第八話 魔女は人でなし、聖女に偽善を
再び戻った薄暗い岩の隙間、石の台座に腰をかけ前に立つ肉のない勇者をサティナが見上げる。あれだけの啖呵を切ったものの、今現状にそれを実現する用意は出来ていない。
「君は僕が契約を反故したとき、どうするつもり?」
「聞くまでもないかと」
顔はないが、彼が眉一つ動かすことなく即答したことはだけは分かった。だからこそ白い魔女は満足げな表情で……くつくつと喉を鳴らして嗤えば、ただ身体を隠すだけの外套。その短いすそがたくし上がることも気に留めず細い足を組み直す。
「そうだね。それにはまず、聖女に会ってみないと」
一つサティナが手を前に、その掌を下へと向けるようにすれば彼は迷うことなく彼女の前に跪く。──ただの一瞬も躊躇うことなく片手を胸に、伸ばした反対の手が少女の指に触れた。
「我等勇者は女神の祝福を受け、例外なく魔女に仕えた」
ただ一人の、哀れな少女の為に彼等は身を粉にして付き従った。裏切り、失望され、不要と切り捨てられようとも決してその在り方を変えることはない。
「我が君よ、どうか命じられますよう。貴女様が望むのなら、例え神でも堕としてみせましょう」
かつて二代目は、己が君主の前で……無法の来訪者たる『龍王』、その首を切って見せた。一国を統べる王の為、最も栄えた人間の国を見せしめに滅ぼしに来た『龍王』を──しかし、結果的には首を落としてなお斃すことは叶わなかった。
そして目の前に跪く三代目も同じで、仕える魔女が一言言えばどんなことでも実現して見せるだろう。
「取り敢えず君に何かを頼むのはまた今度として、今は目の前の課題を片付けよう」
サティナが手を引けば勇者もまた跪いた姿勢のまま、彼女へと伸ばしたその手を地につける。そんな彼を視界の端に、白い少女が自身の身体を見下ろす。
「…………『亡神』を自称し、そして文字通り亡霊になったわけだ」
皮肉を込めてそう言うのは自分自身へか、それとも巨大な墓標に眠る白い神へと向けられたものか。
そう、今のサティナは彼女であって彼女ではない。記憶と人格を引き継ぎ、そしてより時間の重みが大きい彼女の人格がこうさて表出ているが……その実彼女は既に舞台を去った身であり、サティナはそれを不細工に真似ているに過ぎないのだ。
──結局のところ僕は死に、私は私のまま……
人格が入り混じり、二つの人格はより年月を重ねた方が、より自我の強い方が表に出る。──それでも、結局のところサティナは彼女なり得ないのだ。
「君は、どっちに見える?」
「口調、仕草に彼女の面影は見えますが……」
ここに来て初めて男が言い淀む様子が垣間見えたかと思えば、彼は徐に顔を上げて真っ直ぐと少女を見やる。
「やはり、彼女には遠く及びませぬ」
「うん。褒め言葉として受け取っとくよ」
そう、少なくともサティナは彼女が恋焦がれ終ぞ辿り着けなかった『人』になれたのだから。──だと言うのに、何を悲観することがあるのだろうか。
「僕は人だ。決して彼女のような人でなしじゃない」
「ええ。きっと、あのお方もお喜びになられるでしょう」
サティナの言葉、その一語一句を肯定する。彼の言葉に嘘偽りなどなく、ひたすらに彼女の在り方を尊いていた。
「さて、余計な長話しが過ぎたね」
古い時代の遺物たる彼であれば、サティナの知らぬ彼女を知っているのではないかと話し出したこと──興味本位で話しを脱線させたことを反省し、そうして漸く本題に移る。
「これから、どうしようかな?」
「……一つ……」
片方の眉を吊り上げる少女の前、男が顔を上げる。黒い頭蓋、どこまでも吸い込まれるような暗い眼窩に青白い炎を宿して──
「また、後日。広間へいらしてください」
