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死座ノ黒星 〜彼女はきっと神になる〜  作者: 枝垂桜
第五章 死なぬ者達へ安息を
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第五話 奇蹟の魔女、あるは果無き亡神

 何故か不思議と視界は澄み切っていて、不気味ほどに世界が彩りを持って見えた。

 目の奥を突く酷い頭痛で視界がちらつち、それを堪えるように片手を瞳に当てる。


 熱を持った鋭敏な舌を小さく出せば、粘膜に当たる冷たい風が心地よい。

 反対に冷たい手足はどこか鈍く、感覚を確かめる様に長い髪に指を通す。


 ──死者の徘徊する森……

 ──亡霊の彷徨う荒野……


 俯く瞳から手を離し、小さく出していた舌を戻す。そうしてゆっくりと顔を上げた先、眼前に立つのは腐った龍のようなナニカだ。

 爛れた表皮に鱗はなく、眼球を失った筈の眼窩から感じるのは異様な圧力。無遠慮に相対する者を押し潰すような威圧感と、その裏に見えるのは嫉妬にも近い感情だった。


「なかなか……」


 力を求める彼女の意思に応えるように、その背後に携えられた翼が光を放つ。灼熱を帯びた舌を噛み、溢れ出す熱を抑えようと冷たく鈍い中指の腹を粘膜に当てがう。


 反対の手に持つのは錆びれた剣で、風化したそれが放つのは神々しいまでの輝き。


 ──悲しきかな。今まで何を獲物としても彼女の能力を最大限発揮できるモノはなく、過ぎる力にはどんな聖剣を持ってしても役不足だった。


 ──落ち着く……


 何を持っても同じなら、それが錆びついたなまくらだとして何が変わると言うのだろう。──あるいは、今やかつての姿を輝きを失い、忘れ綻びほつれた彼女にはあまりに相応しい獲物ではないか。


「…………」


 轟音を立てて龍の腕が持ち上がり、相対するように錆剣を眼前に持ち上げ──そうして、また同じ位置に戻す。刹那、目の前を両断するような白線が視界を割り、ドス黒い血が白い世界に降り注ぐ。


 断裂した前脚が地に沈み、体制バランスを崩した腐龍に追い討ちをかけようと……しかし、体勢が低くなったのをそのまま鈍く太い牙が降りてくる。


 ──まずは一つ……


 ゆっくりと、傲慢なほど緩慢な動きで足を一つ下げる。ただそれだけで巨頭は彼女の眼前に落ち、いつもであれば低くなった首を断ち切らんと剣を振りかぶっている筈で……しかし、まるで攻撃に転ずる素振りを見せない。


 ──そして二つ……


 さらに半歩下がり、僅かに身を引けば鈍い爪が彼女を掠める。そうして眼前に地に沈んだ腐龍の首を錆剣を捉え、溢れ出す濁血が足元を覆う。


「……嫌な力……」


 打ち捨てた首を見下ろし、そう吐き捨てるサティナの背後。頭部を失った筈の胴が持ち上がり、そして最初に切り通した腕がいつの間にか繋がっている。

 ゆるりと持ち上げた鉤爪が……しかしいつまでも振り下ろされることはなく。それもそのはずで、すでにそこにあるのは散り散りになるまで切り刻まれた腐肉があるだけなのだから。


「…………」


 強大な敵を倒す喜びもなく、ただ俯く少女の面影はまるで悲壮感すらも漂っている。そんな彼女の背後では光が揺れていて、熱のない白い炎が腐った血肉を燃やす光景はあまりにも非現実的なモノだ。











