圧されている様子からすれば、向こうの言い分でそろそろ話しがまとまる頃だろうか。


「──っ!」


 直後、何の前触れもなく帳が開けられた。驚いた少女が思わず後ろに倒れ込み、尻もちをついた姿勢のまま現れた人物を見上げる。


「ぁ……」


 声が出ない。──目の前に立つソレはあまりにも異質な圧力オーラを纏っていて、ただ目の前に引き摺り出されただけで震えて動けなくなる。

 仕事柄、荒事を生業とする人物と接することもあった。しかしそのどれも比較にはない……否、それらとは明らかに違い、言葉にできなが何かが逸していた。


「コレが、そうか?」


 不思議な声だ。──まるで深淵の底から響くように深く、そして重い聲。どこまでも奥行きのある無機質な聲が木霊して、ただそれだけで息が詰まる。


 顔を見ようにも、額に巻かれた紐から垂らされた黒布が顔の上半分を覆っていて見えない。ただそれでも、残る下半分を見る限りその顔立ちは相当に整っているようだ。


「貴様には、子を産んでもらう」


 乾いた血のような赤黒い髪が揺れ、その下から放たれた言葉に我が耳を疑った。娼婦である彼女達であればそう言うことは珍しくなく、しかしあくまでも事故だ。

 意図してそんなことをすれば、大切な商品が使い物にならなくなる。最悪の場合、そのまま処分することにもなりかねないのだ。


 普通であれば許される筈がないし、店が許さないだろう。──そう、普通であればな。


「店主には貴様が一生を賭けても稼げぬ額を渡してある」


 ただそれだけで分かった。

 彼女は売られたのだ。


 何を今更。男の慰みものになっている時点でこんな運命もあることなど、簡単に想像ついたではないか。

 何を言われたのか理解した途端、内心自嘲する少女。すると彼女を見る男が、その目を細めた……眼帯で瞳は見えないが、無性にそんな気がしたのだ。


「……何故、笑っている?」


 男の言葉を受けて、少女が自身の顔に手を触れる。そんな彼女へと男は無造作に歩み寄り、そんな彼から距離を取るように後ずさる。


 しかし、狭い部屋ではすぐに壁がきて……ゆっくりと屈み込みこんだ彼が口を開く。


「何、ただ子を産むだけだ。それ以上でも、それ以下でもない」


 人の言葉ではない。──とても、人の心がある人間ではない。

 ただそれだけは分かることで、何よりも彼女に拒む権利などないのだ。


「ぁ、ぁぁ……」


 呻くこともできず、首を縦に振ることも横に振ることもなく……ただなされるがまま、彼女は子を孕むのだろう。

 それが恐ろしくて、そんなことが許されて……どうして誰よりも当事者である筈の自分には、何をする権利がないのか。ただ憎くて、悔しくて、やるせなくて……嗚咽を殺して泣くことしかできない。


 ──それからどれだけ月日が経っただろうか。男の思惑通り彼女は懐妊し、その間客を取らずには済んでいるものの決して穏やであるはずもない。──それどころか、日々不安が募るばかりで一つだけ彼女の不安を拭えるものと言えば男の言葉のみ。


 彼は少女が無事子を産み落とすことを保証すると言った。それがどこまで信じられるのか……何よりも、今の彼女に縋れるのはその言葉しかないのだ。


「ぅっ、うぅ……」


 来る日も来る日も嗚咽を殺して泣き、そして望まぬ子のために大きくなる腹を抱える。これが、この子だけが少女が生かされている理由なのだから。


 ──ごめんね……


 望まぬことは言えど、子を自身の身代わりに差し出すのだ。母親の風上にも置けぬ行為だと知りながら──違う、だからこそだろう。

 子を身代わりに差し出す。畜生にも劣る行為を許している自身が、どうして幸せを得られるなどと──子の幸せも願えぬ者が、何故自らが幸せに生きられるなどと思う。


「ごめんね。ごめんね………」


 ただ謝ることしか出来ず、それで許される筈もないと知りながら……何とも滑稽ではないか。──ただ子の為にできることと言えば、いつもよりも量が増えた食事を喉に通すことだけで……それもまた自身の保身でしかなく、何よりも飢えた自分の為だ。


「──っ!?」


 食事をしていたら、突如として帳が開く。驚いて顔を上げればあの男がいて、彼はただ無言で少女を見下ろす。

 何も言っていない筈のに、その瞳は見えない筈なのに……何故だか咎められているような気になって、それが自身の後ろめたい気持ちから来ていると知りながらも、彼の視界にいることが耐え難かった。


「……母体は安定しいるか……」


 初めて出会った頃に比べて寧ろ健康的な身体つきになった少女を見て、男は満足げに頷く。そうして後ろに立つ店主に追加の料金を支払うと、何かを念入りに伝えた。──恐らくは彼女の体調管理を徹底することだろうが、今の少女にそこまで思考を割く余裕などない。


 ただ己の卑怯さを恨み、世の理不尽を恨み……そして、自身の腹の子を妬んだ。これから腹の子に何があるかも分からないが、あれだけの大金を持つ男の下に行けば何の不自由もなく暮らせると……彼を一目見れば決してそんな筈もないと分かるのに、そう思うことでしか自分を保てなかった。