徐に立ち上がれば、男はそれだけ言い残してその場を後にする。有無を言わせぬその気迫に、サティナもまた何も言うことなく任せることにした。
それから彼が言う通り、岩の裂け目に設けられた部屋で過ごす。そんな彼女が腰掛ける石の台座の上に並べられた書物の数々。
彼女が一つ言えば何でも用意して貰えるお陰で暇を持て余すことはなかった。一つ手に持っていた本を隣に置き、反対側に立てかけられていた剣を取る。
あの勇者が彼女にと用意してくれた武器だ。数多の得物を見せられて少女が選んだのは何の変哲もない剣で、それは暗い翠緑の刀身を持つ。
──暫くそうして刀身を見下ろしていた少女が、次の瞬間その刀身の全てを鞘が抜き放った。
「……綺麗……」
岩の隙間から差す月明かりのような光を浴びて、その聖剣は恍惚とした輝きを放つ。まるで月明かりを閉じ込めたような刀身を覗き込み、そうして唐突に石壁を切り付けた。
抵抗感はまるでなく、擦り抜けるように通り過ぎた刀身。斬られた壁は一筋の剣筋が浮かび上がり、細い溝からは剣と同じ色の陽炎が立ち昇っている。
「僕には、勿体ないね」
手に持った剣を回しその刀身を確認するも傷一つ付いた様子はなく、鞘を手に取り剣を納める。淡い光は失われて、代わりに鞘に指を走らせればそこに刻まれた繊細な装飾が暗がりの中でも確かに感じられた。
「気に入られましたか?」
先程からそこに立っていた骨の男がサティナへと話しかける。ずっとそこにいたことには気が付いていて、それでも少女は何も言わずに立ち尽くす。
「…………これは、いい。でも、僕には相応しくない」
鞘に納めた聖剣を片手に、ゆるりと男の方へと向き直る。黒い骨身に纏うのは葬儀衣装で、黒いスーツに白いワイシャツと黒いネクタイ。──誰かと似た服装に何を思ったのか白い少女が微かに目を細め、しかし何を言うこともなく男の言葉を待つ。
「こちらへ、準備が整いました」
その前にと、彼が手に持っていた何かをサティナへも差し出す。彼の手に乗るのは綺麗に畳まれた白い布で、それを広げて見ればひどく見覚えのある衣装にサティナが微かに顔を険しくする。
「お気に召しませんでしたか?」
「…………そう、かぁ。君はこれを知っていたんだね」
懐かしむような、それでいてどこまでもやるせ無い憂いさを帯びた瞳で渡された衣装と男を見比べる。
少女の手の中にあるのはかつて彼女の夢を体現した装束で、花嫁衣装を模した純白のロングフィッシュテールは、あまりにも皮肉ではないか。
「そう、だね……。一つ、お願いがあるんだけど……」
「私に出来うることなら、何なりと」
衣装をたたみ直し、それを彼に返す。そうして彼女は自身の身体に走る黒い亀裂をなぞり、儚げな笑みを浮かべた。
「仕立て直して欲しいんだ」
身体をなぞっていた指先を今度は白い衣装へと向けて、そして懐かしむような眼差しで優しく撫でる。
「黒く、塗り潰して欲しい。この衣装は、昔の彼女が彼に捧げたものだから……今の僕には相応しくない」
無言のまま頭を下げ、男が踵を返す。何かもっと大事な要件があって来たはずだろうに、そのどれをも放り出して彼は少女の要求を最優先に動く。
その献身的な──否、きっと勇者は皆そうなのだろう。主の為なら他の全てを放り出しても、彼等は断行してみせるに違いない。
それから暫く、サティナの要望通り花嫁衣装を模した黒いロングフィッシュテールを持った男が現れる。どうしてかその衣装は彼女の身体にぴったりと合い、着心地に至っては皮肉なほど良かった。
「如何でしょうか?」
少女が着替えるのを手伝い終えると、男が一歩下がって尋ねる。そんな彼に優しく微笑みかけると、白い少女はゆっくりと頷く。