 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇













 荒れ果て、荒んだ森が騒がしい。突然現れた化け物に威嚇するように、枯れた木々がその樹体を揺らしていた。


「はぁ……」


 顔を手で多い、指の隙間から覗く景色に眉を顰める。荒れた木々と、何故だかそこに描かれるのは禍々しい表情。

 傾けた三角形に抉られた目。弧を描くギザギザの口元はまるで誰かの悪戯にも近く、しかしとてもそうとは思えなかった。


 ──何よりも、身体が重い……


 先程まで全身を流れる溢れんばかりの能源エネルギーはなりを潜め、対照的に力を失った身体が鉛のように重い。

 ゆるりと持ち上げた剣に映る自身の瞳を覗き込み、そして不可思議な現象に鏡に映る表情を険しくした。


 ──やっぱり、天眼が消えている……


 そこに映るのは久しく見る赤い瞳で、闇十字を模った四芒星も失われていて……ひび割れた肌をそのままに、翼もまたその輝きを失っている。

 ──力尽きた。と言うよりは寧ろ、安定しているのだろう。


 刻まれた呪詛に対抗するように膨大な力が瞬間的に溢れ出たものの、今やそれは収まって表立っていた力はより深い部分の呪いを癒している。

 スッと無造作に手を掲げ、簡単な術式を組む。そうして力を込めて……しかし、まるで何も起こらない。


 ならばと、術式を自ら放棄するとある一点はと念を込める。固定された現象を起こす魔術とは異なり、今度の試みは概念イメージから起こされる魔法だ。


 ──直後だった。閃光と共に近くに立ち並ぶ木々は爆ぜ、無数の木片が狂気的な威力を持って散り散りに飛び散る。身を守るように腕を盾に顔を守り、直後凄じい衝撃が腕にのし掛かった。


「くっ……!」


 ゆっくりと腕を顔から離せば木片が手首を貫き、それを忌々しげに抜き取れば次に見下ろすのは自身の腹部。巨大な幹の一部が腹を食い破っていて、それでも血が出来ないのは呪われているが故だろうか。


「……まったく……」


 呪詛が感覚を鈍らせている為か意外にも痛みは少なく、身体に刺さった木片を引き抜く作業に躊躇はない。

 想像以上に酷い有様を目にしてもう何度目になるのかも分からないため息をこぼす。これではまともに動くことも出来ず、それでも諦めきれないのだろう。


「……最後に、一つ……」


 そうして振り返り、破壊の跡が少ない方へと向き直るともう一つの術を試す。それは彼女にとっての最大の切り札であり、サティナが『滅びの王』に次いで恐れらることの所以だった。


「よしっ!」


 剣を地面に差し、無手になった両手を見下ろす。──次の瞬間、全身の力を抜くように脱力して意識を集中させる。膨大な力を少女をとまり巻き、朽ちた景色が震えた。


 輝きを失った筈の一対二枚の巨翼。彼女の象徴たるソレはかも力強い光を放ち、みるみるうちに傷は癒えて……気が付けば全身に刻まれた亀裂すらも──


「…………」


 ゆっくりと瞼を持ち上げ、その下に映るのは奇跡の象徴たる瞳。白光色のそれは闇十字を模った四芒星を携え、徐に持ち上げた手の内に十字剣を顕現する。

 白一色のそれはただ光を濃縮しただけの能源エネルギーで、同時に彼女の持つ底無しの力を象徴していた。


 次に光剣を光の粒子に変えればそれは少女の周囲を揺蕩い、白羽に混ざって薄暗い世界を薄らと照らし出す。


 ──翼があれば力は安定する、か……


 しかし逆を返せば消耗の激しいソレは長く続かず、法術もまともに使えないのは問題だ。──あいるは、かつて『彼女』がそうであったように常時翼を顕現するか。


 ──『彼女』は常時に三対六枚……

 ──対して、一対二枚を短時間……


 そこにどれだけの差があるのか考えるまでもなく、俯く瞳はいつの間にか光を失い赤い魔眼が戻っていた。


「仕方ない」


 そう吹っ切ると再び亀裂の走る腕を見下ろす。そうしてゆるりと顔を上げた先、唐突として視界に映り込むそれを目にした時、さしものサティナとて思わず目を見開く。


 ──何故、さっきまで……


 ただ枯れた木々が立ち並ぶだけの景色の中に、禍々しい貌が彫られたカボチャが不規則に並んでいる。その口や目からは怪しい光が漏れ出ていて、警戒を露わに後ずさる少女の背中に何かの気配を感じた。


「何か、お困りか?」


 紳士的な声とは裏腹にサティナの背筋を悪寒が突き抜けた。彼女ほどの者に気配を悟らせずその背後に立つ存在に、ただ純粋に感服した。

 しかし流石に場数を踏んだ数の違う。まるで動揺する様子などなく……事実、恐怖などまるで感じていない。


「淑女の背後から声をかけることが、紳士の振る舞い?」


 皮肉を込めてそう言い放てば、彼女の背後で声を出さずに笑っている気配が伝わる。そうして一通り笑い終えたのか、ゆっくりと彼は謝罪を口にした。


「これは失敬。しかし、果たして貴女は私が礼儀を尽くすのに相応しいか?」


 ゆっくりと、悠然とした足取りでサティナの身体を迂回して彼女の前に姿を現す。紳士らしい正装タキシードに身を包んで、そうしてシルクハットを片手に洗練された動きで頭を下げる。