 自らが腹を痛めて産んだ子が、少なくとも幸せに暮らせると……そうでなければ、あまりにも自分が報われないではないか。

 子供の幸せも願えず、自らの保身の為に産むと自覚しているからこそ……生まれた子が自身の下を離れて幸せに暮らせる。そう思うことでしか、自分を正当化できない。


「ふ、ふふ……あは、ははは……」


 洗面用のバケツに溜まった水に映る己の姿を見れば、自ずと乾いた笑い声が漏れる。涙を流しながら笑うその姿が痛々しくて、それ以上に滑稽で仕方なかった。


 ──これが子を売る母の姿か……


 そのあまりも相応しい姿に、人としてのプライドすらも捨てた姿は見るに耐えない。親としても、人としても……まさに、家畜以下ではないか。

 身体を売ろうとも、人としての尊厳を失おうとも……しかし、彼女は違う。今や人道に逸れた畜生以下の存在で、彼女が常々呪ってきた人種に自ら成り下がったのだ。


「うっ、ぅう……」


 嗚咽を殺して泣く。──そんな彼女の気など知らず、今宵も営みは行われる。












 間もなくその時が訪れた。酷い痛みに呻き、その度に脳裏にチラつくのはいつか見た鏡の自分自身。


「〜〜っ!」


 声にならない叫びが響き、間もなく痛みの元凶がその姿を現した。肩で息をして、痛みに霞む視界に映るのは最愛であるはずの我が子で……だと言うのに、その姿を見て感じたのは喜びなどではない。


 最初にあるのは安堵で、そこまではいい。次に訪れたのは何とも言えない感情で、それをとても愛情とは呼べない。

 例えるのなら、免罪符を手に入れたい時のような感覚だろうか。我が子を贄に自分は助かると……その腐った性根が子を抱くことを拒んだ。


「……この子は、あの人に……」


 もう暫く姿を見ていない男のことを思い出し思わず身震いする。目の前に置かれた子があの化け物に重なって見え……それもそのはずで、その赤子の半分にはアレの血が流れているのだから。


 その日の夜。子は乳母に預けられ、あの男が迎えにくるで彼女が世話をすることになった。


 自身の子供が奪われることに対する憤りはない。──寧ろずっと背負ってきた重荷が降りたような開放感と、そして今後押し寄せる未来への不安だけがある。


 子を無事産めだからと言って娼婦をやめられる訳ではない。このまま無事回復すればまた夜な夜な男を取り、そして今までと何ら変わらない生活が続くのだろう。

 先の見通せない暗い未来に、そして今回の件で使い潰されて処分される可能性を垣間見た。今回は意図的ではあるが、今後事故で身籠る可能性だってあるのだ。


 今回は男が大金を払うことで出産まで優遇されていた。──しかしその後ろ盾が無ければ食事は細く、身籠っていることなどお構いなしに客を取らされるかもしれない。


 何度なく見てきた光景だ。

 それで消えた者は数知れない。


 無事子供を産めることなど滅多になく、そして大抵の場合その子もまともな扱いなど受けない。無事成熟できる者など、まずいないだろう。


「ぁぅぅ、ぅう……」


 ボロボロと涙が止めどなく、その時人の気配を感じて思わず顔を上げた。


 ──あの男だ……


 姿形は違えど、そう確信した。


 血が渇いたような赤黒い髪はなく、無造作に切られたそれは自身のものと同じ見事な漆黒。相変わらず顔の上半分は隠されているが、下半分を見ればあの男の面影が見て取れて……何よりもそこに自らの影が見えたのだ。


 ──嗚呼、そうか……


 その時、確信した。


 あの男はすぐそこにいたのだと──自らが、あの化け物を産み落としたのだ。


「…………」


 無言のまま、男は自身その後頭部へと手を伸ばす。そうして額に巻いた紐が撓んだかと思えば、彼は眼帯を外した。


「契約は果たされた」


 現れたのは自身のそれと酷似した黒瞳。──しかし違うのは黒光りする瞳。その瞳孔の周囲で幾重にも渦巻く白い光で、それはまるで黒星のようだった。


 吸い込まれそうな瞳に釘付けになって、そんな彼女を見下ろしたまま彼はゆっくりと瞬きする。一瞬視線が途切れたことで、漸く息をすることを思い出して意図的に視線を逸らす。


「貴様は自由だ」


 そう言い彼が手渡すのは見たこともない大金。──しかし自由と言われて、何が出来るのか。渡された大金を握りしめたまま、いざその時が来ても動けずにいる自分に嫌気が差す。


「……自由になって、どうしろと言うのですか?」

「それは貴様次第だ。──だが、貴様は大罪を犯した。ゆめゆめ、忘れるな……」


 徐に踵を返して部屋を男が出ていく。その後を、彼の姿が見えなくなってもまだ目で追い続けた。

 そのまま日が上るまで時間が過ぎて、漸く手の中に残る金へと目を落とす。

 ひと一人の奴隷を買うとしても過ぎるほどの大金である筈なのに、何故だかそれは酷く軽く感じられた。


 出産直後の身体を引き摺ってどこにいくこともできず、結局鳥籠に囚われたまま──それが、我が子を呪った代償なのだろう。

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