「うん、実にいい」
「それでは、次にこちらを──」
続く彼の言葉一つで、その背後から数人の死者が現れる。そんな彼等が取り出したのは気が滅入り量の装飾品の数々で、白い少女もまた嫌な顔などする筈もなく一つずつ丁寧に選んでいく。
「これで、準備は整ったね」
実に久方ぶりに化粧まで施して、身嗜みを整えた少女がその仕上がりを確認すると男と向き直る。
「それじゃ、エスコートを頼んでも?」
彼は無言のまま差し出された手を取り、彼女を連れて広間へと向かう。真っ直ぐと背筋を伸ばして、悠然とした態度で巨大な扉を潜って中へと滑り込む。──自然に、それでいながら毅然と……何に怯えた様子もなく、強い自信を持って前に出る。
部屋を見渡すことすらもせず、真っ直ぐと男に連れらるまま席に着く。そうして漸く相対する者へとその目を向けた。
長机の反対側に座するのは瞳の奥に十字架を持つ修道女で、黒と白を基調とした修道服に身を包んだ少女はサティナと目が合った瞬間怪しく微笑む。
「まずは初めまして、僕は『奇蹟の魔女』サティナ」
「ええ、噂は聞いてるわ。大変恐ろしい魔女さんなのでしょう」
ふんわりと笑う少女の、その一投手一投足が相対する者の視線を釘付けにする。魔力を帯びたような魅力を前に、それでも白い少女は眉一つ動かすことはなかった。
「ふふっ、怖がらないのね」
「もっと怖いモノを知っているから、ね」
ふんわりと笑い、柔らかい声とは裏腹に……そこに込められた感情は酷く冷めたもので、辺りが凍てつくような錯覚さえも覚える。
「そうそう、自己紹介が遅れてしまったわ。私は『慈しみの聖女』メシリア・カールレバン、よろしくね」
美しい少女が微笑む。ただそれだけで相対する者の警戒を奪うには十分なはずだが、サティナが態度を変えることは無かった。
「聞きたいことが沢山あるでしょう? どうして私がここにいるのか、私の後ろには誰がいるのか……そして墓の主はどこに眠っているのか」
クスクスと嗤う聖女が唄う。しかしそのどれを取っても白い少女にはどうでもよくて、あまりにも的外れなことを口にする彼女に内心興醒めしていた。
「僕が知りたいのはただ一つ。──『彼』はどこに?」
今も昔も変わらない。彼女の心を釘付けにしているのはただ一人の存在で、それ以外の全てがどうでもいい。
「…………彼…………?」
だからこそ聖女には理解出来なかったのだろう。サティナが口にした言葉の意味も分からず、反応が遅れる。──それでも流石とも言うべきだろうか、白い少女が何を言わんとしているのか伝わったのだろう。
「彼、と言うのは……もしかして、『滅びの王』かしら?」
「もちろん」
即答だ。──一切の迷いなく、細く微笑む少女が放つ得も知らぬ気迫に聖女の後ろに立つ人影が怯む。
しかし流石は聖女とも言うべきか、動揺した様子などなく……寧ろそれぐらいなら想定内だったのだろう。どこか面白がるように前にのめりになれば、饒舌に語り出す。
「彼のことはよく知っているわ。奇蹟を望む者の前に現れる『契約の悪魔』……あまりにも不釣り合いな対価を代償に不細工な奇蹟を見せ──」
直後、場が凍りつくような気配が無数に散らばる。聖女の背後に立つ護衛達からは既に生気は感じられず、その正体の神々しさやいかに。
「くれぐれも、勘違いしないよう」
表情は変わらないと言うのにまるで別人だ。
凍てつくような空気の中で、何故だか嫌な汗が止まらない。
強大な力による威圧感はなく、代わりにあるのは重い意志。白光色の瞳に浮かぶのは闇十字を模した四芒星で、スッと細めた目の奥に宿るのはナニカ。
「それを望んだのは他の誰でもない。──きっと、そうじゃないのかな?」