 ──しかし、そのどれもがサティナにとってはどうでもよかった。ただ彼女の目を釘付けにするのは、皮も肉もない骨格だけの姿だ。


「もう、名は忘れてしまったもので……宜しければ、お好きに呼んでください」


 恭しく垂れた首を上げれば、眼球の無い眼窩がサティナへと向けられた。底なしの闇を体現するような節穴を目にして、まともな完成を持つ者であれば腰を抜かす筈だろう。


「…………」


 一つ息をつくと、サティナが一歩前へと出る。──彼女は知っているのだ。どんなに姿形が人を模そうとも、その本質は隠しきれない。

 数多見て来た人の皮を被った化け物に比べれば、人の姿を失っただけの彼をどうして恐れると言うのだろうか。


「うん。丁度、困っていたんだ」


 だからこそ、素直に現状の嘆きを口にする。ゆるりと動いた瞳には頭蓋に空いた節穴よりもなお深い闇が垣間見えて、それでも彼は無い目を逸らすことなく少女を真っ直ぐと見つめ返す。


「私に出来ることなら協力いたしましょう」

「ありがとう。でも、どうして僕が貴方を信用すると?」


 穏やか口調とは裏腹に吐き出されたのは苛烈な言葉で、その意味を悟れぬほど彼も愚かでは無い。故に骨の男は一度思案すると、長く細い指を立てる。


「それもそうですね。では、助けは要らないとお見受けしてよろしいので?」

「まぁ、それ以外の選択肢はないな」


 サラッと答える少女に男は肩を落とした様子で、そんな彼にサティナがしかしと指を立てる。


「仕方ない。では、言い方を変えましょう」


 そう言って彼が手に持った杖を回すと、その先端をサティナへと突き立てる。仕込み杖の刀身は鋭利な光を放ち……肉も皮もなく、表情のない筈の顔に悪意を見た。


「森が言うのです。無法の闖入者の来訪を、その横暴に──」


 憤っている──と、一言だけ。ただそれだけでサティナには十分で、赤い瞳に白い炎が宿った。

 礼をわきまえぬ部外者へと突き付けられた細剣に向かうよう、白い少女が一歩踏み出す。刹那の間に閃光が迸り、彼等の周囲へと凍結の斬撃跡が浮かび上がる。


「ふはっ……!」


 頬を切り裂かれて、しかし傷口は凍りつき血が出ることはない。魂の底から震え上がるような冷気を浴びてなお、禍々しい笑みを浮かべた少女が弾幕のような斬撃を振り払う。

 触れたものは例え空気ですらも凍りつき、その斬撃跡が重力に従って落ちる中……踏み込んだ少女が骨男の懐を取る。


 間合いを取ろうと下がる男。それよりも疾く放たれた刺突が彼の脇腹を捉え……だが、まるで手応えがない。


「肉があれば致命傷でしたが、残念でしたね」


 僅かに中心を逸らし彼女の刺突が背骨に当たることを避ければそれだけでよく、刺突を外したのなら剣を戻さねばならない。

 当然、彼がそんなことを許す筈もなく。刺突を放った姿勢のまま体制が低くなった少女の背中へとその剣を突き立てた。


「…………何を?」


 しかし次の瞬間、違和感を抱いたのは男の方で、ガラ空きの背中から一突き。確実のその心臓を貫いた筈なのに、明らかに手応えがないのだ。

 間もなく少女が剣を引き戻す。考える時間はなく、それよりも疾く男もまた剣を抜こうと──しかしまるで細剣が動く気配が無かい。


「捕まえた」

「──っ!?」


 骨身になってもなお、ない筈の血が凍り付くような底冷えするような声と気配。

 一瞬映る視界に映るのは胸を貫通した刀身を掴み釘付けにする少女の姿。


 しくじったと思った瞬間には視界が逆転する。足が切られたと知るよりも、彼が放った手刀が少女の肩から先、右腕を切り落とした。


「ぐぅ……」


 剣を持つ腕を失い、足一つを切り裂いて少女の錆剣が遠心力に従って遥か後方へと飛ぶ。反転する少女が胸から飛び出した細剣をそのままに、空いてた手を伸ばし距離を取ろうとする男の頭蓋を鷲掴みにする。


 ミシミシと嫌な音が脳髄になで響くような感覚に思わず身震いするのを意思で抑え付け、彼女の手首を掴めば力任せに捩じ切った。

 肉が潰れ、骨が砕ける感触を受けてなお彼女の表情は変わることはなく……年端もいかぬ少女の見てくれで、その姿はあまりにもいびつだろう。


 両腕の機能を失い、それでもなお白い少女は下がることを選ばない。男を押し込むように足を踏ん張り前に出る。

 その胆力にない筈の肝が冷えるのを感じて、一つしかない足では踏ん張ることも出来はしない。──だからこそ、彼は迎え打つ選択を取った。


「ぐっ……!」


 突き出した骨指が少女の胸元を抉り、黒い亀裂の走る白い肌を切り裂いて……血の出ないその向こう側、引き裂いた胸を目の当たりにして思わず目を見開いた。

 胸から突き出す細剣の刀身を握りしめ、抉れ引き裂かれたボロ布が取り払われれば、その正体にただただ嫌悪したのだ。


 ──何だ、それは……?


 薄い胸に刻まれた黒い亀裂と、それが収束する位置……丁度心臓がある筈の場所には風穴が開けられていて、彼の放った刺突は何もない宙を貫いたことになる。

 手応えが無かったことの理由に納得しながらも、それ以上に既に大きなダメージを受けている筈の少女に尚も推されている現実が受け入れられない。


「はぁ……はぁ……」


 しかし下から聞こえる苦しげな息遣いと、彼を押し込む力にまるで抵抗が感じられない。亀裂の走る顔を険しくさせている少女を見やれば、やはり彼女の負ったダメージは確実にその身体を蝕んでいる。


「──っ!?」


 力が弱まった瞬間、細い隻腕を払いのけ存外軽い身体を持ち上げた。驚愕を隠す余裕すらも失った少女、その薄い胸に男の骨指が食い込み肉を抉りながら肋骨を鷲掴みに……反対の手を少女の腹へと突き刺せば、その肉を引き裂くように両腕を広げる。


 ブチブチと肉や繊維が引き千切られる感情を感じながらも、片腕を失ったサティナには抵抗する術もない。

 辛うじて放った蹴りが男を直撃するも、多少蹌踉いたところで大した力の入っていない一撃は彼の拘束を特には不十分で……間もなく彼女の腹に突き入れられた腕が一思いに振り抜かれる。


 破かれ、抉られた肉が垂れ下がり、呪詛に蝕まれて黒く変色した臓物が男の上に降り注ぐ。少女の瞳に光はなく、力無く抵抗すらも失った細身を放る。


「…………」


 再生した両足で地を踏み、地面に転がる亡骸に近づくとその背中から細剣を抜き取る。腹を抉り、その臓物が綻び出た無惨な屍を見下ろし──しかし、何故だか男の足は無意識に後ずさっていた。


「……まさか……」


 目の前に映し出された光景に息を呑み、そして同時に悟った。まるで憐れなる小さな少女を祝福するように、今は亡き筈の身体に降り注ぐのは白い羽毛で……ピクリとも動かない屍からは、地下世界を震わせるほどの力が溢れ出す。

 ──そう、今もまた自分の身体が震えているのは地震の影響か……はたまた、眼前に横たわる化け物に怯えているからか。


 満一刻、ゆるりと立ち上がった少女。

 万光にして無色の瞳が無機質に男を見やる。


 胸に風穴を、抉られた腹からは綻び出た臓物をそのままに……しかし、それのどれもがどうでもよくなるほど神々しく見えるのは一対二枚の巨翼。

 神々しくありながらも、それ以上に無惨な姿。あまりにも歪なその姿形に、ただただ嫌な寒気が全身を劈く。


 瞬く間に再生した腕が自身の臓物を持ち上げ、無色の瞳がそれを不思議そうに見やる。そう、それはまるで自身の内側すらも──


「──っ!?」


 思わず目を見開いた男の前、自身の臓物すらもまるでつまらないナニカでしかないのか、あるいは取るに足らない異物だとでも思っているのか。──何の躊躇いもなく無造作に投げ捨てると、それを踏みつけて少女の皮を被った化け物が前に出る。


 ただひたすらに恐ろしく、戦慄くように白い少女が前に出た分だけ後ろに下がる。未だ腹の中へと繋がる臓物が少女自身の足に絡み付き、それをまるで意に介さず、伸び切った臓物が引き千切られても歩みを止める気配はない。


 一歩、また一歩……重い足を踏み出して、迎え撃つたんと細剣を構えた男。相対する少女が顕したのは瞳と同じ色の大鎌で、無造作に振り上げたソレを見た時、彼の脳裏に得も言えぬ走馬灯が見えた。

 それを振らせてはいけないと、理由もなくただ無性にそう思うも身体が思うように動かない。初めてあの、白い神を垣間見た時と同じ錯覚の中で……その姿が重なる少女が掲げる鎌が、ついに最頂点へと到達する。