かつての自身の行いを──血の繋がらない家族を守る為、義姉の仇を望んだ。血を吐くような思いで……あの夜、文字通り自らの血を持って業を刻んだのだ。
それを否定すると言うのなら、彼女にとって最大の侮蔑だ。──何も出来ない小さな少女があの夜抱いた激情の全てを否定すると言うのか。
「僕は望み、それに彼は応えた。それ以上でも、それ以下でもない」
瞬きを一つ、苛烈な言葉とは裏腹に一切の感情が篭らない声を耳にして聖女の顔から初めて余裕が消えた。
彼女の言動は魔女の逆鱗に触れるには十分で、彼女達が背負った業を女は"不細工"と評したのだ。
彼女達がどんな思いで奇蹟を望み、そして"彼"が何故呪いをばら撒くのか。──その意味も知らずに、軽々しく口にするべきではなかった。
「だから、君は聖女なんだ。──魔女は人でなし、聖女に痛みは分からない」
石造りの机に手を置き、直後それを中心として放射状に亀裂が走れば両者の間に立つ障害が崩れ去る。さすれば白い少女はゆるりと片方の足を持ち上げ、スカートの中身が覗くことも気にせず足を組むとその上で指をも組んで見せた。
「安易に口を開くべきじゃなかった」
「…………」
怒っているのか、それとも逆に冷めているのか。まるで感情の起伏が掴めない少女が薄寒い笑みを浮かべた。
「君達の言葉は、あまりに軽い」
「……つまり、交渉は決裂と?」
訝しげに顔を顰める聖女の言葉を、魔女が無言のまま拒絶する。──ただそれだけで、十分だった。
「そう……それは、残念ね」
「ふふっ、そっかぁ」
瞳を閉じ立つ上がる聖女。その背中へとサティナが言葉を投げかける。
「また会えることを、楽しみにしているよ」
無言のまま視線だけでサティナを見る聖女。その瞳の奥にあるのは恐怖か、はたまた何か違う感情があるのだろうか。
「……もう会わないことを、祈っているわ」
クックッと嗤う魔女に背を向けて退室した聖女を見送り、後ろに控えていた男がサティナの視界に映る。
「よろしかったのですか?」
「彼女は脅威じゃない。それよりも、君に後ろにいる者が僕には無視できないね」
天眼がゆるりと男を捉え、そして彼もまた無言のまま狂気が澱む瞳を覗き込む。この恐ろしい少女は全てを見通していて、それでも彼はとぼけることを選択した。
「それはどう言う意味でしょうか?」
「知ってるでしょう? 誤魔化しは効かないよ」
彼を見ることなく、少女が一つ指を立てる。まるで今後に起こる全てを知っているかのように、動じる様子などなく……それどころか、世の流れを全て掌握しているようにさえも見える。
「僕がこうして態々身嗜みを整えたのは、聖女なんかに会うためじゃない」
その言葉が何を意味しているのか、彼なら十分伝わってるはずだろう。しかしそれでも答えないのはせめてもの足掻きで、故にこそサティナは淡々と結論を口にした。
「僕は王に会う為、こうして最低限の見栄えを用意した。そう、君達を統率する死者の王……『冥王』に拝見する為にね」
『王』、その意味が彼等にとってどれだけの重みを持っているのか……サティナは身を持って知っている。
彼等の前に出るのなら、最低限の身嗜みと礼儀は必要不可欠。例え力で劣っていようと、例え取るに足らない弱小の統治者であれ、王の名を冠する者なら……その使命を果たしていると言うのなら、何故彼女程度の存在が横柄な態度を取ることが出来るだろうか。
「連れて行ってもらうよ」
有無を言わせぬ圧力で、男もまた無言のまま踵を返して──直後、彼等のいる空間が大きく歪んだ。
「……その必要はない……」
どこともなく響く声。四方八方から聞こえるソレはどこからくるものか分からず、気が付けば彼等は古びた玉座の前に立っていた。