 脳裏に浮かぶ亡神の権能。

 奇跡の具現たる神が再び。


 そして──鎌が振り下ろされることはなかった。確かに少女の腕は力を込めて、だと言うのに神鎌はナニカに引っ掛かったようにして一向にその刃を振るうことは許されない。


「…………どうして……………」


 ここにて漸く少女の顔に感情が見えた。

 驚愕と疑念、そして僅かながらも確かな恐怖の色。


 埒外の力を持つ化け物が持つ権能、それに均衡する力が彼女の奇跡を封じ込んでいる。如何なる存在なのか、心当たりなど一つしかなく──


「なに、が……?」


 大鎌を消した少女がフラフラと力無く後ずさる。震える手が力無く穴の空いた腹を押さえ、先程まで魂にまでのし掛かるような力が急速に失われ始めた。


「……ぐぅ……」


 焦点の合わない目に色が戻り、膝を付いた少女の身体が傾く。起き上がれないのか、気を失った様子はないものの横向きに横たわった少女が苦しげに息をしている。

 死者すらも恐れ慄く栄光も今や陰り、力無く光を失った翼が地面突っ伏す少女と折り重なり……そうして間もなく光は消えた。


「…………」


 無造作に細剣を振り上げ、そしてその切っ先が少女の背中から貫き、細い身体を地面に釘付けとする。


「やめて、おいた方が……いい」


 無言で剣を捻れば少女の口から嫌な音が響く。確実に息の根を止めて、二度とこの化け物が闊歩しないように……しかし、次に放たれた言葉が彼の手を止める。


「貴方では、僕は斃せない……」

「……何故、そう思うのですか?」


 抵抗する力すらもなく、それでいながら何故か彼女の言うことが虚言ハッタリには聞こえなかったのだ。

 だからこそ──否、無意味なことだと知りながらも男は少女へと問う。


「なにも……不思議なこと、じゃない」


 皮肉げに笑い、それが年端もいかぬ少女の浮かべる表情なのか。ただただ得体の知れない化け物から逃げ出したい衝動を抑え込み、何とか次の言葉を待つ。


「そう、決まっているんだ……」


 殺して死なない化け物。それを彼はよく知っていて、だからこそ無性に彼女の言葉を信じてしまうのも仕方ないことだろう。


「それとも……貴方は僕が、心中してでも一矢報いたいほど憎いのか?」

「無意味で、安い言葉ですね」


 静かに、それでながら確かに憎悪を込めて瞳のない目で睨め付ける。


「いいよ、付き合ってあげる。──君が価値あると思う行動を、僕は否定しない」


 まるで悟り切ったような表情で、どこか諦めたような顔で……それは誰に向けられたモノなのか、少なくとも彼女は男の行動を肯定するのだろう。

 きっとそれは酷く残酷である筈のに、尚も彼女には何が見えていると言うのか。突き刺した剣に膨大な力が収縮し、間もなく彼女ものとも辺り一帯を永久凍土に沈める。


「……それは、契約とみてもいいと……?」


 冷気が爆ぜる直前、男はその魔法を止めて少女へと問いかける。何を問われたのか分からない、と言った様子で一度閉じられた赤い瞳がゆっくりと彼を見上げだ。


「私の憎悪に付き合うと、貴女はそう言った。その力があれば、我が怨念は彼かの冒涜者へと届くでしょう」

「……………」


 少女は答えない。──彼が何を言わんているのか、それを理解しているからこそ答えられないのだ。


死者われらから安息を奪ったあの──」


 力強い目が少女を射抜く。


 彼女は言ったのだ。──彼が選んだ憎悪の道に付き合うと……そして、その言葉を取り消すことなど出来はしない。

 言葉とは大なり小なり力を持ち、それは自らの首を絞める鎖となる。故に彼女は自身の放った言葉に従い……しかし、所詮は言葉ではない。言霊が宿るともそれが持つ強制力など無いに等しく、だからこそ彼女は首を縦に振った。


「……僕もまた冒涜者の一人で、それでもいいなら──何よりも共謀者がいる。彼の信念に背かないのなら、貴方達の安念を約束しよう」

「御身の慈悲に最大の感謝を……そしてどうか『奇蹟の魔女』よ。その言葉、違えることないように──」


 強大な敵も、たかが外れた狂人も、神とさえも比喩される超越者も全ては等しく──それこそが彼女の在り方であり、そこにあるのは年端も聞かぬ少女などの姿ではなく、最も恐れられた神の片鱗だった。

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